「マジでヒーローってクソだよな」
僕――
どこか他人事のような、自嘲のような、けれど吐き出さずにはいられなかった言葉だった。
「は? 何言ってんだよお前。俺らがこうして生きていけてるのは、その“ヒーロー様”が毎日バケモンをぶっ倒してくれてるからだろ。気でも狂ったのか?」
割と遠慮のない言葉を返してくるのは、僕の幼馴染であり、一番の悪友である
幼馴染とはいえ、こいつは男だ。だから恋愛に発展することはまずないし、発展しようとも思わない。
というより、こいつ以外にまともに会話できる相手がいないせいで、僕の人間関係は砂漠みたいに乾いている。
つまり、ぶっちゃけ僕はぼっちだ。いや、ぼっちという表現すら生ぬるいのかもしれない。
悲しいことに、恋愛のれの字すら僕にはないのが現状だ。
「おう。感謝しろよ、俺に。お前が一人でボッチメシ食わなくて済んでるのは、この俺様のおかげだからな?」
「......さらっと人の心読むなよ」
あまりにも自然に核心を突いてくる蓮に、思わず軽く突っ込みながら視線を逸らす。
こいつは昔から、僕の考えを全部読んでいるんじゃないかってくらい的確なことを言う。
本人曰く「首も座らねえ頃から一緒に育ってんだぞ? そんなダチの考え読むくらい余裕だろ」らしいけど、正直、僕にはこいつの考えてることなんて一ミリも分からない。
だからこそ僕は思うんだ。こいつ、絶対にテレパシーか何かの特殊能力持ちなんじゃないかって。
え? そんな非現実的な能力あるわけないって?
いや、残念ながらこの世界はとっくの昔に非現実が日常になっているんだ。
街角で化け物が暴れるのは週に三回のペースで起きるし、
ベルトつけてバイク乗って変身して戦う仮面なライダーが暴れたかと思えば、
色とりどりのスーツを着て派手なポーズを決めるヒーローが現れる。
その直後にはステージ衣装みたいなフリル付きドレスを纏った魔法少女が割と環境への破壊力がすごい魔力弾をぶっ放して戦う。
おかげで街にはクレーターがいっぱいだ。
ーーでも、それでも化け物に勝ってくれるならいい。
問題なのは奴らヒーロー(笑)共がいつも勝つとは限らないことだ。
何? 傍観者のくせに偉そうに言うなって?
いやいや、僕たち一般人の生活圏で勝手にドンパチ始めて、勝てもしないくせに戦って、挙げ句負けて死んで街だけボロボロにしていくあいつらの方がよっぽどどうかしてるだろ。
勝てるという確信を持って戦うならまだしも、
笑顔でクレープなんか頬張ってニコニコしてるバケモノに向かって、何の覚悟もない目で突っ込んでいくんじゃねえよって話だ。
「魔法少女は可愛いからセーフ」とか言う連中もいるけど、僕は顔とかには興味ない。そういうのに惑わされず現実を見てる奴らは、大体僕と同じ意見を持ってると思う。
そんな世界だからこそ、蓮が本当にテレパシーを持っていたとしても、別に不思議じゃないんだ。
――でも、どれだけ文句があったとしても、それだけで僕はあんな言葉を吐き出したわけじゃない。
「で? どうしたんだよ、お前。屋上でそんな“ヒーロー様”を蔑む発言したら、今の時代、どこから狙撃されるかわからねえぞ?」
蓮の言う通りだ。
今この時代、“ヒーロー”を否定する発言は場合によっては“死刑宣告”になる。
悲しいことに、この世界にはヒーロー崇拝者、いや、狂信者が腐るほどいる。
ヒーローを貶す奴は皆殺し、ヒーローに悪感情を抱いた奴は“社会の敵”として排除すべき。そんな思考を本気で信じてる奴らがこの国のあらゆる場所に溢れてる。
