夜が明ける。
それは、開けっ放しの冷蔵庫が永遠にぬるくなることを許さないほどの外冷気と、ドカ雪で生活道路を一夜にして道民を困らせる冬の大将軍さえも恐れ慄くほどの冷気が、まるで俺の足元をすみやかに通り抜けるような静けさであった。その静けさに「ああ」とため息を吐いて納得するような夜明けだった。美しい。思わず、そう思ってしまった。
気を抜くとあっという間に見間違えてしまいそうだが、ここは令和の札幌の繁華街〝すすきの〟だ。小さな女の子と無愛想で無機質な宇宙船が目の前に見えるが、〝すすきの〟という北海道札幌市の繁華街で間違いない。
地平線が橙に染まり始めている。ゆーふぉーが鎮座している目の前の光景はとても異様なはずなのに、どうしても神秘的に見えてしまう。ありきたりな表現だが、エスエフ的に美しい光景であった。
早朝の〝すすきの〟に人がいない光景というのは新型コロナウイルスでさえ作ることができなかった光景だ。人類が滅亡してもこの街から人間がいなくなることはないのではないか、と思うほどの街である。だからこの景色は驚天動地だな。
音はなく、人はなく、太陽の光がキラキラと僅かな隙間から拡がり始めが存在している。つまり俺と彼女しかこの街にはいない。人間のいない人間の街で、宇宙人とふたりきり。
「えーさん、えーさん」
幼い、この場に不釣り合いな幼い声がする。俺は一息吐いて、銃を構える。
どの方角に向けて車を走らせても日帰り出来ない距離に都市が点在し、文字通り遥か彼方まで広がる北海道。こんなにも広いというのに、〝すすきの〟などと言う狭いエリアになぜ毎晩人が押し寄せるのだろうか……といつも思うが、開拓始まりの起点になった歴史を教科書で学習している高校生見ると、そういう存在だったなと思いなおす。目を閉じて、人がいた景色を思い出す。思い出して、拳銃を構える。
「えーさん。お別れを頂戴。私を撃って」
「色内(いろな)。だから、俺の名前は恵山(えやま)だと言ってるだろ。恵山(えさん)は函館の百名山だと何度言わせる」
「あのね、撃つ前は希望、撃った後は絶望が見えるんだって。これは漫画の言葉なんだけどね。だから、えーさんは希望より絶望を選ぶないで。絶望なんてさせない。この街は、えーさんは私が守る」
「黙れ宇宙人。お前は本当は、色内なんかじゃない。いや、最初から俺が勘違いしていたんだ。お前のことを誤った認識で見下していた。そうだ。俺は見下していた。最初に見つけた時から無意識に偏見が作動していた。お前はこの土地の、この街の人間ではないと俺は見下していた。色内。この一発で手に入るのは希望でも絶望でもない。お前の言う通り、お別れだ。だから、だから。だから俺は、お前とお別れになるのが嫌だ」
言っている事が滅茶苦茶だ。何がいいたいんだ、俺は。
「えーさん。私はこの街の人間じゃないってことも漫画で読んだからちゃんと分かったよ。この街の歴史も、今を生きる人たちも。希望と絶望。真実の裏が嘘ではないように、表の裏が裏ではなくただの空虚だと認めるしかない。ええと、これも漫画の言葉だよ」
「何を言ってるんだ、お前。気でも狂ったか」
「ううん。ほら、撃ってえーさん。私はこの土地の人じゃないけど、この街の人間じゃないけど、よそ者で、この街のことを何も知らないけど、でも守るよ。本当はこんなに長居するつもりはなかったんだけど、つい楽しくて残業しちゃった。〝残業〟は、えーさんが良く言っていた言葉だね。……ほら、私にお別れを頂戴。早くしないと太陽が昇っちゃう。ゆーふぉーが出発しちゃう。えーさん。泣いてないで、目を開けて。しっかり見て。そんなんじゃ当たらないよ?」
泣いている。いい大人なのに、泣いている。歯を食いしばって、大粒の涙をボロボロと情けなくこぼして泣いている。彼女の虹色に光る目は優しく、虹色の涙は流れていないというのに。泣いているのは俺だけだと言うのに。
