俺はどこかの古びた店の中に立っているのに気づく。
なぜ、そこにいるのか思い出せない。
ここはどこだ?
思わず、頭を抱えた瞬間、あらゆる情報が脳を貫いたかのように駆け巡っていく。
今、息をしている中世の武器屋を思わせるその場所を確かに知っている。
そこはかつて、プレイしていたVRMMO…
――Twilight Echo Online。
もう一つの世界の自分というコンセプトの元に冒険、バトル、他ユーザーとの交流。また、生産性コンテンツの充実など、数多ある没入型ファンタジー系ジャンルの一つとして発売されたVRMMO。
その魅力の一つは物語を彩るNPCのリアルさが挙げられる。決められたセリフではなく、自らが学び、プレイヤーごとにその会話の内容を変えていく仕様はまるで生身の人間と対話しているかのような錯覚を味わう事ができる。そして、このVRMMOが一線を画したのは特殊な生体リンクにより実現した願望提供システムである。プレイヤーのゲームスタイルや行動、感情の機微などを数値化して、その本人すら気づいていない願いや埋もれた一面をゲーム内に映し出し、提供する。この願望を夢のままに終わらせずに体験できるスタイルにより、世界中で爆発的大ヒットを記録したのである。
一体どうなっている?
Twilight Echo Onlineは…。
TEOはとっくにサービスを終了したはずだ。
それに悪臭が漂ってくる店の外の景色は砂埃と壊れかけた建物と息を潜めた人の気配に満ちている。打ち捨てられたかのように倒れている人々からは血が流れ、誰も動かない。まさに終末世界が良く似合う。東洋や西洋など地球上に芽吹いた文明をモチーフにした街並みやSFチックな宇宙をイメージしたフィールドなど広大な世界が広がるTEOはどこを見渡しても幻想的で美しいグラフィックが自慢だった。だが、この場所はそのどれとも合致していない。それでも、間違いなくここがTEOの世界だと分かるのは製作者だったからだろうか。
「うっ!」
突如、フラッシュバックするかのように頭に痛みが生じた。
ここではない。現実世界で感じた恐怖、衝撃、息苦しさだ。
どこかに沈んでいく感覚。そこがどこだか分からないが視界が暗くなり、体が動かなくなる瞬間を思い出した。
そうか。じゃあ、俺の命は…。
直感的に理解したというのにどこか、他人事のようだ。
こうして、肉体の感触があるせいだろうか?
なら、これは転生というやつなのか?
いやいや。おかしいだろ。
自分が作ったゲームに転生するというのは…。
それでも、ログアウトを試みようとしてもあるはずのログボタンは見当たらない。
そして何よりも気になっているのはガラス窓に映った己の姿だ。
「なぜ、美少女なんだ?」
いや、VRMMOは性別の壁すら超えられるけどさあ…。
でも、なぜか、受け入れられない自分がいる。
しかし、叫んでも状況が変わるわけではないんだよな。
腰まで伸びた銀髪に憂いを残す真っ赤な瞳に雪のように白い肌。
そして、あどけなさが残る顔に不釣り合いな豊満な胸に我ながらギクリとした。
まるで本能かのごとく思わず、触ろうとしてみるが、寸前で止まった。
TEOは一応、全年齢向けに製作したゲームだ。
だから、製作者として成人向けVRMMO仕様のような性的接触は気がひける。
そもそも、今は俺の体なんだからその考え自体おかしな気もするが…。
だがな。生まれてこの方、20数年。いや、もう、30が見えている俺は、ずっと心も男であった。
もちろん、ゲーム内のアバターもしかり。さらに言えば、現実で恋と呼ぶものとかその先の事も未経験だった…。その事実を思い出し、今さならながら、泣けてきた。
たぶん、これは寂しい人生を送った俺への神様からの贈り物なのかもしれない。
馬鹿な事を思ってはみるが、美少女化してしまったこの状況を受け入れられるほど、頭は柔らかくない。とはいえ、装備が初期仕様な事に関しては何の感情も抱かないのであった。
――きゃあっ!
混乱冷め止まぬ中、人のざわめきを耳にして思わず、表に出れば、逃げ回る人々とかち合った。
何が起きている?
至る所から火の手があがっていた。
そして、その中心でガタイのいい男が血相を変えて逃げた店主のいない露店から装飾品をわが物で奪っている場面が目に入る。
絵にかいたような強奪行為…。
その男の前に踊り出たのは簡素の身なりのアバターだ。
「やめなさいよ」
その黒髪と緑の目の少年には見覚えがあった。
インディーズVRMMO時代のTEOの頃に俺が製作したキャラクターだ。
当初はキャラメイク画面でプレイヤー達が最初にお目見えするデフォルトアバターにするつもりだったが、結局は没にしてモブNPCとして物語に添えたのは懐かしい。
だが、それも正式サービス開始直後までの話で華がなさすぎるという理由で徐々にNPCからも消えたという経緯がある。
そのモブキャラと酷似した人物が目の前にいる。
ますます、訳が分からない。
「
――拠点混乱扇動。
VRMMO内における安全地帯である町やギルドハウスなどへのモンスター誘導、混乱スキル使用により公共秩序を意図的に破壊する行為の総称を指す言葉。
そして、モブキャラが言った通り、街中で暴れ回っているのはここにいないはずの巨大な角が生えた怪物。TEOにおけるモンスター、ルナーヴである。
「うるせえ~。お前、その成りだと初心者だろ?珍しいな。まだ、新規のプレイヤーがいたとは」
モブキャラを面白そうに見下ろし、笑う男の装備は重厚感を醸し出していた。
腰に剣を指している所を見るとおそらく
もしかしたら、ヘビー課金ユーザーかもしれない。
いや、待て。アイツ、あの既視感あるモブアバターを初心者プレイヤーって…。
なら、ここはTEOのゲームの中って事か。
じゃあ、転生じゃないのか?