しかも一人見つかれば、その周囲には百人千人単位で同じ思考を持つ奴らが群れてるんだ。
“類は友を呼ぶ”なんて言葉があるけど、あいつらはそれを“生態系レベル”で実践してる。
ゴキブリの繁殖力もびっくりだよ、ほんと。
「まぁ、そうだね。あいつらが僕を殺せるとは思わないけど、襲われる可能性はあるよね」
曇天の空を仰ぎ見ながら呟く。
「......だけどさ、僕があんな言葉を零しちゃうほど、どうしようもないことがあったんだよ」
「へえ、そりゃ気になるな。言ってみろよ」
風が吹き抜ける。蓮の目はどこか楽しげで、けれど僕の顔を真っ直ぐ見ていた。
こいつがこういう目をする時は、本気で僕の話を聞くと決めている時だ。
屋上の錆びついた柵越しに見える街並みは、どこか薄汚れていて、でもそんなのがこの世界の“日常”だ。
「......あれはね、今朝、僕が学校へ向かう途中のことだった――」
蓮の前で、僕は深く息を吐き出す。
灰色の雲を押し込めるように、僕の胸の内に溜まっていた記憶を掘り起こす。
そうして僕は、登校時に起きた“あの出来事”を思い返し、語り始めるのだった。
ーーーーーーーーーー
それは、遡ること5時間前。
僕が、寝坊して学校に遅刻しそうになっていたところまで遡る。
「ヤッベェ、遅れそうなんですけど」
朝起きたら、登校時間5分前だった。
いや笑えない。どこをどう間違えたら、目覚ましを5回も止めて布団の中で二度寝三度寝四度寝できるのか、自分で自分を問い詰めたい。
というか問い詰める時間があったら今すぐ走らなきゃいけない。
いっそいで制服を着て、髪をぐしゃぐしゃに撫でつけて、ランドセルじゃなくて学生鞄を手に持って、いや手提げだから肩掛けられないのが恨めしいなとか思いながら、家を飛び出す。
少女漫画のヒロインよろしく、口には食パン。もちろんジャムはいちごあじ。
もはやギャグだろってくらい、パンをくわえながら走る。
口からずり落ちそうになるパンを必死に咥えなおしながら、限りなく姿勢を落として疾走する。
周りから見たらただの変人かもしれないけど、今そんなこと気にしてる余裕なんかない。
持ち物は手提げバッグ一つだけ。
昨日学校に教科書全部置きっぱなしにしてきたのが、ここに来て役に立つとは思わなかった。
まぁおかげで宿題は当然できてないけど、そんなことより今は遅刻しないことが重要だ。
どうしてこんなにパンが口から落ちそうになるか?
それは僕が今、時速約20kmで走ってるからだ。自分で言うのもなんだけど、高校生の通学速度じゃない。
喧嘩は嫌いだけど、昔からアニメとか映画の戦闘シーンに憧れて山籠りしたり熊と一騎打ちして遊んでたら、いつの間にかこれくらい走れるようになってた。
なんでだよって? 知らん、気づいたらこうなってた。
筋トレとか嫌いだし特別な修行もしてない、ただ、走ってるとなんか楽しくて気づいたら速度が上がってた。
おかげで、高校選びの時も「多少遠くても朝走ればなんとかなるっしょ」って地味に遠い学校を選んだんだけどさ、冷静に考えたら家から学校までの距離20kmって遠くね? 毎朝通学マラソンとか正気の沙汰じゃない。
しかも遅刻しそうな日には、その20kmが地獄の距離になる。
「まったく......周りに人がいないなら全力で走れるけど、前に人がいるとスピード落とさなきゃだし、以前速度出しすぎて警察に止められたしさ! ーーって、あっ! パン!!」
口に咥えていたパンが、ついに落ちた。
