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魔性の男たち
魔性の男たち
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BLオメガバース
2025年06月30日
公開日
1万字
完結済
アルファ男性たちに危機が訪れます。どいつもこいつも性的不能になってしまったのです。魔性の男が原因でした。問題は解決し、危機は去ります。

第1話「魔性の男」は欲求不満

 オメガルビーじゃなかったオメガバースの世界に未曽有の危機が到来した。

 アルファの男性たちが、どいつもこいつも性的不能に陥ったのである。

「どうしてぇぇぇぇ! どうしてエレクチオンしないのぉぉぉぉ!」

 パニックに陥ったアルファの男性たちは涙を流して泌尿器科に殺到した。しかし泌尿器科の医師にも、その原因が分からず治療法の見当がつかない有様だった。役立たずになった股間の息子と一緒に、その父親であるアルファの男性たちも項垂れる日々が続いた。

 自信を失ったアルファの男性は、既にアルファではない。その代わりに、今までは空気のような存在だったベータの男性が社会の中で大きな顔をするようになった。社会変革の時が来た、と主張する者まで出始めた。アルファを頂点として成立したオメガバース社会が変わるべき時が到来したのだ、とする意見は過激なものと見なされた……が、同調する者は少なくなかった。虐げられるオメガの男女が待遇改善を訴え始めたのである。

 その訴えは以前にもあった。しかし、まったく相手にされなかった。社会を牛耳るアルファ階級の男女にとってオメガとは動物以下、まさに虫けらなのだ。虫の声に耳を傾けるのは秋だけで十分であり、普段は聞くまでもないのである。

 社会を揺るがす事態にまでなったアルファ男性の性的不能を早急に治さねばならない、と考えたプチコン06・魔性大学医学部学部長ハイスぺ・スパダリ教授は、言うことを聞かなくなった肉体の悩みを抱えた数多くのアルファ男性を診察し、性的不能の原因を研究した。

 その研究結果は衝撃的なものだった。

「魔性の男」不足……それが多くのアルファ男性を悩ます性的不能の原因なのだ! とするハイスぺ・スパダリ教授の学説は賛否両論を巻き起こした。

 不足しているとされる「魔性の男」とは何なのか、と疑問を抱く者に対し、ハイスぺ・スパダリ教授は「それは人様々であり、断定することは難しい」としつつも、以下のような例を挙げた。

