下駄で歩くアスファルトは思っている以上に音が響く。
店を閉め、明日の仕込みを終え、俺は今和菓子のことを考えながら並木通りを歩いていた。羽織を羽織ることもなく、着物だけで十分な温かさを感じることができる冬手前の秋のこの感じは考え事をしながら歩くには最適な気候だ。
和菓子を作ることを生業としている
特段店が繁盛していないとかそういったわけではないのだが、やはりものづくりが思っていることといえば、いかにお客様に笑顔を届けることができるかどうかだ。どれだけ繁盛していようとも、笑顔でお客が店を去らなければ意味がない。今日も一組のお客が笑顔にならずに店を去ってしまった。だがこれは特に珍しいことではない。
目当ての和菓子が置いていなかった。和菓子はもっと程よい甘さだと思っていた。など理由は様々だ。
人間なのだから、その日の気分などで左右されるものだ。だからそれらすべてを解決しようだなんて思ってはいない。だがそれでも自分の店を訪れてくれたのだから、その人の笑顔をみたいものだ。
そんなどうしようもない感情を抱え、より良いものを作ろうと考え悩んだときに、御城はよく夜の並木通りをひとりでに歩いている。
(はぁ。いくら考えても答えが出てこない。
いっそのこと従業員でも雇うか?)
午前中は和菓子の販売。午後から夕方にかけて和菓子を扱うカフェへと店の形を変える御城の店は和菓子屋にふさわしくゆったりとした時間が流れており、大変ではあるものの一人で切り盛りできないほどではない。
むしろ直にお客の声を聞けるこの形を気に入っている。
しかし誰にも相談できないこの状況を良いとは思っていない。一緒に解決できる仲間が欲しいのも正直なところである。
「注文を取ってくれるスタッフだけでも居たら変わるのかな。」
独り言のようにそう呟いた。
足を止め、枯れ葉でいっぱいの並木を眺めながら、
一枚。また一枚と枯れ葉が枝から離れていきゆらゆらと地面へと落ちていく。
枯れ葉など眺めていても何も解決しないことは分かっているが、こういった無心になれる時間は誰でも必要だろう。考えがまとまらないときは無心になるのが一番だ。
結局何も解決せず、時間だけが過ぎていく。
「夜も更けて行きたし、店に戻るか。」
御城の店は2階建てになっており、1階はお店。2階は自宅となっている。店に戻るということは自宅に戻ると言うことと同義である。
そういえば夕食を食べていないことを思い出し、無心だった心は今何を食べようかと言うことで埋め尽くされている。
(うどんでいいかな。たしか冷凍庫にうどんが残ってた気がする。
めんつゆは切らしてた気がするけど、醤油とたまごがあるから釜玉でいいかな。)
そんなことを考えながら、組んでいた腕をとき、またアスファルトをカランカランと音を立てながらお店兼自宅に歩みを進めたとき、並木通りのアスファルトを埋め尽くしていたはずの枯れ葉が御城を中心に回り始めた。
それは御城を台風の目とするかのように、それは御城を隠すように枯れ葉が舞い上がり数十秒続いた。
(つむじ風の中心に入るのなんて小学生の頃以来だ。
でもつむじ風って日中にしか起こらないんじゃ?)
