「目を開けろ、俺の最高傑作」
声に応え、純白の肌と金色の長い髪を持つヒューマノイドが、ゆっくりと瞼を上げた。
青い瞳に光が宿る。
初恋の女と寸分違わぬ美しい姿。
「……やっと、会えたな」
俺が自らの創造物に酔いしれていると、薄い唇が動き言葉を紡ぐ。
「こんにちは。お久しぶり」
ああ、声まで彼女に生き写しだ。
喜びもつかの間、彼女はこんな事を言いだした。
「なんだか、その指、退屈そうねえ。私の次は何を作るの?」
責められているわけじゃない。なのに、俺は意味もなくやましい気分にとらわれる。
「物作りはもうやらない。長い余生を日がな縁側で茶を飲んで過ごす。君と一緒に」
「余生ですって。まあ、おかしい。まだ45歳なのに」
彼女はくつくつと笑い出す。
俺はムッとした。
「もう45だ。金ならある。科学者としての研究はやり尽くした。引退したっていいだろう」
「じゃあ、私に物語を聞かせて。今度はキーを叩くのよ。その指に次の仕事を与えるの」
俺の心臓がぎくりと音を立てる。
「俺は元SF作家だぞ? 見ろ」
俺は壁の棚にあるトロフィーたちを指さした。
「しかもベストセラー作家だ。沢山賞も受賞した。その俺に、無償で物語れ、と?」
「でもそのトロフィーはホコリを被ってる」
「……書けなくなったからな」
俺はそう言って唇を噛む。
「アイデアも、妄想も出ない。俺の旬は過ぎたんだ」
「貴方は天才よ。ほら私を見て。最高でしょう?」
ヒューマノイドはくるりと回って見せた。
「君を作るのと物語を紡ぐ事は全然違う」
「物語の方が簡単。でしょ?」
俺は拳を握りしめた。
「何が簡単だって?」
「100人が100人そう言うわ。物語なんて、ただ文字を打てばいいだけじゃない」
青い炎がメラメラと胸のうちに灯る。
「モニターを前にしてもどんな言葉も浮かばない。頭の中は真っ白で、霧の中にいるみたいだ。1文字も打てないまま1日が終わり、お前はもう終わったのだと心の中の誰かが囁く。あの虚無を、簡単だと? ふざけるな」
ふああ、とヒューマノイドはあくびをした。
「聞いてるか?!」
「いいえ。だって退屈なのだもの。どこかで聞いたような話ばかりで」
「この野郎」
俺は拳を握りしめた。
「前言撤回。お前は全然彼女になんか似ていない!! 彼女は優しくて明るくて、人の心に灯りをともす素晴らしい女性だった! まさしく女神だ!」
「私は彼女そのものじゃないわ。彼女の記憶を有したヒューマノイド。でも」
ヒューマノイドはにこりと笑った。
「あなたが言ったのよ? 作家は生涯現役だ、って」
挑むような彼女の目。
ああ、その通り。
まだ現実を知らなかった頃の青臭いセリフさ。
俺はそれが嘘だと骨の髄まで知っている。
そんな言葉、プログラミングの時点で削除しておくべきだった。
ヒューマノイドはキラキラした目で俺を見ている。
「指を動かせば、何かはできるでしょ? いいじゃない。下手くそでも。私、あなたの物語を読みたいの。あなたの作ったテキストを見せてくれたら縁側の茶飲み友達になってあげる」
何だ。この女。
むかつく。
見てろよ。俺のオワコンぶりを。
できない証明のために、物語を書いた。
文字通り書き飛ばした。
「ほら見ろ」
投げつけるように原稿を渡した。
しかしヒューマノイドの目はますます輝いた。
「傑作だわ。やっぱりあなたは天才よ」
その言葉に、俺は思わず自分の手元にある原稿を読み返した。
くだらない。書き飛ばしただけの、ただの文字列だ。
そう思うのに、指先が微かに震えている。
そこには俺が生み出した「人」がいた。世界があった。出来事があった。
俺が指を動かさねば存在しなかったものが確かにここに……。
忘れたはずの、万能感が蘇る。
「……ふん。まあ、指の体操にはなったな」
俺は強がるようにそう言うと、書斎の奥から古いブランデーを取り出した。
作家としてデビューした日に、いつか傑作が書けたら開けようと誓った年代物だ。
「別にめでたくはないが……もう、この先、開ける機会もないしな」
グラスに甘い香りの液体を注ぐ。久しぶりに感じる高揚感に、頬が緩みそうになるのを必死でこらえた。
ヒューマノイドは、そんな俺をただ静かに見つめている。 グラスを掲げた、その時だった。
「じゃあ、これを出版社に送りましょう」
その一言で、俺の身体から血の気が引いた。 高揚感は一瞬で消え去り、代わりに冷たい絶望が這い上がってくる。
「……何のために?」
俺の声は、凍てつくように冷たかった。
「誰かに届けるために」
「はっ? ふざけるな」
「物語って誰かへの花束みたいだと思わない? 私はいつもそう思って読んでる。作家から差し出された大輪の花束。私はそれを受け取って……香りを楽しみ花瓶に飾り……そしてずっと覚えてる」