俺は腕で一度涙を拭き取り、構える。また溢れる涙で視界が揺れたが、構わずに構えた。
「さよなら。ありがとな、色内」
太陽が出てくる前に、俺は彼女に別れを告げた。
※
最初に色内を見つけて拾った時、彼女には名前がなかった。働き先での呼び名はあったが、名前は無いと言った。だから思いつきで適当に『色内』と名前を付けた。深い意味はない。
彼女を見つけたのは午前四時頃だったと思う。朝刊の最終版が午前一時だったから、仕事が終わったのは一時過ぎぐらいだ。釧路とか稚内とかの早版の時点でその日の俺の仕事は終わっていたのだが、なんだかんだ居残り残業手伝いで最終14版までやった。今日も日付を越えてしまった。明日……というより今日も早朝から取材やら何やら、ああ、原稿も残っているな。何れにしてもすぐに帰って寝たかった。しかし世の中には付き合いという悪習がある。ずるずると時間だけを浪費し、結局俺が世の中から解放されたのが午前四時頃。お開きになり、電子決済アプリで幹事に送金してお会計。店を出る時、最後に寝たのは何時だったろうかと、ふと考えた。確か昼休みに取った仮眠が最後か……と思うと頭を抱えた。俺はすぐに死ぬタイプの人間だな。
彼女を見つけたのはその帰り道だ。薄暗い路地でコンクリートの建物を背に頭を上げて座り込んでいる。何を見ているんだろうか。どこを見ているんだろうか。
彼女は見るからに風俗の店で働く少女の様であった。見るからにと言うより見れば分かる。この街では、使い果たされた少女が店の外で休息している光景をよく目にする。この街に風俗嬢はとても多い。ラウンドワンの向かいには当たり前のようにそっち系のデカイ広告がある。普段の俺であれば
あの女の子、目が虹色に光っている。
よく見るまでもなくあれは異様だ。なんだあれは。ロボットか? 最新エーアイか? あの光は見るからに異様、特異だ。見れば分かる。何かある。直感した。カラコンじゃあの光は出せない。光っている。それも虹色だ。目が虹色に光っている。瞬時の判断とはいえ、不思議な少女との邂逅に新聞記者の勘が叫びだす! 恵山特派員の腕が試される時が今まさにこの時! 記者にオンもオフも無い! 些細な現象、見るに堪えない人間の醜態、リラ冷えのリラとはライラックであること、遊郭も風俗街もその名称も外側の人間から見た俗称でしか無く時代遅れであること、全てを拾ってネタとし文章を書いて原稿を仕上げ締め切り前に編集長に叩きつける。時代を先取りし続け無ければ若者に「おじさん、そんなことも知らないの?おっくれてるー!」と言われてしまう令和の世の中だ。俺は記者だ。時代の先を追いかけるのだ。俺こそが時代、時代こそが俺の原稿。締め切りばかりが俺を追いかけてくる日常。何かを追い求めなければ追いつかれる。流行りのカラコンは何色だ!
「おい、大丈夫か。何しているんだよ、そんなところで」
声をかけられた女の子は俺を見上げる。
「もう仕事は終わってるんじゃないのか。仕事が終わりなら、そんな路地で休まずに家に帰ればいいんじゃないか。家に帰って寝れば良い。酔っぱらいじゃないんだから」
「家は、無いです」
「そうか。火事で燃えたとか?」
「そうです」
適当に言ったのに、まさか的中とは。人を見抜く才能があるのかもしれない。占い師に転職すれば案外大儲け出来るかもしれない。
「じゃあ、ほら、名刺」
「めーし?」
「お前は面白そうだ。色々と話を聞きたい。だが、住居とか生活の面倒を見るつもりはない。面倒な事に巻き込まれるのは嫌だからな。まあ、飯ぐらいなら奢ろう。取材費と言えば経費で落ちるかもしれない」
「えーさん?」
「いや、恵山(えやま)だ。俺の名前は『えさん』ではない。それは函館の百名山だ。……それよりお前、その発音ってことはチャイナか?」
「台灣」
