かつて佐藤雅子は、息子の結婚に賛成しなかった。
彼女にとって、これほど優秀な息子には、同じくらい優れた女性がふさわしいと考えていたのだ。
そんな息子が、現状に満足し享楽的な妻を一生支えることになると思うと、どうしても納得がいかなかった。
白川夢乃がふと思い出したように、バッグから小さなギフトボックスを取り出し、立ち上がって栞奈のそばにやって来た。
「栞奈ちゃん、おばさんからプレゼントよ」
栞奈は嬉しそうに受け取り、「なにこれ?」
「自分で開けてみて?」と白川夢乃が微笑む。
彼女が近づくと、ふわりと香水の香りが美咲のそばまで漂ってきた。それは健一がよくつけている香りだった。美咲が目を向けると、夢乃が健一の隣でプレゼントを差し出していた。しゃがみ込んだ拍子に、腕が健一の肩に軽く触れた。
美咲は黙ってお茶を口にし、視線を外した。
栞奈が包みを開けると、中には美しい雪の結晶のスノードームが入っていた。
「わあ!大好き!」
夢乃は優しく微笑み、「気に入ってもらえて嬉しいわ。」
席に戻った夢乃と美咲の視線がふと重なる。夢乃は微笑んでいたが、その奥には他人には気づかれない小さな挑発が隠れていた。
次々と懐石料理が運ばれ、佐藤家の祖母は料理の味や作り方を楽しそうに語り、雅子はその話に合わせる。美咲は娘のために料理を取り分け、健一も娘に気を配っていた。
「これいらない、パパ食べて」と栞奈は美咲が栄養のために入れたブロッコリーを自分の器から避け、健一の器に入れる。
健一は娘のその様子を見て、優しく諭す。
「お肉ばかりじゃなくて、野菜も食べようね」
栞奈は照り焼きチキンをかじりながら、油で光った顎を突き出して「パパ、ふいて」と甘える。
健一は微笑みながら温かいおしぼりで娘の口元を拭いた。美咲が何気なく視線を向けると、健一がそのブロッコリーを嫌そうに小皿に移しているのが見え、胸がちくりと痛んだ。
夢乃もその様子に気づき、静かに微笑んだ。
美咲は食欲を失い、「お母様、少し席を外します」と言って席を立った。
化粧室で十分ほど過ごした後、戻ってくると、半開きの障子越しに祖母の声が聞こえた。
「夢乃さん、もっと召し上がって。痩せすぎよ。しっかり栄養を取らないと」
「ありがとうございます、雅子様」
「当たり前よ。これから健一に頼みたいことがあれば、遠慮なく言いなさい」
「健一さんにはもう十分お世話になっています」
複雑な思いを胸に、美咲が部屋へ戻ると、祖母は話をやめた。美咲は早くこの食事会が終わることだけを願った。
八時半ごろ、健一が店員を呼び会計を頼むと、店員は夢乃を指して「こちらの方がすでにお支払い済みです」と答えた。
祖母と雅子は驚き、雅子は「夢乃さん、あなたに払わせるなんて」とやや責めるように言う。
「雅子様、なかなかお会いできなかったので、せめてものお気持ちです」と夢乃は控えめに微笑む。
「まあ、この子は……」と雅子はその気遣いに満足げだった。
席を立つと、夢乃はいち早く祖母に手を差し伸べる。
「お祖母様、お足元お気をつけて。」
祖母はうなずき、雅子も夢乃の気配りに目を細めた。今夜の夢乃は、無口な美咲よりもよほど気の利く嫁のようだった。
雅子は息子の立派な姿と、才色兼備の夢乃を見比べ、ますます息子に新しい妻を迎えてほしいと強く思った。
夢乃の存在が引き立つほど、美咲の沈黙は目立ち、感じが悪く見えた。
夢乃は最後まで祖母を車まで送り、さらに雅子も見送りながら「雅子様、お祖母様、またお会いしましょう」と笑顔を見せた。
