かつて…気の遠くなるような時間をかけて、無から意味あるものが生まれた。
それらは集まり、複雑で美しい構造体となった。そう、世界が生まれたのだ。
創造主は去ってしまったが、代わりに、天使たちがシステムを用いて世界を見守った。
創造主に似た、美しい生命体、人間。天使たちは人間を愛し、その滅びの未来を憂いた。
ある時、一体の天使が禁を犯して、一人の少年にシステムを利用させた。
すると少年は、システムの力を利用して、滅びの未来を回避した。
この出来事は、創造主の意志に反する行為なのか?創造主の神聖なる業を穢す罪なのか?誰にもわからない。答えなど、出せない。
…ただ一つ、言えることがある。
「人間の想像力は、時に、神をも、超える」
バスチオンの言葉を、天使は一笑に付す。
「これ以上の冒涜は、許さぬ。この空間に存在する以上、ワタシには絶対に勝てぬという事が、まだわかりませんか。バスチオン」
天使の足元、青く輝く扉から、武装した無数の人間が現れる。
戦死したマヌーサの騎士は、天使の軍勢になるという…。まるで聖典の伝承の如く、召喚された兵の列は終わる事が無い。それらは駆け足で少年と老執事を取り囲んでいく。
「ルールを決めるのは、ワタシだという事が」
ローリーは目を閉じ、深呼吸する。意識を集中する。今に集中する。
やれることを、やるだけだ。今までと、同じ。僕には、皆がついている!
眼を開ける。手をかざす。光り輝く本が現れる。
「みんな!僕に力を貸してくれ!」
ローリーが言うやいなや、魔法の本と同じオレンジの光に包まれた騎兵が飛び出す!
一騎、二騎…三、四、五騎!止まらない。次々に飛び出していく。騎士たちは突撃し、包囲を崩していく!
ユニコーンに騎乗した、ひときわ凛々しい騎士が本から躍り出る。
まとめた美しく赤い髪に、紺のマント。ローリーの母にして、騎士団長。
「世界の管理者、天使よ!モンテス騎士の誇り!お見せしよう!」
槍を構えたヤグリスが笑顔で叫ぶ。騎士は喊声でそれに応えた!
空間を震わせるほどの、騎兵の突撃!
さらには抜剣した騎士達が、ローリーらの周囲に参集するや、敵に襲い掛かる!
「コモドー!ブレーナー!メーヤーに、サンダー!」
「分団長!お久しぶりです!」
「ローリー様をお守りしろ!」
「ローリー様に、栄光を!」
天使は言葉を失った。
もし、それに感情というものがあるならば、大きく驚いていた事だろう。
ここは少年の内面世界。閉じた世界なのだ。少年以外の人間が、入りこむことは、絶対にありえないことである。
しかし、そのありえないことが、天使の前方で繰り広げられていた。
「ローリー。アナタはここまで深く、精密に、他者を、世界を、感じていたという事なのか?この場に再現可能なほどに」
天使の軍勢と、ローリーの仲間たち。数は前者が勝るが、戦場の趨勢は後者が掴んでいる!
「システムは…テクノロジーは、ここまで人間を変えるというのか」
天使が再び、その力を集中する。
「やむをえまい」
その頭上にエネルギーの光球が現れ、大きさを増していく。
「このゲームのルールを決めるのは、ワタシだと言ったはず」
天使を見上げる、バスチオン。その顔には微笑が張り付いていたが、一筋の汗がその頬を伝った。
「見事でした、ローリー。だが、終わりだ。さらば。悪魔の愛した少年よ」
天使の作った光球が急速に膨れ上がる。あまりに巨大…もはや天を覆い、その熱は周囲をじりじりと焼き始めた。
苦悶の表情で膝をつくローリー。
そして、太陽の如き火球が、少年と老執事に向かって、放たれる!
