あの瞬間に直面したのは、どうして私だったのだろう。
徹夜明けの眠い目を擦りながら、早くベッドで横になりたいと思いながら歩いていた私は、出くわしてしまった。
子どもが車の前に飛び出した瞬間に。
「危ないっ!」
徹夜明けのぼんやりとした頭は、上手く機能していなかった。
しかし身体は反射的に動いていた。
もし徹夜明けじゃなかったら、きちんと脳みそが働いていたら、私は子どもの手を引っ張っていただろう。
そうやって、自分と子どもの二人の命を繋ぎ止めていたはずだ。
だがこのとき、頭の回っていなかった私は、子どもを押してしまった。
子どもは道路から反対側の歩道へと突き飛ばされ、代わりに私は車の前に……。
次に私が目を開けると、そこは白い部屋だった。
一瞬病院かと思ったけれど、病院にしては仕切りのカーテンも点滴の類も見えない。
おまけに私はベッドではなく床で寝ているようだった。
「……え? なにこれ。私、死んだの?」
「どうかしらね」
困惑しながら呟いた言葉に返事があった。
ハッとして起き上がると、目の前には少女たちがいた。
会ったことはないはずなのに、彼女たちはどこかで見たことがあるような……。
「みんな、デイジーが起きたわよ」
赤い髪の少女は、私のことをデイジーと呼んだ。
私の名前はデイジーではなく……と思ったところで、自分の頭から白く長い髪が生えていることに気付いた。
「え!? 誰か、鏡を持ってませんか?」
「それが誰も何も持ってないのよね。でも、分かるでしょ?」
「分かるって…………あっ」
分かった。分かってしまった。
思い出してしまった。
この場にいるのは全員、乙女ゲーム『アリスと七人の悪女たち』の登場人物である悪女たちだ。
赤い髪のカメリア、青い髪のローズマリー、黄色い髪のペチュニア、紫の髪のバイオレット、ピンク色の髪のダリア、オレンジ色の髪のポピー。
ということは……残った私が、白色の髪のデイジー。
「私たちは『アリスと七人の悪女たち』の悪女になってる……ってことですか?」
「あたし、異世界転生の話を読んだことがあるわ。死んだ人間が別の世界に転生するっていうアレよ」
「今の状況がその異世界転生だとでも言うんですか?」
「たぶん……? あたしもよく分からないけれど、それ以外に考えられないじゃない」
異世界と言われても、ここは異世界どころか見渡す限り白いだけの部屋だ。
ドアも窓も見当たらない。
『パッパラーパーラー』
私たちが困惑していると、突然陽気なファンファーレが響いてきた。
『おめでとう、諸君。君たちはゲームの参加者に選ばれたよ。ヤッタネ!』
ふざけた調子で登場したのは、これまたふざけた恰好をした男だった。
トランプのジョーカーを思わせるピエロの格好をしている。
ホログラムなのか、ピエロに実体は無いように見える。
「誰!? ここはどこなんですか!?」
『うんうん。威勢の良い参加者は大歓迎だよ。みんなが消極的だと盛り上がらないからねえ』
ピエロは質問には答えずに、私たち七人をじろじろと見回した。
「私たちを閉じ込めてどうするつもりですか!?」
『うーん。威勢が良いのは歓迎だけど、恩知らずは頂けないねえ。まずは死んだ君たちの魂をこうして救ってくれたボクに感謝の言葉を述べないとね』
言われてみると確かに、死ぬはずだったところを異世界転生という形で救ってくれたピエロは、私たちの命の恩人と言えるかもしれない。
「ええと……私たちの命を助けてくださって、ありがとうございました」
私がお礼を述べると、他の少女たちも次々とピエロに向かってお礼を述べていった。
『あははっ。感謝されると気持ちが良いね。じゃあ気持ちがよくなったところで、さっそく始めようか』
「始めるって何をです?」
『何ってもちろん、悪役令嬢デスゲームだよ☆』
ピエロは何でもないことのように、物騒な単語を口にした。
これに一番早く反応したのは、オレンジ色の髪のポピーだった。
「デスゲーム!? 命を懸けたゲームということですの!?」
『おや。いつの間にかデスゲームは有名になったんだねえ。話が早くて助かるよ』
お礼を言った直後だけれど、お礼を言って損した気分だ。
デスゲームということは、死ぬ可能性があるということだ。
「わたくしはそんなものに参加したくはありません。せっかくもらった命ですから大切に使いたいですわ」
ポピーがそう言うと、ピエロは顔を歪ませた不気味な表情で笑った。
『君たちのことは、デスゲームに参加させるために転生させたんだよ? だからボクの命令には従ってね』
「いいえ。デスゲームなんて、そんな野蛮な……生き残るために他人を蹴落とすゲームには断固として参加できませんわ!」
ポピーはピエロに怯まずそう言った。
その凛とした姿は美しかったけれど、これが彼女の最期の言葉になってしまった。
『ふーん。どうしても嫌なんだねえ。じゃあいいよ。君には死んでもらって、別の人間の魂を入れるから』
その瞬間、ポピー目掛けて大きな槍が飛んできた。
「…………えっ?」
槍はポピーの心臓に命中し、ポピーは一瞬顔を歪ませた後、全身の力を抜いた。
どさりと倒れたポピーからは生気が感じられない。
「ひっ!? まさか、死ん……」
「この槍は何? どこから飛んできたの!?」
恐怖で絶叫したり、ここから逃げ出そうと壁を叩きまくったり、家に帰りたいと泣き出したり、様々な方法で錯乱する私たちを見ながら、ピエロは笑った。
『これで分かったでしょ。君たちの命に、ゲームの駒以上の価値は無いんだよ?』
きっとピエロの言っていることは本当だ。
ピエロを満足させないと、私たちは簡単に殺されてしまう。
ピエロにとって私たちの命はその程度の価値しかない。
『じゃあボクは新しいポピーを連れて来るから、それまで雑談でもしててねえ』
ピエロに雑談していてと言われた私たちだけれど、恐怖でそれどころではなかった。
しかし雑談をしないと、ピエロの命令に背いたと判定される恐れがあったため、全員が震える声で数言だけ喋った。
そのうちにピエロが戻ってきて、槍に貫かれたポピーの古い身体を消して、新たに綺麗な状態のポピーの身体を出現させた。
この時点で、この場の全員が分かっている。
ピエロは私たちと同じ人間ではない。
もっと別の、人間を玩具としか思っていない存在だ。
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『アリスと七人の悪女たち』
いじめられっ子の主人公アリスが、私立ワンダー学園で愛を見つける乙女ゲーム。
攻略対象は王子であるレイモンドと、暗殺者であるディータ。
アリスが卒業するまでに、七人の悪女は全員が処刑もしくは暗殺される。
「不思議の国のアリス」と「白雪姫」がモチーフ。
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