◆【若月香】◆
梅雨が明けて、蝉が鳴き始めた。熱されたアスファルトが蜃気楼を作り出し、夏独特の季節の香りが鼻をつく。見上げれば、濛々と天の頂まで届きそうなほどに高く舞い上がった白い入道雲が、目も眩むほどの青い空に我が物顔で浮かんでいた。
高校は夏休みに入り、本格的に学生の夏がやってきた。
僕は、毎日園田さんのお見舞いに通っている。
この一ヶ月半で、園田さんの身に良い変化と悪い変化が激流のように押し寄せてきた。
まず悪い変化。水頭症という頭の中に水が溜まってしまう合併症と脳血管攣縮という脳の血管が縮小して、脳梗塞のような状態になる合併症を引き起こしてしまった。
だけど、その二つは病院側の迅速な対応で事なきを得た。
次に良い変化。点滴で直接栄養を送っていた状態から、ご飯を食べられるようになった。とは言っても、嚥下機能が低下してるということで、喉をつまらせないように液状のものだけだ。それでも園田さんは、いつも美味しそうに食べていた。ちゃんと食べてくれるのが嬉しかったのだろう、礼子さんはよく涙を浮かべていた。
それとHCUから一般病棟に移動した。同時に病院の敷地内だけだけど、車椅子に乗って散歩にも行けるようになった。その初日、園田さんは久しぶりに座って体を揺られたせいか、散歩の途中で食べたご飯を戻してしまった。病院の玄関先で、吐瀉物で衣服を汚した園田さんの姿を僕は見てしまった。
園田さんは、何か呻きながら体をもぞもぞと動かしていた。何か言いたかったのかもしれないが、僕にはそれが何かわからなかった。
日々、園田さんの身に何かしらの変化がある。僕にとって一番大きな変化は、園田さんが僕のことをを思い出したことだ。
『わかつき、くん』と、たどたどしいけど、ちゃんと名前を呼んでくれるようになった。僕のことを存在しない弟ではなく、彼氏だとも認識してくれている。
それは単純に嬉しかった。このままどんどん回復していくんだろうなって希望が見えた。事実、日に日に喋ることのできる言葉も増えていった。
だけど、それとは別に残念なこともある。
園田さんに、後遺症が残ってしまった。
園田さんの体の機能が少し低下してしまった。
それと、記憶や意識が回復していくにつれて、園田さんは自分の状況を理解し始めた。そのせいか、感情的になってよく泣き、暗い顔をする事が増えた。
僕も絵をまた描くようになり、完成したら持っていくようにしている。
園田さんは絵を見ると、落ち込んでいる時でも右頬を少しだけ上げて微笑んでくれた。それが刺激になって、少しでも良い方向に進んでくれたら、と願わずにはいられなかった。
八月の初旬から中旬に差し掛かった頃、園田さんは現在入院している病院と同系列のリハビリ病院へ転院することになった。転院できるということは、着実に回復しているってことだ。それがただ嬉しくて、僕も礼子さんも、千堂さんも心から喜んだ。