目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
社長令嬢に生まれ変わった私は、彼への愛をもう我慢しない
社長令嬢に生まれ変わった私は、彼への愛をもう我慢しない
Amy
恋愛現代恋愛
2025年08月24日
公開日
5,401字
連載中
台湾出張で上司・ドンジュに秘めた想いを抱く結衣。しかし事故でその恋は届かぬまま終わりを迎える。──はずだった。 目を覚ますと、彼女は「柳恵美」という名の社長令嬢に生まれ変わっていたのだ。 再び巡り会えた彼を、今度こそ自分の愛でつかみ取りたい。 切なさと胸キュンが交錯する転生ラブストーリー。

第1話 異国への出張

朝の成田空港。人でごった返す搭乗ゲートに、結衣は小さく溜息をついた。

 手には黒いキャリーバッグと、社用のノートPCが入った重たいショルダーバッグ。きっちりと結んだポニーテールが、さっきから湿気で少しずつ崩れてきている。


 5月の連休明け。まさか、台湾出張のタイミングが重なるとは。チケットカウンターの長蛇の列を見て、思わず心の中で毒づいてしまう。


 でも、隣に立つ彼の姿を見て、それもすぐにかき消えた。


 彼──ドンジュ課長は、静かに列の先を見据えている。スーツの胸元には会社のネームプレート、肩からかけた薄型ビジネスバッグがきっちりと収まっている。


 (やっぱり、この人は、どこにいても目立つな)


 結衣は心の中でそう思う。派手じゃない。大きな声も出さない。でも、不思議と視線を惹きつける。研ぎ澄まされた静けさがある人だ。


「……松山さん」


「はっ、はい!」


 突然呼ばれて、反射的に姿勢を正す。

 ドンジュは、わずかに口角を上げた。


「荷物、重くない? 預けるなら一緒に並ぶけど」


「あ、だ、大丈夫です! 機内持ち込みサイズなので」


「そう」


 短いやり取り。けれど、たったそれだけで、心臓がぎゅっと締めつけられる。

 名前を呼ばれるときの、あの低くてやさしい声。目を見て話すときの、どこか遠くを見るような視線。結衣は何度もこの瞬間を繰り返してきた。社内でも、出張でも、何気ない日常の中で。

 そしていつも、同じ結論にたどり着く。


 ──好きだ、この人のことが。


 ただの上司と部下。それ以上の関係になることはないと分かっている。


 彼は35歳。既婚者。

 飲み会の席で他部署の同僚がぽろりと漏らした「子育て大変だよな〜」の一言で、結衣はその現実を突きつけられた。


 でも、気持ちは止められなかった。

 むしろ、あの人の“家族”という存在が、自分の中にある「恋愛」とはまったく別のものとして、胸に居座ってしまっている。


「……もうすぐ搭乗ですね」


 結衣はそう言って、自分をごまかすようにスマホを確認する。

 搭乗開始まで、あと10分。


「台湾、初めて?」


「はい。海外は大学の卒業旅行以来です」


「ふふ、それは楽しみだね。5月と言っても蒸し暑いから、水分はこまめにね」


 穏やかに、さりげなく気遣ってくれるその言葉。

 そのすべてが、結衣の心をざわつかせる。


 もっと話したい。もっと知りたい。でも、それは許されない。


 ──だったらせめて、同じ景色を見られる時間を、大切にしたい。


 それが、この出張の間に結衣が自分に課した、唯一のルールだった。


***


 台北桃園国際空港に到着すると、熱気が肌にまとわりついた。

 日本よりも湿度が高い。けれど、空は鮮やかな青。タクシーの車窓から見える街並みは、どこかノスタルジックで、雑多で、それでも息づいていた。


「このままクライアントオフィスに直行するよ」


 ドンジュの指示に頷きながら、結衣は心の中で小さくガッツポーズした。

 飛行機では隣の席だった。クライアント訪問も同行。予定されていたスケジュールは、彼と常にペアだった。これ以上ない“幸運”。


 クライアントとの会議では、彼が流暢な英語でプロジェクトを進める姿に、結衣は惚れ直すばかりだった。

ドンジュは表情を変えずに相手の心を読み取り、的確に落としどころを提示する。しかも、こちらに向けて一度も強い語気を向けたことはない。


会議はわずか2時間でまとまった。

今後10年のパートナーシップの概要を簡単かつ明瞭にまとめ上げ、契約案の大筋まで合意を取り付けるのはさすがだった。

しかも仕事をもらったのはこっちなのに、クライアントが喜んでくれた。


 (なんかこの人となら、どこまでもついていける)


──心からそう思った。


 夕食はクライアントが高級台湾料理のレストランに招いてくれた。

円卓に並んだ小籠包やフカヒレスープ、精緻に盛り付けられた前菜の数々。

ドンジュは、会話の合間にさりげなく料理を取り、結衣の取り皿に分けてくれた。


「これ、この店の名物だから食べてみてよ。

取ってあげるのはこれが最初で最後ね。」


微笑みを浮かべて彼は言った。


そのスマートな立ち居振る舞いに、私は何度も胸の鼓動を抑えきれなくなる。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?