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Epilogue: Black Out...and Rewrite?(5)

 アラームが鳴る前に起きて、アラームを止めて、静かに起き上がってリビングへ出る。

 今年から上京してきて同居している妹の分も自分の分と一緒に弁当をつくって、妹の分は包んで小さなダイニングテーブルに置いておく。起きるのは自分で頑張ってね、と言ってあるから俺は起こさない。

 だからきっと、今日も時間ギリギリになって起きてくるだろう。


 縁が途絶えたとおもっていた両親から、いつの間にか生まれていた異母妹を引き取れと連絡が会った時にはさすがに驚いた。いつ生まれたのかも知らないが、年齢的には家を出て間もない頃のことだろう。離婚し、再婚していたのだってその時知った。そして異母妹がいたことも。こちらから連絡する理由はなかったし、あちらもおなじだったのだろう。


 ただ、異母妹が上京するにあたって「養わせる」ことを目的に「生活費と学費は出す」と約束して引き取らせて、実際にはびた一文とて払わず未だに異母妹──かすみがどうのこうのとやかましく口を挟むだけの人間の言葉などは無視する以外に選択肢はない。


 でも、かすみに罪はない。

 だから俺はかすみを養うし、彼女が負ってきた傷も癒したいとおもえる。俺とおなじ道を辿ってほしくないから、なるべく安心して暮らせるように配慮して。


 はっきりとすべてを聞いたわけではないが、高校時代には扶養から外れてでもバイトをしてバイト代から生活費として毎月家にお金を入れていたらしい。そのくせ、実父は「家事をやれ」だとか「化粧をしていない顔は見るにえない」だとか、そんなことを言って家事全般を任せて、その上お小遣いもなくメイクを強要してお金周りも自分でやらせていた、とか。

 ……自分と似たような道を、彼女も歩んできた。

 だからこそおもう。自分とおなじ道は歩んでほしくないと。

 ゆえに俺はかすみを扶養家族として養うし、バイトもそれに収まる範囲にさせている。


 もしも親に「親」としての責任が心のどこかにあれば、こんなことにはなっていなかった。


 ……ああ、そんなことより、これから仕事で担当しているソーシャルゲームサービスの大型アップデートが始まる。それに備えて資料やデータを準備しなければならない。

 今回の大型アップデートは機能追加が多く、処理落ちしないようにできる限り消費データ量を削減しながら機能を追加していかなければならないのだ。考えることは山ほどあるし、テストプレイ段階でも既にトラブルが起きている。それに対処しながら、実際にアップデートを行ったらどうなるのか想定しながら動かなければ。

 どうしてもアプリの消費容量が大きくなってしまうのは致し方ない。だが、起動できない、クラッシュするというような現象はなるべく避けたい。


 ……ふとおもい出す。

 夢の中で、そんな現実と戦いながら必死になってみんなで緊急メンテナンスを切り抜けたことを。あれは本当に夢だったのだろうか。誰かが見せてくれた未来だったのだろうか。

 わからないけれど、その夢は起きてからこの方薄れていく一方で、きっと覚えてはいられないのだろう。忘れなければならない世界のことで、俺はきっと大型アップデートが入る頃には夢を見ていたことすら忘れてしまっているにちがいない。

 きっと、そう。そういう勘は外れないのだ。


 高校で上京しておよそ二十年、上京当初よりは充実した生活を送れるようになった。

 今年の春からは異母妹のかすみが大学進学に合わせて上京するということで「お前が東京で面倒を見ろ」だの「部屋は分けろ」だのと言われたのが面倒で仕方なく引き受けた。

 妹からは毎日のようにハマっている乙女ゲームについて布教されるが、攻略対象が若い男だらけのゲームをしたとて楽しめる気もしないので静かに「そうか」と頷いて話を聞くだけに留めている。

 別に妹のことが嫌いなのではない、単純に趣味のちがいだ。


 妹は妹でお小遣いくらいは、と自分でアルバイトをしてまかなっているが、実家からは「一緒に暮らせ」と頼まれた割に仕送りもない。

 そもそも、ひとにものを頼む態度ではなかった。

 お金、とは言わないが、せめて食品くらい送ってくれてもいいのにな、と少し残念におもいながら、俺は多いとは言い切れない給料で妹を養っている。彼らには期待するだけ無駄なのだ。