「ああ、そっちか」
腹が空いた音が鳴る。「仕方ないな」と、俺はスマホをズボンのポケットから取り出し電子決済アプリを開いて残高を確認した。
「名前は?」
「無い」
「ない?」
「仕事の名前しか、無い」
「ほんとに?台湾の名前とかは?」
「無い」
「じゃあ、店だとなんて呼ばれているんだ」
「……」
「ああ、わかったよ。答えたくないなら良い。でも、名前がないのは不便だ」
「付けて!」
「名前を?俺が?」
「くー!」
「仕方ないな……。何でも良いか?」
「(こくこく)」
「面倒だな。でもまあ、一時的だしどうせ仮名にするから良いか。じゃあ、そうだな……色内(いろな)。とりあえず、お前の名前は色内でどうだ」
「いろな?」
目の虹色、色から連想してイロナ。思いつき。適当だ。
「嫌なら違う名前を使え。それよりどうする。飯行くか?」
「くー!」
これが色内とのファーストコンタクトである。
※
「多謝!多謝!だーしぇ!」
「ありがとう……って意味か。中国とは若干違うのな」
正式には、日本は台湾を国として認めていない。国交はない。中国を国として認めて国交を結んでいるからだ。複雑な世界情勢が未だ現代に取り残されている。日本人は台湾が好きで良く旅行に行くし、台湾の人達も日本に良く旅行に来る。親日の人が多い印象を持つ日本人は多いだろう。親日。これが日本人の気を良くして仲良くしているのかもしれない。親日という言葉自体、俺は日本が上から他国を見下しているように聞こえるが果たして。愛国、保守。悪いことではないが、これが過激になると日本から外国人は出ていけ! となってしまう。攘夷。幕末かよ。それこそ時代遅れだ。
「よく食うな、お前。さっきからザンギとポテトのセットばかり注文しているし」
「ざんぎ?」
24時間営業のファミレスを見つけたので、そこに入った。俺はコーヒーで済ませるつもり。
「ザンギも知らないのか?この街で働いてるなら聞いたことはあるだろ。ええと……ほら。贊吉、であってるか?なんか違うな。炸雞。これで良いのか?ネットの翻訳だからな。なあ、お前日本語出来ないの。よく働けるな」
「できるよ。何となくだけど」
なんだ、こっちの発音できるじゃん。敢えて分からないふりをするのがお前の処世術か? いや、たどたどしい日本語を好む客もいるか。そういう店かもしれない。後で調べよう。
「これはなに?」
「いや、ポテトだろ」
「何ていうお芋?」
「ああ、そういう。確かこの店は『きたあかり』を使っていたな。北海道の品種。地産地消だ」
「ふーん。物知りだね、えーさん」
「またそれかよ。まあ、名前なんて何でも良いか。ネタ聞いたらそれで終わりだからな」
「ネタ?」
「ああ。新聞の記事にするネタ。どうせなら今聞いて終わらせる方が都合が良い。色々話してくれ。運悪く編集長に没にされたら載らないけど、お前は面白そうだから大丈夫だろ。万が一ボツになっても雑誌に流しす。無駄にはしないさ。出版不況だからお互い様なんだよ」
「ふーん」
人に事情はある。俺にもある。たぶんコイツにもある。お互い様だ。
「まず最初に、……お前、宇宙人なのか?」
「宇宙人って?」
宇宙人? 宇宙人って、確かに。俺はどうして色内の事を宇宙人だと思ったんだ? どうしてそんな言葉が最初に口から出たんだ? 日本人ではないかもしれないが、宇宙人って。
「そうだな。真面目に答えると、地球以外の宇宙にある惑星とか星とかそれに類似する何かから地球にやって来た人間姿に近い生物または全く別の未知なる生物、ってところか」
「うーん、わかんない!」
「質問を変える。その目はどうした。なぜそんな風に虹色に光っている。ハーフとか?」
「うーん、わかんない!」
返答が全く同じだ。小説でよくある手法だな。
「生まれつきか?成長してからか?」
「ええと、最初から」
うーん。やはり宇宙人か?
