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第5話 気を遣ってグレながら(将来の)宰相と渡り合っていたら忘れていた。



 ――俺はグレた。


「あ? 邪魔なんだよ。今俺は忙しいんだよ、睡眠にな!」


 とりあえず非常に申し訳ないが侍女侍従の皆様に強く当たってみた。

 皆、困惑したようにそそくさと俺の部屋から出て行く。入れ違いに入ってきた侍女の顔色も悪い。


「フェル様、か、家庭教師の先生が、お見えに……」

「はぁ? 俺は寝るのに忙しいって言ってんだろ! 誰が勉強なんかするか! 帰らせろい!」

「か、かしこまりました……」


 ちょっと心は痛むがしょうがない。

 次に俺の部屋の扉がノックされたのはお茶の時間だった。


「第二王子殿下、隣国より届いたお菓子をお持ちしました……」

「いらない。俺は辛党なんだよ!」

「煎餅です……」

「気が変わった。俺は今から甘党だ! 出て行け!」


 我ながら理不尽だと思う。しかし、俺には最早この道しか残されていないのだ。


 ……だが大層グレ方に気を遣った。これでも遣っているのだ。

 まず兄と険悪になってはならない。よって「ウィズなんか大嫌いだ」という台詞は使えない。しかしこの兄、毎日のように俺を慰めに来るようになってしまった……。


「フェル……そう自暴自棄になるな。なにも焦る事はないんだぞ」

「……」

「なにがあっても俺がついているからな。お前は、お前のペースで歩めばいいんだ」


 兄は既に、父の仕事を幾つか肩代わりを始めていて忙しいくせに、足繁く通ってくる。

 仕方がないので俺は、引きつった笑みを浮かべて、兄に対しては頷いている。

 周囲も兄も、俺が自分の落ちこぼれ具合に嘆いていると、俺の意図通り理解してくれているようなのだが……この展開は予想していなかった。俺は必死で無言を貫き通しながら、最後には俺の頭を撫でて帰っていく兄を見送っている。ほぼ日課である。


 次に、ここまで大切に育ててくれた母を悲しませる事もしたくない。

 よって「母上なんて大嫌いだ」という台詞も使えない。

 さすがにまだ幼い異母妹弟に対してきつく当たるのも良心が痛む。

 勿論父や正妃様に逆らうなんていうのは死亡フラグだからアウトだ。


 そういうわけだから、とりあえずやったのは、わがままの限りを尽くして家庭教師を全て追い払う事からだった。食事に顔を出すのもやめた。


 服は着崩した。

 外見から入ってみた。

 ジャラジャラとピアスなんてものをつけてみた。が、これはなんだか評判が良かった……なんでだろうか。


 他には口調を変えた。これはまぁ、前世通りに戻したと言える。俺はもともとお上品な方ではない。


「まぁ、これが噂に聞く反抗期ね!」


 と、母は微笑ましそうにしていた……。

 意図的にグレるって結構難しい。

 あとは性的に奔放になったりしてみればいいのだろうか……?


 だけど俺まだ十二歳で二次性徴もこないし大人か子供かと言われたらきっぱり子供だと断言できる外見だ……。前世でも十三歳でやっと少しだけ背が伸びたのだ。


 まだ女遊びは厳しいと思う。相手にしてもらえるか不安だ、というか、俺、勃つかなぁ。ちなみに前世での俺は非常にモテた。それはもうモテにモテた。男にも女にモテた。兄が片思いしていたと考えられる相手にまで告白された。兄のお気に入りがその人物だったのを俺は知っている。あれもきっとフラグだな。黒髪に緑の目の美人だった。俺と同じ色彩の持ち主だった事を覚えている。夜会で一曲、頼まれて踊った時など、兄が嫉妬の眼差しでこちらを見ていた記憶がある。


 とはいえ、前世で俺は忙しすぎて、恋にうつつを抜かしたりは一切しなかった。

 そもそもあんまり軽いのは好きじゃない。兄も純情派で、身持ちは固かったな。

 父上は男も女も大好きな博愛主義者だけれども。そこは俺達はどちらも似なかった。前世で俺は兄に後宮を持つように進言するよう頼まれて、兄に結婚しろと言ったら激怒された事がある。好きな相手がいたからだろう。


 なおこの国は、始祖王の後添えが男子だったから、同性愛者も多いのだ。

 だから父上の側妃には男もいる。

 ただし男性同士の婚姻が、王族の場合は、側妃のみという決まりがある。

 俺自身はそもそもこれといった恋愛をしたことがないわけであるが、好きになった相手なら性別はどちらでもいいと思っている。


 ああ、今世でこそ、穏やかな恋愛もしたいな……。


 とりあえず出だしから不安だが、俺はグレ続ける!