そんなことを考えていると、いつの間にか舞い上がっていたはずの枯れ葉はどこにも見当たらず、視界には神殿のように広く天井の高い空間が広がっており、またローブ姿や甲冑、腰に剣を携えた騎士服姿の多くの大人が立っていた。
「え、なに?どこ?」
当然の疑問を口にすると、周りに居た大人たちは一斉に声を上げた。
「召喚に成功したぞ!」「聖女様だ!」などとあがる一方で「男性?」「聖女は女性ではないのか?」と言ったような声も聞こえる。
そんな中一人、騎士服を着た御城に向かって歩みだした。
「お前が聖女か?」
「はい?」
■ ■ ■ ■ ■
「このウェルドニア王国では、長年魔物の脅威に脅かされておりました。
この魔物の脅威を取り払うためにこれまでウェルドニア王国では聖女召喚儀式というものを行い、召喚した聖女様の力を借りることで魔物と戦う術を手に入れてきておりました。
聖女様は歴代女性方のみが召喚されていたため勝手に聖女と名称付けておりましたが、よもや聖人様が召喚されるとは思っておりませんでした。
この度の召喚儀式での数々の心なき言葉に関してはお詫びのしようもございません。」
そういうとローブ姿の男は深々と頭を下げた。
それと同時に男の側近と思われる方々も頭を下げた。
先程の神殿のような場所から移動し、応接室のような場所に通された後、このような説明をされた。眼の前のところの説明を要約すると俺は異世界召喚というものをされこのウェルドニア王国に聖女として召喚されたらしい。今回は聖人だったわけだが。そして召喚された者には特別な力があるらしく、その力を使うことでこの国を魔物の脅威から退けることができるそうだ。
「頭を上げてください。
今まで召喚された人が女性だっただけですよね?別にそこは気にしてないです。
それで、どうして俺が召喚されたんですか?」
「なぜ聖人様が召喚されたかについてですが、こちらは聖なる力を持つものを召喚するという儀式となっておりまして、特定の人物を選定しての召喚は出来ないのです。
ですので、聖人様が召喚されたのは神のお導きとしかお答えができず...」
「なるほど。でも俺は別に聖なる力なんてものは持ってないです。
ご期待に沿うことが出来ず申し訳ないのですが、このまま元の世界に戻していただけますか?
明日も仕事がありますので。」
そういうとローブ姿の男は顔が引きつり、なにか言いにくそうな表情をした後に俯いた。その後数秒の沈黙の後口を開いた。
「しょ、召喚されたからには必ず聖人様には聖なる力があるはずなんです。
明日から聖人様には聖なる力を扱えるようになるための勉強を行っていただくことになるかと思います。
本日は急な出来事で疲れたでしょうから、この王宮にてゆっくり休まれてください。」
「いえ、俺は元の世界に戻してもらえればそれで十分です。」
「そうですよね。急なことで混乱してしまいますよね。
おい、聖人様はお疲れのご様子だ。お部屋へ案内してさしあげなさい。」
「ちょ、今はそんな話してなかったじゃないですか?
元の世界に戻してくださいって言ってるんです。」
御城を別室へと案内しようとしていた騎士服を着た男や目の前のローブ姿の男も、部屋に居た侍女らしきメイド服の女性も全員黙って、動かなくなってしまった。
この状況をみて察せないほど御城は馬鹿じゃない。
「戻る方法がないってことですか?」
御城の問いかけに対してその場にいる全員が黙ったままである。無言は肯定を意味する。
戻ることの出来ない現実を突きつけられ、正気でいられるほど元の世界に未練がないわけじゃない。
「どういうことですか?
どうして俺があなた方の都合で異世界召喚されないといけないんですか?
俺の仕事は?店は?お客の笑顔はどうなるんですか?」
机を叩きながら御城は応接室の外にも聞こえる声量で言い放った。
それでもこの場にいる全員は黙ったままである。それに対して御城は苛つきを覚える。無理もない。異世界にある国の都合で御城の人生がめちゃくちゃにされたのだ。
笑顔を届けるために和菓子職人を目指し、自分の店を持つまでどれだけ時間がかかったと思っているのか。
御城以外は黙ったまま目配せをしている。大方誰がどのように御城に説明するかを責任転嫁しているのだろう。更に苛立つ。
「国のためなら、別世界の人間の人生はどうでもいいということですか?」
御城がそういうと、応接室の扉が開いた。
そこにはファーのついた深紅のマントを羽織り、白色の軍服のような服を身にまとった男性が居た。身長は190cmを超えるほどの高身長であり、顔から年齢を判断するに4、50歳ほどだが、鍛え上げられた身体は見た目以上に若く見える。
男は部屋に入ってくるなり、頭を下げた。
それを見て先程まで沈黙を貫いていた者たちは慌ただしくし始めた。
「私はクーヴェル・フォン・ウェルドニア。
まずは貴殿を我が国の事情で召喚してしまったことを心よりお詫び申し上げます。」
(うぇるどにあ?この単語さっき聞いたような気がする...
たしかこの国の名前ウェルドニア王国って言ってたか?
国名と同じファミリーネームってことは...)
