仕事のために健康診断書と帳簿を持ち込んだ私――三ヶ月後、雇い主一家に「御曹司の彼女」だと思われていたことが発覚しました
電脳海月
恋愛現代恋愛
2026年07月30日
公開日
7.3万字
連載中
水野鮎、東京農大卒。
豚熱の影響で経営危機に陥った実家の養豚場を救うため、彼女は月給八十万円の高給住み込みスタッフの仕事を引き受けた。
相手は、気難しい独身御曹司。
そう思った鮎は、健康診断書、栄養士資格、三種類の献立表を用意し、完璧な仕事人として彼の家へ向かった。
彼女が持ち込んだのは、恋愛の準備ではない。
帳簿。
農業金融の資料。
養豚場改善の計画書。
仕事をするためのものだけだった。
鮎は真面目に家計簿を管理し、ネジ一本まで購入明細に記録した。
雇い主と同じ食卓につくこともなく、決められた距離を守った。
仕事内容が変わる可能性まで考え、子供の世話や高齢者介護の研修計画まで準備していた。
すべては、ただ仕事のため。
――のはずだった。
三ヶ月後。
実家の母豚の出産に立ち会うため、鮎が辞職を告げた時。
彼女を引き止めたのは、雇い主本人ではなく、彼の友人たちだった。
「最上階の籠の鳥が逃げちゃうの?」
鮎は首を傾げる。
籠の鳥?
彼女のスーツケースの中に入っているのは、恋人との思い出ではない。
『畜産経営』
『農業金融』
そして、完成途中の養豚場改善資料。
その瞬間、彼女は初めて気づいた。
神谷光孝の周囲にいる全員が、自分を彼の期間限定の恋人だと思っていたことに。
そして――。
その事実を、本人だけが三ヶ月間何も知らなかった。