――こんな「魔性の男」が見たい!――

・かわいそかわいい♡――のに急に色気がダダ洩れなサラリーマン

・入院不可避! ハイスぺ人たらしスパダリお医者様

・圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様

 こういった例の他にも両性具有のアルファやサイボーグまたはアンドロイド等も治療には有効だとハイスぺ・スパダリ教授は述べた。

 つまり「魔性の男」によって性的不能に陥ったアルファ男性は癒される……というわけである。

 ハイスぺ・スパダリ教授の主張に賛同する者も反対する者も同じくらいいたが、その両勢力の見解が一致している点が、幾つかあった。

 その一つが、例として挙げられた「入院不可避! ハイスぺ人たらしスパダリお医者様」に該当するのはハイスぺ・スパダリ教授その人であろう、という見方である。

 実際、ハイスぺ・スパダリ教授は完全無欠の美形だった。イケメンで天才的な頭脳の持ち主となれば、まさに「魔性の男」そのものである。

 無数のアルファ男性がハイスぺ・スパダリ教授との交際を求めて群がった。

 しかしハイスぺ・スパダリ教授は、それらの求愛をすべて拒んだ。

 ハイスぺ・スパダリ教授は、自分との性的関係を求める不能者アルファ男性たちに、三次元ではなく二次元の恋愛で欲求を満たすことを勧めた。

 学会誌のインタビューに答えた際のハイスぺ・スパダリ教授の発言を引用しよう。

「好ましいのは誰もが心を奪われる、“魔性”の男が登場するBL作品です」

「無自覚な小悪魔、計算高い人たらし、危険な色気の持ち主……“魔性”の定義はあなた次第!」

「抗えない魅力に翻弄される物語が、私たちに必要なのです」

 そう唱えるハイスぺ・スパダリ教授にインタビュアーは、こんな質問をしている。

「どうしてリアルな恋愛はいけないのでしょうか?」

「まだはっきりとした証拠をつかめていないのですが」

 そう前置きしてからハイスぺ・スパダリ教授は、こう言った。

「この病は感染症ではないかと考えているのです。性行為によって広まる性感染症の可能性がある限り、実際に恋愛行動は差し控えるのが望ましいでしょう」

 さらにハイスぺ・スパダリ教授は、こう付け加えた。

「この性的不能の病態が性感染症に起因するという証拠は、まだ完全に集まったわけではありません。しかしながら、その可能性は高いです。そして、この性行為による感染症の症状が、性的不能に限局しない可能性も大いにあります。さらに症状が増えていく恐れがあるのです」

 今回の病気が性感染症が原因の可能性を否定しないハイスぺ・スパダリ教授に、インタビュアーは、こんな質問もした。

「性行為感染症だとすると、それは細菌感染ですか? それともウィルスが原因でしょうか?」

 ハイスぺ・スパダリ教授は「まだ分からないです」とだけ答えた。

 インタビュアーは、病気が性的不能のみで収まるか分からない点についても問い質した。

 ハイスぺ・スパダリ教授は、この質問にも「はっきりしたことは申し上げられない」と答えるのみにとどめた。

 また、ハイスぺ・スパダリ教授は、こうも述べた。

「性行為感染症の可能性を話しましたが、他の要因も否定できないことを忘れてはなりません。我々は、まだ事態の全貌を捉えたと言い切れないのです」

 その発言を受け、インタビュアーは、あらためて質問した。

「私たちには、まだ恐れなければならないことが待ち受けているのでしょうか?」

「今回の騒動の全部が表に現れたとは言えませんからね。警戒を続けるのが最善だと思いますよ」

 事態の悪化への懸念を示すハイスぺ・スパダリ教授の発言は、アルファ男性たちを絶望の淵へ追い込んだ。性的不能を早く治して性行為はしたい、しかし感染症は怖い……という二律背反が彼らを苦しめているのである。

 オメガバース社会の頂点に君臨するアルファ男性たちは今や、自信を失った愚かで哀れな――滑稽と言っても構わないかもしれない――普通の一般男性となりつつある。その存在理由が失われようとしている、と表現できるのかもしれない。

 そんなオメガバースの世界から遥かな超時空を隔てた異世界において、ほんの些細な変化が起きた。オメガバースを揺るがす巨大な変化とは桁違いに小さな変貌の過ぎないのだが、それでも極めて重大なトランスフォーメーションであったと言って間違いないだろう。

 かわいそかわいい♡――のに急に色気がダダ洩れなサラリーマンの登場である。

 このサラリーマンについて、ボーイズラブの歴史を専門に研究するヴァ―ニジア州立大学歴史学部主任研究員ジャンヌ・フレドリーネ・キミコ女史(仮名)は、こう説明する。

「かわいそかわいい♡――のに急に色気がダダ洩れな男性に変化した理由は、分かっていません。しかし彼は、確かに変貌を遂げたのです」

 その変化は多くの同性愛者の男性を魅了した。いや、そのサラリーマンの変貌によって、新たに同性愛に目覚めた男性も少なくなかった。

 ヴァ―ニジア州立大学歴史学部主任研究員ジャンヌ・フレドリーネ・キミコ女史は語る。

「多くの男性が、彼を愛するようになりました。同性愛者だけでなく異性愛者ですら、彼への愛に悶え苦しむようになったのです」

「そうですね。悶え苦しむという表現は、極めて適切だと思いますよ」

 そう語るのはジャンヌ・フレドリーネ・キミコ女史の共同研究者で、マサチョーセッツ航海大学で社会学を教えるキュートセクシィ・ミゼラブルダイアモンド・ミスト氏(仮名)だ。

「そのサラリーマン男性の周囲には謎の結界が張られていたのです。その結界のため、彼に愛を伝えようとしたものは、撥ね除けられました」

 それは一体どういうことなのだろうか?