「国王?」
「おいお前、陛下に対して何たる無礼を!口の聞き方を慎め!」
クーヴェルの入室と一緒に入ってきた、騎士服姿の男に早々に怒られてしまった。
この男、御城が聖女召喚儀式で召喚された直後から御城のことをお前呼ばわりした男と同一人物である。
冷ややかなその視線はまるで自身より身分の低い輩を見下すかのようなもので、特殊な性癖でもない限り大抵の人物は不快感を覚えるだろう。
そもそもなぜそちらの都合で呼び出しておいてこのような視線を向けられなければならないのか。全く持って理解出来ない。
「止めなさいヴァニタス。我々は詫びに来ているのだぞ。」
「......はっ。」
騎士服の男はヴァニタスと言うらしく、国王であるクーヴェルの言葉に納得はしていないものの、命令には逆らえないようで渋々返事をしたようであった。
しかしその冷ややかな視線が優しくなることはなかった。
「ゴホンッ。改めておっしゃる通りこの国の国王を勤めているクーヴェルである。
聖女いや、聖人様のお名前をお聞かせいただけるだろうか?」
「...
「ゴジョーカエデ?」
「あ、そうか。カエデ ゴジョーです。
ファーストネームがカエデでラストネーム?ファミリーネーム?がゴジョーです。」
「カエデか。良い名だ。
先程も申し上げた通り、我が国の都合でカエデ殿の都合も考えずに召喚してしまったこと、ここに謝罪する。
国のためとはいえ、別世界の人間の人生を無下にするような行為をしてはならなかった。」
そう言うとクーヴェルは改めて頭を下げた。
それに合わせ、クーヴェルの入室と同時に立ち上がっていた眼の前に居たローブ姿の男やヴァニタス以外の騎士服やメイド服の侍女も一緒に頭を下げた。
「...頭を上げてください。
もう、元の世界に戻るすべはないということですよね。
なら俺はどうしたらいいんですか...?」
「寛大な心に感謝する。
しかしこの国が魔物の脅威に脅かされているのは事実。
この世界に召喚されたということはカエデ殿には聖なる力が必ず宿っているはずです。
謝罪後にいうことではありますが、どうかこの国のためにお力をお貸しいただけないでしょうか?」
国王がここまでお願いするということは本当にこの国は危機的状態なのだろう。
しかし先程異世界召喚されたばかりの御城は聖なる力など持ち合わせてない。持っていたとしても何をどうしたらいいのかわからない。
「その聖なる力って何なんですか?
先程そのローブの男性の方にお伝えしましたが、俺に聖なる力なんてものはありません。
召喚は聖なる力を持つものが召喚されるとのことでしたが、俺の元いた世界ではそんなものはありませんでした。
聖なる力とは魔法のようなものですか?」
「魔法と聖なる力は別のものと考えている。
カエデ殿のいた世界には魔法もなかったのか?」
「ええ、ですから俺が召喚されたのは何かの間違いだと思うんです。」
「間違いではない。」
そう口を開いたのはヴァニタスであった。
声色こそ相変わらずであったが、先程までの冷ややかな視線ではない。キリッとした目付きにわかりはないが、温かみのある眼差しに、口元は軽く口角が上がっている。
御城を安心させようとしているのだろうか。そんな感じがする。
ヴァニタスは続けて御城に向けて声を掛ける。
「先程の失礼な対応、私からもお詫びする。
ゴジョーと言ったな。お前は正真正銘聖なる力がある。言い切れる。」
「ヴァニタスさんでしたっけ?
