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ルームメイトは貴族様 ─俺たちは雷で結ばれた─
ルームメイトは貴族様 ─俺たちは雷で結ばれた─
宇津木 しろ
BL現代BL
2025年07月30日
公開日
6.8万字
連載中
プライド高い英国貴族×毒舌留学生、恋の火花は雷から! すれ違いと、ときめきと、少しの紅茶と。 これは、英国で芽吹くふたりの“恋愛未満”の物語。

第1章

第1話 君のすべてが、気に入らない

 雷が落ちた瞬間、人生も軌道を外れた。


「大好きだ、アルジャーノン」


 ずぶ濡れの制服。肩に打ちつける雨。

 息がかかる距離で、黙って抱きしめていた。


 頬に触れる髪が冷たくて、それでも温かかった。


 ──それから、物語は遡る。

 すべての始まりだった、あの朝へ。



 ロンドンの街に、冷たい雨が降っていた。


「……最悪。なんで今日なんだよ」


 日渡章吾は、泥の跳ねた革靴にうんざりしながら、キャリーバッグを引く。

 目の前には──石造りの校舎、Elargrave College(エラグレイヴ・カレッジ)。


 完璧に刈り込まれた芝生に、どこか博物館めいた静けさが漂っていた。


(……こたつとみかんの方が、百万倍ありがたい)


 しかし、父は言った。


「一流のリーダーには、一流の学び舎を」


 こうして章吾は、この全寮制の男子校に、放り込まれたのだった。

 額をぬぐいながら、章吾は深く溜息をつく。


「……日本帰りてぇ」


 その瞬間だった。

 空が、雷鳴で裂けた。


 思わず顔を上げた、その先に──ひとりの少年が、中庭に立っていた。


 金色の髪。濡れたような青い瞳。

 何もかもが現実離れしているのに、視線だけが真っ直ぐだった。


 章吾は、言葉を失っていた。

 彼の唇が、確かに動いた。


「……君は、誰だ」


 声は聞こえない。それでも、わかる気がした。

 章吾は、ふいと視線を逸らし、キャリーバッグの取っ手を握り直す。胸の鼓動がおさまらない。


──たった一度、目が合っただけなのに。

 その一瞬が、目に焼き付いて離れなかった。



 雷は、いつの間にか遠ざかっていた。悪天候にもかかわらず、講堂の中は不自然なほど静かだった。


(……なんだったんだ、あれ)


 泥。雨。雷光。

 金色の髪。青い瞳。

 ──そして、あの視線。


 ほんの数秒の出来事なのに、頭の奥で、何度も繰り返している。


 ふう、と浅く息を吐いて、章吾は椅子に腰を下ろした。

 正面には重厚なパイプオルガン。ステンドグラス越しの雨空が、鈍く滲んで見える。


 壇上では、式典が粛々と進んでいた。

 校長、卒業生代表、理事──よく通る声が、雨音の記憶を上書きしていく。


 ……そして。


 次に舞台に現れたのは──あの、雷のなかの少年だった。


 燕尾服に身を包み、静かに立つ。一切の無駄がない、完璧な所作。照明に浮かぶ姿は、まるで絵画のようだった。


「在校生代表、アルジャーノン・フォーセット=レイヴンズデイル」


(……名前、長っ)


 章吾は思わず眉をひそめた。


 アルジャーノンは、壇上から視線を滑らせるように客席を見渡した。その動きは淀みなく、美しく、冷たかった。


 目が合った──ような気がした。

 その一瞬、章吾の背筋に、微かな緊張が走った。


 続いて、式次第は「新入生成績発表」に移っていく。壇上に立った校長が、名を告げた。


「Top of the class──Shogo Hiwatari」

(首席──日渡 章吾)


 講堂に、ざわめきが広がった。


 すぐに気づく。多くの視線が、自分に向いていることに。


「無名のアジア人が首席?」

 目は何も言わないけれど、空気は語っている。


(……ふぅん)


 章吾は無表情のまま、ゆっくりと立ち上がる。そして、壇上を見た。


 あの金髪の少年が、いた。


 それから、目が合った。彼の眉が、ほんのわずかに跳ねる。


──敵意。


(……なるほど)


 章吾は、鼻で笑った。そして、口の端を少しだけ吊り上げる。


 ざわめきも視線も、敵意も。そのすべてが、なぜか心地よかった。


(最悪な始まりも──悪くない。ちょっと、面白い)



 寄宿舎の扉を開けるなり、陽気な声が飛んできた。


「チャドリー・モンゴメリー! みんなチャドって呼んでる! よろしくな!」


 言うが早いか、がっしりと肩を抱かれる。


「ようこそ俺のテリトリーへ! ……ってのは冗談だけどさ、まずはハウスルールな!」


 章吾は思わず半歩引いた。けれど、目の前の少年の明るさは、思っていたより悪くなかった。


 手渡されたのは、一枚の紙。手書きで書かれた「ゆるすぎるルール」が並んでいた。


「カップラーメンは奪い合い禁止」

「夜中に叫ぶのは週2まで」

 ──ツッコミどころしかない。


(……ま、ちょっとくらいなら。ここで、やってみてもいいかも)


 そう思いながら、個室の扉に手をかけた──その瞬間だった。


 雷が、落ちた。


「……は?」


 破裂音と同時に、空気が弾け飛ぶ。机の上のノートは宙を舞い、コンセントからは火花が散った。


 天井からは、信じがたいほどの雨水。バケツをひっくり返したような音とともに、部屋が水浸しになる。


 完全に、災害区域。


 そこへ、タオル片手にチャドが飛び込んできた。


「おいおいマジかよ! お前、呪われてんのか!?」


 章吾は、ぽたぽたと雫を垂らす髪をかき上げながら、小さく笑った。


「……笑うしかねぇだろ」



 その夜。


 廊下に響く革靴の音とともに、章吾はハウスマスターに呼び出された。


「Hiwatari。君の部屋は当分使えん。よって──」


 重厚な扉の前で、淡々とそう告げられる。扉が開いた先に、立っていたのは──


 燕尾服。金色の髪。

 そして、突き刺すような視線。


 アルジャーノン・フォーセット=レイヴンズデイル。


「……気の毒だが、私の部屋はリゾートホテルではない。首席でも、間違うことがあるのだな」


 完璧な仮面の奥に、確かな敵意がにじんでいる。   

 章吾は肩をすくめ、ふっと笑った。


「光栄だな、ルームメイト。俺から『学ぶ』いいチャンスだ」


 その瞬間、アルジャーノンの眉が、ぴくりと動いた。


「……最悪だ」

「どういたしまして」


 窓の外、再び雷鳴が空を引き裂く。ぶつかる視線。剥き出しのプライド。

 稲光が、ふたりの間に一本の裂け目を走らせる。


 しかし、章吾の胸は思いがけず高鳴っていた。

(……こいつとの喧嘩、楽しいかも)


 嵐よりも危うく、どこまでも惹かれ合う、ふたりのルームシェアが──静かに幕を開けた。

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