とにかく、私たちは本当に会社を始めるため、「法人登記」という大きな山を越えなければならなかった。
「法人登記って、結局何をすればいいの?」
私がぽつりと尋ねると、佳苗がスマホを片手に立ち上がる。
「少し調べておいたのです。これを見るのです」
そう言って、彼女はホワイトボード(元・風呂のふた)を持ってきて、すらすらとペンを走らせる。
──さすが元・法学部。頼れる親友だ。
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【会社設立のために必要なこと】
1. 商号(会社名)を決める
2. 本店所在地を決める
3. 会社印を作る
4. 定款(ていかん)を作る
5. 公証人の認証を受ける
6. 資本金を払い込む
7. 法務局で登記する
8. 税務署や市役所などに届出
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「……けっこう、やること多いんだね……」
「はい。会社を作るというのは、想像以上に準備が必要なのです」
「我に任せよ。定款は“神の御神託”ということで──」
「その時点でアウトなのです」
「では資本金は供物で──」
「だから、儀式ではないのですよ」
「供物って言い方、やめよう!? なんかダメな匂いしかしないから!」
「むぅ……この国、何かと手続きが多すぎるのう……」
「文明社会なのです」
「……世知辛いのじゃ……」
リィナが煎餅をかじりながら、しょんぼり肩を落とす。
◆
「で、会社名は“ピコリーナ・カンパニー”で確定、ということでよろしいです?」
佳苗が念のために確認する。
「うん、求人票にも書いちゃったし……あれ仮だったけど、もう変える余地ないよね」
「我が見た夢の中でも、そう名乗っておったのじゃ。すなわち啓示!」
「適当すぎるけど、まあ語感は可愛いから良しとするのです」
リィナが嬉しそうに、手書きの社名入りボードを大事そうに抱えてくる。
「では、法人登記に向けて──」
と、そこに麦茶を配っていた七海がすっと手を挙げた。
「社印がまだです。印鑑登録できませんよ」
「うっ……そうだった……」
「大丈夫なのです。印鑑は、通販で三千円ほどで作れるのです」
「よかった、現代って便利!」
歓喜する私、しかし七海がリィナに、
「ただし──“魔法陣つき”はやめてくださいね?」
「なっ……なぜバレたのじゃ!?」
「隠すつもりでしたの?」
七海が淡々と、木彫りの印鑑をリィナから没収する。
「神の紋章入り印鑑は、日本の法務局では使用できないのです」
「この国、神を軽んじすぎではないか……!」
◆
──数日後。
法人登記が完了し、正式に「ピコリーナ・カンパニー」が誕生した。
登記簿に自分たちの会社名が記されているのを見て、私は妙な感動に包まれていた。
「……やった……。これで、ちゃんと会社……!」
「次は税務署への届け出と、銀行口座の開設なのです」
佳苗が冷静に告げる。
「現実は甘くないなあ……」
「女神様が空中浮遊してる時点で、十分ファンタジーではあるのですが」
佳苗が真顔で言う。
「えっ……やっぱりそう思われてるの?」
「はい。羽衣、天使の輪、浮遊エフェクト、どれも現実離れしすぎなのです。まぁ非現実すぎて皆本格的なコスプレイヤーとしか見てないのです」
「コ、コスプレ扱いとは……神威が足りぬ……」
「一番怪しいのは“浮いてること”だと思うのです」
◆
──こうして、「ピコリーナ・カンパニー」はようやく船出した。
とはいえ、まだまだ課題は山積み。
次の関門は──税務署。
その後には保健所。
最終的には……パン屋、開店!?
神と死神と、社会人経験ゼロの女子大生ふたりで回る会社。
果たして本当に成り立つのか──?
