「かくれんぼは、もうおしまいですぞ」
星が瞬く夜の海辺。
波の音に紛れるくらい静かな声がする。と同時に、闇の中へ、すぅっと一人の男の姿が浮かび上がる。背丈は低く童顔だが、こう見えて元服を済ませている。つまり、成人なのだ。
「もう見つかっちゃったかぁ」
対して、高身長で長髪の男が肩をすくめる。こちらも成人ではあるが、注目すべきは、そこではない。
背の低い方から、
「王子、毎晩のように王宮を抜け出しなさるな。王子の命を狙う不届き者がどこに潜んでいるかわかりませぬゆえ」
と呼ばれていることからわかるように、国で二番目の身分の持ち主なのだ。護衛から注意を受けるのも仕方ない。
「でも、ジンが守ってくれるんだろう?」
「俺などまだまだ未熟です。さ、王子、早く帰りましょう。王子がいないと知れたら、王宮が引っくり返ったような騒ぎになりますぞ」
「わざわざ部屋まで入って私の寝顔を見に来る者はがいるかい? いないだろ? ね、ジン。私はこうしてきみと二人きりになれるのが嬉しいよ」
王子ことシェリーズがジンの黒い髪に手を絡める。
ジンは頬を赤く染めながら、
――このお人は平気でこのようなことを……。
睨むようにシェリーズを見つめる。
その視線を情熱の表れと受け取ったのだろうか、シェリーズは、
「ジンも期待していたんだろう?」
耳元で囁くと、慣れた手つきで護衛の服を脱がしていく。
ジンは主君に対し無遠慮に拒否することもできず、身をくねらせて、どうにか逃れようとする。だが、シェリーズの武骨な手は決してジンを離さない。
一枚、また一枚と服をめくられながら、ジンは掠れた声で、
「王子、なりませぬ。我らは主従の関係。それ以上でも、それ以下でもありませぬ。やはり、このようなこと……」
「とっくに初めてでもないのに、いつも新鮮な反応だね」
「い、いつ人が来るやもしれませぬ」
「だから、よいのではないか」
一糸纏わぬ姿のジンが月明かりに照らされる。筋肉質であり、それでいて引き締まった腰から臀部にかけての線が丸みを帯びている。シェリーズの指がジンの腹筋をなぞると、小刻みに体が揺れるとともに、小さく声が漏れる。
もつれ合うように木陰へと移動する二人。
前後に揺れ動くたび、汗ばんだ体に砂がくっつく。苦しいほどの快楽に堪えきれず、ジンの体が反り返る。その震えが木に伝わったせいだろうか、赤く熟した実がぽとりと落ちてきた。サクランボだ。
ここはサクランボ王国。
国のいたるところにセイヨウミザクラの木が生えていて、季節を問わず、実をつけている。
「ジン、きみは私のすべてだ」
荒い呼吸のまま、シェリーズがジンに口付ける。ジンはすっかり余裕を失っているが、それでも懸命に舌を使う。王子の言葉に嘘偽りがないことは、毎晩のように相手を務めるジンには、はっきりとわかっていた。
王族の一員としての激務をこなす日々。唯一の安らぎは、城を抜け出して行なう、かくれんぼ。どこで落ち合おうなど約束はしない。ジンは必ず主君を見つけ出す。
ジンとて警護の任務のためだけにシェリーズを見守っているのではない。
「俺も王子を……」
今、ジンの体に、うっすらと赤黒い紋様が浮かび上がる。体温が上昇すると現れる仕組みの入れ墨だ。シェリーズは自ら彫りこんだこれをいとおしげに見つめ、
「私達の愛だ」
「王子、俺……もう……」
「私もだよ……」
「まずい!」
突然、ジンが飛び上がって、シェリーズから離れた。
と同時に、サクランボを拾って、口の中へ入れている。
「おい、どうした!? あと少しだったのに……」
「お静かに! 怪しい気配がします!」
ジンの姿は既に消えている。声だけが聞こえるのだ。
異様な状況。
しかし、シェリーズに慌てる素振りはない。何者かの足音が接近しているのを聞き取ってもなお、やけに落ち着いている。
「死ねぃ、王子!」
不審者は黒い衣服に身を包んだ男だった。声音からすると、初老は過ぎているだろう。とにかく、その男は鞭のような何かをしならせて、王子暗殺を図ったわけだ。
ところが、どうしたわけか、暗殺者の腹部に強烈な痛みが走った。
「うぅ……はっ!」
痛みに気を取られ、ほんのわずかに王子から目をそらした。再び王子に目を向けた時、驚愕した。王子が弓矢を構えて自分を見据えているではないか。
「赦さない……お楽しみを邪魔するやつは!」
「くっ……降参じゃ!」
暗殺に失敗した男が悔しげに両手を挙げた。
だが、これはシェリーズを油断させる罠。
「ふぅん!」
気合いを発するや、男の頭頂部に生えた一本の毛髪が激しくうねり、シェリーズに襲いかかる。
――
にやりと笑う男。
しかし、髪の毛が一瞬でずたずたに切断される。
「な……」
周囲にはシェリーズの他は誰もいないはず。だが、さっきの腹部への衝撃といい、この散髪といい、間違いなく誰かが剣を振るったのだ。となると、思い当たる節がある。
「ジンか!? 貴様、なんで邪魔立てするんじゃい! まさか裏切るつもりか!?」
「俺は王室護衛団の所属。王子を守るのは当然であろうが」
何もない空間に、半透明のジンが浮かび、やがてはっきりとした姿になった。
「ジン、殺すなよ」
シェリーズが命令を発した時、既にジンは剣を上段から振り下ろしていたが、そこは卓越した剣士、寸手のところで峰打ちに切り替えた。
初老男性は呆気なく砂浜に倒れる。意識はない。
ジンはやや不満げに、
「こんなやつ、殺してしまえばよろしいものを」
「命は尊いよ」
「どうなさるのです? どうせ下手人の正体はわかりきっているのですぞ」
「まあ、聞き出せることもあるだろうし……ふ、ふふ……」
「何がおかしいのです?」
「こいつの魔法もおかしいし、何よりも、ジン、きみがそんな姿で真面目な話をしているというのが……ふふふ」
ジンは裸のままだった。
今になって慌てて隠しても、もう遅い。
「ぷるんぷるん揺れてるのを、たっぷり見せてもらったよ」
「お、王子~~~!」
「ふふ……それにしても、ヤドリギ一族……とうとう動き出したか」
「う……申し訳ありませぬ」
「きみが謝ることはない。きみがヤドリギ一族の出身だとしても、きみ自身には何ら非がないのだからね」
夜風が二人の体を冷やす。
もうジンの体に入れ墨は浮かんでいない。
夜が更ける。