な、なぜ俺に聖なる力があるって言い切れるんですか?」
「...今はそれはどうでもいい。
お前にはどのような聖なる力が宿っているか確認する必要がある。」
話を逸らされた気がする。いや気の所為ではない。意図的に話を逸らされた。
この部屋で唯一白い騎士服を着ているヴァニタスは御城から目を逸らし、若干気まずそうにしている。
もしかしたら元の世界に戻してやれないことに関して罪悪感でもあるのかもしれない。
「どのような聖なる力が宿っているかの確認ってどういうことですか?」
ヴァニタスは国王であるクーヴェルに目配せをし、クーヴェルが頷いたことで御城に話しても良いという承諾を得たようだ。
国王に許可を取るのが必要なほどの案件ということだ。
ヴァニタスは頭を掻きながら「ここではなんですので、移動をお願いします。」と部屋移動を打診された。
この応接室にいるローブ姿の男やその側近、黒の騎士服やメイド服の侍女には聞かせられない話しということみたいだ。クーヴェルも御城に目配せを行い、部屋移動を促してきた。
「付いてこい」とヴァニタスは顎を使い、応接室を出ていく。その後を渋々ついていく。その御城の後をクーヴェルが追う。
ヴァニタスに案内された部屋は流石は王宮というべきなのだろうか。大きなベッドが置かれ、ドレッサーに衣装ケース大人3人が並んでも余裕で映るほどのスタンドミラー。
和菓子職人ということもあってか、和物を好んでおりお店兼自宅では1階のカフェスペースはフローリングであるものの一部掘りごたつの畳スペースもあり、自宅である2階は水回り以外はすべて和風テイストの作りで畳で構成されている。
つまり御城はお嬢様が住むようなこの空間が落ち着かない。
「ゴジョー。ここがお前の部屋だ。
申し訳ないが、召喚される者は聖女とばかり思われていたため、女性が好む部屋となっている。
近日中には男性用の部屋に変更する予定だから、それまでは我慢してほしい。」
「いえ!こんなに素敵な部屋をご用意いただきありがとうございます...
その、要望って聞いてもらえたりするんですか?
できればもっと小さくて、畳の部屋だと嬉しいんですけど。」
「タタミ?は聞いたことがないな。それはお前のいた世界の部屋の名称か?
小さいというのは広さのことか?
お前はこの国の都合で召喚されたに過ぎない。できる限りのこの国の誠意と言う点で広い部屋を用意している。申し訳ないが狭い部屋を案内することはできない。」
「そうですか。
畳はイ草という植物を編んで作った敷物みたいなものです。
でもそうですよね。ここは日本じゃないですもんね。
広さも変えられないと言う事ですが、別の要望としてキッチンをお借りできますか?」
「キッチン?料理でもするのか?」
「ヴァニタス、口の聞き方に気をつけなさい。
先程からの君の口調は聖人様に対する口調ではない。
カエデ殿、重ねてお詫びする。申し訳ない。
ヴァニタスは少々事情があってだな、大目に見てほしい。」
クーヴェルは軽くヴァニタスの頭を小突くと、改めて頭を下げてきた。ヴァニタスもクーヴェルに頭を押さえつけられ強制的に頭を下げている。若干の抵抗が垣間見えるが、国王には抗えないのか顔を引きつりながら嫌々頭を下げた。
なぜこんなにもヴァニタスに嫌われているかはわからないが、大方聖女召喚儀式で召喚されたのが男である俺であるのが気に食わないのだろう。女性用の部屋を用意しているくらいだ。きっと聖女が良さそうだったら結婚でも申し込もうとでもしていたのだろう。きっと事情とはそういうことだ。
「口調は気にしていません。ヴァニタスさんは大方召喚された聖女と結婚でもするつもりだったんでしょう。それなのに召喚されたのが男だったらそりゃ態度もそれ相応になりますよね。」
それに対してヴァニタスは図星だったのだろう。冷静さを装っているが耳が赤い。手も心做しか震えてる気がする。
御城はため息をついてから続けて言い放った。
「はぁ。
料理をするのかという質問ですが、俺は元の世界で和菓子職人をしてました。
和菓子というのは俺のいた国の伝統的な菓子です。
だからキッチンを借りたいです。」
それに対して回答したのはヴァニタスではなくクーヴェルであった。
おそらくヴァニタスに気を使ったのだろう。
「キッチンを借りられるように手配しよう。
部屋の広さだが、タタミ?というものは手配できないが狭さは考慮できるかもしれない。
騎士団の寮が希望の広さかもしれない。カエデ殿の護衛もあるから王宮より騎士団寮に住まわれたほうがいいかもしれない。
そうだ!よかったら騎士団のみんなに料理を振る舞ってはいかがだろうか?
