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第6話 職場での試練と彼の優しさ

朝食の温かな空気が、小さなダイニングテーブルに流れていた。結婚して最初の朝、なぜか自然に寄り添える心地よさがあった。九条直樹が自分から食器を片付けている姿を見て、九条莉子の心にふっとあたたかい感情が芽生える。ずっと忘れていた「家庭」というものを、久しぶりに感じた。


「お皿、私が洗うよ。」莉子は手を伸ばして食器を受け取ろうとした。そのとき、指先が直樹の手の甲にふれて、温かさが電流のように走った。思わず顔をそらし、赤くなった頬を隠す。


直樹はそんな莉子の様子を見逃さなかった。その紅潮はまるで朝焼けのように美しい。ふと、からかいたくなった直樹は、後ろからそっと近づき、指先で莉子の額に軽くふれた。「そんなに顔赤くして……熱でもある?」


清々しい香りに包まれ、莉子の体は思わず固まる。心臓がドキドキと高鳴る。「ち、違うよ!さっき走ったばかりだから……毎回こうなるの……」自分でも苦しい言い訳に、ますます顔が真っ赤になった。


耳元で彼の低くて心地よい笑い声が聞こえる。


「このあと仕事?送っていこうか?」と直樹が尋ねる。


「大丈夫!」莉子は思わず早口で答えた。「自分で行けるし、近いから。あなたは仕事に集中して。」直樹はそれ以上何も言わず、受け入れた。


莉子は二階に上がり、きちんとした淡い色のスーツに着替える。アイボリーのブラウスにスカーフ、タイトスカートが彼女の美しいラインを際立たせていた。小さなバッグを手に寝室のドアを開けると、偶然にも直樹も同じトーンのカジュアルなスーツを着ていた。まるでペアルックのようにお似合いだ。


「じゃあ、下まで送るよ。」直樹はいつも通りの表情だが、口元には微笑みが浮かんでいた。


中山優樹の車がすでに下で待っていた。直樹が一人で降りてくるのを見て、中山はきょろきょろと辺りを見回す。「社長、奥さまは……?」と言いかけたその時、莉子がミントグリーンの電動自転車に乗って、鼻歌まじりに車の横を通り過ぎていった。


「送迎は不要だ。会社へ向かって。」直樹は淡々としながらも、莉子の軽やかな姿を目で追いかけていた。


中山は何か言いたげにため息をついた。社長、もう結婚したのに、なんでこんなに距離感あるんだろう……。何とかして、奥さまとの距離を縮めるお手伝いをしなくちゃ!


タサキに着くと、アシスタントの藤井あかりが嬉しそうに駆け寄ってきた。「莉子先輩!佐々木部長が、私たちの初案が通ったって!先輩、すごすぎますよ!一週間はかかると思ってたのに!」


その言葉が終わるや否や、隣から皮肉混じりの声が聞こえてきた。「数日でどんな案が出るのかしら?佐々木部長が特別扱いしてるだけじゃない?たった二週間で大きなプロジェクトを任されるなんて、私たち古株は情けないわね。」そう言ったのはデザイン部の田中美雨。九条が主担当になって以来、何かと嫌味を言い、他のベテラン社員ともつるんで彼女を疎外している。


莉子はそんな言葉にはもう慣れていた。実力で見返すのが一番だと知っているからだ。


だが、藤井あかりは我慢できなかった。「莉子先輩の案は、誰かさんが半月かけて出すものよりずっといいですよ!部長も絶賛してたし。逆に、ある人の案はいつもボツですよね!」


「なっ……!」田中美雨は図星を突かれ、怒って机を叩いた。


「田中さん、」莉子は穏やかに微笑みながらも、きっぱりと言った。「そんなに余裕があるなら、ご自身の案をもっと磨いては?」


その言葉は田中美雨には明らかな皮肉に聞こえたのだろう。彼女は顔を真っ青にして、ふんっと鼻を鳴らし、オフィスに戻っていった。


莉子が席についた途端、内線が鳴った。佐々木部長がオフィスに来るようにと言う。デザイン案を持ち、部屋に入ると、佐々木部長の他に、きっちりメイクをしたプライドの高そうな女性がいた。


「莉子さん、こちらはCCさんのアシスタント、小林理恵さんだ。」佐々木部長が紹介する。


「はじめまして。今回のプロジェクトのメインデザイナー、九条莉子です。」莉子は自ら手を差し出した。


しかし、小林理恵は顔をそらし、「佐々木部長、御社にこんな方いましたか?私たちは長年のお取引先ですよ?大事なレッドカーペット用ジュエリーを新人に任せるなんて、あり得ません。担当を変えてください。」


佐々木部長は困ったように笑顔を作る。「小林さん、莉子さんは海外で多くの賞を受賞しています。実力は間違いありません。まずはこの案をご覧になっては?」とデザイン案を差し出す。


「いりません!」小林理恵は手で払いのけた。「どんな賞を取っていようが関係ありません!CCさんのレッドカーペットは特別なんです。最も経験豊富なデザイナーに担当させてください。それができないなら、今回の取引はここまでです。」強い口調でそう言い切る。


佐々木部長は困り果て、莉子の方を申し訳なさそうに見た。CCはインフルエンサーとはいえ、強力なスポンサーがついているので無下にはできない。


莉子はその状況をすぐに理解した。このプロジェクトは、必ずしも自分がやるべきとは限らない。


莉子は落ち着いた笑みを浮かべ、「小林さんのご希望通り、担当を変更しましょう。」と、潔く応じた。彼女の堂々とした姿は、小林理恵の高圧的な態度と対照的だった。


小林理恵は満足げに鼻を鳴らし、高いヒールを響かせて出ていった。


「莉子さん、申し訳ない。」佐々木部長は深くため息をつき、デザイン案を手に取った。「この案、本当に素晴らしいよ。とても新鮮で、見た瞬間ハッとした。ただ……」と、無念そうに首を振る。


「気にしないでください、佐々木部長。」莉子は逆に彼を励ますように、優しく微笑んだ。「まだ入社したばかりですし、少しずつ信頼を築いていきます。」その度量の大きさに、佐々木部長はますます彼女を評価し、同時に申し訳ない気持ちも募るのだった。

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