黒歴史消しゴムの意味はあった。
おれは四時限目の休み時間に黒歴史消しゴムを、大事にペンケースにしまった。
これのおかげで、おれは少なくとも嫌な記憶を二つほど消した。
内容はもちろん覚えていない。
しかし、うじうじ悩んだり、クラスメイトがおれの嫌なうわさをしているかも、と思うことはなくなった。
めっちゃ快適だ。
一部のクラスメイトは、なぜかおれを遠巻きに見ている。
まあ、別にいじめられているわけではないからいいか。
しかも、誰かの記憶まで消してしまっているわけではないから罪悪感もない。
黒歴史を自分だけの記憶から消すって、けっこう快適だなあ。
おれはそう思って、大きく伸びをする。
「トイレ行ってこよ」
だれにともなくつぶやき、席を立って歩き出したその時。
おれは思わず足を止めた。
クラスの女子が『黒ギャル探偵』を読んでいるのだ。
しかもあれは3巻。
表紙を何度も見ているおれだからこそわかる。
あれは間違いなく『黒ギャル探偵』だ。
1巻ではなく3巻を読んでいるということは、少なくとも気に入って買い続けてくれているということだろう。
ドキドキしながら読んでいる女子を確認する。
女子の顔を見て、「げっ」と声に出てしまう。
だって、本を読んでいたのは姫宮林檎。
そう、毒リンゴなのだ。
なんで姫宮がおれの本を読んでいるんだ……。
いや、おれが書いたとは知らないのか。
ん? 待てよ……。
おれ、自分が作家だってクラスメイトにいったっけ?
ペンネームとかバラしちゃった?
『黒ギャル探偵』がデビュー作だっていったか?
いった記憶はないのだが、なにせおれは『すべらないリップクリーム』を塗っている時の記憶を消している。
その時の記憶をすべて消したわけではないが。
だが、人気者になっていた時期に作家だとか、どれがデビュー作だとかいったかもしれない。
うーん、おれいってない気がするんだが。
ただ、少しでも売れればいいと思ってクラスの奴らに宣伝した可能性もゼロではない。
そんなことを考えていると、姫宮がおれの視線に気づいた。
やべ、と思って視線をそらす。
見ていただけで痴漢扱いしてきそうだからな……。
すると、姫宮が口を開く。
「なによ痴漢」
「ちょーっと待て! おれが何をしたってんだよ!」
さすがにおれもキレた。
おれが考えた最悪のパターンを再現してくるなよ!
姫宮はおれをにらみつけていう。
「あんたみたいなのが、女子をじっと見たら痴漢で捕まるのよ。知らないの?」
「知らねーよ! つーかそんな法律はない!」
「それが、あるのよ」
姫宮はそういうとにやりと笑って、「リズ! リサ!」と女子を呼ぶ。
すると、リズとリサと呼ばれた女子が、姫宮をかばうように立つ。
このふたり、双子でファッション雑誌のモデルだかで、身長180センチはある。
おれより10センチ以上は身長が高い。
それだけではなく、目力も強いので四つの瞳でにらまれると体が動かなくなる。
「林檎姫、ご無事ですか?」
「林檎姫、わたしどもが参りましたのでご安心ください」
リズリサが姫宮にそういって、かしずく。
そういや、この双子……姫宮親衛隊だった……。
姫宮はふたりにいう。
「この本野にじろじろ見られた」
「なんですって?」
双子がそろっておれをにらみつける。
「それはもう死刑ですわね」
「ええ、お姉さま。死刑でも軽いぐらいですわ」
「死刑?! ひどくねぇか? おれ、なにもしてないんだけど?」
「林檎姫を見ること自体が極刑に値しますわね」
「ご冥福をお祈りいたしますわ」
そういって双子はおれにジリジリと迫ってくる。
なんでお嬢様言葉なんだよ。
いろいろと怖ぇんだよ。
おれが後ろに下がると、壁にぶつかった。
目の前に双子。
ああ、人生詰んだわ……。
五時限目はおれはもう使いものにならなかった。
例の双子に死刑にされたのだ。
いや、暴力を振るわれたわけではない。
そうではないのだけれど、でも心にはかなりダメージを負った。
まだ中二の時のポエムをクラス全員の前で朗読されるほうがマシだ。
毒リンゴのやつ……とんでもない番犬を飼ってやがる……。
ぜったいにアイツには関わらないようにしよう。
ああ、それにしても双子からの攻撃がキツイ。
嫌だもう忘れたい。
そこでハッとする。
黒歴史消しゴムで消せばいいんだ。
おれはノートに先ほどのことを書く。
思い出すだけで、文字にするだけでもキッツイな。
そして、その文字を黒歴史消しゴムで思い切り消す。
すると、なんの記憶を消したのか忘れてしまった。
文字通り一瞬で脳みそからなくなる感じ。
記憶を消した、という行為だけは覚えているが、その記憶は覚えていない。
きっと嫌な記憶なんだろう。
でも、おれは覚えていない。
だから、これもうなかったも同然。
なんだか気持ちがすっきりして授業に集中する。