 ジャンヌ・フレドリーネ・キミコ女史は、それを次のように説明する。

「その男性を、かわいそかわいい♡――のに急に色気がダダ洩れなサラリーマンへと一変させた存在がいるのです。その存在が、サラリーマンを変化させると同時に結界を張ったのです」

 その存在とは一体、何なのか?

 キュートセクシィ・ミゼラブルダイアモンド・ミスト氏は語る。

「圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様だと、私たちは想定しています」

 圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様とは一体、何者か?

「それは難問ですね。実は、私たちも、その正体を突き止めたわけではないのです」

 心から残念そうにキュートセクシィ・ミゼラブルダイアモンド・ミスト氏は、そう語った。

 だが、その謎めいた圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様に接近し、実像をつかもうという取り組みは進んでいる。ジャンヌ・フレドリーネ・キミコ女史とキュートセクシィ・ミゼラブルダイアモンド・ミスト氏の研究グループと共同で調査を進めているバロマ山天文台の観測チームが、異世界望遠鏡を駆使して圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の姿を捉えようとしていた。

 しかし、それは簡単ではないようだ。

「圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様は暗黒物質つまりダーク・マターに包まれているため、通常の観測方法では見極められないのです」

 そう語るのはバロマ山天文台最高管理責任者のドッケルバン・ウィンウィーン博士(仮名)だ。

 ドッケルバン・ウィンウィーン博士によると、現在バロマ山天文台に設置されている約五メートルの直径を持つ反社赤道儀式異世界望遠鏡の精度をもってしても、圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の実像は黒い闇の中にあって写真撮影が困難なのだ。

「超能力者による念写を同時に行うことで、どうにか上手くいくこともある、という程度です」

 その画像は粒子が極めて荒いもので、とてもではないが、どのような人物なのかを見極めることは出来ないという。

 しかしながら近年になり観測機器の性能が上がってきており、写真撮影の成功が期待されるとのことである。

 このように非オメガバース世界においては、圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の正体をつかんでいるとは言いがたい。だがオメガバース世界では、この謎めいた存在への探求が、より深く、さらに近くまで進められていたのである。

 ハイスぺ・スパダリ教授らの研究グループが、アルファ男性を性的不能に陥らせた原因の一つとして、この圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の陰謀説を唱えた。別の研究グループも、別のアプローチから同じ結論に到達したため、その存在がにわかにクローズアップされるようになっていた。

 性的不能の原因を作ったとされる圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の正体をつかむため、王子様がいると思われた場所に調査隊が送り込まれることになった。

 その場所は世界各地にあり、送り込まれる調査隊の数も、それなりのものとなった。

 そんな調査隊の一つをご紹介しよう。ビヴァスティアーニ山の付近に圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の潜伏している地下墳墓があるとの噂に基づいて、調査隊が派遣されることが決まった。調査隊の隊長はヴェスビセチェスコ・フランコーニといった。任官して数年の、まだ若い陸軍の中尉である。調査隊は彼を含め、全員で五名だった。全員がベータの兵隊である。

 調査隊の全員がベータであったのは偶然ではない。ベータであるヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉が部下を全員ベータにしたのである。アルファ男性はベータ男性の指示に従いたがらない。階級意識の塊であるアルファ男性は扱いにくい部下なのだ。ベータやオメガに対し優越感を持つ高慢ちきなアルファ男性を選ぶ理由はなかった。

 そういった観点からヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は調査隊のメンバーを集めたのである。調査隊の一行は町外れに集結し、誓いの儀式――皆で旅の安全を祈願する――を行ってから出発した。まず彼は、ビヴァスティアーニ山へ近い軍の砦に向かった。町の出口から草地になった低い山が見える。それが砦の一部だと彼は聞いていた。道は在って無きようなもので車では行けない場所であり、道中は難所中の難所の連続だだが、行けない場所ではない。馬で一日の行程とのことだった。早ければ一日も掛からない、と言う者もいた。

 調査隊は全員が馬に乗っていたので、すぐに砦に到着するだろうとヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は想定していたが、その予想は外れた。やはり難所だらけで、移動は困難の連続だったのである。結局、日のあるうちに辿り着かず、夜になった。そして、枯れた草地の山が彼らの寝床となった。そこは砦の一部ではなかったのである。

