学生たちは明日から夏休みに入るため浮き足立っている校内で、異常とも思えるじりじりとした太陽の熱が空き教室の一角を照らしている。
旧校舎の空き教室にはクーラーなんて高価なものの設置はなく、湿度を含んだ暑さと汗のせいでカッターシャツが肌に張り付く感触が不快だ。
ぶわり、額に汗が吹き出す。吸水性のいいタオル地のハンカチで額の汗を拭うと、
「……
「分かってるよぉ、みーたんが言いたいことは」
「
「みーたんはみーたんじゃん! 柊先生とか先生っぽくてヤダもん」
「先生なんだって……」
うだるような暑さに加えて深侑の頭を悩ませているのは、目の前に足を組んで座りながらメイク直しをしているギャル――もとい、教え子である
話というのは莉音の家庭事情と、それに伴う彼女の素行についてだ。夏休み期間中に教師陣は街中をパトロールする予定だが、生徒指導の担当である深侑が教頭にネチネチと嫌味を言われたので、夏休み前に厳重注意をする運びとなったのである。
「君がご両親とそりが合わないのは理解しているけど、それでも君の行動は危ないことだって分かってるよね?」
「そうは言うけどさ、みーたん。あたし別に男の家に泊まってるわけじゃないもん。ギャル仲間の家に寝泊まりさせてもらってるだけだよ?」
「……何度か男性と一緒に歩いてたところを補導されたの、覚えてない?」
「だからぁ、それはごめんってばぁ。あれからやってないし!」
「君はきちんと分別ができる子だと思ってます。傷ついてほしくないから口うるさく言ってるだけで……何かあってからじゃ遅いんですよ?」
「じゃあみーたんがあたしん家来てよ」
「なんで俺が……」
「だって、パパとママと一つ屋根の下とか耐えらんないもーん」
「生徒と一つ屋根の下とか、先生が逮捕されるんだけど」
こちらが何を言ってものらりくらり躱されている。莉音は間延びした声で「わかりましたぁ」と笑いながら、返事だけは真面目にする彼女に何度目か分からないため息をつく。この世に生を受けて26年、プライベートではギャルや陽キャと関わったことがない深侑にとって莉音のような生徒は未知の存在だ。いくら生徒であってもどう接していいのか、今年1年生のクラスを受け持ってからずっと悩んでいることでもある。
「とりあえず、みーたんが言うから今日は家に帰ろっかな」
「え、本当に?」
「ん。みーたんがキョートーに怒られるの、可哀想だし」
「別に、怒られはしないけど……」
「うっそだぁ! あたしのせいで怒られてんの、何回か見たことあるよ。ごめんねぇ、みーたん。大人しくしてるからダイジョーブ!」
莉音はメイク道具やハンディファンをスクールバッグに押し込んで、へらっと笑って手を振りながら教室を出て行こうとする。出て行く間際に彼女が難しそうな表情を浮かべていたので思わず立ち上がったがかける言葉が見つからなくて、莉音の腕を掴もうとした深侑の手は宙を彷徨った。
「……ただ家にいさせることが目的じゃないし、根本的な解決にはなってないだろ……」
大人しくしていろとか、素行を改めろとか、教師としての自分はいくらでも言える。でもきっと莉音が聞きたいのはそんな言葉ではなく『問題を解決』してくれる人の、助言なのだ。
「矢永さん、待って――」
「きゃぁぁあ! なにこれ、誰か助けて……っ!」
「矢永さん!?」
莉音を追いかけようとした深侑の耳に響いたのは、先ほど教室を出て行った彼女の叫び声。慌てて教室を飛び出すと、廊下の壁に突如開いた穴に莉音の体が半分ほど吸い込まれていた。
「みーたん……!」
「なんだこれ!? 矢永さん、手を――!」
光の穴に吸い込まれていく莉音の手を握ると、成人男性である深侑の力よりも強大な力で莉音の体が引っ張られている感覚がした。
「どうしよう、みーたん! あたし、もう……っ」
「絶対に離したらダメだ、矢永さん!」
じりじりと深侑の足も抵抗に逆らえずに穴のほうへ歩み寄ってしまう。何も状況が分からず絶望的な顔をしている莉音の手を離すなんて考えは深侑の中にはなく、ただ二人は強大な力に逆らえずに穴の中へと吸い込まれていった。