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第2話 エルフと私、欠けた記憶の味

 自分は、生まれ変わったらしい。

 その事実を受け入れるのに、ひどく時間がかかった。


 気付けば、私は赤ん坊だった。

 成熟した自我とは裏腹に、自由に動かせない未発達な四肢。焦点の合わないぼやけた視界は、せいぜい30cm先のモノクロームしか映し出さない。


 母親らしき女に抱き上げられ、あやされる。

 神経系も、何もかもが未完成。常に不安と不快感が溢れ出し、制御不能。無力で居続ける不安。精神が肉体に引きずられ、本当の赤ん坊のように、ただ泣きじゃくるしかなかった。


 だが、私はなぜ死んだのだろうか。


 思い返して、ひどく体調が悪かったことだけは覚えている。

 休憩時間もなく、法的に無理なことを職場に強要され、それを上司に訴えても改善されることなく働き続けていたような気がする。

 痛み止めや胃薬を毎日のように服用し、働き続けていた。


 ……過労死だろうか。


 なにか、その生活に本当にかけがえのないものがあったような気がする。

 今では、思い出せないそれが、ずっと胸を締め付けていた赤子の頃。


 頑張り続けていたことが全て無になり、日夜問わず、泣きわめき続けた。

 肉体に精神が引きずられている上に、現実を分析すればするほど正気が保てなかった。


 私はなぜ生前の記憶を保ったまま、生まれ変わったのだろう。

 すべて忘れてしまえばよかったのに。


 両親はまだ若い男女だった。


 年齢は二十代前半といった所か、生前の私と比較してもまだ若い。

 周囲の会話やTVから聞こえる内容を聞くに、生まれ変わった場所は住んでいた地元からそう離れていなかった。


 地名もほぼ知っている内容だが、時折知らない人物の名前や地名も聞こえなくはない。音は聞き取れても、画面は色が混じり合った光の染み。


 しかし、私はすぐに知る。

 ここは、かつていた日本ではないと。


 母親に抱かれて、外に出た時に見かけたのは耳の長い美しい人。

 角の生えた屈強な大男。翼の映えた鳥人。

 ようやく色彩と輪郭を獲得し始めた光景に、私の既知が、音を立てて崩壊していく。


 ここは……どこだ?

 ヒビが入っていた理性が、とうとう砕け散る。



 ◇



 ひどく夢見が悪かった気がした。 

 それでも、この時間は昨夜の硝煙と喧騒が、まるで嘘だったみたいに穏やかだ。

 うららかな陽気が、カフェテラスを明るくする。磨かれたテーブルに反射する木漏れ日、湯気の立つハーブティー。


 そして、目の前には豪勢に盛り付けられた……抹茶パフェ。


 平穏とは、かくも退屈で得難いものか。


「ふん。何度口にしても、人間が作ったとは思えぬほど美味だな」

「……そう?」


 生前は、野郎のエルフと、抹茶パフェを食べる日が来るとは、夢にも思わなかっただろうに。

 人生とは、わからぬものである。


「もちろんだとも。この深緑の粉が持つ気高い苦み、もち米を練り上げた団子の、奥ゆかしくも芯のある弾力。そして、煮詰めた豆の、決して出しゃばることのない甘露な味わい。それぞれがしっかりと、一つの器の中でかくも見事に調和している」