後ろに落ちていくパンをスローモーションで見つめながら、それでも足を止めずに走る。
あれが僕の今日の朝ごはんだったんだけどなぁ、と惜しむ暇すらない。今はそんなことに構っている場合じゃない。
赤信号に捕まった瞬間、僕の社会的死亡が確定するのだから。
これまでの遅刻回数は49回。今日遅刻したら記念すべき50回目になる。
しかも前回遅刻したときに担任をブチギレさせた結果、「次遅刻したら補修&全校生徒にテストの点数開示な!」というえげつない罰が確定しているのだ。
絶対に避けなきゃならない。僕の威厳のためにも。僕の学校生活の尊厳のためにも。
周りを走る車に次々と追い抜かれていく。
そのたびに、心臓がバクバクして汗が冷たくなる。
スピードをもっと上げられることはわかってる。やろうと思えばできる。でもやらない。
前に遅刻しそうになったとき、全力で走った結果、普通に車を追い越してしまって警察に呼び止められた前科がある。
「君、速すぎるけど何者?」って真顔で言われたんだよ。笑えない。
だから今回はあの二の舞は避ける。スピードを上げるのは、少なくともこの住宅地を抜けてからじゃないとダメだ。
ーー脳裏をよぎる、一抹の不安。
それはいつも見た目が怪物だからって理由だけで殴りかかりに行く、
あいつらは、本当に何も考えずに殴りかかる。
僕の通学経路の途中に、奴らがよく暴れてる場所がある。
人通りが少ないからいつもは便利なんだけど、今日は、なんとなく嫌な予感がする。
「......少し回り道するか」
あんな連中に絡まれたら絶対に面倒なことになるのは目に見えている。
戦うのは嫌いじゃないけど、ヒーローっていう看板を背負ってるやつらとやりあうと後処理がめんどくさいのだ。
そう思って、僕は進行方向を変える。
少し遠回りになるけど、今日はそっちを走ることにした。
「どう......してっ!」
ポツリと、僕の口から絶望の声がこぼれ落ちた。
目の前に広がっているのは、でかい化け物と、それと相対してボロボロになった
緊張感が漂うのに、怪獣の顔がやけに間抜けでどこかシュール。
怪獣の方は「え? なんで俺殴られてんの?」みたいな顔して固まってるし、戦隊モドキの方は「今から覚醒しますよ〜」って顔で血だらけの体を引きずってる。
ああもう、見るからに面倒くさい。
「神よっ! 僕はただ普通に学校へ行きたいだけなんです! 遅刻したくないだけなんです! なのにどうして......どうしてこんなわけわからん状況に居合わせなきゃならんのですかっ!」
誰に届くわけでもない声が、空しく路地に響く。
この場から逃げることもできず、ただ一人で叫ぶしかない僕。
いや、マジで可哀想じゃない? 自分でも思うくらい哀れだよこれ。
普段は無神論者の僕が神に文句を言うくらいには、哀れだよ本当に。
......はぁ。
どうしよう、これ。
脳裏に浮かび上がる選択肢はどれもこれも狂っている。
一つ目、この場にいる全生命を気絶させて急いで学校へ向かう。
物理的には可能だけど、周りに湧いてるヒーロー狂信者の人数が多すぎて時間がかかる。却下。
二つ目、化け物だけ僕がぶっ飛ばして、その勢いで学校へ向かう。
でも狂信者どもに「獲物を奪った」と粘着されてストーカーされる未来しか見えない。却下。
三つ目、変態タイツ共を全員気絶させて、化け物と仲良く登校する。
アウト。そもそも化け物と仲良くなった瞬間、僕が別の意味で死ぬ。
四つ目、このまま全力で突っ切る。
これが一番楽なんだけど、狂信者に「風景を汚すな!」とか「ヒーローを邪魔するな!」とか因縁つけられて消される未来が見える。
