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第5話 戻れない

 結局、元には戻らなかった。

『すべらないリップクリーム』の効果は、拭けば元に戻る。

 じゃあ、なにが戻らなかったのか。

 戻らなかったのは、おれのほうだった。


 たまたま教室で男子に、「あれ、鍵落としたよ」と話しかけられ、「ああ、ありがとう」と返した。

 すると、周囲は大笑い。

 それをきっかけに、男子たちが集まってきて、おれは何を話してもウケるウケる。

 あまりにも周囲が笑うので、他の男子も寄ってきて、笑いの連鎖は広まっていく。

 そうこうしていくちに、クラス中に「実は本野くんはおもしろい」といううわさが広まった。

 たった一日で、だ。



 こうしておれは、一日で面白い地味キャラになり、二日でかなり面白い地味キャラになり、三日目で面白いキャラとして一躍クラスの人気者となったのだ。


 自分の発明が成功して、麗はご機嫌で陽キャグループとおれの話題(悪口ではなく良いうわさ)で盛り上がっている。


「いやあ、本野ってこんなに面白いやつだったんだな」


 男子のひとり、青山がそう話しかけてくる。

 青山理人(あおやまりひと)。


 こいつは、さわやか系イケメンで陽キャグループにいる。

 しかし、他の陽キャとちがうのは、細かい気配りができて、男女問わずだれにでもやさしい。

 三日前――つまり、リップクリームを塗る前のおれにも親切だった。

 こういう奴が、モテるんだろうな。

 実際に青山はモテる。

 三秒に一人は青山に惚れているし、休み時間は大体、中庭か屋上あたりで告白をされているのだ。


「いや、おれは別に面白いとは思ってないんだけど」


 おれがそう答えると、話を聞いていた周囲は大爆笑。

 しかし、青山は少し遅れて笑い出す。

 なんだろう、このタイムロス……。

 やっぱ陽キャの笑いのツボはよくわからん。


 そんなふうに陽キャに接すれば接するほど、陽キャの生態というのは意味不明だと思う。

 だが、収穫もある。

 小説のネタにはなるからだ。

 黒珠が経験している世界を、おれは今、生きている。

 よーし、これで小説もバリバリ書けるぞー!



「……眠い」


 家に帰り、晩ご飯を済ませて自室に戻れば、おれはすぐさまベッドにダイブ……しそうになってやめる。

 いやいや、ねちゃまずい。

 小説を書かねば。

 初校を担当に送りつけなければ……おれだってリア充ライフを書けるんだぞ、って見せつけてやるんだ……。


 でも、すっごく眠い。

 なぜだ。

 おれはそこでふと思い出す。


 ここ二、三日は非常に筆が進まない。

 その間に変わったことといえば、人気者になったこと。

 学校にいる間中、クラスメイトに囲まれている。

 きっとそれで人疲れしてるんだ。


「書かないと……。だけど五分だけ寝よう」


 そうつぶやいて、アラームをセットして寝た。

 目を覚ますと、カーテンの隙間から太陽の光が差し込んでいた。


「朝か……って、朝ぁ?!」


 おれは驚いて起き上がる。

 スマホで現在時刻を確認すれば朝の六時半。

 やべぇ。五分どころかまるっと一晩眠ってしまった……。


「そうだ。朝にちょっとだけ書こう」


 おれがパソコンを開いた時。


「おにい!」


 甲高い声と共に部屋のドアを激しくノックされる。


「入るよ!」


 おれが返事をする前に、妹はドアを開けた。


「まだ何もいってねえ」

「くっさ! この部屋くっさ!」

「くさくねーし! ファ〇リーズしまくってるんだよ!」

「フ〇ブリーズの効果も台無しの臭さ!」


 妹は鼻をつまんで、眉間に皺を寄せる。


「それで何の用だよ。臭いっていいにきただけかよ」

「ちがう。今日はおにいが朝食当番でしょ」

「あれ? 父さんと母さんは?」

「今日からまたふたりして出張だって。朝早くに出てった。昨日の夜にそういってたじゃん」

「あー……。おれ、小説書きたいんだけど」

「はあ? ご飯と小説だったらご飯のほうが大事でしょ」


 そういって妹はおれをにらみつける。

 中学一年生とは思えない鋭い目つきだ。


「それもそうだな」


 おれはしたかなく朝食をつくることにする。

 今日の昼にでもまた化学準備室Ⅱにこもって進めるしかないか。


「麗なら休みだよ。なんか風邪ひいたって」


 学校へ行くといつまでたっても麗の姿が見えず、彼女がよくいる女子グループに聞いてみたらそんな答えが返ってきた。


 まじか……。

 化学準備室Ⅱの鍵を持ってるのは麗なのに。

 つーか学校の鍵を家に持ち帰るなって話なんだが。

 おれが呆然としていると、麗と仲の良いギャルがいう。


「ねーねー、本野っちさあ。なんか面白いこといってよー」


 おもしろいこと……。

 ハードル高いな。

 でも、何かと便利だからあのリップクリームを塗っておこう。

 リップクリームをこっそりと塗って、それから口を開く。


「今日は一段と寒いなあ」


 ただそれだけのことをいったのに、ギャルとその周辺にいた女子たち大爆笑。


 本当になんなんだこれ……。

 だけど、笑ってもらえるのは嫌じゃないんだよなあ。

 それどころか結構うれしい。

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