「あっ、でも不思議なことはできるよ!」
「マジ?そうそう、そういうのが良い。それはどんな事だ」
「いろんなモノを呼び出せるの」
「呼び出す?」
「見てて」
色内は嬉しそうに言うと、両手を机の上に置いた。それから何やら呪文を唱え始めた。何と言っているかは全く分からなかったが、その〝不思議な事〟がどんなことであるかは理解できた。
彼女の両手の空間に小さな光が見えたと思ったら、そこにジャガイモがゴロンと現れたのだ。
「手品……じゃないよな?」
「きたあかり、ってこれで合ってる?」
「いや、農家じゃないから見た目だけでは分からんが……何もないところからモノを生み出せるのか?」
「ううん。これはね、呼び出してるの。だからきっと、このお芋さんはどこかの畑で育った畑のお芋さんだよ」
俺はその言葉を理解するのに時間を要した。言っていることが分からないのではない。言っていることが本当かどうか、信じても良いのかどうかを迷っているのだ。無理もない。種も仕掛けもある手品だ、とでも思い込まなければこれは人類の歴史そのものを覆す超能力という事になる。いやいや、冷静になれ。やはり俺は色内を宇宙人だと決めつけているから超能力という単語がすぐ頭の中に出てきたのだ。もっと冷静に。
「呼び出すっていうなら、そうだな……じゃあさ、今度は俺のボイスレコーダーを呼び出せるか?」
「ボイスレコーダー?」
「ほら、コレだよ」
俺は自分のボイスレコーダーを色内に見せる。色内の言っている事が嘘ではなく、モノを呼び出せる超能力を本当に使えるのであれば、俺のボイスレコーダーを手で触れることなく色内の手の内に呼び出せるはずだ。俺のボイスレコーダーには北海道日本ハムファイターズのロゴステッカーが貼ってある。俺のボイスレコーダーでは無い別のボイスレコーダーを呼び出した場合、つまりその能力が仮に現実だとしてもランダム性があって自分の意志でコントロールできるものではない事になる。または、本当に無から生み出しているかのどちらかだ。
また、こう考えることも出来る。これは色内自身の超能力ではなく、何か別のものによる副産物ではないかという仮説だ。たとえば、月の石を隠し持っていてその〝チカラ〟による超能力とか。目の前の事象を安易に否定するような俺ではないが、安易に信じる俺でもない。記者なら常に疑惑の目で疑い続けなければいけない。疑え、疑え。自分の思考すら疑え。冷静に疑え。信じてもいいが、信用はするな。慌てるな。冷静に。
「分かった。えーさんのカバンの中の、ええと、ボイスレコーダー?を呼び出せば良いんだね。やって見る」
色内はまた、占い師が水晶で占うような手の形で両手を机に置き呪文を唱え始めた。小さな光りが見えた瞬間、芋と同じように手の内にモノが転がった。
ボイスレコーダーだ。
俺は慌ててそれを手に取り、裏返す。ステッカーが貼ってある。このかすれ具合。まさか。俺は慌てて自分のカバンの中を漁る。無い。どれだけ探しても俺のボイスレコーダーが無い。……本当に呼び出したというのか。色内は本当に宇宙人なのか。いや、俺は見間違えたのかもしれない。違うモノで試してみよう。
俺はそれから「俺の手のひらにあるボールペン」「店内にいる店員さんの髪留め」「札幌時計台限定販売『とっけ』のぬいぐるみ」「サッポロブラックラーメン一人前」を注文……呼び出せるかの実験を行った。結果は、全て完璧に成功だった。札幌ブラックは美味しく食べた。今度ラーメン屋に謝りに行かないといけない。
「分かったよ、色内。お前の超能力が凄いのはよく分かった。とても面白い。実に面白い。さっぱり分からない。まさに読者の気を引きそうな良いネタだが、これは新聞には書けない。雑誌向けだな。ムー行きが良いところか。でも、色内は面白い。近くにいれば他にも面白い事があるかもしれない。よし、方針を変えよう。寝るところがないんだったな」
「うん」
「じゃあ、紹介してやるよ」
「えっ!えーさんの家に泊めてくれるの!」
「招待じゃない。紹介だ。俺の住んでいるボロアパートの隣りの部屋は今誰も住んでいない。大家に頼めば何とかしてくるだろ。金持ってるか?」
「たんまりと!」
「本当か?」
「呼び出す?」
「見せてみろ」
色内は水晶の手を作り、呪文を唱え、そしてどんどんお金が出てきた。サツタババサバサ。
