「えっ?」
突拍子もない話題に、情けない声をあげる。
現代における自殺者の人数?
そんなもの、知っているはずがない。
(……あっ)
と、一度は頭の中で否定したが。やがてすぐに、頭の中を一つの画面が覆い尽くす。
「た、たしか……日本だけの話ですけど、去年一年間で二万人くらい、でしたっけ?」
「正解です。物知りですね?」
「ああ、いや」
別に、そんなことは調べたことすらない。
ただ、つい先ほど。電車に揺られながら何となくネットニュースを眺めていた時。そんな記事を目の当たりにしていたのだった。
そんなことなど梅雨知らず、彼女は不思議そうに首を傾げていたが。やがてすぐに呑み込んで。話を続ける。
「まあいいです。そう、一年という短い年月のうちに、この小さな島国だけでも二万人。世界中の国を含めれば途方もない数の人々が自死を選んでいる。そして、天界ーーーーあなたたち人間で言うところの「あの世」に、魂のみの姿となって運ばれてきます」
小さく嘆息して、
「ですが、お恥ずかしい話……そんな人数、我々にはとても捌ききれないのです」
彼女曰く。どうやら天界で働く人々にとって、「自殺者」というのは最もイレギュラーな存在なのだという。
寿命、病気、事故。要因こそそれぞれ違えど、基本的に人というのは、意図せず亡くなっていく。
それは言わば運命であり、誰にも捻じ曲げられない事象。
だがーーーー自死においては、その限りではない。
「と、いうわけで。最高神様は一つのプロジェクトを考案なされました。その名も、『天使の力で人々を励まして自殺者減らしちゃおうプロジェクト!』です」
ミカエラはそう言うと、プロジェクトの概要を説明し始めた。
「内容はいたってシンプル。天界でピックアップしたこれからの人生で自殺しそうな人ーーーー即ち「自殺者予備軍」のリストに基づき、一人一人に我々天使を派遣します。そして私たちのサポート下で日々を送ることにより、生活の改善や心境の変化を促すのです! どうです? ここまで、ついて来れていますか?」
「……まあ、なんとか」
なるほど。
なんとなく、話が見えてきた。
要するに……こういうことだろう。
「えっとつまり、私はそのプロジェクトの対象に選ばれた。だからミカエラさんは私を自殺させないためーーーー救うためやってきた、と?」
「大正解です! 百点満点!!」
ぱちぱちぱちっ。彼女の小さな可愛らしい手が叩かれ、さっき私がした乾いた拍手とは違い、相手を褒め称えるものとなって。部屋中に響き渡る。
どうやら、そういうことらしい。
なんというか……うん。
(情けないけど……私がそのリストに入ってることには、違和感無いな)
死にたい。ーーーー自殺したい。
そんなの、この三年間で何度思ったか分からない。
楽しいことなんて、一つもなかった。
その代わりに、苦しいことは山ほどあった。
仕事内容は辛く、休日は少なくてロクに家にも帰れない。そのうえ安月給で、本当に……生きている理由を探す方が難しい、そんな毎日だった。
それでも今日まで生きていた理由はきっとーーーー死ぬことで誰かに迷惑をかけるのが嫌だったからだ。
一人の自殺は、平均しておよそ六人を不幸にすると聞いたことがある。
それは親であったり、会社の上司•同僚であったり。相手の詳細は人によって違うだろうけれど。
つまり、死ぬことは誰かに″迷惑をかける″ということだ。
私がこの辛い生を投げ出せば、その分誰かに皺寄せが来る。
そう考えてしまって、最後の一線を越えられなかった。
本当は、死にたくなるほど辛かったのに。
ーーーー死んで、楽になりたかったのに。
「美穂さん」
「……え?」
「もう、大丈夫です」
ぽふっ。彼女の小さな手が、私の頭に触れる。
小さくて、か細くて。まるで子供のような手。
そんな手に触れられ、そっと撫でられただけなのに。
「…………あれ?」
どうしてだろう。
なんだか、安心して。気づけば目元は潤み、涙が滲んでいる。
涙なんて、もう何年も流していなかった。
働き始めた頃は、辛くて。辛くて辛くて。涙を流した夜が何度もあった。
けど、いつの間にか。私の身体は、そんな悲鳴すら。上げなくなってしまったのだ。
だと、いうのに。
「あなたはよく頑張りました。あんなに劣悪な環境に置かれていながらも、決して逃げ出さなかった。ちゃんと、生き続けた」
「っ……!」
駄目だ。
涙が……止まらない。
「大丈夫です。これからは私がいます。あなたはもう、一人じゃありません」
「っえ……ぐぅ……っ!」
ああ、情けない。
もう二十五の大人だというのに。自分より一回り小さい女の子に慰められて、泣きじゃくって。
でも……何故だろうか。
目は晴れ、顔は濡れて。それはもう、ぐちゃぐちゃで。とても人に見せられるような姿ではないのに。
何故か、心地いい。
「ふふっ、相当″溜め込んで″いたんですね。いいですよ? 私の胸でよければ、どれだけでもお貸しします。だって私は……あなたの、専属天使ですから」
「あぁっ……うぁっ……あぁぁっ!!」
その夜。私は、彼女の胸の中で泣き続けた。
泣いて、泣いて。呼吸もできなくなるくらい、何度も泣き続けて。
気づけば……私の意識は、深い深い闇の底へと。沈んでいったのだった。