 結局、俺もかすみも「家庭」を回すちょうどいい駒でしかなかった。


 正直なところ、異母妹の面倒を頼まれたことで引っ越さざるを得なくなったのだから、家賃の三分の一くらいは払ってくれてもいいんじゃないかとおもってしまう。

 それがよくない思考だと何となくわかっていて、だから言葉にすることはないが、実家からの待遇がよろしくないことも自分の仕事の都合も重なって「朝は自力で起きること、夜遊びと夜職は原則責任を取れないからしないこと」と約束を取り交わした。代わりにバイト代は自分で自由にしていいし、お小遣いもあげるようにしている。大学生のお小遣いとしては少ないかもしれないが、気持ちばかりでも。


 あとは、聡明そうめいでやさしい彼女が結婚する時のために、結婚資金の貯金も少しだけ。


 門限は天辺てっぺんと緩めに設定している。それだけの時間があれば、時給のいいバイトもできるだろうし、これでも俺なりの配慮なのだ。ガールズバーなどは禁じているが。

 彼女は一見すれば頭の軽そうなギャルでしかないが、国内最高峰の大学に進学できる程度には賢く、そしてさとい。


 だから、きっと俺と両親の間に亀裂があることにも薄々気づいているだろう。彼女は決してこの家の中で実家の話はしないし、俺の前で親の話もしない。生まれる前からすでに家を離れていた兄の状況をすべて知らずとも、複雑な関係であるということくらいはきっと察している。


 妹に罪はないし、気遣わせるのは申し訳ないとおもう。


 せめてしてやれることとして、なるべく妹の大学に近い場所で、駅の近くを条件に探した結果として一人暮らしだった頃よりも六万近く高く支払って生活しているから、どうしても実家からの連絡には当たりが強くなってしまう。支援の一つくらいしてくれたらそうはならなかった。


 それもよくないとわかっているが、俺にもそこまで余裕があるわけじゃない。


 異母妹にはあれをしてやってくれ、これをしてやってくれ──そう言うのなら、経済的な援助をしてくれてもいいのではないか。学費だってそう。奨学金を背負わせて、びた一文として彼女に援助をする様子はない。俺としては、いつの間にか生まれていた異母妹の身の回りと衣食住の面倒を見てやっているのだから、あれこれやれと言う分それに見合った援助をするのが「正しい頼み方」なのではないかとおもう。


 もちろん、妹本人に関係のあることではないので、彼女に強く当たることはしない。


 ただ、門限を含めて同居する上でのルールはしっかりと決めさせてもらった。

 門限までに帰れない日は俺が納得できる理由を添えて連絡をすること、帰る時には帰ると、帰宅したら帰宅したと連絡を入れること。

 束縛しているように感じるかもしれないが、これは大学生になって上京したばかりの妹をまもるための行為でもあるのだ。妹にもどうしてそのような連絡が必要なのか懇切丁寧に説明して、賢い彼女はすぐに理解してくれた。

 深夜に迎えに行けない時は親友であるイロハに行ってもらうようにしている。

 イロハは見た目だけなら顔つきやファッションからして極道のように見えるが、中身はとてもやさしく不器用なひとだ。口下手で言葉足らずなところはあるが、俺が上京して間もない頃から支えてくれたやさしいひと。

 一生懸命に教えてくれようと話しかけてくれたのは、一つの愛情だったようにおもう。


 それよりも救えないのは親の方だ。

 俺にはかすみについてあーだこーだと文句をつけたり、俺自身についてもあれこれ根掘り葉掘り聞いてきては文句を言ってくる。着信拒否にしたらしたで別の番号──おそらく親戚や友人の番号からかけてきてはぐちぐちと文句を言ってくる。何度伝えても、何度だって連絡が来る。

 それはきっと、家事炊事をしてくれていた駒がいなくなったから取り戻そうとしているのだ。


 俺にこれ以上期待するなよ。俺はあんたらにもう期待なんか一ミリもしてないんだ。頼みごとをするのなら、それに見合った態度を取るべきじゃないのか? 妹の面倒を見てほしいとおもうのなら、ちゃんと面倒を見てもらえるように環境を整えるべきじゃないのか? ちがうのか?