 向かいに座るエルフの少年――ファルグリン。

 彼は、さも鑑定士といった風情に、パフェを構成する要素を批評する。銀色のスプーンで口に運ぶ流麗な所作、神々しいまでの美貌は、美術品と呼んで相違ない。


 現に、カフェテラスのあちこちから、ため息混じりの熱い視線が、ピンポイントで注がれている。

 当のファルグリン本人は、我関せずとパフェに没頭しているが。


「気に入ってもらえて何よりだよ。ここの一品は、私のお気に入りだからね」


 学院から、ほど近いカフェ。午後の時間はいつも、華やかな女子生徒たちで賑わっている。

 私の言葉に、彼は形の良い眉をわずかにひそめた。


「陽介のお気に入り、という点が唯一の汚点だね。そうでなければ完璧だったかもしれないのに」

「相変わらず口が悪いなぁ。ファルグリンに、友人が少ない理由がよくわかるよ」

「無用の心配だ。耳の短い種族と交友を深めたところで、僕の品格が疑われるだけだからな」

「うわ、選民思想が服を着て歩いてる……そういうとこだぞ、ファルグリン」

「ふん、知ったことか。ただでさえ、異界人排斥を叫ぶ輩のせいで、騒がしいというのに」


 ウィットに富んでいる、と表するにはあまりに棘のある応酬。

 だが、このテンポの良いやり取りが、今は心地よかった。


 思考を数千数万クロックと加速させる必要も、誰かの命を誤差の一つとして切り捨てる必要もない。ただ目の前の甘味と、気のおけない友人との無為な時間。


「で、聞いているのか。陽介」

「もちろん聞いてるさ、食レポの話でしょ」


 陽介は、今世の私の名前だ。廿日 陽介はつか ようすけ

 前世では――なんだったのだろう。もはや、覚えていない。


「違う、夜の火遊びも大概にしろと言っているんだ。どうもこの世界は、火の始末が杜撰すぎる」


 告げられたのは、紛れもない昨夜の件。

 テレビ塔を舞台にしたテロ事件。ファルグリンが関与の事実を知っているのは、事後処理と私自身の回収を請け負ってくれたからだ。


「全力を出すと、どうも反動が酷くてね。君がいてくれて助かったよ」


 あのパフォーマンスは、私の未熟な肉体には不相応に過ぎる。対価は、今も身体の芯に残る鉛のような倦怠感。思考のまとまらなさ、不快感。

 幸い、ファルグリンの機嫌を取るのは簡単。この極上の抹茶パフェが、口止め料として完璧な役割を果たしてくれる。

 特待生の支援金が飛ぶのは痛いが、沈黙という安全を買うには安いものだ。


「ふん、ただでさえ人間は寿命が短いんだ。無駄にするほど、余裕があると思うなよ」

「それは耳が痛い忠告だね」

「短命なのは……仕方がないかもしれない。だけど、ならもっと一瞬一秒に意味や価値を見出すべきじゃないのか?」

「……まあ、そうだね。それらが全部無駄になったら、きっとひどい気分になるだろうけど」


 思わず漏れた自嘲。ファルグリンの蒼い瞳が、探るように私を射抜く。


「陽介。時折、お前は歳不相応なことを言うね。まるで、すべてを終えてしまった老人みたいだ」


 指摘に、胸がちくりと痛んだ。

 似たようなものかもしれない。私は――理不尽に、すべてを失った。


「なあ、陽介。僕は本当に不可解だ。あのような事件、秘密裏に……君が解決する必要がどこにあるんだ?」

「えっと……そう、私の研究の一環として、実践データが欲しかっただけさ」

「確かにこの世界が、未だに魔術犯罪に無防備なのは認めるよ。だけど、既に対抗する組織はあるはずだ。陽介が、背負う理由はまるでない」

「……それは」

「ただでさえ短い生を、なぜそうまでして、両端から燃やそうとする? 君は、わずか12歳・・・という脆弱な雛鳥に過ぎないのに」


 まだ、子供だろう?

 同い年のエルフ少年は、疑問を露わにした。

 答えられない。この動機を説明するには、この歪な魂の成り立ちを、紐解かねばならない。

 だけど、それは、ようやく築けたこの穏やかな友情に、癒えない亀裂を入れるかもしれないことだ。


(なによりも……私自身が、この廿日 陽介という容れ物にいる“何か”を、まだ肯定できずにいる)


 己が何者なのか。前世という妄想に憑りつかれた、ただの病的な子供なのではないか。理由もわからぬ焦燥感だけが、背後から私を突き動かしている。

 私は誤魔化すように、真珠のようにつやつる輝く白玉を口に含んだ。


 途端、走る頭痛。ノイズ混じりのフラッシュバック。


 ――夕暮れの縁側。夏の生暖かい風が、頬を撫でる。

 手には、甘辛いタレが陽の光を照り返す、みたらし団子。

 隣には、疲れた顔をしながらも、優しい笑みを浮かべる愛しい人がいる。鼻腔をくすぐる醤油の香ばしい匂いと、終わりが近い蝉の大合唱。

 紛れもなく幸せだった、はずの記憶。


『ねえ、××。もし、わたしたちが将来――なんてことがあったら――』


 視界がぐにゃりと歪む。強烈な浮遊感と眩暈。

 スプーンを持つ手が、わずかに痙攣。浅くなった呼吸が、喉に張り付いた。


(……また、か)


 懐かしい、と感じた。

 だが、抱いた感情自体に、強い違和感を覚える。それは誰かと交わした、遠い遠い日の記憶。今の私が生まれるよりも、ずっと前の。


 生まれてから、ずっとだ。こういうことが頻繁に起きる。

 まるで他人のアルバムを無理やり見せられているかのような、記憶の混線。

 度重なる負荷のせいか。それとも、私の脳そのものに、もっと根深い、修復不可能な欠陥があるのか。


「陽介? どうしたんだ、顔が真っ青だぞ。まさか、この程度の甘味で気分でも悪くしたのかい?」


 口が悪い、だけれど心配を隠せない声。ファルグリンだ。

 思考の海から引き上げられ、『今』に意識が戻る。


「いや、なんでもないよ」


 震えを悟られぬよう、ゆっくりと、しかし確かな意志でスプーンを置いた。グラスに映る自分を確かめるように、いつもの穏やかな笑みを貼り付ける。


「少し、この“団子”が懐かしい味がしただけさ。昔、誰かと食べたことがあるような……そんな気がしてね」


 嘘ではない。だが、真実でもない。

 私の脳は、何を忘れ、何をそこまでして拒絶している?


 答えにたどり着くのが、ひどく恐ろしいことのような気がしてならなかった。

 目の前のパフェの、ひんやりとした甘さだけが……今この瞬間の私を繋ぎとめる、唯一の気休め。


 ああ、きっと。

 私は、この身がどうなろうとも、思い出さねばならないのだ。

 それがなんであれ。

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