「ま、待て待て。分かったから。早くそれしまえ。そんなの他の人に見られたら良くない。早く。消せないのか」
「うん。呼び出すだけ」
「と言うか、どっから呼び出したそんな大金……まさか、銀行か?」
「うん」
「お前、バカ。銀行強盗じゃないか。リモート銀行強盗なんて聞いたこと無いぞ」
「ううん、違うよえーさん。これは私の口座のお金。お金は持ってるの。たんまりと。お仕事したら、なんか色々な人から貰って」
「……お前やっぱりヤバい仕事してるだろ」
「そう思う?」
「ああ」
「それじゃあ、こんな色内じゃあ、えーさんの家に招待してくれない?」
「だから、招待はしない。紹介だ。未成年に手出すかよ。そんなことしたらあっという間に業界から干されるのは目に見えている。この前、どっかのイラストレーターが干されていたろ。やだね、俺は。それに幼い華奢な体に興味は無い。俺はデカ乳のグラビアアイドルの方が良い」
「下品」
「ほっとけ。建前だよ。お前みたいなガキに本当のこと言うかよ」
「そうですか」
「へー。そういう態度というか、反応もできるんだな」
「大人に全部言うかよ!」
俺のマネだろうか。やれやれ、子供だな。
「そうかよ。ほら、残りを食べろ。帰るぞ。俺もあまり寝てないんだ。残さず食べろよ」
「くー!」
ったく。
どこまでが本当で、どこまでが嘘のなのか分かりゃしねぇ。記者失格だな。
※
結局色内は俺の部屋に毎日隣からやってきて遊ぶようになった。部屋にひとりでいるのはつまらないという。仕事は行かないのかと聞いたら、あんなところはもう辞めたと言った。金はたんまりあるから、と。それもいいだろう。
俺は原稿の締め切りに追われ、ほとんど相手をしなかったがそれでも良いようであった。与えた古い漫画を熱心に読んでいたのでそれで良いようであった。誰かが傍にいて欲しいという子供のような願いを星に時々祈っているような純粋な心。そんな心が色内にはあるように感じた。色内が人間なら、な。
風呂と寝るのは隣の部屋で強制させたが、飯は一緒に食った。俺はずっとひとりでテレビやネットニュースを観ながら食う暮らしだったので、誰かと毎日食べるというのは不思議な感覚だった。何日も同じように過ごしていると、こんな生活も良いかもしれないと思った。歳のせいだろうか。俺が宇宙人ではなく、人間だから情を持つのだろうか。たとえ相手が宇宙人だとしても。
色内はこの国でどう生きてきたのだろうか。どんな生活をしていたのだろうか。前の国では幸せだったのだろうか。台灣での暮らしは長かったのか。この街は好きだろうか。ラーメンサラダをずるずると食べる色内の姿を見て、ついそんな事を考えてしまう。
なんとなく親しみを覚え始めてきたある日。あの衝撃的な事件が起きた。そのニュース速報に、俺はちゃぶ台に手をついて立ち上がった。
〉ここで臨時ニュースです。先ほど東京都内中心部に七発のミサイルが上空から撃ち込まれたとの情報が入って来ました。ご覧ください。この通り爆撃された都心が見えます。大きく黒煙が立ち昇り、炎上しています。これは新宿の辺りでしょうか。怪我人、被害の状況は不明です。間もなく総理官邸で記者会見が行われるものと思われますが、政府関連施設も被害を受けている可能性がありその被害も未だ不明です。このテレビ局に被害はありません。速報を繰り返します。先ほど東京都内中心部に七発のミサイルが撃ち込まれたとの情報が飛び込んで来ました。各地の自衛隊が緊急出動したとの情報もありますが、確かな事は何も分かっていません。……ここで、新情報です。お伝えします。首相含め各大臣の安否の確認が取れていないとの情報、永田町は壊滅だという情報です。……映像が変わりました。辺り一面火の海、黒煙に包まれています。こちらの映像は都内の駅、列車でしょうか。大破し炎上しているのがわかります。とても現実とは思えません。繰り返しお伝えします。東京都内中心部にミサイル攻撃が行われました。被害全容、どこの国から攻撃されたのかも判明しておりません。被害は拡大しています。さらなる攻撃があるかもしれません。今すぐ逃げて下さい。避難して下さい。繰り返しますーー。
