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わがまま妻は離婚を切り出す~嫌な夫とその家族にさようなら~
わがまま妻は離婚を切り出す~嫌な夫とその家族にさようなら~
秋ノみゆぴ
恋愛結婚生活
2025年07月22日
公開日
7.8万字
連載中
結婚して三年目、理音は離婚を切り出した。 康平は無造作に椅子に座りながら、気だるそうだった。 「彼女に付き添って病院に行ったけど、お前には付き添わなかっただけで怒ったの?」 「そうよ。」 「わかった。じゃあ今後は付き添わない。」 「あなたのはいらない、そのまま離婚しましょう。」 男の目から余裕が消え、素早く理音の署名しようとする手を掴んだ。 「お前は二十年間も俺のことを追いかけてきたのに、本当に俺なしで生きていけるのか、理音?」 理音は落ち着いたまま。 「人は皆、誰かがいなきゃ生きていけないなんてことはない。」 康平は、東へ沈んでいっても、理音が自分から離れるとは思わなかった。 理音は5歳の頃から彼に付きまとい、他の女性が近づけないほどだったし、彼が恋愛する機会すらなかった。 だが、結婚して三年目にして、理音は離婚を求めた。 康平はそれを鼻で笑った。 しかし、理音の妊娠中のおなかを見た瞬間、その余裕は崩れ去った。 理音は彼の手を払いのけた。 「あなたの子じゃない。」 康平の目が血走った。 「ふざけるな!」 「この子を私から奪うつもりなら、すぐに中絶する。」 その後の日々は何度も頭を下げる康平の姿が見られる。 「そんなこと言わないでくれ。赤ちゃんに聞こえる。何でもするから、お願いだから捨てないでくれ。」 本当に離れられなかったのは、いつだって彼の方だった。

第1話


物置小屋の中は、静まり返っていた。


空気は息苦しく湿っていて、腐ったジャガイモの発酵した酸っぱい臭いが混じっている。

古い携帯電話がスピーカーモードになっていて、男の投げやりな声がスピーカーから響く。


「本人と話させてくれ。」


携帯が斎藤理音の耳元に押し当てられる。

彼女は両足がぐちゃぐちゃになったポテトサラダに沈み込み、震えを必死にこらえてかすれた声を絞り出した。


「康平、私トラブルに巻き込まれたの。」


電話の向こうで一瞬だけ沈黙があったが、不意に低い笑いが聞こえた。


「もう十分遊んだんじゃないの、理音?今日は何の日か覚えてる?」


「ふざけてないわ。」


理音の声は力がなかった。


「本当に危ないの、信じて!」


携帯は急に取り上げられ、斎藤康平の声が少し遠ざかりながらも、はっきりと耳に届いた。


「理音はしぶといゴキブリじゃなかったっけ?本当に死んだら、俺も一緒に逝ってやるよ。」


物置小屋は一瞬で完全な暗闇に包まれた。唯一の出口は分厚いカーテンで塞がれ、外から何かを押し付ける音と共に、石まで積まれているようだった。


誰かが自分の命を狙っているのに、生きて帰ることを望む人間など、一人もいない。

二十年ほど付き合った幼馴染で、三年連れ添った夫さえも。


雪岡町は有名なスキーリゾート地だ。理音が無様な姿で宿に戻ると、宿の主人は驚きの声を上げた。


「どうしたんですか?こんな姿で……」


理音は説明したくなくて、無理に笑顔を作った。


主人はじっと理音を見つめる。


「ピアスは?それに、来たとき首にかけてた勾玉のお守りは?」


目の前の彼女はここの常連客で、二歳の頃から両親と一緒にこの宿に泊まり、スキーを楽しんでいた。最初は両親と、後には祖父と、そしてここ最近は一人きりで訪れるようになった。