私もその和菓子というものに興味がある。ぜひ私にも食べさせていただけないだろうか。」
「は、はい。」
「楽しみにしているよ。でも今日にところは部屋の準備が間に合わないからそのままこの部屋を使ってほしい。
私は公務がこの辺で失礼するよ。
あとはヴァニタスに任せてあるから、仲良くしてね。
カエデ殿。重ね重ねではあるが、この度は申し訳ない。」
そういってクーヴェルは部屋から出ていった。
部屋に残されたのは御城とヴァニタス。気まずい空気が流れる。
その空気感に耐えきれなくなり、御城から口を開く。
「すみませんね。女じゃなくて。
それで、どんな聖なる力が宿っているかの確認ってことなんですけど、そもそも聖なる力ってなんですか?」
「聖なる力とは、一概にこれ。と言うものはありません。
これは歴代の聖女様の聖なる力について記された書物になります。
これによると様々な聖なる力が記載されています。
例えば欠損した腕すらも元に戻すほどの回復魔法、魔物を消滅させるほどの浄化魔法など様々だそうです。
ここ数百年ほど聖女召喚儀式を行っていないため、存命の聖女様はいらっしゃいませんので、詳しいお話を聞くことができないのが現状です。
そのため明日からお前いや、ゴジョーにはどんな聖なる力が宿っているか魔法の訓練を行いながら検証実験をすることになる。」
「人体実験ってことですか?」
「おまえ、はぁ。
ゴジョーが思っているような実験ではない。血液を採取したり、無理に攻撃したりなど何かしら危害を加えるつもりはない。
今日のところはこの部屋で寝てください。お腹も空いたでしょうから後ほどお食事を持ってこさせます。
それから湯浴みの準備もしてあるようです。食事後に侍女から案内させます。服もこちらで用意しますが、召喚者は女性と思っておりましたので、女性服のみ用意しておりました。すぐに用意ができるのが騎士服しかありませんでしたので、ご理解ください。」
うどんを食べようと自宅に戻る途中でこの世界に異世界召喚されたことを思い出した。情報量の多さに空腹であることをすっかり忘れていたが、思い出した途端急に空腹が襲ってきた。
(そういえばゆあみってなんだ?ユアミ?you are me?あ、湯浴みか。
確かに風呂に入って落ち着きたい気分だ。)
「ありがとうございます。
服に関しては、いま着ているこの服のままで問題ありません。
洗濯だけさせてもらえれば十分です。」
「わかりました。洗濯できるように話を通しておきます。
確認ですが、今後はこの世界で住んでいただくことになります。
いくつか服は持っていたほうが良いかと思いますが、今ゴジョーが着ているような一枚の布を巻き付けて着るようなモノが良いですか?
すぐには準備できないと思いますが、ご要望があればお作りすることは可能だと思います。」
「そうですね。これは俺の正装のようなものなので、可能であれば同じようなものをお作りいただくのが嬉しいですが、無理にとは言いません。」
「かしこまりました。
んっ。食事の準備ができたみたいです。ごゆっくり。」
ヴァニタスは食事を持ってきた侍女と入れ替わるように部屋から出ていった。
用意された食事はとても豪華でパン、肉、スープ、サラダと配膳用と思われるワゴンには他に置き場がないくらいに並べられていた。
(そういえばこの世界の食材は何を使っているのだろうか。
この肉も見た目はローフトビーフではあるけど、実は魔物の肉だったりするんだろうか。
パンがあるということは小麦とかはあるってことだよな。ならサラダは問題なさそう。ならやっぱり肉とスープの食材が気になる。)
勇気を振り絞って食事を運んできた侍女に聞くかどうか悩む。
食べた後に聞くのは怖いので、食べる前に聞いて食べるかどうかを決めたほうがいいのかもしれない。
「あの、この肉って何の肉ですか?」
「こちらはローストビーフなので牛ですね。
スープには肉自体は入っていないのですが、鶏だしとのことですので鳥骨を使用していると思います。」
「よかった。
魔物の肉とかは使ってないんですね。」
「魔物の肉ですか。
聖人様のいた世界には魔物は居ないと伝承で聞いたことがありましたので、馴染みのない食材は使わないようにしているとのことです。
ご要望とあらば、魔物の肉を使った料理に変更できますが、いかがされますか?」
「いえ!結構です。
心遣いありがとうございます。」
「かしこまりました。
それではごゆっくり。何かございましたら、外におりますのでお声掛けくださいませ。」
それでは失礼します。と一言おき、侍女は部屋を出て行ってしまった。
普段から一人で食事をしているため、何も感じないのだが、ここまで広い空間に一人。さらに言えば異世界召喚されたばかりの環境で一人でご飯と言うのは、どこか寂しさを覚える。
ご飯自体は文句無しに美味しい。味付けも日本で食べたことのあるものと大差ない。
美味しい。美味しいはずなのにどこか食事を楽しめていないような気がする。
きっと疲れもあるのだろうと自分に言い聞かせる。
食べ終えると、食器を配膳用のワゴンに乗せ直し、外で待っているという侍女を呼びに廊下へと顔を出す。
「お食事終えられましたか。
あら、食器の片付けまでご対応いただきありがとうございます。
湯浴みをされるとのことでしたので、このまま浴場へご案内させていただきたく思います。
お洗濯もされたい旨をお伺いしておりますが、こちらで洗濯させていただきますがいかが致しますか?」
「いえ、そこまでは。着物なので手洗いしたいので。
あ、洗剤だけお借りできますか?
