二十四歳の鈴原念乃は、命を落とした。
四歳の息子を幼稚園に送り届けた帰り道、背後から一突きにされ、その犯人の顔すら見ることができなかった。
大量の出血で意識が朦朧とする中、念乃は奇妙な夢に落ちていく。夢の中で彼女がいたのは、なんと一冊の恋愛小説の世界だった。
彼女は物語の中で早世する「初恋」と呼ばれる存在で、彼女が残した二人の子どもたちは、主人公の子どもたちの“悲惨な引き立て役”になる運命だった。
息子は家を失い、チンピラとなって主人公の優等生の息子と恋敵になり、笑いものにされ、最後は刑務所送りに。娘は母の愛情を受けられず、無口で暴飲暴食に走る。
主人公の美しい娘とオーケストラのコンサートマスターの座を争う中で手を怪我し、精神的にも崩壊し、ついには家族からも見捨てられる――。
物語の結末は、主人公が念乃の居場所を奪い、優秀な二人の子どもと共に、憧れの男性と幸せな人生を手に入れるというものだった。
――つまり、私はこの一刺しで「早世」という設定を満たすためだけに殺されたの?
最後の一息を飲み込みながら、鈴原念乃の心にはただ一つの叫びが響いていた。
「なんてこと!」
天がその嘆きを聞き入れたのか、思いがけず哀れみをかけてくれたのかもしれない。
なんと、鈴原念乃は生き返った――息子・鈴原陽太が十七歳の年に。
*
目を開けると、そこはまったく見覚えのない場所だった。
学校の正門の前。
校門に刻まれた大きな文字――「神奈川県立湘南第三高校」。
状況が飲み込めずにいると、少し離れたところで騒がしい声が聞こえてきた。
人だかりができており、どうやら誰かが告白しているらしい。
頭がまだ混乱しているにもかかわらず、体は勝手に動いて、その様子を見に近づいてしまった。
「小早川玲奈、俺と付き合ってくれ!」
ド派手な赤・黄・青の髪の少年がバラの花束を手に、真剣なまなざしで向かいの少女を見つめている。
告白された少女は、黒髪のロングストレートで細身、清楚な顔立ちが印象的だ。だが今は、友達の後ろに隠れるようにして、目には涙がにじんでいる。
それは感動ではなく、恐怖と拒絶の涙だった。
少年の言葉が終わらぬうち、周りにいた仲間たちが騒ぎだす。
「小早川さん!陽太兄の告白、受けなきゃ帰れないぞ!」
小早川玲奈は小さくすすり泣きながら、怯えた表情にほんの少しの反抗心を滲ませ、首を振った。
「……鈴原陽太、お願い、やめて……」
その言葉を聞いて、鈴原念乃は思わず拳を握りしめた。
なんて横暴なガキなの!
玲奈の友人・高橋恵理香が前に出て、怒りを露わにする。
「鈴原陽太、いい加減にしなよ!玲奈は御景台のお嬢様なんだよ。アンタみたいな不良がしつこくつきまとって、鏡で自分の顔見てみなよ、分不相応でしょ!」
念乃は心の中で大きく頷いた。
この子、まるで私の代弁者だわ。御景台は神奈川県でも有名な高級住宅街。私が“死ぬ前”に住んでた一億二千万のマンションもそこだった。小早川家は相当なお金持ち、確かにこのガキには不釣り合いだ。
……待って?
このガキの名前……
鈴原陽太?
まさか、私の息子と同じ名前!?
嫌な予感が胸をよぎる。念乃は慌ててその派手な少年の顔をじっくり見つめた。奇抜な髪型を無視して、顔立ちをよく見ると――
胸がズンと重くなった。
このガキ……本当に私の息子じゃないの!?
念乃の拳は震え、本当に目の前が暗くなりそうだった。
思い出すのは、あの夢――息子は主人公の優等生の息子と「比較される存在」として、好きな女の子を奪おうとして笑いものになり、悲惨な末路を迎える。
この小早川玲奈が、その女の子なのか?
