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第4話 もう、一人じゃない

「えっ?」


 突拍子もない話題に、情けない声をあげる。


 現代における自殺者の人数?


 そんなもの、知っているはずがない。


(……あっ)


 と、一度は頭の中で否定したが。やがてすぐに、頭の中を一つの画面が覆い尽くす。


「た、たしか……日本だけの話ですけど、去年一年間で二万人くらい、でしたっけ?」


「正解です。物知りですね?」


「ああ、いや」


 別に、そんなことは調べたことすらない。


 ただ、つい先ほど。電車に揺られながら何となくネットニュースを眺めていた時。そんな記事を目の当たりにしていたのだった。


 そんなことなど梅雨知らず、彼女は不思議そうに首を傾げていたが。やがてすぐに呑み込んで。話を続ける。


「まあいいです。そう、一年という短い年月のうちに、この小さな島国だけでも二万人。世界中の国を含めれば途方もない数の人々が自死を選んでいる。そして、天界ーーーーあなたたち人間で言うところの「あの世」に、魂のみの姿となって運ばれてきます」


 小さく嘆息して、


「ですが、お恥ずかしい話……そんな人数、我々にはとても捌ききれないのです」


 彼女曰く。どうやら天界で働く人々にとって、「自殺者」というのは最もイレギュラーな存在なのだという。


 寿命、病気、事故。要因こそそれぞれ違えど、基本的に人というのは、意図せず亡くなっていく。


 それは言わば運命であり、誰にも捻じ曲げられない事象。


 だがーーーー自死においては、その限りではない。


「と、いうわけで。最高神様は一つのプロジェクトを考案なされました。その名も、『天使の力で人々を励まして自殺者減らしちゃおうプロジェクト!』です」


 ミカエラはそう言うと、プロジェクトの概要を説明し始めた。


「内容はいたってシンプル。天界でピックアップしたこれからの人生で自殺しそうな人ーーーー即ち「自殺者予備軍」のリストに基づき、一人一人に我々天使を派遣します。そして私たちのサポート下で日々を送ることにより、生活の改善や心境の変化を促すのです! どうです? ここまで、ついて来れていますか?」


「……まあ、なんとか」


 なるほど。


 なんとなく、話が見えてきた。


 要するに……こういうことだろう。


「えっとつまり、私はそのプロジェクトの対象に選ばれた。だからミカエラさんは私を自殺させないためーーーー救うためやってきた、と?」


「大正解です! 百点満点!!」


 ぱちぱちぱちっ。彼女の小さな可愛らしい手が叩かれ、さっき私がした乾いた拍手とは違い、相手を褒め称えるものとなって。部屋中に響き渡る。


 どうやら、そういうことらしい。


 なんというか……うん。


(情けないけど……私がそのリストに入ってることには、違和感無いな)


 死にたい。ーーーー自殺したい。


 そんなの、この三年間で何度思ったか分からない。


 楽しいことなんて、一つもなかった。


 その代わりに、苦しいことは山ほどあった。


 仕事内容は辛く、休日は少なくてロクに家にも帰れない。そのうえ安月給で、本当に……生きている理由を探す方が難しい、そんな毎日だった。


 それでも今日まで生きていた理由はきっとーーーー死ぬことで誰かに迷惑をかけるのが嫌だったからだ。


 一人の自殺は、平均しておよそ六人を不幸にすると聞いたことがある。


 それは親であったり、会社の上司•同僚であったり。相手の詳細は人によって違うだろうけれど。


 つまり、死ぬことは誰かに″迷惑をかける″ということだ。


 私がこの辛い生を投げ出せば、その分誰かに皺寄せが来る。


 そう考えてしまって、最後の一線を越えられなかった。


 本当は、死にたくなるほど辛かったのに。


 ーーーー死んで、楽になりたかったのに。


「美穂さん」


「……え?」


「もう、大丈夫です」


 ぽふっ。彼女の小さな手が、私の頭に触れる。


 小さくて、か細くて。まるで子供のような手。


 そんな手に触れられ、そっと撫でられただけなのに。


「…………あれ?」


 どうしてだろう。


 なんだか、安心して。気づけば目元は潤み、涙が滲んでいる。


 涙なんて、もう何年も流していなかった。


 働き始めた頃は、辛くて。辛くて辛くて。涙を流した夜が何度もあった。


 けど、いつの間にか。私の身体は、そんな悲鳴すら。上げなくなってしまったのだ。


 だと、いうのに。


「あなたはよく頑張りました。あんなに劣悪な環境に置かれていながらも、決して逃げ出さなかった。ちゃんと、生き続けた」


「っ……!」


 駄目だ。


 涙が……止まらない。


「大丈夫です。これからは私がいます。あなたはもう、一人じゃありません」


「っえ……ぐぅ……っ!」


 ああ、情けない。


 もう二十五の大人だというのに。自分より一回り小さい女の子に慰められて、泣きじゃくって。


 でも……何故だろうか。


 目は晴れ、顔は濡れて。それはもう、ぐちゃぐちゃで。とても人に見せられるような姿ではないのに。


 何故か、心地いい。


「ふふっ、相当″溜め込んで″いたんですね。いいですよ? 私の胸でよければ、どれだけでもお貸しします。だって私は……あなたの、専属天使ですから」


「あぁっ……うぁっ……あぁぁっ!!」


 その夜。私は、彼女の胸の中で泣き続けた。


 泣いて、泣いて。呼吸もできなくなるくらい、何度も泣き続けて。



 気づけば……私の意識は、深い深い闇の底へと。沈んでいったのだった。

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