......はぁ。
いやマジで、まともな選択肢がない。
いや、浮かんではいるんだよ? でも狂信者が多すぎてどれも実行できないのがこの社会のクソなところなんだよ。
どいつもこいつも「ヒーロー最高!」だの「ヒーロー批判する奴は敵!」だの、宗教じみた思考回路してるから関わりたくないのに。
でも時間は待ってくれない。
朝のホームルームまで残り20分、学校まで残り12km。
全力で走ればギリギリ間に合う距離だけど、こいつらが邪魔で進めない。
今日遅刻したら、遅刻回数50回目で補修&全校テスト点数晒しのコンボが決まる。
それだけは、絶対に避けたい。
「ッスー......うん、四つ目、やるしかないよなぁ......」
他に選択肢がない。
デメリットは狂信者に目をつけられるだけだし、それなら全力で駆け抜けるのが一番楽だ。
......よし、やるか。
物陰からそっと身体を出し、姿勢を落として深く息を吐く。
膝に力を込め、踵に溜め込むように地面を捉えて、一気に加速する準備をする。
いける。いけるいけるいける。
ここを抜ければあとは一直線だ。
覚悟を決めた、その瞬間。
ーーードォオオオオオン。
轟音。地面が震え、空気が割れる音がした。
視界の隅で、何か巨大なものが動いたのが見えた。
戦隊モドキが呼び出したのか知らないけど、背丈ビル級のロボットが立ち上がって、大砲みたいな砲身をこっちに向けている。
おい待て、待て待て待て待て待て!!!
「えっ、はっ、ちょっ......嘘だろおおおおおおお!?」
と叫んだ瞬間、砲身からぶちまけられたエネルギー弾が。
何の因果か狙いすましたかのような精度で。
ーー
次の瞬間、目の前が真っ白になった。
「......は?」
喉の奥から変な声が漏れた。
僕の手提げバッグに入っていたのは、学校で使うプリントやら筆記用具やら、諸々。
だけど、そんなものより大事なものがあった。
ーー
エネルギー弾の直撃で、見る影もなく燃えカスになったバッグと、その中から転がり出た、ぐしゃぐしゃに潰れた缶バッジの破片。
火花を散らすキーホルダーの残骸。
あぁ、これもうダメだ。修復不可能だ。
「しょ、少年! ここにいたら危ない、ここから逃げるんだ!」
ボロボロのカラフルタイツの変態共ーー
......ああ。
沸々と、胃の奥が煮え立つような怒りが湧き上がってきた。
こいつら、わかってない。
どれだけ僕があのグッズを手に入れるために頑張ったかを。
「ククッ......フフフフフフフ」
笑いが漏れる。
あー、うん。完全にキレた。僕はもうキレたよ。
「......僕が、どれだけ頑張ったと思ってるんだよ?」
頭の中にフラッシュバックする、あの日々。
推しのグッズの抽選券を手に入れるために深夜から並び、1000人規模の抽選バトルロワイヤルを勝ち抜いたあの地獄。
“推しの前で負けるわけにはいかない”って、あの日だけは僕だってマジで命がけだったんだ。
相手も全員推しのために狂ってた。全員強かった。
その戦いを制して手に入れた“戦利品”だったんだぞ、これは。
それを。
この変態タイツ共は。
一瞬で、何の感慨もなく、粉々にしてくれやがった。
「君たちさぁ......ちょっと、やりすぎたねぇ......」
怒りすぎて頭がクラクラする。
視界が赤黒く染まって、酸素が薄く感じる。
心臓の鼓動がうるさい。血管がぶちぶち言ってる気がする。
「もう......いいや。遅刻なんかどうでもいい。君たち