 問題はそれよりも、もう一つの懸念材料だ。

 その日の夜、俺の部屋の扉は再びノックされた。

 兄が帰って二時間ほど後の事だった。

 時計は八時をさしている。気が重くなりながら、俺は返事をした。


「失礼いたします。本日も薬草を煎じたお茶をお持ちいたしました」


 ……毎日ユーリスは、決まって八時にやってくる。

 ここもグレて遠ざけたいのだが、そうすると正妃様に悪い。最悪母の立つ瀬が無くなってしまう。現在まで、母と正妃様は実に良好な仲なのだ。そこに水を差すのはためらわれる。


「そこへ置いて出て行け」

「いえいえ。今日もいつも通り、ちゃんと召し上がって頂くまでは帰れません」


 ユーリスは、人の良さそうな笑顔でニコニコと笑っている。

 俺はこれは作り笑いだと確信している。こいつは腹黒い。

 仕方がないのでさっさと飲むことにする。波風は立てたくない。ごくごくと飲み込みながら、さっさと帰れと俺は思っていた。そして今日までの間、実際俺が飲んだ後ユーリスは早々と帰っていた。


 ――しかしこの日は違った。


「フェル殿下」


 珍しく声をかけられて、俺は反射的に視線を向けた。


「なぜ武道会の日、わざと手を抜いたのですか?」


 直球だった。まっすぐに俺を見て、微笑したままユーリスが核心に触れてきた。

 思わず息を呑む。あまりにも突然だったから、表情を作る余裕すらなかった。


「それにその魔力。練度が高すぎて一見無に思えるのでしょうが、完璧に制御しているからこその静止状態だ」


 ……気づかれている、だと?

 気づく事が可能だとすれば、俺同様、相当の実力がなければ無理だ。少なくとも宮廷魔術師ですら表立って俺を疑っているものはいないというのに。ゾクリとした。背筋が粟立つ。


 ――こいつ、何者だ?

 いいや、単純にかまをかけているだけなのかもしれない。そうだと信じよう。たとえそうでなくともごまかさなければ!


「それは俺が魔術をうまく使えないと知っての嫌味か?」

「まさか。ただの純粋な好奇心です。ここ一ヶ月ほど近い距離にいて確信しました。俺は魔力に敏感なんです、生まれつき」

「俺には魔力なんてほとんどない。出て行け! 顔も見たくない!」

「これはこれは失礼いたしました。ではまた明日」


 ユーリスはそういうとあっさりと下がった。

 しかし気づかれているという事実に、俺の心臓が煩くなった。

 ……生まれつき魔力に敏感? そんな話は聞いた事もなかったぞ! あいつ、少なくとも前世では隠し通していやがったな! 本当に喰えない。気をつけなければ。俺は、前世でのユーリス・アルバースについて必死で思い出そうとした。


 だがどう回想してみても、文官だったという側面しか出てこないのだ。


 とりあえず仕事はできる宰相だった。

 しかし魔術も剣術も召喚術も、使っているところなど見た事はなかったし、聞いた事すらもなかった。


 兄と結託して、俺を幽閉後処刑した相手だ。

 現在の立場的に、今世でも宰相になるのは時間の問題だろう。

 とにかく敵に回してはならない。

 ……あ、出て行けとか言わないほうが良かったか?