北海道は無傷だったが、全域に避難指示が出た。俺達記者は連絡がついた奴から即駆り出され、必死に情報を集めた。報道、編集部はしっちゃかめっちゃかだった。外国からの攻撃ならば戦争だ。空路は見合わせて全便欠航。陸路も混乱でとんでもない事になっている。通信機器、電波も不安定だ。
我が本社も人員不足に。何人か居残を命じられ、俺も外出禁止。日頃の成績がこういう時に現れる。俺はもう少し世の中に迎合して売れる記事を、これからは書こうと思った。
東京の惨状を居残りテレビで眺めていると、ふと色内が心配になり残していた部屋から連れ出して編集部に連れ込んだ。「この女の子の東京にいる親兄弟がミサイルで死んだみたいだ。話を聞きたい」と上司に言ったら入室の許可が出た。上司は色内に対して「この度は……」みたいなことを言っている。世の中ちょろいな。
「色内、噂があるんだ。あのミサイルさ、宇宙空間からの攻撃だって言う噂があって。まさかとは思うが、しかし戦時下における滅茶苦茶なデマも全部が全部、全くの嘘だと否定はできない。記者は嘘だと決めつけるのではなく、疑って見極める人間だからな。しかし、噂が本当かどうか実際に宇宙に行って確かめることなんてできない。新聞記者だからハッキングとかスパイ作戦とかもできない。だから参考までに聞くんだけど、お前はどっかの軍事基地からミサイルを呼び出して宇宙から東京に向けて発射……みたいなことは出来るか?」
「うん。出来るよ、えーさん」
「そうか。じゃあ、お前が犯人の可能性が残っちゃったな」
「えーさん。あのね、あのね」
「色内。こっちから聞いといて悪いが、余計なことを言うな」
「あのね、えーさん。アレは私が……色内たち«宇宙人»がやったんだよ。えーさんが教えてくれた言葉で言うとね、宇宙人ってことに……」
「言うな」
「あのね、あのね、えーさん」
「言うな!!」
色内は俺の大きな声に驚いていた。言葉に詰まり、それから困ったような表情になって続きを言うのを辞めた。少し首を傾けて、微笑みながらその続きを言った。
「えーさん。あのミサイルは合図なんだよ。色内はもう行かないといけない。色内はあの数をちゃんと数えたよ。七本だった。この時間軸、この世界線が正解だった。もうお別れだね。期限は今夜。えーさんが私の正解だったんだ。やっと、見つけたんだ。私にとっては長い繰り返しの十年間だったけど、えーさんとは本当に短い時間だったけど、最後がえーさんで良かった。ええと、なまらどうもありがとうございました」
それだけ言うと、何かを誤魔化すようにぎこちなく可愛らしく微笑んだ。俺を心配させない様に微笑んだ。質問タイムに入った俺の声はもうチカラが無い。
「台灣に帰るのか」
〉ううん、違う。空に。色内の空に帰る。
「そうか」
〉色内の敵はもうそこに来ている。戦わないと。守らないと。飛ばないと。空は、宇宙は色内を待ってる。仲間が待ってる。
「そうか」
〉お見送りに来てくれる?
「ああ。いいよ」
〉ありがとう、えーさん。じゃあ、お礼にプレゼントあげるから使ってね。
そう言って俺の手の中に〝呼び出した〟モノ。それが七連射式ピストルだった。俺はすぐにこの意味を理解した。はっとして、握りしめて顔を上げた。もうそこには誰もいなかった。
※
俺はピストルの代わりに消えた色内を一日中探し回った。混乱する街を掻き分けて。痕跡を辿って。そして夜が消える前に、夜と朝の境で見つけた。まだ夜は明けていない。間に合った。
人のいない〝すすきの交差点〟。その真ん中に色内がぽつんと居て、後ろに色内の戦闘機、UFOが落ちている。〝ゆーふぉー〟の前に手を前で組んで小さく首を傾けて『えへへ』と笑う女の子が俺を待っていた。俺には、その小さな女の子の姿がどう頑張っても宇宙人には見えなかった。
〝ゆーふぉー〟は羽根のない人工衛星という言葉が似合う姿だった。戦いには不向きに見える。だからこそあの超能力が必要なのかもしれないが、そんな事は俺の知るところでは無い。
そう、何も知りたく無かった。色内がミサイルの犯人であろうと、色内の敵がミサイルの犯人であろうとどうでも良かった。そんな事は知りたく無かった。俺は色内が好きだった。娘のような、家族のような、この芽生えた情を俺は消すことができない。僅かな期間と言えど、家族のように過ごしたのは俺の思い過ごしだと思いたくなかった。たとえ、色内が宇宙人だったとしても。人間でなくても。人間の女の子でも。
ここでようやく、話は冒頭に戻る。