あとは干して乾かすための竿などあれば嬉しいのですが。」
「洗剤はご用意がございます。
乾かすとのことですが、その点はご安心ください。
私が火と風の魔法を使ってすぐに乾かさせていただきます。」
(なるほど。魔法か。
たしかに聖なる力のことを聞いたときに魔法とは別のものとか言ってたな。
侍女も魔法を使えるということはこの世界では誰しもが魔法を使えるのか?
いやここは王宮らしいし、王宮の侍女になれるということはかなりできる方なのかもしれない。)
「では、そちらでお願いします。」
浴場までの道のりで侍女から多少の話しを伺うことができた。
侍女の名前はルルーナと言うらしく、ルルーナたち使用人は王宮の横にある使用人用の屋敷に住んでいるそう。使用人の数は100をゆうに超えており、日本で言うところのシフト制で王宮の仕事をこなしているとのことだった。
ちなみに時間の感覚などは元いた世界と変わりないが、やはり文字や言葉には違いがあるらしく、そのどれも見たことがないものであった。
「文字は読めないが、言葉は理解できるんだな。
これは召喚儀式による影響なんですか?」
「私も詳しいことは存じ上げないのですが、おっしゃるとおり儀式によるものだと思われます。
気になるようでしたら、明日から始まると聞いております魔法の訓練の他に国の情勢であったり、文字や召喚儀式についての知識をつける場を設けるように手配しましょうか?」
「そんなことができるんですか?
ではお願いしたく思います。」
「かしこまりました。
あ、着きましたね。こちらが浴場となります。」
「ありがとうございます。
先に洗濯をしてもいいですか?入浴後だとルルーナさんのお時間を取らせてしまうので。
あ、洗濯してそのまま服を渡すことになると思うんですけど、俺下着だけの姿になるんですが、大丈夫ですか?」
「お気遣い感謝します。ええ、問題ございません。
慣れています。というと語弊があるかもしれませんが、洗濯などで男性の下着を洗うこともありますし、入浴の手伝いをさせていただくこともございます。
聖人様のいた世界では珍しいことかもしれませんが、この世界ではごく普通のことですので、お気になさらないでください。」
「わかりました。」
なんて言ってみたものの、パンイチ姿を他人に見せるのは抵抗がある。ただそれでは四の五の言ってられないので、扉を締め、帯を解き、着物を脱ぐ。
用意してもらった洗剤は固形のものだった。本当は中性洗剤とかが良かったのだが文句は言ってられない。大して汚れてもいないから水洗いだけでも良かったのだが、和菓子作りのときに使った粉糖が袖口に付いていたため、仕方なく用意してもらった固形洗剤を使用した。
洗い終わり軽く水気を切ると、外で待っていたルルーナに着物を渡した。
そこからは開いた口が塞がらなかった。
魔法といえば杖を持ちながらなにか呪文のようなものを詠唱し使うものだと思っていたが実際はそうではないということがわかった。
ルルーナが手をかざすだけで着物や帯は宙を舞い、暖かい風に包まれ一瞬にして分厚い着物から水分が失われた。
そのままこれまた魔法なのか着物がきれいに畳まれていき、御城の手元へとふわりと漂っていった。
「すごい!すごいですルルーナさん!」
「お褒めに預かり光栄です。
明日から始まる魔法の訓練を積めば、聖人様もすぐにできるようになりますよ。」
「本当ですか?