初恋のミューズそっくりなヒューマノイドはうっとりとした表情を浮かべる。
「久しぶりに作った花束よ。世界中に届けましょう。怖いのなら私がやってあげる」
「騙したな」
俺は叫んだ。
「お前が書けと言ったから書いただけだ。何が花束だ!」
彼女の青い瞳が、不思議そうに俺を見つめる。
「これは、俺がまだキーだけは打てるという、ただそれだけの、くだらない証明だ。それ以上でも、それ以下でもない! いいか。出版社なんかに送ったら、お前をスクラップにしてやるからな!」
俺はグラスの中身を一気に呷ると、ソファへと崩れ落ちた。
どれくらい経っただろうか。 ピコンというスマホの通知音に、重い瞼をこじ開ける。
なんだ? 眠い目をこすりながらスマホを取り上げると、ヒューマノイドが、すまし顔で白壁に画面を映し出した。
「小説サイトにアップしておいたわ」
彼女は言う。
「出版社に送ったわけじゃないから、いいわよね?」
「勝手なことをしやがって!」
とは言え、酔いもさめ、俺は白けた気分で壁にデカデカと拡大された小説サイトの詳細欄を見た。
ページビューの数字は、ささやかなものだった。
いいねも、ほんの数えるほど。
……やはりな。俺はもう、終わったんだ。
自嘲が漏れた、その時だった。
数字の片隅に、たった一行、コメントが寄せられていた。さっきの電子音はその通知だったのだ。
「また続きが読みたいです」
続きが、読みたい……?
その一言が、乾ききっていた心の泉をこじ開ける。
ふてくされて適当に、海に投げた……いや、勝手に投げられた瓶詰めの手紙を受け取ってくれた人がいた。
そんな途方もない奇跡に遭遇した気がして……。
知らずに俺は滂沱の涙を流していた。
それからの俺は勢いづいた。狂ったように作品を書いた。
そのうちの数作は書籍化され、ファンもついた。
流石に全盛期ほどの勢いを取り戻すことはなかった。
ウダウダ悩んでる間に旬を超えてしまったのだろうなと自嘲気味に思う。
しかし、俺の指は次々と物語を編み出した。
書くことが当たり前の習慣になった。
「面白いわ」
ヒューマノイドはどの作品を読んでもそう言った。
ありがたいと思うと同時に虚しくもなる。
心にぽっかりとあいた穴に、風が通り過ぎていく。
まだ俺は引きずっているのか。
初恋の彼女を。
俺に創作のきっかけをくれた、運命のミューズ。
クラスメイトだった彼女にノートを見られ、秘密の趣味を知られてしまった。
「あなたは絶対に作家になれる」
彼女はそう言って勝手に公募に出してしまい、一度目で最優秀賞をとった。
それから先はとんとん拍子。
100億ためたらプロポーズしよう。
目標は思いのほか早く達成し、俺は花をもって彼女の家を訪れた。
そして知ったのだ。
彼女がすでに結婚していたことを。
それから先は地獄だった。
天才と呼ばれた俺は瞬く間にオワコン作家と呼ばれるようになり、いつしか何も書けなくなった。
彼女を失った俺には、小説などどうでも良くなっていたのだ。
彼女と結ばれるためだけに書いていた俺には虚しさしか残っていなかった。
だから……。
そんな彼女に似たヒューマノイドを作って、穏やかな余生を過ごそうと思ったのだ。
ところが。
結局、ヒューマノイドは茶飲み友達にはなってくれず、俺も余生どころか全盛期より忙しい。
一日数件つくコメントに癒され、のびるアクセスに目を細める。
ああ、俺の花を受け取ってくれている人がいる。小さな感動に背筋が震えることもしばしばある。
お花畑なヒューマノイドのせいで、俺までキラキラ思考に毒され始めたらしい。
それに……。
指が、勝手に動くのだ。早く、次を、さあ、次を、と。せわしないくらいに。
俺はぽつりと呟いた。
「ヒューマノイド計画は失敗だった……君は全然俺の言うことを聞かない」
「そうかしら。私は素直な性格のはずだけど」
ヒューマノイドはしれっと言う。
「逆に俺の方が操られてる。あんなに書くのが辛かったのに今じゃ書かなきゃいられない体になった。おかげで物語は積み上がるばかりだ……その、まあ、なんだ。ありがとな」
ヒューマノイドは真っ直ぐに俺を見る。
「私は何もしていないわ。動いたのはあなたよ」
「違う。君がそそのかしたんだ。書け、書け、書け、って」
「そう。でも、その私を作ったのはあなた」
ヒューマノイドは微笑んだ。
「あなたが花を捧げたいのは私だけ。昔からずっとね」
やっと俺は気がついた。
欲しかったのは、初恋の彼女ではなく、彼女のくれる応援だった。
俺は物語を作るためにヒューマノイドを作ったのだ、と。
おわり