「そう、この呪いは永遠に解けない」
憂いを含んだ遠い目で台詞を紡ぐ蓮の横顔は、耳にかからないくらいに短く整えられた明るい茶髪に縁どられ、黒いTシャツに包まれた引き締まった体も相まって、まるで彫刻のように綺麗に見えた。
細いけれどしっかりした鼻筋を汗が伝い、鎖骨を滑り落ちていく。
それに見とれているのを気づかれないように、自分が書いた脚本に目を落とした。
普段の蓮は笑顔が明るい、太陽と青空がよく似合う人物なのに、こういうシリアスな役もよく似合う。
もちろん、僕はそれをちゃんと分かっていて、蓮を主演にしたこの話を書いたのだから、似合っているのは当然だけど。
地声は少し高めなのに、役によって低い声も、クールな声も使い分けることができるし、さすがこの劇団「∞インフィニティ」の看板俳優だ。
「それでも君がいたなら」
蓮が、隣に立っている相手役のリリカの手を取る。
僕は目を逸らした。
「え……えーっと……」
台詞が出てこないらしいリリカが言葉にならない音声を発する。
「すみませんっ!忘れちゃいました!」
「じゃあきりもいいし一旦休憩にするか。リリカちゃん、もう一度落ち着いて台詞確認しといて」
座長のアツシさんが拍手をしながら言った。
「∞インフィニティ」は、僕が住む地方都市を拠点とする小さな劇団だ。
時にはダンスや歌を取り入れたミュージカル風の作品も上演しており、この街ではそこそこ知られている、かもしれない。
しかし、予算がなく稽古場にはクーラーもない雑居ビルの1階を使っている。これからの季節は蒸し暑さとの勝負だ。
僕が幼馴染の蓮と一緒に入団したのは18歳の頃だから、あれからもう5年も経っていることになる。
メンバー達も何度も入れ替わり、最初からいるのはアツシさんとミズキさんだけ。
二人とももうすぐ30歳になるらしいが、ずっとアルバイトをしながら演劇を続けている。
僕も、そろそろ就職した方がいいだろうか……とか考えながらも、
「演劇に人生を懸ける!」
と言い張る蓮から離れる決心がつかず、このまま来てしまっていた。
蓮は時々小さなテレビ局のCMに出たりすることはあるが、そんなに大きな活躍をすることもなく、僕と同じスーパーで働きながら劇団員生活を続けている。
映画のオーディションでも受ければいいのにと思いつつ、蓮にはこのままずっと僕の近くにいてほしい気持ちもある。
とは言っても、最近はそれも危うくなってきているが。
「蓮、ごめん!また台詞忘れた!」
その原因であるリリカが顔をしかめて蓮の腕にしがみつく。
「ま、しょうがないよ。急に台詞が変わったしな」
アツシさんとミズキさんをはじめとする他の団員たちがその様子をほほえまし気に見つめる中、僕は一人ひそかにため息をついた。
リリカは三か月前に入団した僕と同い年の女性で、先月から蓮と付き合っている。
昔バレエをやっていたらしく、華奢なのに弱弱しさを感じない体型と、猫のように大きな目と大きめの口を持つはっきりとした顔立ちで目を惹く美人だ。
『お似合いの二人よねえ』
蓮のファンを自称しているミズキさんでさえも祝福をするほど、本当に絵になる二人だ。
悔しいけれど。
ちなみに、急に台詞が変わったから仕方がないと蓮はさっき言ったが、リリカが台詞をよく間違えるから短く簡単な台詞に変えたのである。
(はあ……それくらいの台詞すぐ覚えろよ……)
心の中で文句を言う。もちろん実際に言ったら、
『えー、樹くん、お局様ムーブやめてくれるー?』
なんてミズキさんや徹さん(二歳年上だが僕よりも後輩にあたる)たちに言われるに違いないから、決して口に出してはいけない。
最も、僕がリリカの事を気に入らないのは台詞をなかなか覚えられないからではない。
蓮の側にいるからだ。
今までは僕が蓮の一番近くにいたのに。
蓮とは小学校から一緒で、中学と高校では一緒に合唱部に入っていた。
最初はただの仲のいい友達だった、はずだったのに、その気持ちに異物が混ざり始めたのはいつの事だっただろう。
クラスメートと笑顔で話す姿に胸が締め付けられたり、側にいると頬が熱くなったりしたのは気のせいだと思っていたけれど、もうずっとこんな状態だからきっと気のせいではないのだろう。
だから、最近はもう開き直っていた。
僕は蓮が好きだ。
だけど本人には言えるはずもなく、もやもやを抱えている間に蓮はリリカと付き合うことになってしまい。
もうどうしようもない。
「樹くん、またため息ついてる」
不意にアツシさんに指摘されて我に返る。
「あ、すみません。バイト先のいざこざを思い出して」
「え、そんなのあったっけ?俺、全然気づかなかった」
同じバイト先の蓮が目を瞬かせる。
いざこざというのは、蓮の事を気に入っているアルバイトの女性2人が喧嘩をしたというものだったが、蓮はバイト先の人間関係に全く興味がないのか何も気づいていないようだ。
「蓮には関係ないよ。まあ色々あるし」
そう言いかけた時、騒々しい音を立てて稽古場の扉が開けられた。
「え?何?」
「誰?」
ざわめきの中で身構えると、稽古場のり入口には長めの茶髪を真ん中で分けた、僕と同い年くらいの男が仁王立ちしていた。
「リリカ!」
男が叫ぶ。
みんなの視線が、蒼白な表情のリリカに集まる。
「お前、なんでこんなボロいところにいるんだ!帰るぞ!」
男がリリカの手首を掴む。
「ちょっと!やめてよ!」
「何だよ急に」
蓮が戸惑った顔で二人を見比べる。
男は言った。
「お前らには関係ない。リリカは連れて帰る」
「リリカは俺の相手役だから困る」
蓮はまじめにそんな事を言っている。
そんな毅然とした顔も凛々しくていいが、今は多分そんな事を考えている場合じゃない。
「は?何が相手役だ。お前みたいな下品で汗だくでチャラそうなやつがリリカの名前を呼ぶな」
男が嘲るように蓮を見る。
黒く渦巻く何かが自分の中ではじけた気がして、僕は思わず二人の前に飛び出していた。