現場の空気が張り詰めたその時――
すっと人混みをかき分ける、白く長い指の手。少し冷たさを感じる澄んだ声が響いた。
「何をしているんだ?」
「時田委員長!」高橋恵理香が救世主を見つけたように叫ぶ。「時田委員長、ちょうどよかった!鈴原陽太が玲奈を無理やり困らせてるんです!」
現れた少年は端正な顔立ちで、制服のシャツも隙のない清潔感。小早川玲奈に向かい、優しく声をかける。
「小早川さん、大丈夫?」
玲奈は唇をかみしめて首を振るが、その瞳は涙で輝き、まるで救いを求めているようだった。
念乃はまたもや、目の前がクラクラした。
間違いない、この少年こそ主人公の息子――時田悠介。
つまり、私は修羅場のど真ん中に飛び込んできたってこと!?
「もういいだろ!」好きな子がライバルと見つめ合うのを見て、陽太の目は怒りで燃え上がり、手にしたバラの包装紙をぐしゃっと握りしめた。
「時田、これはお前には関係ない。さっさと消えろ!さもないと、本気でぶっ飛ばすぞ!」
時田悠介は一歩も引かず、まっすぐ背筋を伸ばして言い返す。
「クラスメートを困らせることは、僕にも関係がある。」
玲奈はさらに時田を憧れの目で見つめる。
「対比役」の意味を痛感する。目の前の息子は、清廉な時田悠介の前で、まるで道化だ。
時田悠介は陽太の脅しなど意に介さない。頭が切れる彼は、すでに学校の警備員に連絡済みだ。
三分もすれば、陽太たちは「トラブルメーカー」として叱られることになる。
案の定――
陽太は花束を地面に叩きつけ、時田悠介に突進しようとした。
だが、その瞬間――
細く白い手が、陽太の後ろ襟をしっかりと掴んだ。
「誰だよ!?」陽太が怒って振り返る。
――それは念乃だった。彼女は息子を見ず、時田悠介と小早川玲奈に向かって言う。
「あなたたちは先に行って。ここは任せて。」
玲奈:「?」
時田悠介:「……?」
念乃は急かす。「早く。ここにいたら巻き込まれるわよ。」
戸惑いながらも、玲奈・時田・恵理香はすぐにその場を離れた。数歩進むと、時田は振り返って念乃をじっと見つめていた。
3人が遠ざかったのを見てから、念乃は手を離した。
「お前、一体誰だ!?」陽太はやっと束縛から抜け出し、しかし相手はもう遠く、どうにもできず、怒りで体を震わせながら叫ぶ。
念乃は十三年ぶりの「再会」に、スカートの裾を整えて、できるだけ優しげな笑顔で、真剣に名乗った。
「私は、あなたのお母さんよ。」
周囲の仲間たち――佐藤翔太たちは、目を丸くして絶句。心の中で「この美人、なんて口の悪さなんだ!?」とでも言いたげだった。
だが、陽太は念乃の顔をよく見た瞬間、動きを止めた。
この女……
十三年前に亡くなった母親と、瓜二つだ!
「瓜二つ」どころか、まるで生き写し。ただ、記憶の中の母親よりもずっと若く、せいぜい十八歳くらいで、自分と同年代に見える。
陽太は一瞬ぼんやりしたが、すぐに我に返る。念乃が自分を侮辱しているのだと思い込んだ。
「ぶっ殺すぞ!?」拳を握りしめ、今にも殴りかかりそうになる。
念乃は、じっと動かず、静かに陽太を見つめるだけ。
陽太の拳は、途中でピタリと止まった。
母親そっくりの顔を前に、どうしても手が出せない。
「ちっ!」陽太は舌打ちして拳を下ろし、地面のバラを思い切り踏みつけて、仲間に声をかけた。
「もう行くぞ!」
念乃は黙ってバラの残骸を拾い、近くのゴミ箱に捨ててから、急いで後を追った。
「鈴原陽太、私はあなたのお母さん。ほんとにお母さんなんだから!」
歩きながら、しつこく繰り返す。
仲間たちは呆れ顔で、あごが外れそうだった。
せっかく陽太が見逃してやったのに、なぜ追いかけてまで暴言を吐くんだ、と。
「頭おかしいのか!」陽太は「関わったら負け」感に苛まれ、どんどん足を速め、しまいには小走りになって、次の角で念乃を完全に振り切った。