介護職で働く三十代の男性、Nさんから聞いた話。
十年ほど前、まだ学生だったNさんはとても薄気味の悪い出来事に遭遇したと言う。
「当時レンタルビデオの店でアルバイトをしていたんですが……。その際、後輩で一つ年下のJってやつがいて。事の発端はそいつから話をきいたことだったんですよね」
それはNさんがバイト先への通勤や通学に使用する、国道■号線のとある交差点に「お化け」が出ると言う噂だった。
「え、ウソだろ。俺、あそこは日常的に通ってるけど、そんな話聞いたことないぞ。……お化けって幽霊のこと?」
「知らないっす。俺もツレから噂話聞いただけですから」
ソースは所謂、友達の友達から、らしい。
今思えばとにかくJはいい加減なやつでした、とNさんは苦笑していた。
人前に出る仕事なのにJ君はプリンのように頭髪を雑に黄色く染め、顔中ピアスだらけだった。
アルバイトとは言え、こんないで立ちでどうやって面接をパスしたのかとNさんは不思議だったが、レンタルビデオ店のオーナーがJ君の親戚らしく、遊び人同然の生活をしていた彼を見かねて無理矢理働かせていたようだ。
「まあ、本人なりに真面目に働いてはいましたけどね……」
とにかくJ君の話は適当だった。
深夜、交差点に出没するという「お化け」とやらが一体どんなものなのか、よく分からない。だけど、とにかく恐ろしいものであることに違いはなく、一目見ればそれだとわかると言う。
「まあ、その時は勘弁してくれよ~ってJの肩を軽く小突いて話は終わったんですけど……」
決していい気持ちはしなかった、とNさんは言った。
問題の交差点は周囲を田んぼで囲まれた、比較的見晴らしの良い場所なのだが設置された街灯は一つしかなく、夜となれば真っ暗で昼間とは全く別の空間に思えるのだそうだ。
「それに……Jからその話を聞く一週間ぐらい前、近所に住んでいた女の子が夜、フラフラそこを歩いていて……」
車にはねられ、死んだという。
女の子はまだ小学校の低学年で親に酷い折檻を受け、家を飛び出したところを事故に遭ってしまったらしい。
そう言えば街灯の下に誰かが花を供えていたような気がしますね、とNさんは小さくため息をついた。
「まあでも、それだけと言えばそれだけでしたね」
学業やアルバイト、それに恋人との付き合いなどに毎日、忙殺されているうちにJ君の話も事故で亡くなった女の子のこともいつの間にかNさんは忘れていたという。
「だけどあの日……。本当は俺、シフトに入っていなかったんですけど……」
夕方、自分の部屋でぼんやり音楽を聴いていたNさんのスマホに着信があった。
バイト先のレンタルビデオ店の店長からだった。
当時、流行っていた感染症でバイトが何人もまとめてダウン。
時給に色をつけるから急遽、出て来て欲しいとのことだった。
「要はピンチヒッターですね。……ええ。俺が入っても人手不足なのは同じでしたから」
そりゃあ目が回るような忙しさでしたね、とNさんは苦笑する。
それでもオファーされた仕事をやり切り、来た時と同じようにバイクに乗って帰途に就いた頃には夜中の十二時が近かった。
「それで思い出しちゃったんです。……例の交差点の近くまで来てJの話や亡くなった女の子の話を」
その時、交差点の周辺はいつにも増して人の気配がなかったと言う。
実際Nさんのバイク以外、一台の車両も走っていなかったそうだ。
「そうですね。怖い、というよりは嫌な気分でした。先は崖だってわかってるのに、敢えてそっちに向かって走らざるを得ないような……」
ポツンと立つ街灯に向かってNさんはアクセルをふかし続けた。一秒でも早く、この悪夢じみた空間から離れたかったのかもしれません、とNさんはうなずいていた。
しかし……
「いきなり、です。どこかから移動して、とかじゃないです。本当にいきなり現れ出た、って感じなんです」
一瞬だったけどハッキリと見てしまいました、とNさんは声を震わせた。
交差点を走り抜けようとしたNさんの視界のすみに飛び込んできたのは、二つの小さな人影だった。
一人は小学校低学年ぐらいの女の子。
首から上は闇夜に溶け込んで良く見えなかったが、着用していたワンピースは真っ赤に汚れボロボロに痛んでいた。
もう一人は幼稚園の年長組ぐらいの男の子。
こっちは真冬だというのに、これから夏祭りにでも出かけそうな浴衣姿。ただし、それは随分と年季が入ったものらしく柄はほとんど消えかけていたし、元は純白だったであろう帯も茶色く変色していた。
二人はしっかりと手を取り合い、バイクで走るNさんに背中を向けていた。
「……こんな場所、こんな時間に子供だけでいるわけない、っていうのはすぐに思いました。それで、一瞬、意識が飛びかけたんですけど」
信号が赤に変わったのが逆に幸いしたのかもしれない。
ハッとして気を引き締め直したNさんはバイクを交差点のど真ん中、つまり子供二人組と同じ方向をむいた状態で急停車していた。
片足を降ろしながらNさんはジャケットの下でドッと冷や汗があふれるのを感じたという。
「ええ、生きた心地がしませんでしたね。……振り返ったり、バックミラーを確認してはダメだって思いました。もし、あの子達の顔を見たら――」
事故に遭う。そう、Nさんは確信したと言う。
幸い二人は絵のようにその場から微動だにせず、バイクにまたがったNさんのもとまで近づいて来る気配もなかった。
「それで信号が青に切り替わって……」
文字通り、脱兎のごとくNさんは家まで逃げ戻った。
いつもとは違うNさんの様子に家族は驚き、心配してくれたがNさんは酷く疲労困憊し、自分が見たモノを上手く説明できなかったそうだ。
それから数日後、何とか元気を取り戻したNさんはレンタルビデオ屋に向かった。
アルバイトはやめるつもりだった。
しかし、そのことを切り出すよりも早く、沈痛な表情の店長に告げられたことにNさんは衝撃を受けた。
「Jが死んだって言うんです。俺が参っている間に……。あの交差点でトラックにはねられて」
J君は数人の遊び仲間と一緒に深夜、あの交差点に徒歩で向かったらしい。どうやら、暇潰しの肝試しのつもりだったようだ。
具体的に何があったのかは不明だが、そこで事故が発生し、J君だけが帰らぬ人になってしまった、ということだ。
もちろん悲しかったです、とNさんは続けた。
「そこまで深い仲でもないですが、一応同じバイト仲間でしたしね……。だけど、住所交換とかはしてなくて。だからお葬式にも行くことはできませんでした」
それから長い月日が経ち、社会人となったNさんは家庭を持ち、子供にも恵まれた。
新しい道路ができたおかげで例の交差点はなるべく避けて生活を送って来たNさんだったが、最近気にかかることがあると言う。
「今年、小学校にあがった上の子が友達……、いえその友達から聞いたと話をしていたんですが……」
未だにあの交差点には「お化け」がでるそうだ。
それも二人組の。
一人は浴衣姿の小さな男の子。
そして、もう一人は頭髪を黄色く雑に染めた、血まみれの青年。
深夜の間だけ、その二人はしっかりと手を取り合った姿で現れると言う。
「それがJかどうかはわかりません。確かめに行くつもりはないです。もし、未だにさ迷っているのなら気の毒だとは思うけど、冥福を祈る以外俺には何もできないから」
そう言ってNさんは唇を噛みしめた。
(了)