 これからもうちょっと口調に気をつけて接しよう……。


 そのようにして日々は流れた。


 俺はわがままの限りを尽くした。そして兄は遠方への視察などの行事以外では、必ず六時頃やってくる。ユーリスは八時に訪れる。定期的な茶会には一応出ている。とりあえず俺は勉強だけドロップアウトし、気を遣ってグレながら過ごした。


 そして、十二歳になった。前世ではこの頃はすでに一つ師団を任されて、魔族討伐に出かけていた記憶がある。俺が指揮していた師団は、決して王都への魔族の襲撃を許さず、事前に殲滅していた。


 だから……まさか、王都に大量の魔族が襲来するなどという事態は想定していなかった。だって、だってだ。前世では事前に壊滅させていたから、襲来するなんていう事件は無かったのだ。


 ――その日、火の海となった王都は、阿鼻叫喚地獄絵図と化した。


「フェル!」


 燃えさかる城下町を、城の自室で俺が呆然と見ていた時、扉が開いた。

 入ってきた兄上は、強く両手を俺の肩に置いた。


「逃げるぞ! いいや、俺はこの王都を守るために残るけどな、お前は絶対に無事に逃がす!」


 そう言ってウィズは強引に俺の手首を握ると走り出した。

 そして俺は、父である国王陛下と、母上をはじめとした後宮の人々の元に連れて行かれた。宰相府の人々も一緒である。その頃には、王宮にまで魔族は侵入を果たしていて、斜め前方で天井が崩れ落ちた。俺は、王都に溢れかえっている嫌な魔力の気配と血の臭いに、思わず片手で唇を覆った。このままでは、被害は広がる。ただでは済まない。


 そもそも父の召喚獣は癒しの力を持つものだから戦闘には向かない。

 兄の召喚獣は、消火には役立つだろうが、水系の攻撃を使えば王都には洪水が巻き起こる。他の貴族達の召喚獣を前世の記憶から呼び起こしてみるが、召喚獣とは本当に契約出来るだけで特別な存在だから、戦闘に向いているものは少ない。


 ……ああ、駄目だ。


 このままでは被害が広がり、多くの人が死んでしまうかもしれない。

 俺は唾液を嚥下した。下ろしたままの手をきつく握る。駄目だ、本当に駄目だ、駄目なのに……俺は、こんな事は見過ごせない。


 右手を上げて、ギュッと首から下げている指輪を握った。


 魔力を込める。すると俺の足元を中心に、その場に光で構築された召喚魔法円が出現した。全身で強い力を受け止めながら、俺は呟いた。


「我が名の下に交わした契約に応じよ、ラクラス」


 気がつけばそう呟いていた。

 瞬きをした次の瞬間には、俺の隣に人型をとったラクラスが立っていた。

 一瞥して俺は命じた。


「魔族を全て消せ」


 すると喉で笑ったラクラスが、指を鳴らした。パチンと、その音がやんだ時には、王都に溢れかえっていた嫌な魔力は全て消えた。


「時間軸に干渉し、火を滅し家屋の復元を」


 続けて言うと、今度はラクラスが指をくるくると回した。その瞬間、王都全域が復興した。心地の良い疲労感に襲われて、久々に全力を出した自分に気づいた。片手で汗を拭う。するとラクラスがこちらを見た。


「良かったのか?」

「ん? なにがだ? それよりもありがとう」

「みんな見てるぞ」

「!」

「お前って昔っから変なところでお人好しだよなぁ」


 ラクラスはそう言うと、不意に俺を抱きしめた。その腕の中で硬直してから、慌てて俺は帰還を命じた。「じゃあ飲みにでも行ってくるわ」と口にし、ラクラスはそのまま姿を消した。それから……俺は恐る恐る周囲を見渡した。引きつった笑みを浮かべてしまった。そこでは皆が呆気に取られたようにこちらを見ていた。


「良くやったね、フェル」


 沈黙を最初に破ったのは父だった。その声は穏やかで、まずは俺を褒めてくれた。俺はどうしたらいいのか分からないままそれを聞いていた。


「……だけど今の召喚獣は、王家の言い伝えに残る伝説的な召喚獣ラクラスだね」

「……」

「その上、それを制御しきった魔力。フェル、一体どういう事だい?」


 父の口調が少し強いものへと変わった。俺はうるさい鼓動を抑えながら必死で考えた。


 ――どうする? どうすればいい? 俺は、一体どうすれば……!