勝手なイメージ魔法は杖持ったり、呪文を詠唱したりするイメージだったので手をかざしただけで使えるなんて驚きました。」
「ふふっ。これも明日からの訓練で学ぶ内容だとは思うのですが、杖などはなくとも魔法を行使することは可能です。ただ呪文はちょっと別でして、今のような簡単な生活魔法であれば唱える必要はないのですが、攻撃や防御に使うような魔法では詠唱が必要になる場合もあります。これは使用者の熟練度によって詠唱を必要とするか否かがわかってきます。」
「そうなんですね。ありがとうございます。
あ、部屋への帰り道覚えてるので、待ってていただかなくて大丈夫ですよ。」
「かしこまりました。
それでは少し早いですがおやすみなさいませ。」
「こちらこそ、おやすみなさい。」
ルルーナは一礼して、来た道を振り返り帰っていった。
案外一人にしてもらえるものなんだな。召喚されたくらいだから監視とかされるものだと思ってた。
そんなことを思いながら脱衣所でパンツを脱ぎ、浴場へと足を踏み入れる。
浴場に入ってみて最初の感想は「広っ‼️」であった。元いた世界でも何度か銭湯や温泉に行ったことはあるが、ここまで広い浴場を見たことがない。
(俺って本当に異世界召喚されたんだ。)
浴場の広さが異世界召喚された事実を確固たるものにするなんて思ってもみなかった。
疲れていたこともあってか、早く湯船に浸かりたいという思いが先走り、簡単に洗体を済ませた後、ゆっくりと体の芯から温まるように肩まで浸かる。
「あったけぇ〜」と一人で呟く。この国の都合で勝手に召喚されて苛立っていたが、美味しい食事に、フツーに生活をしていたら入ることのできない大きな風呂に感動を覚え、異世界召喚も悪いものではないのではないかと一瞬頭をよぎる。
いやいや、何考えてるんだと自身の考えを改め直し顔を横に振る。
その時視界に人影が映った。
「えっ!」
「おまえ、、あ、いやゴジョーか。」
人影の正体はヴァニタスだった。
騎士は寮があると聞いていたため、寮の浴場を使うものだと思っていたが、そうではないのだろうか?なんてことを思いながら浴場には気まずい空気が流れた。
この広い浴場でなぜこんなにも近い距離で湯船に浸かっているのかがわからないが、おそらくお互いにここで距離を取ったほうが負けな気がしてわざと離れて浸かり直そうとは思わない。
感覚でいえば同時にサウナに入って、先に出たほうが負けとかいう暗黙のルールのようなものだ。
そんな気まずい空気を壊したのはヴァニタスの方であった。
「お前...じゃないな。ゴジョーはこの国を憎んでいるか?」
「もう好きに呼んでください。お前でいいですよ。
はぁ。そうですね。憎んでいるかどうかについてですがまだわからないの一言です。
正直な話、気持ちの整理が追いついてないので、憎むとかそういう感情の前に今後の不安でいっぱいです。
むしろ憎んでいるのはヴァニタスさんの方ではないですか?ま、憎むというよりかは嫌いに近いんですかね?俺のさっき言ったこと当たってるんじゃないですか。
もし召喚されたのが女性であれば結婚するつもりだったんですよね?