周囲に血だらけで立つ変態タイツ共が、一瞬、僕を見つめて固まる。
ああ、その顔だよ。その顔が見たかった。
僕は軽く首を回す。コキ、コキ。
肩を上げ下げして、拳を握る。
覚悟しろよ、バカ共。
そして、地面を蹴った。
ーー《我流 千断無明(せんだんむみょう)》。
1秒間に1000回以上の拳を叩き込む。
ヒーロー共は5人いるから、1人に200発ずつ。
脳みそで数を数える余裕なんてない。
ただただ無心で、目の前の変態タイツ共に拳を叩き込む。
その顔面に、腹に、肩に、胸に、太ももに、顎に。
次の瞬間にはもう、拳が赤く染まっていて、空気が震えていた。
ヒーロー共はキャパ超えのダメージを受けると変身が解けて、ある程度傷が治るって聞いたことがある。
だから僕は遠慮なくやる。生きてろよ、マジで。
「......はぁ、はぁ、はぁ......」
1秒間のラッシュが終わった後、肩で息をする僕と、ぐしゃぐしゃに倒れ込んだヒーロー共。
そして、その場に取り残された化け物が一体。
そいつは呆然と僕を見つめていた。
「......君も、僕を邪魔するのかい?」
息を整えながら、そいつに問いかける。
もしこいつが邪魔をするなら、またあの技を使うしかない。
次のホームルーム開始まで残り15分。ギリ間に合うかどうかのラインだ。
頼むから空気を読んでくれ、化け物。
「オ......オデ、クレープ食べにきただけだ。邪魔するつもり......ナイダ」
間の抜けたオークみたいな喋り方で、化け物は必死に手を振った。
近くの屋台で買ったらしいクレープがぐしゃぐしゃに潰れていて、ちょっと可哀想だった。
「じゃあ......僕はいくよ。人間の町には出てこない方がいいよ。こんなバカ共に襲われるだけだからさ。」
「ワ......ワカッタダ。」
化け物はしょんぼりと肩を落とした。
深く息を吐き、拳を開く。
そして僕は、また走り出した。
時間はない。
だけど、急がないとやばい。
僕の名誉のために、人権のために、急がないとまじでやばい。
だから、僕は全力で走る。
疲れたこの体を引きずりながら。
ーーああ、もう本当に、ヒーローってクソだよな。
ーーーーーーーーーー
「......ってことがあったんだよ」
朝の出来事を一気に話し終えた僕は、屋上のコンクリの壁に背を預けて、ぐったりと息を吐いた。
なんか話してたら、怒りよりも疲労感の方が勝ってきた気がする。いや、怒りも残ってるけどね。
「だから僕はあんなことを言ったわけさ。しかも、その後に厄介ファンドもに足止めされてさ、結局遅刻したし」
悲しいかな、本当に遅刻してしまったのだ。
あの場面を目撃して「ヒーローを助けろ!」とか「ヴィランに立ち向かう姿勢を見せろ!」とか喚き散らす厄介ファンドもが、僕の前に群がって通学路を塞いできたせいで。
あの時はマジで全員まとめてぶん殴って黙らせようかと思った。
結局、ギリギリで我慢して、ほぼ引きずるように道をこじ開けて学校に来たけど。
「......殺さなかった僕、めちゃくちゃ偉くない?」
「だからお前はあんなキレ散らかしてたわけかぁ。......なるほどな、納得だわ」
「だろ? 僕、何も悪くないもん。推しのグッズは壊されるわ、遅刻はさせられるわで、むしろ慰めてほしいくらいだね」
「いや寝坊したお前も悪い気がするけどな......」
「いやそこは言わなくていいじゃん!!」
確かに寝坊した僕も悪いかもしれない。
でもさ、あのグッズが壊されて遅刻したのは僕だけの責任じゃないよね!? そうだよね!?