 そんなおもいで、いまはすでに兄妹揃って両親を着信拒否設定している。毎回別の番号でかけてきたらその番号も着信拒否だ。


 これから忙しくなるから、妹のこともちゃんと見ていてやれるか怪しいところだ。ひどい時には一週間家に帰れなかったことだってあった。妹には職業柄そういうこともあると伝えてあるが、一人にするのはやはり心配だ。かと言っていまの仕事をやめるつもりは毛頭ない。


 自分が好きで始めた仕事で、好きなことを苦しみながらも楽しんでいられる。それが何よりももしあわせなことだ。家族のせいで辞めるなんてまっぴら御免だ。


 俺がもっと高給取りで余裕のある生活をしていたらこんな気持ちにならなかったかもしれないと考えると、たしかに仕事を変えるべきなのかともおもう。だが、着実に積み上げてきたキャリアとここまでスキルアップして昇給もしてきた会社を辞めて他に行く理由はない。人間関係だって悪くないし、時間外だってちゃんとつく。何より、とても楽しい。

 ただ、女性一人を養うのが少し苦しいというだけで。

 一人暮らしならゆとりをもって生活できる手取りなのだ。


 家賃を抑えるためなら駅の近くから離れればよかったのだが、それはこれまでの経験上、自分が持たないとわかっていたので譲れなかった。そして親の要望を押し通されて妹の大学に近くなるように引っ越さざるを得なかった。


 妹は1LDKに居候でいいよ、と言っていたが、若い女の子が兄であろうと男とおなじ部屋で寝るなど信じられないと散々俺が罵倒された上で最終的に面倒になった俺から「じゃあ二部屋あるところを探すから」と切り出してその話を終わらせた。おもえば、あそこで親がごねて俺が折れたから「家賃の折半」も「あずみが決めたことだから」というような理由でなかったことにされたのかもしれない。

 そう考えると、我が親ながら腹が立ってくる。


 出社までの時間、ダイニングで作業をしていると、のっそり妹が起きてきた。



「おはよ……」

「おはよう、かすみ。朝ごはんと弁当できてるよ」

「ありがとー、お兄ちゃん……」



 上京してから会うまで兄の顔すら知らなかったであろう異母妹はすぐに懐いてくれて、俺はいま初めて家族というものを実感している。これが「家族」というものなのだ、と。


 行ってらっしゃい、行ってきます、ただいま、おかえり、ありがとう、ごめんなさい。


 必要な言葉をきちんと言える子だから、俺は彼女を受け入れた。



『こんにちは……あの、あずみさん、ですか?』



 初めて出会った空港、きっと不安だらけだったであろう彼女はそう言って声をかけてくれた。

 だから気づけた。この子は痛みを知っていて、やさしくあろうとしている聡明な子だと。

 どうしてあの親から生まれてこんないい子に育ったのかが甚だ不思議でならない。

 正直、高校進学を機に実家から逃げ出して上京した自分に対して何一つの連絡もせず、そのくせ、都合のいい時だけ「兄」扱いするなど笑止千万。そして二十年ぶりにかけられた電話では「かすみの面倒を見ろ」という、頼む姿勢には見えない命令で。いつまで経っても俺は「都合のいい道具」でしかないのだとおもわされた。結局そこに収まってしまう。

 なのに、いざ妹が上京するとなったらあちらからしつこく連絡を寄越してきて、鬼電をして、実質的に養えと放り投げられて。そのくせ、やはり援助はしてくれなくて。妹をかつての俺のようなバイト三昧奨学金地獄なんてことにさせたくなくて、毎月一万だけは必ず渡すようにしている。彼女は「大丈夫だよ」と笑って受け取るのを毎回遠慮するが、俺にできることなんてたかがその程度だ。それなら貯金しておきな、と渡している。