 その夜、調査隊の隊員の中の二人が、同性愛の関係になった。その二人は、それまで男性に性的な興味を抱いたことがなかったのだが、何だか急にボーイズラブをしたくなったのである。

 ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は、性行為をした二人を注意した。任務中にボーイズラブに励むとは何事か! という上官からの叱責を二人は真摯に受け止めていた様子だったが、実際は違ったようである。その日のうちに二人は行方をくらましたのだ。

 これは敵前逃亡と同じだ! とヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は憤った。軍法会議に掛けたら私刑は間違いない。本来であれば追跡し捕縛したいところだが、その時間は彼に与えられていない。圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の潜伏しているとの噂があるビヴァスティアーニ山近くの地下墳墓へ直ちに急行しなければならないのだ。彼は残った二名の部下を率いて出発した。

 その日のうちにビヴァスティアーニ山へ近い軍の砦へ到着するかと思われたが、この日も砦に辿り着くことは出来なかった。先を急ぐヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は夜道を進もうとしたが、山道は至る所で崖の傍を通っており、暗い中での移動は危険だったので強行軍を断念したのである。調査隊は岩場の片隅で野宿した。昨夜の野営地より標高が高い場所で、夜は冷えた。暖を取るための焚火を熾そうにも薪となる枯れ枝のようなものは見つからず、彼らは毛布にくるまって寝るほかなかった。それが関係しているのかどうなのか不明だが、昨夜と同じような事態が再び起きた。調査隊の隊員二名がボーイズラブの性行為に励んだのである。

 昨夜とは別の隊員だが、二夜連続の性行為はヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉を激怒させた。任務終了後、二人を軍法会議にかけると宣告する。結果的には、その通告が逆効果だったのだろう。朝が来る前にボーイズラブをしていた二人の兵隊は姿を消したのだった。

 この事態はヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉を激怒させると共に、彼に強い不安を感じさせた。合計で四名の部下に逃げられたわけだ。彼の統率力に問題があると上層部に判断されても当然だろう。しかも彼の人選なのだから言い訳の余地はない。

 任務は失敗に終わるかもしれないという嫌な予感を抱え、激しく落胆しつつヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は砦に向かった。奇妙な形をした岩山や切り立った断崖を見ながら険しい山道を進む。ところどころが砂礫に覆われた丘を馬は疲れた様子で登った。すると丘の後ろに小さな砦が建っているのが見えた。窓の少ない中央部分から狭間のついた高い城壁が左右に伸びていた。それで砦は、急峻な崖で挟まれた谷を遮断し、敵軍の通行を阻止しているのである。

 ただし実際には、この砦が外国の軍隊に攻撃されたことがないことを、ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は知っている。この台地が交通の要衝であったのは遠い昔だ。現在の峠道は、もっと北にある。砦の向こうにあるのは野性の生き物だけが暮らす石だらけの砂漠だ。そんなところを行軍して攻めてくる敵がいるのか、誰も分からない。それでも、この砦は維持されていた。

 まったくもって無意味なことだったが、圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の潜伏しているとの噂があるビヴァスティアーニ山近くの地下墳墓へ行くためのベースキャンプとしては好位置にあるのは確かであり、その点ではヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉にとって、砦の存在はありがたいことだった。

 ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は砦の正面入り口の前に立った。入り口に門番らしき者はいなかった。だが、門の前に卑しい格好の醜い男が椅子に腰かけて座っていた。

 この男が門番の兵隊なのだろうか、とヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は訝しく思った。兵隊なのに軍服を着ていない。とてもではないが、まともな兵士とは思えないのである。

 汚い作業着を着た中年男は、訪問者に言った。

「ここを通りたければ対価を払え」

 横柄な口調だった。ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は怒りを抑えるのに苦労した。自分は圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の潜伏しているとの噂があるビヴァスティアーニ山近くの地下墳墓を調査するために、この砦を訪れたのだと言う。

