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裏切りの代償 ~浮気したのはそっちのくせに、泣けば許されるとでも思ってんの?~
裏切りの代償 ~浮気したのはそっちのくせに、泣けば許されるとでも思ってんの?~
きなこもち
恋愛結婚生活
2025年07月25日
公開日
6万字
連載中
橘川灯里は、橘川湊斗の深い愛情と同時に、 その浮気による痛みを身をもって経験していた。 彼女は耐え忍び、ひっそりと離婚契約書にサインをさせることに成功する。 正式に離婚が決まったその時、灯里は冷徹な目で湊斗を見つめ、静かに告げた。 「湊斗、もう私にあんたなんかいらない。私の世界から出て行って」 湊斗はその言葉に衝撃を受け、動揺しながら目に涙をためて彼女を見つめる。 震える手で契約書を引き裂きながら、必死に言い返した。 「誰が離婚だ…!俺は同意しない!!」 一方、白金雅貴――財閥の権力者であり、手の届かぬ存在。 灯里は彼に関わりたくなかったが、何度も偶然のように彼と遭遇してしまう。 ある宴会で、灯里は酔いが回り、不注意にも彼のネクタイを引っ張ってしまう。 すると、白金はその場を支配するかのような冷徹な表情で彼女に近づき、耳元で低い声をささやいた。 「君の元夫が見てんだぞ。こんなことして、いいのか…?」

第1話 離婚の序章


橘川 湊斗きつかわ みなとは浮気した。


橘川 灯里きつかわ ともりは社長室の前に立ち、心の奥底から冷たいものがじわじわと広がる。


黒いハイヒールが冷たい大理石の床に音を立て、その模様と一体化しそうな気さえした。

少しの間、目を閉じて呼吸を整え、やがて手を上げてドアをノックする。


「どうぞ」と、低く響く男の声。


灯里は、無意識のうちに書類を握る指に力が入り、もう片方の手でドアを押し開けた。

顔に穏やかな微笑みを浮かべたまま、まっすぐ湊斗のそばへ歩み寄る。


「忙しいところごめん。急ぎの書類にサインをいただきたくて」


言葉をかけながら、すでに書類を彼の前へ差し出し、さりげなくサイン欄を開いておく。


湊斗はつい先日、スイスからの出張から戻ったばかりだ。

朝から仕事に没頭し、デスクには書類が山積み。

精悍な顔立ちには疲れが滲んでいる。差し出された書類をろくに見もせず、ペンを取って淡々とサインする。


「ご苦労」 


灯里はサイン済みの書類を手際よくまとめ、事務的に尋ねる。


「今夜は帰って食べる?」

「用事がある。待たなくていい」


顔も上げずにそう答える。


「わかった」


灯里は書類を抱え、すぐに背を向けて歩き出す。


彼女の表情はドアを出た瞬間、冷たい嘲笑へと変わった。


オフィス横の休憩室を通りかかると、中から微かな物音が聞こえる。

まるで小動物がベッドから飛び降りたような音。


灯里の視線がソファの方へ滑る。

テーブルにはお菓子の袋や飲みかけのミルクティーが散らかり、

床には淡いピンク色のハイヒールが片方だけ転がっていた――


すべてが一瞬で理解できた。

心は完全に冷え切る。


自分のオフィスへ戻るまでの道のりが、異様に長く感じられた。

椅子に座り込み、深く息を吐き出す。


書類の中から一枚――離婚届を取り出す。

最後のページを開き、力強い筆跡のサインを指先でなぞる。


脳裏には過去の光景がよみがえる。


プロポーズの時の真剣な眼差し。


姑である橘川陽子が「男は一人の女だけを愛せるわけがない」と冷ややかに言い放った時の自信。

そして自分が「彼は違う」と信じて疑わなかった幼さ……。


――何が違っていたのだろう。


若い女の子と浮気し、すべてを隠し通せると信じて、平然と裏切りを楽しむ。

今回の出張にも、あの女を連れて行った。


挙句の果てに、会社にまで連れてきている。


灯里は離婚届を静かに置き、そのサインをスマホで撮影し、橘川陽子に送る。


【彼、サインしました】


一週間前、条件はすでに決まっていた。

陽子は灯里に離婚を切り出すことと、婚姻中の出来事は一切口外しないことを求めた。

その代わり、灯里は百五十億円の慰謝料を手に入れる。


一ヶ月後には、湊斗は彼女の人生から完全に消えることになる。


コンコン――


ノックの音が響く。


灯里は慌てて離婚届を片付け、「どうぞ」と答える。

入ってきたのは、湊斗の秘書である田中翔だった。


「奥様、社長からお預かりものです」


田中は、緑色のベルベットの箱をデスクに置いた。


灯里は気だるげに箱を開ける。

中には高価なダイヤのジュエリーセット。


しかし、頭の中にはあの光景がよぎる。

曖昧な照明のホテルの部屋、ショートカットの若い女がバスローブ姿でダイヤのネックレスを弄び、首筋にキスマークが残っている――


吐き気が込み上げる。


「ありがとう、田中さん」

灯里は冷たいまなざしで彼を見上げる。


田中はその視線に気圧されて、思わず付け加えた。

「社長が特別に選ばれたもので、世界限定品です」


だが、彼の心は決して“限定”ではなかった。

灯里はもう、こんなものには何の価値も感じない。


灯里は口元に薄く笑みを浮かべる。

「そう……それはありがたいですね。お忙しいのに、私にまでプレゼントなんて」


その言い方に、田中は背筋が寒くなる。

もしかして、社長と戸崎さんのことを知ったのでは……。


余計な詮索を避け、慌てて部屋を出て行く。


灯里は机の上のジュエリーを汚れ物でも見るように一瞥し、

スマホで写真を撮ると、馴染みの買取専門店のオーナーに送る。


【これ売って。お金は児童養護施設の子どもたちへ】



午後五時、駐車場。

灯里は車のドアを開けようとした時、ふと斜め向かいに目が止まった。


エンジンがかかったその車の後部座席には、湊斗と彼に寄り添うショートカットの若い女性がいた。

整った顔に、はつらつとした笑顔。


「社長――!?」


田中が慌ててブレーキを踏む。

窓越しに、湊斗と灯里の視線が、ほんの一瞬だけ交差した。


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