極道の若頭に恋するふりをして099日目――宿敵を誘惑しろと命じられ、本当に行ったら彼が泣いて後悔しました
タイヤキ犯
恋愛現代恋愛
2026年08月20日
公開日
1.9万字
連載中
星野寧音は、これがただの取引だと思っていた。
弟の手術費を用意するため、彼女はある男の提案を受け入れた。
伊藤組の新たな組長へ近づき、内側から情報を流す――それが彼女の役目だった。
ドレスを身にまとい、極道の世界へ足を踏み入れる。
華やかな宴の裏で情報を集め、薄暗い茶室では相手の探りをかわす。
一つの失敗も許されない。
笑顔の裏側には、いつも恐怖があった。
寧音は思っていた。
自分はただ、龍崎洸にとって利用するための駒なのだと。
けれどある日。
年末の集まりで、彼女は伊藤遇に書斎へ追い詰められる。
そこで目にしたのは、机の上に広げられた一つの調査資料だった。
そこに書かれていた真実。
「自分を守る」と言っていたあの男の正体は――
警視庁の潜入捜査官だった。
その瞬間、寧音は知った。
最初から、自分は二人の男に同時に利用されていたのだと。
それでも彼女は思っていた。
せめて彼だけは、生きて戻ってきて、自分にすべてを説明してくれるはずだと。
けれど――
港で彼女が見たのは、銃弾に倒れる彼の姿だった。
黒い海へ沈んでいく身体。
七十二時間に及ぶ捜索。
しかし、救助隊が持ち帰ったものは何もなかった。
彼女は彼の葬儀に出席した。
そして、彼が残した手紙を読んだ。
そこには、こう書かれていた。
「もし来世があるなら――」
「今度こそ、何の汚れもない自分で君に出会いたい」
寧音は思った。
これで終わりなのだと。
もう二度と、彼に会うことはないのだと。
――三年後。
撮影現場の照明の下。
一人の男がサングラスをかけて、彼女の前へ歩いてきた。
そして、スタッフ全員の前で淡々と言った。
「このキスシーンは削除する」
「これから彼女の出演作品では、キスシーンもベッドシーンも一切受けない」
寧音は息を止めた。
その声。
その姿。
間違えるはずがなかった。
彼は生きていた。
帰ってきたのだ。
そして彼女は気づいてしまった。
自分は――
彼を憎むことなんて、最初からできなかったのだと。