「ええ、今度はうちにもいらしてね」と雅子は優しく誘う。
健一は娘を抱きながら運転手に「道中お気をつけて」と声をかける。
車が先に発車し、夢乃は健一の隣で栞奈に声をかける。
「今日の栞奈ちゃん、とても可愛かったわ。そうだ、おばさんのお菓子、食べる?」
「食べる!」と栞奈は即答し、小さな頭を一生懸命にうなずかせる。
夢乃はバッグからチョコレートを取り出し、栞奈の手に渡した。栞奈の瞳が一瞬で輝いた。
美咲の表情が曇る。夢乃がこっそり娘に甘いものを与えたことは、彼女にとって許せない出来事だった。
「帰りましょう」と美咲は健一に声をかける。
「栞奈ちゃん、また今度ね!おばさんにチューしてくれる?」と夢乃は栞奈に顔を近づける。
栞奈は健一に抱かれたまま、もらったチョコレートに大満足で夢乃にキスをする。
夢乃は背伸びしながら、自然に健一の肩に手を添えて顔を近づけた。
「栞奈、車に乗るよ!」美咲が一歩前に出て、娘を健一の腕から抱き上げ、車のドアを開けて座席に座る。
夢乃は明るく健一に「健一さん、お気をつけて」と声をかけた。
健一はうなずき、運転席に座る。車が走り出すと、夢乃はその場に立ち、手を振って見送っていた。
栞奈も小さな手を振る。美咲は娘を強く抱きしめ、その体は怒りで震えていた。
「ママ、苦しいよ……」と栞奈は小さな声で訴えた。
美咲は少しだけ力を緩め、窓を少し開けて冷たい風を入れると、ようやく気持ちが落ち着いた。
「いつ帰るの?」と運転する健一に尋ねた。
「三日後だ」と健一は答えた。
その後の二日間、健一は家で娘と過ごし、時々書斎で仕事を片付けていた。
三日後、祖母たちに別れを告げ、先に帰国することに。別れ際、祖母は美咲の手を握り、「美咲さん、年末にはまた帰るからね」と言った。
美咲も夫人たちが帰国して一緒に過ごせるのを心待ちにしていた。
二十三時間の帰路を経て、娘を抱いて自宅に戻ったとき、美咲は疲れ切っていた。松本さんが栞奈の入浴を手伝い、美咲もシャワーを浴びた。十時半、娘は静かに美咲の腕の中で眠りについた。
美咲もそのまま眠り込んだ。二日間家で休養し、ようやく娘をインターナショナル幼稚園に送り出すことができた。
午前九時、美咲が書斎で書類を整理していると、電話が鳴った。
「美咲さん、お時間ありますか?今、お話しできますか?」
父の教え子である小林太郎の声は、どこか興奮気味だった。
「小林さん、どこかでお会いしてお話ししましょう!」と美咲は実験室の計画を早く進めたいと考えていた。
喫茶店にて――
美咲が席に着くと、小林太郎だけでなく教授も同席していることに気づき、立ち上がって迎えた。
「教授、お越しくださったんですね?」
小林太郎が笑って言った。「君の革新的な実験構想に引き寄せられたよ。」
「教授、どうぞおかけください」と美咲は丁寧に促す。
「佐藤さん、あなたの研究計画を細かく読ませていただきましたが、実に驚くべき内容でした。まだ理論段階ですが、ぜひ小林君と早急に実験を始めてほしい。もし突破口が開ければ、これは医学界だけでなく人類全体にとって大きな福音となるでしょう」
美咲は真剣にうなずく。
「私もそう考えていますが、実験室の初期資金や人手が足りず、悩んでいます」
「心配はいりません。今や世界中が医学研究に注目しています。必ず協力してくれる出資者が現れると信じています。自信を持って進めてください」
「佐藤さん、この実験理論はどのようにして生まれたのですか?」と教授が鋭い目で美咲を見つめた。