潮風を感じるテラス席で、お弁当の卵焼きを箸でつまみながら、彼女は言った。
「残酷」
肩口で切り揃えられた髪と、胸元の赤いスカーフが、風に煽られて揺れる。顔にかかる横髪を、箸を持っていない手でそっと耳にかけると、アーモンド型のパッチリとした目で俺を見た。少し、怒っているようだった。
「怒ってる?」
「うん、怒ってる」
つままれた卵焼きは存在を忘れられたのか、未だ口に運ばれない。
「どうして?」
「どうしても何もない。あなただけ大人になってしまったんだもの。私が眠っている間に」
「それは、そうだけど。俺は、君が生きていてくれて嬉しいよ」
「そんなのはエゴよ。私は辛い」
彼女がそっと海の方へと視線を向ける。晴れているけれど、しけっているのか、荒っぽい波が白く見える。ゆっくりと瞳を瞬く彼女の顔は、ずっと変わっていない。十七年間ずっと。十七歳の姿のまま。黒襟のセーラー服も、喋り方も。十七歳の頃の俺が、向き合っていた彼女のまま。
「お父さんもお母さんも、歳をとってしまった。同級生は知らない人ばかりになって、同じ十七歳なのに、同じじゃない。私の知っていることと、あの子たちが知っていることは違うのよ。私だけ化け物になってしまったみたい。得体が知れないのよ、私自身が」
怖いと続けた彼女は本当に怖がっているようだった。太陽に雲がかかって、彼女の顔にも影が落ちた。そうか、と頷いて返した。そうだよな、と思う。彼女の気持ちにはなれないが、イメージはできるから。
彼女の両親が、未来の医療技術にかけて、彼女を深く冷たい眠りにつかせて十七年。十七年後の初夏、遅い雪解けのように、ゆっくりと彼女は目を覚ました。ずっとずっと、待ち焦がれていた。春の日が来ることを、ずっと。
「ごめんなさい。八つ当たり」
「いいよ」
八つ当たりも、君が生きていなきゃされないことだから。そう言おうとして、それは彼女の負担になるかと思って、心の中にしまっておく。
「今、生きていられることは、本当に嬉しい」
それは本当よ、と彼女は少し肩を竦めた。
「ただ、私も同じように、あなたと月日を重ねていきたかっただけ」
長く海を見つめていた顔をこちらに戻した彼女は、ふっと柔らかく微笑むと、ようやく黄色い卵焼きを頬張った。遠くで、学校のチャイムが鳴っている。学校に戻らなくていいのか、と出かかって飲み込んだ。彼女もそれを分かっているようだった。「いきたかった」という言葉が「生きたかった」に聞こえたのは、俺だけだろうか。
「私の時間だけ、早く進んだらいいのにね。あなたの時間はゆっくりで。そうしたら、いつか追いつけるのに」
彼女が言う「残酷」の意味が、俺の中で静かに芽吹いたのが分かった。生温い潮風が、赤いスカーフを揺らす。