「お前さ、その推しのグッズって、そんなに大事なもんだったのか?」
「大事どころじゃないよ。あれ何円したと思ってんだよ。結構......いや、マジで高かったんだからね?」
目を細めて遠くの空を見ながら言うと、蓮が怪訝そうな顔をした。
「え、そんな高かったの? グッズって言っても缶バッジとかじゃないの?」
「いや缶バッジだよ?」
「缶バッジでそんな高いのかよ!?」
「普通は高くないよ? あれは限定一品でオークションにも出ない非公式ルート限定品だったからさ......」
「......お、おい、嫌な予感がするんだけどさ、お前どうやってそれ手に入れたんだよ?」
蓮の目が、じわじわと恐怖で見開かれていく。
「え、言ったっけ? あれ買うために地下闘技場で稼いだんだよ」
「地下闘技場!!??」
「うん、知り合いにヤのつく職業の人がいて、その人に紹介してもらったんだ。あ、ちなみに場所はイタリアだったけどね」
「イタリア!!?海外かよ!!」
「うん、あっちのマフィアが主催してるやつでさ、勝つと賞金が貰えるんだ。僕はあのグッズが欲しかっただけだから、100回くらい勝ったらもう興味なくなって帰ってきたけど」
「お前さ......ちなみに一回勝つごとにいくら貰えたんだよ?」
「えーと、その時々のレートで変わるけど、大体一回勝つごとに50万円くらい?」
「............は???」
蓮の思考が完全に停止したのがわかった。
つんつんと肩を突っついても、目を見開いたまま反応がない。
え、生きてる? 息してる??
「でさ、その金で買ったから、あの缶バッジ一個に使った金額って......60万×100くらいかな。大体それくらいだったよ」
「ヒッ......ヒィッ......」
「非公式で裏流通しかなかったし、限定一点モノだったから仕方ないんだよ。それを......あのヒーロー共が、一瞬で壊しやがったんだぜ......?」
言ってるうちに、また胃の奥から沸々と怒りが蘇る。
クソが。あのクソが。
でも蓮はもっと違う意味で震えている。
「お前さ、前の夏休みのあとしばらく学校休んでたろ? あれって......」
「うん、その地下闘技場がイタリアにあったから行ってたんだよ」
「お前マフィアの巣窟に乗り込んで何してんだよ!!?」
「いやいや、一応あっちは自警団みたいな活動がメインでさ、マフィアって言っても割と良いやつらだったんだよ? 麻薬の取引とかもしてるけど、治安維持がメインだって言ってたし」
「いやダメだろ麻薬は!!」
「幹部にならないかってめっちゃ誘われたけど、さすがに非合法な組織に入るのは怖いから断ったよ。安心してよ」
「連絡先は交換したって顔してるなオイ!!」
「うん、交換した」
「俺はお前が怖いよ......パトラッシュ......」
蓮は頭を抱えて空を仰いでいる。
地面に座り込みそうな勢いだが、ギリギリ踏みとどまっているのは偉いと思う。
でもさ、僕としては笑うしかないんだよね。
だって僕の推しの缶バッジ、もう戻ってこないんだぜ?
ばあちゃんが死んだ時くらい悲しいよ。会ったことないけど。
「......はぁ。もういいか。ほら、もうすぐ五限目始まるぞ。教室戻るぞ」
「そうだね。さっさと戻ろう。......あ、蓮」
「なんだよ」
「僕はまだヒーロー共を許してないからな」
「......うん、知ってる」
半笑いで肩をすくめた蓮と並んで、僕は屋上から降りる階段へ向かう。
カラン、と鉄の扉が閉まる音がして。
――この時の僕は、まだ知らなかった。
帰宅中に、もっとひどい目に遭うだなんて。
ーーーーーーーーーー
「今日も一日頑張ったんじゃー」
夕暮れの橙色に照らされる坂道で、僕はのんびりと肩を回しながら帰路についていた。
朝は変態共にグッズを破壊され、遅刻してこってり絞られて、学校での人権は即死した。
笑えるくらい濃い一日だったなぁ、と自分でも思う。
ああ、課題も出してなかったから、帰宅後の課題は倍プッシュ確定だ。
それでも単位を落とさなかっただけ先生には感謝すべきだろうな。憎悪も一緒に添えておくけど。
「それじゃ、課題もあるし急いで帰るかぁ~」
さすがに同じ日に二回もヒーロー絡みのトラブルに巻き込まれることはないだろう。
僕はそう信じて、軽くストレッチしてから走り出した。
......走り出した、その数分後だった。
「ヒーロー殺す」
まるで伏線回収みたいに、口から零れたのはそんな言葉だった。
坂の上で息を整えながら見下ろした先にあったのは――。
僕の住む住宅街が、瓦礫の山になっている光景だった。
......え、嘘だろ?