◆
「……法人登記が終わったからって、はい完了! とはいかないのよね……」
朝のダイニングで、私はため息をついた。
「次は税務署なのです。会社を作ったら、開業届や法人設立届出書を提出しなければならないのです」
佳苗が、落ち着いた口調でコーヒーを飲みながら言った。
彼女は大学で法学を学び、卒業後もずっと私の相談役みたいな存在だ。
「……税務署って、やっぱりちょっと怖くない?」
「怖がる必要はないのです。書類さえ揃っていれば、職員さんは丁寧に対応してくれるのです」
「ふむ。我は神ゆえ、税金などとは無縁じゃが……見届け人として同行してやってもよいぞ?」
リィナが、トーストの上に煎餅を乗せるという謎アレンジで朝食を取っている。
「神って、課税対象外なの?」
「戸籍がないのだから、国民でも法人でもなかろう?」
「その理屈でいくと、納税以前に存在があやしいよね」
「……会社登記のときも“存在しない者は役員にできない”って、佳苗が言ってたし」
「我が名で登録できぬとは、世知辛い世の中じゃ……」
「はいはい。じゃあ今日はお留守番しててね。お賽銭箱のペンキ塗りでもしてて」
「むぅ……神の扱いとは思えぬ雑務じゃな……」
◆
午後。札幌駅近くの税務署。
春の陽射しがまぶしく、スーツ姿の人たちに交じって私たちも入っていく。
番号札を取って順番を待つ間、私はずっとソワソワしていた。
「佳苗……なんか緊張するんだけど……」
「大丈夫なのです。私たちはちゃんと法人登記を済ませているのですから、何も問題ないのです」
「“ピコリーナ・カンパニー”って名前、変だと思われないかな……?」
「少し変わっているかもしれませんが、法律上は問題ないのです。社名は自由なのです」
「でもほら、異世界とか……変な設定が……」
「それらは企業文化というやつなのです。ユニークな社風として受け入れてもらうしかないのです」
「やっぱ“コスプレ仲間が会社ごっこしてる”って思われてるのかな……」
「その可能性は否定できないのです。特にリィナさんのあの格好では……」
◆
「法人設立届出書、青色申告承認申請書、給与支払事務所等の開設届……これで一式なのです」
佳苗がきれいにまとめた書類を職員さんに提出し、丁寧に説明していく。
私は隣でうんうんと頷くだけ。
「す、すみません……代表取締役なんですけど……ちょっとまだ勉強中でして……」
「大丈夫ですよ。書類も整ってますし、必要があればまたご連絡しますね」
優しそうな税務署の人がそう言ってくれて、私はホッと肩の力を抜いた。
──無事、受理。
ついに、「ピコリーナ・カンパニー」は正式に、社会的に、企業として認められたのだった。
けれど、まだまだやることは山積みだった。
・銀行口座の開設
・業種の選定(まだ決まってない)
・売上を立てる手段の確保
・そもそも営業ってどうするの?
「この会社……本当に大丈夫かな……?」
「大丈夫なのです、社長。私たちはここまで進めてきたのです。あとは一つずつクリアしていけばよいのです」
「ううっ……佳苗、頼もしすぎるよ……」
無事に法人登記も終え、税務署にも届けを出し──
「ふっふっふ……ついに、ピコリーナ・カンパニーがこの世に誕生したのです!」
佳苗がホワイトボード(元・風呂のふた)に「祝・設立」の文字を大きく書いて、満面の笑みで振り返る。
「いや~ここまで長かったね……! まだ何も売ってないけど……!」
「“会社”とは、まず形から入るものなのです。土台がないと家も建たないのです」
「名言っぽいけど、売上ゼロだよ!? 資本金、光の速さで溶けていくよ!?」
「むしろこれからなのじゃ。我らが築くのは“神の御業”──理想郷なのじゃ!」
リィナが高らかに宣言しながら、今日もせっせと賽銭箱に金箔を貼っていた。
「それ、いつ使うの?」
「露店に置くのじゃ。参拝者が投げ銭していくスタイルにすれば、自動収益が発生するぞ」
「それ、営業って言うのかな……?」
◆
「ということで、これからやるべきことをまとめるのです!」
佳苗がホワイトボードに、次なる課題を書き出していく。
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【ピコリーナ・カンパニー今後の課題】
1. 何を売るか決める。
2. 売る場所を決める。
3. 初期資金の管理。
4. メンバーの肩書き。
5. SNS戦略。
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「……何故か考えたら普通の会社と違う気がするのは気のせい?」
「“普通”は大抵つまらないのです。うちは“面白さ”に全振りなのです」
「異世界から来た人材を活かして、現代で稼ぐ……それがこの会社のコアじゃな」
「そのコア、わりと倫理ギリギリだよね?」
◆
とはいえ、やることがはっきりした今──
私はちょっとだけ、希望を感じていた。
女神、死神、悪魔、そして法律と常識を持つ相棒・佳苗。
全員バラバラなのに、なぜか一つの方向を向いてる気がする。
「じゃあ、そろそろ名刺とか、作る?」
「作るのです! 専務の肩書きで!」
「我が名刺を渡したら、信仰者が増える予感じゃ!」
「……え、もしかしてこの会社、宗教法人じゃないよね!?」
「違います。合同会社です」
──こうして、なんちゃって異世界企業「ピコリーナ・カンパニー」は、ついに動き出した。
会社の未来はまだ霧の中──でも、少しずつ、形になっていく。ような気がする。