「連絡が来ているはずだ」

 そう話すヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉に、中年男は首を横に振って見せた。

「俺は聞いていないなあ」

 その言い方もヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉を苛立たせた。

「おい、お前は何者だ? 兵隊ならば兵隊らしく、上官に対し敬う口調で話したまえ」

「生憎と、俺は兵隊じゃない」

「何だと? それでは、お前は何者だ?」

 そう尋ねるヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉に中年男が答える。

「この砦の連中から見張り番を頼まれているんだよ。砦を通り抜けようという人間から通行料を取るようにってね」

 中年男の説明を聞いてヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は唖然とした。呆れた話だったからだ。ここの人間は何をしているのだろう……と彼は思った。この砦の兵隊こそ軍法会議ものだ。いや、兵隊たちの上官である将校たちこそ軍法会議だ! とも思う。だが、それはこの際どうでも良かった。

「とにかく中へ入れてくれ。到着を砦の司令官に報告しないといけないのだ」

 中年男は難しい顔をした。

「それは……どうかなあ」

「何だと? どういうことだ?」

「何だろ……それを、どう説明したらいいのか……なかなか意味を分かってもらえない気がしてさあ」

「回りくどいな、早く言え」

「実は、この砦の中は、ボーイズラブの世界になっているんだよう」

 ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は耳を疑った。

「は? ちょ、ちょっと意味が分からないのだが」

「んだから、ボーイズラブの世界なわけ。それで、砦にいる全員が、ボーイズラブの虜になっちゃったんですってばさあ」

「ちょ、ちょま、なあ、意味が分からない」

「皆でボーイズラブに嵌りまくっているのよ。男の愛の泥沼に首まで浸かって、ぬくぬくと温まっているってわけよ」

「いや、ちょっとどころじゃなく意味不明だ」

「要するに、やりまくっててさ、そっちが忙しいものだから、俺に仕事を頼んでいるってわけさ、お分かり?」

 ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は絶句した。理解できなかったからである。

 この世界はオメガバース社会である。アルファ男性によってオメガ男性が孕ませられるのは日常の風景なので、軍隊内にも、そういう関係が普通にある。だが、砦の全員が仕事を放棄して性行為に励むというのは異常な事態としか言いようがない。そのためにヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は呆れかえって言葉が出ないのだ。

「さ、どうする? この入り口を通りたければ通行料を払ってくれ。さあ!」

 そんな話は聞いたことがない、とヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は要求を突っぱねた。中年男は残念そうに言った。

「それだと中へ入れないんだよな。本当は、ただで通してやりたいんだけれど」

「いいかげんにしろ、早く通せ」

 顔を強張らせるヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉に中年男は笑顔で言った。

「しょうがないな、特別だぞ」

 椅子から立ち上がった中年男は突然ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉に口づけをした。いきなりのキスに、青年将校は狼狽した。

「んななななな、何だ君は! 急に接吻だなんて、失礼じゃないか!」

 大量の唾液を口の中に注入されたヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は口から涎をダラダラ流しながら叫んだ。そんな彼に中年男は悪戯っぽく笑う。

「ふふふ、素敵だったろ? 最高にイカしたキスだったろ?」

「どこがじゃ!」

 汚れた口元を手の甲で拭きながらヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は怒りを露わにした。そんな彼を情熱的な目で見つめて、中年男は言った。

「そろそろ媚薬が回ってきたんじゃないかな」

「何だと!」

「俺の唾液には、どんな男のボーイズラブに目覚めさせる成分が入っている。濃厚な俺のキスは、最高のボーイズラブ・エキスなんだ。この樹液を啜った人間で、ボーイズラブの世界に嵌らなかった奴はあ、いやしない、はあと」

「いや待て、お前、何を言っているんだ!」

「ふふふ、さあ、来るのだ」

「どどどど、何処へ?」

「決まっているじゃあないか。ボーイズラブの世界を守るためにある、愛の砦の中へだよ」

「はああああ?」

「禁断の世界へようこそ」

 中年男は、そう言ってヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉の手を握った。

 手をつかまれたヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は、抵抗することが出来たはずである。ぎゅっと手を握られてはいるものの、そんなに強い力で抑えられているわけではないのだ。だが、抗えなかった。中年男の唾液に含まれていた濃厚なボーイズラブ・エキスが効果を発揮したのである。