理音は口元にわずかに笑みを浮かべる。


「人にあげちゃったの。」


客のプライバシーもあるので、いくら親しくてもそれ以上は聞けない。主人は理音にお風呂に入るよう促し、台所に葛湯を作るように指示した。


部屋は二階にあり、年季の入った木の床がぎしぎしと音を立てる。ドアを閉めて外の世界を遮断し、理音は背中をドアに預け、力が抜けてそのまま床に滑り落ちた。


冬の夕陽が山の端に沈み、部屋の中は格別に静かだった。理音は顔を膝に埋め、不安と生還の安堵が入り混じり、涙が静かに汚れたジーンズを濡らした。


ソファの上の携帯が何度も鳴っていた。


理音は涙を拭い、手探りで電話に出る。親友の高橋夏実の慌てた声が飛び込んできた。


「一体何してるのよ!あんた、旦那の誕生日にどこ行ってるの!?知らない人が見たら麻衣が斎藤家の奥さんだと思うわよ!」


理音は疲れた声で答えた。


「何かあったの?」


「何回電話したか分かってる?斎藤麻衣、妊娠したんだって!」


「康平の子?」


「……」


夏実が絶句する。


「まさか、それはないでしょ。もしそんなことしたら、義父母に何されるか分からないじゃない。」


「そう。」


「ちょっと、あんたどうしたの?」


夏実は焦れったそうに続けた。


「このニュース、あんたの旦那の誕生日パーティーで発表されたんだよ。康平の反応見たら、みんな子どもが彼のだって勘違いしそうな雰囲気だったし……」


理音は窓の外、消えかけた夕暮れを見つめながら言った。


「夏実、シャワー浴びたい。寒いの。」


「分かった分かった。あとでメッセージ送るから絶対見てね!」


「うん。」


浴室の鏡の前で、理音は汚れた服を脱ぎ、まとめてゴミ箱に捨てた。


湯気で鏡が曇り、姿がぼんやり映る。物置小屋に放り込まれて、服が汚れただけで無事に戻ってこれたのは、喜ぶべきか悲しむべきか分からない。


部屋のドアがノックされ、スタッフが葛湯を持ってきた。礼を言い、理音は汚れた服が入ったゴミ袋を手渡す。


「これ、捨ててもらってもいいですか?」


「どうぞお気になさらずに。」


スタッフは笑顔で答えた。


「主人が聞いてほしいそうなんですが、お正月もこのままご滞在ですか?シーズン中で混み合いますから、ご希望ならお部屋を確保しておきますよ。」


理音はうなずく。


「お願いします。」


「かしこまりました。何かあればいつでも呼んでください。」


もうすぐ年の瀬。来週には正月がやってくる。部屋の暖房はしっかり効いていて、理音はゆったりとしたバスローブ姿で、窓の外夜のライトに浮かぶ真っ白な雪山を眺めた。世界が一瞬、完全に静寂に包まれたようだった。


再びドアがノックされた。


理音は主人だと思い、ドアを開けながら言った。


「田中さん、本当にお気遣いなく……」


その続きを飲み込んだ。


ドアの外に立っていたのは、鋭い目元と高い鼻立ちの男だった。何度も彼女にキスをしてきた薄い唇が不満げに引き結ばれ、黒いコートからは冷たい風と雪の気配が漂っている。

理音は一瞬たじろいだ。


「どうして来たの?」


「どうしてだと思う?」


康平は皮肉っぽく笑ってみせる。


「助けてって言ったのは君だろ?こっちは宴会を途中で抜けて来たんだよ。それで、どうやって助ければいい?」


「もう帰っていいわ。」


康平の目が冷たかった。


「理音、いい加減にしろよ。」


「私がまともだったことなんてないでしょ!」


理音は怯えたハリネズミのように身構える。


「できるもんなら殺してみなさいよ!」


「……」


康平は大きく息を吐き、怒りを必死に抑える。


「何かあったのか?怪我は?病院には行ったのか?」


「死んでないから大丈夫。あなたが一緒に死ぬ必要なんてないわ、残念だった?」


康平は顎をぎゅっと引き締めた。


しばらく沈黙の後、ゆっくりと口を開く。


「俺の誕生日、覚えてた?こんな時にいないで、ここでふざけてるなんて、面白い?」


「最高に面白かった!」


理音は涙が止まらず溢れた。


「私は昔も、今も、これからも遊び続ける!全部あなたのせいよ!」


康平の体が固まった。


何度繰り返しても、どんなに酷いことをされても、彼女の涙だけはいつも彼の心を一瞬で崩してしまう。でも、彼が好きなのは、ベッドの中で「康平」と泣いて縋るときだけの涙で、今みたいなものじゃない。


どれだけ怒っていても、それだけで怒りの半分以上は消えてしまう。


「もういいだろ。」


康平は部屋のドアを開ける。


「今度は何が気に入らないんだ?俺が悪かったよ。宝石でも車でも好きなものやるから、いいだろ?」


理音はドアを押さえた。


「出て行って。」


「どこに?」


康平は軽く理音の力を外し、体を捻って中に入ると、ドアを閉めた。


「俺は君の夫だ。」


部屋は少し散らかっていて、開いたスーツケースや、スキンケア用品、充電器があちこちに転がっている。

これが彼女のいつものスタイルだ。細かい片付けが何より苦手なのだ。


康平はコートを脱ぎ、自然な動作で一つ一つ片付け始める。


「プレゼント、用意してくれてるんだろ?」


まだ少し不機嫌そうな口調で言う。


「プレゼントがあれば、今日のことは……」


理音はドアのそばで、ふいに尋ねた。


「麻衣、妊娠したんだって?」


「……何?」


康平はしゃがんだまま、しなやかな背中を見せる。


「羨ましいの?じゃあ、俺たちも子ども作ろうか。」


そう言って、彼女を振り返り、珍しく優しい笑みを見せた。


「親たちもずっと気にしてるし、そろそろどう?」


「私には産めない。」


「……」


理音は皮肉な笑みを浮かべた。


「麻衣が産むんであげるでしょう?ちょうどいいじゃない。次もその次もあなたの子ども、彼女に産んでもらえばいい。きっと喜んでやるわ。」


康平の笑みは、瞬時に凍り付いた。





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