「二股かけてたってどういうことだぁ!」
お供えしてあった日本酒の瓶を両手で掴んで、グビグビとラッパ飲みにしていく。
「ていうか何でうちの神社は金運の神様なんか祀ってるの? どうして縁結びの神様じゃなかったのよ。うわーん!」
空になった酒瓶をゴトンと放り投げて、彼女は神様に理不尽ないちゃもんをつけながらそのまま床に突っ伏した。
「お金なんかあったってしょうがないじゃない! 必要なのは愛よ! ご縁よ! ああ神様、ご先祖様、お金なんか要らないから、どうか私に素敵な彼氏を授けて下さーい!」
◇
「……さん、姉さん、起きて」
誰かにそっと揺り起こされて、美世は冷たい床の上ではっと目が覚めた。
(いけない。あのまま本殿で眠ってしまったみたい。父さんに怒られちゃう)
慌てて起き上がった美世は、起こしに来てくれた弟の顔を見た途端、驚いて尻餅をついてしまった。
「え! 誰?」
「え、姉さん寝ぼけてるの?」
美世も寝ぼけているのかと思って、両目をゴシゴシ擦ってみた。だって弟の顔がすごく老けて見えたから。
「……やっぱり誰?」
「姉さん、大丈夫?」
「いやあんたが大丈夫!? あんた
「しわくちゃって……まあ確かに苦労してるからね。でも姉さんだって似たようなものじゃないか」
何ですって?
美世は慌てて両手を頬に当ててみた。
(嘘でしょ。何このカサカサの肌! 指で触っただけでわかるくらい、皺もくっきり……)
たった一回やけ酒を煽っただけでこんなことに……なるはずがない!
「……どういうことか説明してもらおうかしら」
「姉さん、さっきから一体何を言っているの?」
「だっておかしいじゃない! うっかりここで寝ちゃって、気がついたら何年も歳をとったみたいになってるのよ! 昨日まではぴちぴちの二十八歳のお肌だったのに……」
「何言ってるのさ、姉さん」
一茶は疲れたようにため息をついた。
「姉さんは四十八歳じゃないか」
……何ですって?
「冗談はよしてよ。昨日お手入れせずに寝ちゃったから、お肌の調子が悪いだけだわ。一茶、私の化粧道具取ってきてくれない?」
「姉さん、もう化粧なんて何年もしてないだろ? そもそもそんな贅沢品、どこに行ったって手に入りやしないよ」
「何言ってんの? 昨日もちゃんとフルメイクで彼氏に会いに行ったんだから。それで……」
それで、別の女といる所を目撃したんだった……
美世は頭を振って立ち上がった。
(あれ、うちの本殿って、こんなにボロボロだったっけ?)
よく見るとそこら中埃だらけで、昨日まで御神酒がたくさん供えられていた棚には、蓋の開いた空の瓶が二、三本並んでいるだけだ。煌びやかだったはずの神聖な数々の道具には蜘蛛の巣が張り巡らされ、神の威光などかけらも感じられない状況だ。
(うそ、何これ)
慌てて外に飛び出して目に飛び込んできた光景に、美世は唖然として言葉を失ってしまった。
あんなに威風堂々として美しかった久瀬神社が、見る影もなく落ちぶれている。いや、神社だけではない。塀の外に見えている街の姿も一変していた。
(何これ、世紀末?)
道路も建物も手入れがされておらずボロボロで、人の姿はほとんど見当たらない。破れた服を着た老人が一人、木の枝で瓦礫の山をつついているのが見えるくらいだ。
美世はよろよろと境内を歩き回り、ほとんど壊れかけた絵馬掛所へと辿り着いた。絵馬などほとんど掛けられていなかったが、かろうじて三枚だけ見つけることができた。
『どうかノアズコインを授けて下さい』
『ノアズコインを下さい』
『二十年前の俺に、ノアズコインを無駄にするなって伝えたって』
美世はその三枚の絵馬を外して掴むと、本殿の方へ駆け戻った。
「一茶、何これ? ノアズコインって一体何なの?」
「姉さん今日は本当にどうしちゃったの? ノアズコインは現在の法定通貨じゃないか」
「法定通貨? 円とかドルのこと?」
「五年前に世界経済が破綻して、それまでの既存の法定通貨は全て無価値になっただろ? その時覇権を握ったのが、アメリカのノアカンパニーが発行していた仮想通貨、ノアズコインだったんだ」
一茶は賽銭箱の蓋を開けて中身を美世に見せてくれた。大量の朽ち果てた一万円札がぎっしり詰まっていて、彼女の背筋をゾッとさせた。
「今じゃ世界中の取引はノアズコインで行われる。日本政府も日本国民もノアズコインなんてほとんど持っていなかったから、日本は世界から取り残されてしまったってわけだ」
「仮想通貨って私よく知らないけど、円でも買えるんじゃなかったかしら?」
「現在の交換レートは、一ノアズおよそ一億円と言われている。とてもじゃないけど買えないだろ?」
一茶はハハっと自重気味に笑った。
「お金に汚い生き方なんて絶対したくないと思ってたけど、でもお金って必要だよね」
◇
「お金えぇぇぇぇぇぇ!」
二日酔いのひどい頭痛に襲われて、美世は叫びながら本殿の床から飛び起きた。
「ちょ、姉さん! 何でこんな所で寝てるの?」
張りのある咎めるような声にはっと振り返ると、二十三歳の若々しい姿の一茶が驚いた様子でこちらを見ていた。
(よ、良かった。夢だった……)
ゴトリ、と不吉な音がして、美世は手から床に転がり落ちた物を思わず目で追った。
『どうかノアズコインを授けて下さい』
(夢じゃなかった!)
このままでは、十五年後に世紀末が訪れてしまう!