 そして一人で静かに頷き、満面の笑みを浮かべる事にした。


「俺、なにが起きたのか全然分かりません! あれ、え? 俺がなにかしたんですか? 俺、俺、魔族が襲ってきたところまでしか覚えてないけど、助かったんですよね?」


 ――知らんぷりで押し通そう。


「フェル。正直に言いなさい」

「父上……俺、俺、本当になにも分からなくて」


 だめ押しにと、俺は泣いた。嘘泣きを頑張った。しかし周囲は明らかに俺を怪訝そうに見ている。


 ――どうやって切り抜けよう……!

 そう悩んでいた時だった。


「国王陛下、僭越ながら、この一件はフェル第二王子殿下の潜在能力の高さによるものだと思われます」


 ユーリスがそんな事を言った。


「恐らくお身体が弱く耐えられないため、普段は発揮しない機制になっているのでしょう。ですが、実際には強い力をお持ちで、それは無意識に最強の召喚獣をも喚び出してしまうほどのお力だったのだと考えられます。フェル殿下が嘘をついているとは俺には思えません」


 実に自然で、納得できる言葉の数々だった。ユーリスの声に、父が頷いた。


「なるほど、そうか。兎角この度は助かった。フェルは英雄だ」


 まずい……丸く収まった風だが英雄フラグはいらない。


「俺が英雄? やった! これで兄上の力になれるぞ!」


 俺はそう付け足す事を忘れなかった。


 このようにして、王都と俺の危機は去った……かに見えた。

 しかし、部屋へと戻った時、本日も律儀にお茶を持ってきたユーリスが、後手に扉を閉めると吹き出した。


「フェル殿下、今回の件は貸しですよ」

「……え?」

「ラクラスほどの高名な召喚獣を瞬間的に召喚するなど始祖王でも不可能だ。先程フェル様の足元に魔法円の術式を見た限りでも、あれの構築には相応の時間がかかっているはずだ。古代のものに手を加えた形跡がありましたからね。そもそも、一応当家は薬師や医術師を多く輩出しているから殿下の仮病が見抜けないほど愚かではないです。ですから、先ほど俺が陛下をうまく納得させたのは、貸しです。必ず返してもらいますよ」

「な、なんの話か分からない……」

「俺は実力主義者だから子供だと言って容赦はしません。分からないというのであればそれも結構。じきに分からせて差し上げますよ。それまでじっくりと考える事です。俺の手を取るか否かを、ね」


 ユーリスはそう言うと部屋を出て行った。残された俺は、呆然とするしかなかったのだった。少なくとも前世では、ユーリスにこうした形で腹黒い助けられ方をした事は無かった。ただ今回は実際、助けられたのは間違いない。しかし、しかしだ。


「誰が手なんか……」


 そもそも諸悪の根源はユーリスだ。ただそれ以後、俺はぐるぐると悩む事になったのだった。


 同時に……さすがに、魔力に関しては皆の前で披露してしまったから、強制的に家庭教師の授業を復活させられた。召喚術もだ。俺のグレる計画も、なんと頓挫してしまったのである。


 ちなみに第三案として、失踪作戦も検討中なのだが、まだ実行に移す勇気はない。


 そうして勉学の日々を送り、俺は十三歳になった。

 最近では予習復習をさせられるため、辟易しながら俺は部屋で、風の初級魔術を使って自習していた。結果時間を忘れていて、我に返ったのはユーリスが来た時だった。


「入れ」


 一方の掌の上に小さな竜巻を起こしながら俺は言った。

 すると、入ってきたユーリスが息を呑んだ。


「初級とはいえ……その練度……さすがですね」

「褒めても何も出ないぞ。さっさと茶をよこせ」

「……フェル殿下」


 その時ユーリスがまじまじと俺を見た。そして口角を持ち上げた。


「さすがは第二王子殿下だ。そのお力、もっと民草のためにお使いになってはいかがですか?」


 来た。そうして来たのがこのセリフである。

 ある種、ここから俺の真の戦いは始まった。


 俺は、真のスローライフを目指す!


 言葉を探しながら、俺は唾を飲み込んだのだった。



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