もう、わけわからん!
「だが、男アバターにしちゃあ、可愛いなぁ~。どうだ。俺の男にならないか?」
「はあ?TEOでナンパ?ありえないんだけど。キモイ!おっさん、どっか行けよ!!」
なぜか、そのモブキャラの言葉に更なる既視感が募り、胸に痛みが募っていく。
どうしてだか、見知った少女に言われた気分にさせられる。
目の前にいるのは特徴皆無な青年アバターなのに!
「バカみてぇに吠えるな。お前みたいなのには分からせねえとな!」
そう言うと、剣士の男は煌びやかな大剣を抜き、彼に付き従うように寄って来たルナーヴを一刺しした。
――ギャアアッ!
すると、恐竜を思わせるルナーヴの茶色いボディは黒く滲んでいき、皮膚は剥がれ、その瞳は血走った四つの赤い模様が浮き出ていく。立派だった爪は不自然に伸び、その図体は倍近くに膨れ上がる。
正規のルナーヴではない。違法にデータ改変され、凶悪化した暴走ルナーヴ。
ルナフェイクと呼ばれる代物だ。
これは
先程よりも激しく暴れ回るルナフェイクは俺がいた武器屋の小屋を無残に怖し、隠れていた人々に襲い掛かろうとしていた。
小屋から出ていてよかった。
俺も潰されてる所だったな。
ホッと胸をなでおろす中、剣士は弄ぶようにモブアバター青年に剣を降ろし、その体に傷をつけようと追いかけまわしていた。
「やめて!」
「ほらほら、逃げろ!NPCをいたぶるのもいいが、プレイヤー狩りも格別だぜ!」
下品に笑う剣士の後ろには首輪を付けられた女性や少年達がいた。
猫耳や鱗を身にまとう彼らの装いは俺が設計したTEOに住む様々な種族を連想させてくれる。
だが、その誰も彼もに覇気はなく、表情は暗い。
彼らはNPC達だ。俺には分かる。彼らを創造し、TEOの住人として配置したのはこの俺なのだから。
悲鳴と悪行を前にして、鼓動が早くなっていく。
そうだった。TEOがサービス終了した理由を思い出して、怒りが込み上げてきた。
自由なゲームライフを目指したのが災いしたのか、はたまた願望提供システムの落とし穴か。悪質なプレイをするユーザーが後を立たなくなったのだ。ある者は盗みを、ある者は他のプレイヤーへの付きまといや嫌がらせ。さらにはNPCへの性的接触。不正アイテムの取引やデータ改ざんなど挙げたらきりがない。徹底したセキュリティをうたっていたにも関わらず、取り締まっても次が出てくる。そのうち、その行為は大きくなり、終いには運営会社が匙を投げ、サービス開始からおよそ5年目の春に終了が決まったのである。
あの時は悔しかったな。
まだ、人気が低迷して…とかの方がマシだったかもしれない。
まさか、悪質プレイヤーの横行で終了するなんて。
節度を守ってプレイしてくれている人達だって確かにいたのに。
そして、もどかしいのはどんな罪の名称が付こうが、VRMMO内で起きる悪質行為が現実で裁かれる事はない事実である。
「このっ!」
俺が現実逃避する間もモブキャラの青年はけして諦めてはいないようだった。
明らかに熟練と思われる剣士に突き出したのは初期装備で持たされている木の棒。
「おっと、俺とやり合う気か?初心者のくせによぉ~」
剣士は馬鹿にするようにモブキャラの青年が持っていた木の棒を粉々に砕き、その体を切り裂いた。
「ぐっ!」
はだけた布地から素肌が大きく晒される。
服の破れ具合が広すぎる。
あの大剣も違法武器か。
服がはだけるというのはシステム上には存在していたが、肩や腰の一部分だけだ。
「この調子で全部、晒しちゃおっかな。女アバターの全裸もそそるが、少年アバターも捨てがたいからな」
下品に笑うその剣士の背後ではルナフェイクが無害な街の住人であるNPC達を傷つけていた。
すべてが地獄だ。
平和に誰もが自分を表現できる場を作ったはずなのに。
こんな奴らに壊されたのか。頭に血が上ってすべての声がかき消されていく。
――ドンッ!
気付いたら、空高く飛び上がり、ルナフェイクを蹴り飛ばしていた。
その巨体は剣士の肩に振れ、地面に倒れ込む。鈍い音と共にその姿はデータの海に沈むように光る粒子状に変わり、空気に溶けていく。
誰も彼もが呆気にとられる中、一難驚いているのは蹴り飛ばした本人である。
何が起きた?
――“
頭の中に響く無機質な声が響き渡る。
――“悪質プレイヤーを処断しますか”
再び、同じ文言が繰り返される。
こんなシステムは作っていない。
それでも、頷く以外の選択肢を俺は知らない。
――“それではプレイヤー名をおしえてください”
俺の名前は…。
「アオシン…」
それはTEOをプレイしていた時に使っていた名前だ。
頭に血が上っている今の状況ではそれ以外思いつかなかった。
――“アオシン”……
――“承認しました”
――“
――“よいゲームライフをお楽しみください”
その言葉を最後にノイズのようにすべての音が一瞬、消えた気がした。