上空では、常人には見えない速度で
もちろん、僕には見えている。割とスローモーションで。
「えぇ......こんなことある?」
いやいや、家が戦いで壊されること自体は初めてじゃない。
むしろこの世界じゃ日常茶飯事だ。
けれど、ここまで街全体が壊滅してるのは、流石に初めてだ。
普段は道にクレーターができる程度で済むのに、今日は街そのものが抉られ、瓦礫が山のように積まれ、街灯はなぎ倒され、道路は裂け、マンホールが飛び出して転がっている。
その上を血飛沫混じりの風が吹き抜けていく。
いやこれ、マジで戦時中でもここまでボロボロにならないんじゃないか?
僕が沖縄行ったときに見た原爆投下直後の写真ですら、ここまで街が崩壊してなかったぞ。
にもかかわらず、ここから見える範囲で死人は一人、怪我人百人程度らしい。
この被害規模でそれしか出ないの、ある意味奇跡だろ。
「......はは、やっぱこの世界ってクソだわ」
そんなことを呆然と考えていると、空から何かが落ちてきた。
地面に着地したのは――
ボディビルダーがしそうなポーズを決めながら、なぜか満面の笑みを浮かべている。
勝利のポーズらしい。
......あぁ、今回は怪物の勝ちだったんだな。
見渡すと、その怪物はボロボロになった体を引きずりながら、瓦礫の下から人を救い出している。
血まみれの手で、必死に瓦礫を退かし、泣き喚く子供を抱き上げて安全な場所まで運んでいる。
空から落ちてきたのは戦いの勝者だけど、こいつはヒーローよりずっと“人間らしい”ことをしている。
思わず笑ってしまった。
「やっぱりさ、今回も怪物くん悪くなかったんじゃん」
別に僕は正義の味方じゃない。
僕に被害がなければどこで誰が死のうが知ったことじゃないし、むしろ嫌いな奴が不幸になったら笑って飯が美味くなる人種だ。
裏社会の知り合いもいるし、一般論で言えば悪寄りなのかもしれない。
けれど、そんな僕が思うんだ。
この世界で信仰されている“正義”は、おかしいって。
僕だって昔はヒーローに憧れていた。
いや、憧れなかったら熊と殴り合ったり、山籠りして身体鍛えたりするわけがない。
“ヒーローみたいになりたい”って、純粋に思ってたんだ。
だからこそ僕の中には、明確な“正義”の定義がある。
だけど、この世界で“正義”と信仰されているものは、その定義に従ってなんかいない。
“異形”というだけで、クレープを食べてるだけでも“悪”と断じ、襲いかかる。
罪もない怪物をヒーローが集団で殴りかかるのを“正義の戦い”と呼ぶ。
そんなのは正義じゃない。
ただの暴力だ。
僕の推しのグッズを壊し、登校を邪魔し、街を壊し、住む場所を奪っておきながら、自分達を正義と名乗るヒーロー共。
そんな奴らを見ていると――。
「――ヒーロー、潰すか」
小さく呟いたその言葉は、思ったより胸の奥で響いた。
ただの思いつきじゃなく、決意だった。
街を吹き飛ばし、正義を叫び、被害を笑い飛ばすヒーロー共。
そんな連中を、“正義”という看板ごとぶっ潰す。
その時初めて、この街に本当の平穏が訪れるのかもしれない。
橙色の空の下で、砕け散った街を歩きながら、僕はひそかに決意を固めた。