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第サン話

 ◆


 2025/07/27


 弘之は目覚まし時計の音で意識を取り戻した。


 午後二時。


 いつの間にか眠っていたらしい。パソコンの画面は真っ黒なスクリーンセーバーに切り替わっていた。股間にはティッシュがへばりついている。昨夜の記憶が曖昧だった。


 赤坂枝里子の動画を見た後、何本見たのか分からない。


 ただ、朝方まで画面にかじりついていたことだけは覚えている。


 立ち上がろうとして、弘之はよろめいた。


 脚に力が入らない。


(なんだこれ……)


 手すりにつかまりながら、ようやく立ち上がる。鏡に映った自分の顔を見て、弘之はぎょっとした。


 頬がこけている。


 目の下のクマは昨日より濃く、まるで殴られたような色をしていた。


 体重計に乗る。五十八キロ。先週より三キロ減っている。


(夏バテか……?)


 弘之はそう自分に言い聞かせた。確かに最近、食欲がない。コンビニ弁当も半分残すことが多くなった。


 シャワーを浴びる。


 お湯が肌に当たると、チクチクと痛い。皮膚が薄くなったような、そんな感覚。


 配達の仕事に出なければならない。そう頭では分かっているが、体が言うことを聞かない。結局、その日は「体調不良」とアプリに登録して、仕事を休んだ。


 夕方になって、ようやく体が動くようになった。


 弘之は這うようにしてパソコンの前に座る。


 あのサイトを開く。


 新しいラインナップ。新しい女たち。


 昨日見た赤坂枝里子の動画を探そうとしたが、もう見つからない。検索しても、別の動画がヒットするだけだった。


(一期一会、か……)


 弘之は別の動画をクリックした。今度は若い女性が一人でカメラに向かって話している動画だった。


「見てる? ねえ、見てる?」


 女性が画面越しに問いかける。


 弘之はドキリとした。まるで自分に話しかけているようだ。


「あなた、疲れてるでしょ? 最近」


 女性が微笑む。その笑顔が、なぜか不気味に見えた。


「大丈夫。みんなそうなるから。最初は」


 意味が分からない。


 弘之は動画を閉じようとしたが、指が動かない。


「もっと見たいでしょ? もっと、もっと」


 女性の声が耳にこびりつく。


 弘之は別の動画をクリックした。また別の。さらに別の。


 気がつけば、また朝になっていた。


 ・

 ・

 ・


 721:名無しの紳士さん

 なあ、最近調子どう? 

 俺、めちゃくちゃ疲れやすくなったんだが


 722:名無しの紳士さん

 >>721

 分かる。俺も夏バテかと思ったけど、なんか違う気がする

 食欲もないし、体重も減った


 723:名無しの紳士さん

 >>722

 それな。あと、肌が変じゃね? 

 なんか薄くなったっていうか


 724:名無しの紳士さん

 お前ら、あのサイト以外最近何か見てる? 


 725:名無しの紳士さん

 >>724

 見てない。つーか見る気しない

 他のサイトがゴミに見える


 726:名無しの紳士さん

 >>724

 俺も。気がついたらあそこばっかり

 仕事も休みがちになった


 727:名無しの紳士さん

 やばくね? それ


 728:名無しの紳士さん

 >>727

 何がやばいんだよ

 最高のサイト見つけて夢中になってるだけだろ


 729:名無しの紳士さん

 でもさ、考えてみれば変だよな

 あんな大量の無修正動画、誰が管理してるんだ? 


 730:名無しの紳士さん

 >>729

 まあ海外にサーバーはあるんだろうけど……


 731:名無しの紳士さん

 なんか、夢に出てくるんだよな

 サイトの女たちが


 732:名無しの紳士さん

 >>731

 俺も。起きてても寝てても、頭から離れない


 733:名無しの紳士さん

 ところでさ、最初にURL貼った奴最近見ないよな


 734:名無しの紳士さん

 >>733

 確かに。347だっけ? 

 もう二週間くらい書き込みないな


 ・

 ・

 ・


 ◆


 2025/08/03


 弘之の部屋は異臭で満ちていた。


 ゴミ袋が部屋の隅に積み上げられ、食べかけの弁当が机の上で腐敗している。


 窓は締め切られ、カーテンも開けられない。


 弘之はもう何日も外に出ていなかった。


 配達の仕事は完全に放棄した。貯金を切り崩しながら、ただパソコンの前に座り続ける日々。


 体重は五十キロを切った。


 鏡を見るのが怖い。


 たまに見ると、そこには別人がいる。眼窩が落ちくぼみ、頬骨が浮き出た顔。皮膚は黄ばみ、髪は抜け落ちている。


 それでも、弘之はサイトから離れられなかった。


 動画の女たちが、彼を呼んでいる。


 画面の向こうから手招きしている。


「こっちへおいで」


「一緒になろう」


「もうすぐだよ」


 幻聴なのか、動画の音声なのか、もう区別がつかない。


 弘之の指が震えながらマウスを動かす。


 新しい動画。また新しい動画。


 無限に湧き出る欲望の泉。


 ある時、弘之は気づいた。


 最近クリックする動画の女性たちが、みんな同じような表情をしている。


 虚ろな目。


 生気のない肌。


 まるで──


(死んでる?)


 その考えを振り払う。


 そんなはずはない。動いているじゃないか。喘いでいるじゃないか。


 でもその動きはどこか不自然で、まるで糸で操られた人形のようにも見える。


 弘之は目を擦った。


 疲れているだけだ──そう自分に言い聞かせる。


 画面を見つめる。


 嗚呼、女が微笑んでいる。



 2025/08/10


【社会】アパートで男性死亡 発見まで1週間か 東京・荒川区


 10日午前11時ごろ、東京都荒川区のアパートで、この部屋に住む無職の男性(32)が死亡しているのを、異臭の通報を受けた管理人が発見した。 警視庁荒川署によると、男性は部屋でパソコンの前に座った状態で発見された。死後1週間程度経過しているとみられる。男性は極度に痩せており、体重は40キロ台前半だったという。 室内には大量のゴミが放置されており、パソコンは電源が入ったままだった。画面には成人向けとみられるウェブサイトが表示されていたという。 近隣住民によると、男性は配達員として働いていたが、最近は姿を見かけなくなっていた。「げっそり痩せて、まるで別人のようだった」と話す住民もいた。 警視庁は、男性が栄養失調により衰弱死した可能性が高いとみて調べている。


 今年に入り、都内では同様の状況で発見される単身者の死亡例が増加している。いずれも20~40代の男性で、極度の体重減少が確認されているという。警視庁は関連を調べている。

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