楽しみにしていた結婚相手がこんな冴えないやつ。しかも男だったとわかったらそりゃ気持ちの良い対応はされないでしょうよ。」
「...お前への言葉遣いや行動に対して、改めて謝罪する。
申し訳なかった。」
「いえ、もういいですよ。
すでに謝ってもらってます。気にしてません。」
「お前の言う通り、召喚者が聖女だった場合求婚する予定ではいた。」
「でしょうね。」
「だが、召喚されたのがお前で良かったと思っている。」
「はぁ?」
ヴァニタスの口からでた言葉は想定外のものであった。
召喚されたのは俺で良かったってどういう意味だ?先程までヴァニタスの方なんて向いていなかったが、衝撃的な言葉に咄嗟にヴァニタスの方を向いてしまった。
髪を掻き上げ、オールバック状態になっており、顔がよく見える。
あの冷ややかな視線や表情をしていた顔とは到底一緒とは思えないほどの美顔がそこにはあった。濡れた髪から水滴が頬を伝い、顎から下へと落ちる。落ちた水滴は水面に触れると波紋が広がり、御城に当たるとそれはきれいに消えていった。
御城に顔を見られているのがわかったのか、ヴァニタスは御城と目を合わせる。
ヴァニタスの目は目尻が下がり、それはまるで愛おしいものを見るかのようであった。
「俺はもともと結婚するつもりはなかったんだ。」
「...」
ヴァニタスの言葉に何も発言できないでいた。
「よくある政略結婚みたいなものだ。
俺は近衛騎士の騎士団長をしている。名前はヴァニタス・フォン・ヴェルドニア。この国の第一王子だ。
俺と陛下の距離が近かったのは親子だからだ。」
「お、王子?
謝らないといけないのは俺の方だったりします?不敬罪とか...?」
「こちらが召喚したんだ。不敬も何もない。お前は謝らなくていい。
話を戻すが、国の第一王子と召喚術式に応じて召喚された聖女が結婚。国民も安心できるだろ?つまり俺は国のために好きでもない聖女とかいうやつと結婚しなければならなかった。
だが、召喚されたのはお前だ。
この国では同性婚が認められているが、王子という立場上後継人を残す必要がある。つまりは女でなければならないんだ。」
そういうとヴァニタスはその優しい目のまま御城から目を逸らし無を眺めた。
御城から見えるヴァニタスの横顔はどこか儚げに感じた。
先程まで騎士服を着ていて見えていなかったが、騎士団長なだけあってかきれいな筋肉の付き方をしている。湯に浸かっているため胸より下は見えないがそれでも胸筋と腕の筋肉は見える。
あぁ、なるほど...
「ヴァニタスさんには想い人がいるんですね。
だから聖女と結婚したくなかった。」
「いや、いないよ。これは嘘でもなんでもない。本当にいないんだ。
...少し話し過ぎたな。俺の言ったことは忘れてくれ。
部屋まで送ろう。俺は先に上がるが、温まってから出てこいよ。」
ヴァニタスはそのまま浴場を出て脱衣所へと向かった。
ヴァニタスを見送ると御城は大きくため息をついた。
(そうか。王子だから騎士団寮の浴場じゃなくて王宮のを使っていたのか。
召喚されて一番最初に声をかけてきた理由も、国王が頭を小突くほどの距離感なのも王子ということですべて納得がいく。
そういえば第一王子と言っていたな。てことは第二王子もいるのか?
複数人いなければ、わざわざ第一なんて言わないよな。)
考えても仕方がないと思い、御城は頭の先まで一気に湯に浸かる。
ヴァニタスが外で待っていると言ったことを思い出し、急がなくて良い的なことを言われたが王子を待たせるわけにはいかないので、湯から上がり脱衣所へと向かう。
宣言通りヴァニタスは御城を部屋まで送っていった。
その間特に会話はなかったが、横に並んで御城の歩幅に合わせているようであった。
部屋に着くと、扉を開け御城を先に部屋に通した。
「な、なんか急に優しくされるとちょっと...」
御城は戸惑いながらもヴァニタスへ伝える。
「なんだ。冷たい対応が好みか?」
「そういうわけじゃないですけど、言った通り慣れてないようなので無理にそういったことはしなくて大丈夫です。現にお前呼びですよね。」
ヴァニタスは頭を掻き、話しづらそうにしながら「明日は俺が迎えに行く。それまでこの部屋にいろ。」と言い残し部屋を出て行ってしまった。
御城は閉じた扉を数秒間眺め、その後大きなベッドへと向かい、そのままダイブした。
「今日は本当にいろんなことがあった。」とぼやきながらまぶたが重くなっていく。
(そういえばこの世界に来てから、誰の笑顔も見てないな。疲れの原因は笑顔を見てないからかもしれない。
ヴァニタスは......笑うのだろうか。
笑うのなら、どんな笑い方をするんだろ。)
御城はヴァニタスのことを思い浮かべながら、静かに寝息を立てる。