「
スマホから聞こえてきた大学時代の友人の言葉に僕は凍りついた。
頭蓋骨の中から金属板で折られた紙飛行機が飛び出していくようなおかしな音が鳴った気がする。
思っていたよりも、想像していたよりも、はるかに重く、心の奥底のどこかで僕は彼女のことを考え続けていたのかもしれない。
だけど、口をついて出たのは、
「ああ、そうか」
という芸のない言葉だった。
普段なら口から出まかせ、耳障りのよい台詞が吐けたかもしれないが、この時ばかりはできなかった。
「なんだ、冷たいな。元カノだろ」
「随分と前に捨てられてるしね。……いつ、亡くなったの?」
「あれ、死んだ時期が聞きたいのか? 死因とかはどうでもいいのか」
「そうだけど」
死因、という単語に引っかかった。
人が死ぬには色々と種類があるが、その際に質問されることはそんなにないだろう。
僕が聞いた「何時」というのは最もポピュラーな質問のはずだ。
なのに、友人は「死因」を聞かないのかと言ってくる。
つまり、春目シーラの死に方のどこかに気になる点があるということだろうか。
でないと、そんな会話の流れになることはない。
「……死因って、なにかあったの」
「自殺したんだと。おれらとタメの年齢でまだ若いってのに。どっかのホテルのウォークインクローゼットのノブに紐を引っかけてってことだ。一週間前の火曜日だったって話」
先週の火曜日って、ほんとについこの間じゃないか。
僕は週末を使って、実家の傍にある依頼先に出張という名の里帰りをしていたので、ちょうど東京にはいなかった。
その時に、あいつは死んでいたのか……
しかも自殺なんていう寂しい死に方で。
場所がホテルというのなら、すぐに見つかっただろうことが幸いなのかもしれない。
ホテルにとってはいい迷惑だろうけど。
「それはさすがにショックがでかいよ。いくらなんでもさ……」
「まあ、前もそうだったかが、自殺なんて縁起の悪い話だからな。ショッキングすぎるっちゃすぎるだろう。ただ、春目がどこのホテルで死んだのかまでは知らない。そのうちに大島てるにでも載るのを待つしかないな」
「別に探したりはしないよ。自分の部屋でやって欲しいとは思われているだろうけどさ」
「確か、春目もマンションで一人暮らしだったよな? 大学の傍の白いやつ」
「いや、あそこは退学したときに引き払っていたはずだよ。僕らが四回生の七月にあいつが大学辞めたときに」
シーラの部屋を思い出す。
僕と彼女が初めて結ばれた場所。
一年ほど足繁く通った、あの白い壁のマンション。
シーラは建物のことを手にしていたコンビニ袋ごと指さして、「お洒落で可愛くないですか?」と自慢気に語っていた。
「知り合いから聞いた話だと、春目の死体の場合は、警察が検死したあとで実家の両親が持って帰ったそうだ。その前にこっちで火葬したらしいから、田舎に戻ったのは骨壺だけってことだ」
「あいつの田舎って九州だってことは覚えているよ。葬式とかやらなかったのか……」
「俺にはわからねえけど、田舎の人には親族が自殺って体裁が悪いんじゃないのか。かといって、死体まるまる持って帰るのは変な噂になるからこっそり運べるように火葬はしたんじゃねえの」
亡くなった人の遺体を死体と呼ぶのも、体裁が悪いというのも、僕にとっては気分がいいものじゃないが、わざわざ情報を伝えてくれた相手にそんな言いがかりをつけるのもアレだろう。
友人はこのあともシーラの死について追加情報を続けてくれるが、本人もあまり面白がっている風ではない。
義務でやっているという感じだった。
彼も春目シーラという女のことをよくは思っていないが、僕のためにわざわさ教えてやっているという程度だろう。。
確かに、彼女のことをよい風に覚えているものはいない気がする。
彼女の大学での、ひいては同期の評判は最悪なのだから。
男にトチ狂って散々遊びまわった挙句、大学を辞めた女としか覚えられていないのだろう。
色々な知り合いが僕に対して同情を寄せてくれるのは、僕らが別れた時のあのイカれた騒ぎのせいに違いない。
どれだけ広まっているのか、僕が当時の知り合いに会いたくないのはその拡散範囲がわからないからだ。
ネットにもそれなりに上がっていると思うので、僕はエゴサーチをほとんどしたことがなかった。
「他に知りたいことあるか?」
「いや、特にないよ。わざわざ電話を貰ってごめん」
「いいさ。――もう春目で二人目だしな。自殺して誰かが死んだなんて話は誰だって何度も耳にしたくないだろ。それが元カノだってんなら猶更だ。じゃあ、今度、気晴らしに飲みに行こうぜ。またな」
「ああ、ありがとう。おやすみ」
通話が切れた。
短い、一分半ほどの通話だったが、それでもどっと疲れてしまった。
喉が苦しくなり咳がでる。
間接的にとはいえ、人の死というものに触れるのはとても大変なものだ。
そう考えると、家業が思い実家から外に逃げ出して、僕は正解だったのだろう。
メンタルが全体的に弱すぎるのである。
ちょっとした仕事のプレッシャーでもストレスがかかると、すぐに正体不明の咳がでて気が滅入る。
気のせいか倍も書類が増えたようなカバンを抱えて、僕は再び家路につくことにした。
わりと暖冬な今年は、手袋をつけずに夜道を歩ける。
息も白くない、すこしだけ肌寒い世界を進む。
春目シーラ。
あんな別れ方をしたのに、ずっと忘れていた元カノジョ。
久しぶりにその名を聞いたとき、彼女はもう死んでいたのだという。
「ここしばらくはホントに思い出しもしなかったのに」
それは僕が女性と接することが少なかったせいだとも思う。
わかりやすく言うと、男女間の感情的な絡み――はっきりいえば恋愛ごとなどを避けていたからだ。
シーラによって作られた大きな傷口をわざわざ抉ることをせず、十分に完治するまで待っていたのである。
ただし、彼女の名前だけで癒えたはずの傷口が、痛みを覚えるほど引き攣っているのでまったく綺麗に治っていたという訳ではなかったみたいだった。
大学時代につけられた目に見えない傷を、目を逸らすことでなんとか庇っていただけということになりそうだ。