涙があふれて、あふれて、仕方なかった。何粒も頬に流れるのを感じた。あまりにも短い時間だったし、その特異な瞳に魅入られただけだったのに。ネタにするだけだったのに。
俺は殺してやる、黙れ宇宙人、最初に会ったときから職業や外人という境遇をどこか見下していたかもしれない。謝り、ごめん、ごめん、ありがとう、ありがとうと。震える手で、声を出さずに歯を食いしばって締め切り(夜明け)ギリギリで撃った。色内は最初から「早く撃って、えーさん」とお願いしていたのにな。
撃った七発の弾は色内の手前で消えた。色内がどこかに呼び出し、飛ばしたのだろう。きっとこの世界の前の時間に。歴史だけがすり替わる。
色内は小さく手を振って最後に微笑み、消えた。故郷の森が今は砂漠になっていると聞いて揺れる心を
羽をもがれた人工衛星の塊が機械音を立てて浮かぶ。そのゆーふぉーも瞬間移動したんだなと思う消え方で、すぐに消えた。
地球直上の宇宙空間に突如として現れた宇宙戦艦から日本国首都東京に放たれた七発のミサイルに、色内が呼び出した七発の弾はきちんと対抗できただろうか。俺はきちんと応えられただろうか。色内にちゃんとお別れを与えることはできただろうか。いつまでたっても自分からお別れを言い出せない、子どものように離れたくない、帰りたくない、飛びたくない、戦いたくない、もう、嫌だと言った色内に……いや、駄々をこねていた俺はお別れができただろうか。
夜が明けた。終わった。もう、帰ろう。
三日前、東京にミサイルが堕ちた。しかし、俺の見た事実とは異なり着弾せず被害はなかった。未遂で終わった。日本国令和宇宙軍の観測では、宇宙空間から飛来したミサイルは東京上空で何かに接触して空中にて爆散。七発に一つずつ小さな鉄の塊が衝突したように見られる情報が寄せられてはいるが、判然とせず。調査継続とする。記者として得られた情報はここまでだった。
俺は心の中で「よくやった色内」って言った。歴史は変わった。ひとりの宇宙人によって。
俺は記者だ。だから右翼でも左翼でもない。差別なんかしないと思っていた。あんな奴らとは違うんだと言ってきたが、そんな俺にも自覚できない偏見があった。そんな俺を俺は知らなかった。
先住民を理解している、開拓民を理解している、歴史を分かっている、多様性を、ハンターとクマとシカとウシと自然との共生を誰よりも分かっている土地に俺は住んでいる。歩けば当たり前のように風俗労働店が目に入るこの街を、インバウンドで賑わうこの街を、この街で生きる人々を分かっているはずだった。ずっと取材して記事にしてきたのだ。文字にしてきたのだ。理解を示して配慮して歓迎している。しかし、色眼鏡……いつの間にか嵌って取れなくなっていたこの濁ったカラーコンタクトは、どうやっても取れないのだと知った。色内の目が虹色に光るように、俺の目は幾つにも幾つにも光り、この光りが消えることはない。俺は報道者で、文章表現者で、真っ当な人間でいないといけないのに。
だから俺はあの時、あの色内の目に魅入られたのかもしれない。少なくとも宇宙人に対する偏見は無くなった。今度は火星人に会ってみたいかな。
〉えーさんの事は私が守るよ。えーさんの街は私が守るよ。
札幌の〝すすきの〟では無いが、北海道の八雲町はUFOの墓場と呼ばれている所があるらしい。UFOの目撃情報が多いのだろうか。UFOの街、か。それも良いかもしれない。新聞記事になりそうな話だ。
日差しが強く照りつける、太陽が眩しい午後。俺は鞄にいつものボイスレコーダーを忍ばせ、白い路面電車が通り過ぎる大交差点で信号を待つ。信号が青になると自由に行き交う人々を押し退けて進む。人混みを抜けた所でペットボトルのお茶を取り出し、一息つく。今年は夏が二ヵ月も早く、たまらなく暑い。野球選手がマウンドで熱中症になっても不思議じゃない。
お茶を傾けてゴクゴクと飲んでいた時、ふと視界の隅に路地が見えた。そこに彼女の面影を見た気がした。「俺の名前はえーさんでは無い。恵山だ」と言い、その面影を笑い飛ばした。
今日もネタを探してこの街を歩く。宇宙人でも落ちていないかな、と。いい街だよ、この街は。ぜひ観光に来ると良い。宇宙人でも何でも受け入れる寛容さがある。誰でも大歓迎。きっと、目を虹色に輝やかせながら楽しめるはすだ。