 期待というのはもちろん、妹にもしていなかった。

 どうせ甘やかされた我儘なガキが来るんだろうとおもっていた。


 だが、空港で会った少女は誰もが振り返る美貌と聡明さを持っていた。素直で、真面目で、初対面の兄との約束をいまもずっとまもり続けてくれる聡明な子。だから俺は彼女の面倒を見続けているし、彼女には苦労を見せないようにしようと努力している。

 そんな可愛い妹だから好きなゲームの話だって、聞くだけは聞く。やるとは言わないが。



「あー……今日、天辺までバイト入っちゃってて、変えるの半過ぎになりそう……」

「……そう、わかった。帰りは迎えに行くよ。その時間にはさすがに俺も仕事終わってるし」

「マジ? ありがとー。お兄ちゃんが迎えに来てくれるとめっちゃ助かるんだよねぇ」

「心配だし、そりゃ行くよ。絡まれたり、変なことに巻き込まれても嫌だし」

「まあ、実際に似たような感じではある、かなぁ。バイト仲間でよく一緒になるひとがいるんだけど、夜遅くなる時は決まって送っていくってうるさくってさぁ……家の場所教えたらどうなるかわかんないからお兄ちゃんに迎えに来てもらうようにしてるー」

「ああ、それで……いや、天辺までの時って俺が夜勤じゃない限り直接言ってくれるから」

「うん、迎えに来てほしいもん。店長には『シフトなるべく被らないようにしてください』ってお願いしてるんだけど、全然聞き入れてくれなくてさ。あっちのがシフト少ないのに、被りすぎなんだよねー……マジだるい」

「了解、そういうことならもっと早く言ってくれたらよかったのに」

「あんま心配かけたくなくて」

「言ってくれない方が心配するよ。今日は何もない限り迎えに行く。行けそうになかったらイロハに迎えに行ってもらうよ」

「うわ、むしろイロハくんの方が威圧感あっていいんじゃね? 見た目は極道の若様だし」

「たしかに。じゃあ俺も行けそうだったら二人で行くわ」

「やりぃ。じゃ、アタシ先に行くね。お兄ちゃんも仕事頑張って」

「おう。行ってらっしゃい」

「はーい、行ってきまーす」



 慣れ親しんだやり取り。いつもとおなじ日常。

 親に期待はしていないが、妹には大きく成長してほしいと期待している。

 どんな親から生まれてきたとしても、彼女が俺の妹であることに変わりはない。



「……さて、俺も出社準備するかぁ」



 だから、今日も俺は働く。大切な妹のために、自分の大切な趣味のために、生きるために。

 周囲からの期待、そして成果。さらに技術職としてスキルも磨き続けなければならない。どれだけ苦しかろうと、どれだけ痛かろうと、どれだけつらかろうと、逃げることはしたくない。


 誰かが言っていた。

 廣川あずみがいれば百人力だと。


 そこまで期待されるほどの人間だとはおもわないが、期待された分くらいは返したいとおもってしまう。それもまた、俺という人間なわけで。

 幼い頃はおもっていた。「自分はなんて平凡で能力のない人間」なのだろうと。それはまちがっていた。環境が悪かったのだ。毎日四時に起きて二時に寝て、仮眠は昼休みの内三十分。そんな生活で頭が正常に稼働するはずもない。

 だから、高校に入って四時間から五時間の睡眠を取るようになってから物覚えもよくなり、何でもそつなくこなせるようになって驚いたものだ。自分は能力がなかったのではない、ただ抑圧された環境で実力を発揮できない状況に置かれていただけなのだと。一人で逃げ出して、ようやくそれを知ることができた。



「よし、行ってきます!」



 ヘアセットも服もきっちりと整えて家を出る。

 今日も一日、しっかりと働こうじゃないか。

 自分が生きるために、そして、いまは愛する妹のために。

 そして、いずれは伯母様夫婦に会いに行きたい。妹と一緒に、あの時のお礼を直接言いたい。


 俺たちを助けてくれてありがとう、これからも恩返しをさせてください、と。


 さあ、これからまた忙しい日々が始まる。

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