 砦の中で引きずり込まれたヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は、そこで繰り広げられていた濃密なボーイズラブに耽溺した。硬かった自分の脳物がグチャグチャに砕かれ、新たな自分が再生していくのが体感された。その禁断の果実は、あまりにも美味すぎた。彼は男の愛の世界から抜け出せなくなってしまったのだ。ここに来るまでは確かにノンケだったのにもかかわらず、もう後戻りが出来なくなってしまったのである。

 そんなヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉に中年男は、酷なことを言った。

「さて、それでは、そろそろ下界へ戻ってくれ」

 発情期で目がトロンとしていたヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は、注意が散漫になっていて、男が何を言っているのか聞き取れなかった。

「え?」

「下界へ戻って、お前を送り込んできた奴らに言うのだ。魔性の男は最高です、とな。呆けてばかりいないで、しっかり伝えろよ」

「魔性の男は最高ですと、伝える……」

 そう復唱したところで、ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉のトロンとしていた目がカッと開いた。

「それでは、もしかして、あなた様は!」

 中年男の醜い顔が瞬時に超絶イケメンに変化する。若々しい美形になった元中年男は言った。

「俺は圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様だ。この俺を倒したければ、俺に負けないくらいの魔性の男を送り込むことだな」

 ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は必死の抵抗空しく砦を追い出された。中へ再び入れて欲しければ、町へ戻って事情を報告しろと命令され、涙をボロボロ流して来た道を後戻りした。

 出発した町に戻ったヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉は、上官に事態を報告した。それから砦に戻ろうとしたが、拘束されてしまう。圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の魅力にやられ、身も心も奪われた彼は、敵のスパイとなった容疑で逮捕されたのだった。まさに魔性の男によって人生を狂わされてしまったのである。

 魔性の男によって人生を狂わされてしまったのは、ヴェスビセチェスコ・フランコーニ中尉だけではなかった。圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の見つけ出そうという目的で送り出された調査隊の人間は、一人残らず圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の魅力の虜となっていたのである。

 この悲惨な状況は、調査隊を組織した者の一人であるハイスぺ・スパダリ教授に報告された。

 木乃伊取りが木乃伊になる……か。そんな言葉を思い出し、ハイスぺ・スパダリ教授は溜め息を吐いた。圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様は世界各地に出没し、調査隊を翻弄していた。逃げ隠れするのではない、むしろ調査隊の到着を待ち受けているようにも思われたのだった。

 かくなる上は、自分が出るしかないだろう。ハイスぺ・スパダリ教授は、そう思った。圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様との対決に向けて準備を始めた彼を、周囲の者たちは必死に止めた。

 それは当然と言っていい。ハイスぺ・スパダリ教授は、今回の騒動に対し最初から的確な分析を行い、その対処法を指示してきた人物だったからだ。教授に万が一のことがあれば、アルファ男性を中心としたオメガバースの世界に襲いかかった未曾有の危機が解決される望みは絶えてしまうことだろう。

 しかしハイスぺ・スパダリ教授は、引き留める周囲の者に対し、こう言って旅立って行った。

「魔性の男が求めているのは、魔性の男だけさ。王子様は本当の愛に飢えているんだよ」

 ハイスぺ・スパダリ教授は圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の居場所へ向かう前に、異世界に寄り道をした。かわいそかわいい♡――のに急に色気がダダ洩れなサラリーマンを連れ立って再出発する。王子様の激しすぎる愛を二人がかりで抑え込もうという腹だった。

 それが功を奏したのだろうか。アルファ男性の性的不能は解消した。事の原因だった圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の性的欲求不満が解消されたためだろう、と人々は噂し合った。

 かわいそかわいい♡――のに急に色気がダダ洩れなサラリーマンとハイスぺ・スパダリ教授と圧倒的カリスマなのに闇が深すぎ王子様の三人は、魔性の男同士、末永く幸せに暮らしたという。めでたしめでたし。

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