蒸発していく敵の群れ。
天使の語った通りであった。
天使こそが、この空間の管理者。この空間のルールを自由に定めるもの。
これはもはや、回避することも、受け止めることも出来ぬ、攻撃であった…。
準備は整っております…バスチオンの言葉が、ローリーの中でこだました。
後ろを顧みる少年。そこに、異母兄アンドラスが立っていた。
「お兄さま、出番ですよ!」
頷き、涼やかに微笑むアンドラス。その身体が青白く輝く!
「いくよ…カタハルコン!」
ローリーとアンドラスの前に、光り輝く剣が現れる。それは魔剣だった…いや、剣の姿をした、悪魔が与えた力。今この瞬間の、ために!
「ローリーにこれ以上、手を出すな!」
アンドラスの叫びとともに、迫りくる太陽は…かき消えた!
激しい空気の渦が巻き起こり、よろめく兄弟。
ローリーには、何が起きたかわからなかった。
天使の虚ろな貌までもが、驚愕に歪んでいるかのようであった。
「ありえない」
そして…
…正確にはじき返された、自らの攻撃によって…
天使の身体が一瞬にして、燃え上がり、炭化する。
火の粉が舞い踊り、煌めく。
「あ、り、えな…い」
それは黒い彫像と化して、落下。
物言わぬ残骸となった…。
「…お兄さま」
「ヒーローは最後に登場するのさ。そうだろう?じいさん」
「…その通りです。アンドラス辺境伯」
バスチオンがアンドラスに与えていた、向けられた敵意をそのまま反射する力…その力を、ローリーはシステムを通して知っていた。しかし、それが見事に作用する場面を、初めて目にしたのだった。
やはり準備は整っていたのだ。だがしかし、この結末に至るには、針の穴を通すような連携が必要だった。
最後の戦いを終え、少年の周囲に仲間が集まっていく。
彼らは幻などではない。ローリーの心…主観的現実に存在する、仲間たち。しかし彼らは客観的現実に限りなく接近している。
だからその力は、本物だった。
幻などでは到底、天使に対抗できないのだから。
微笑み、口を開くローリー。
だが、言葉を待たずにシステムの空間が、闇に包まれる。
空中に現出したディスプレイが閉じていき、輝く一文字は、光の軌跡を残して、消失した…。
―天使は、世界の管理者。
―それらには様々な権限が与えられ、その知性、情報処理能力、内蔵エネルギーは人間をはるかに凌駕している。
―だが、それだけです。
―食べる事、寝る事…愛する事。
―笑う事、泣く事、苦しむ事、そして怒る事…天使には…そう、私たちには、何一つ、出来ない。
―私たちには物語を紡ぐことは、出来ない。人間のように、想像力をもたない。
―物語の中では、人間の想像力ほど、恐ろしい武器は無いのです。
システム空間から、無事に帰還したローリー。
気付くと彼は、トレッサを見下ろして、立っていた。
少年は、強い疲労に幾分かやつれたような印象。だが、妹を見つめるその顔は、笑顔で輝いている。
「…おにいさま…」
「トレッサ…おはよう。具合はどうかな?」
トレッサは跳ね起きてローリーを抱きしめた。尻もちをつく少年。
「…感じたの。私のために、おにいさまが、戦ってくれているのを!」
「…怖かった?」
「最高に、かっこよかった!私のおにいさまは、最高にかっこいいわ!」
抱きあう、兄妹。
情景は、ゆっくりと色彩を失い…少年の記憶となった。少年の物語となった。
―こうして、天使は退いたのです。
―少年は、バスチオンや、仲間たちとともに、王国で、幸せに暮らしました。
―めでたし、めでたし。
「少し、雑かな…」
「いえ、ぼっちゃまらしい、心温まる、締め括りだと思います」
ローリーが振り向くと、そこにバスチオンがいた。
「…じい…僕の日記を、勝手に見るなんて!」
「お許しください、国王陛下」
二人は笑う。だが、ローリーはどこか遠くを見やった。
「…天使は、また…現れると思うかい?じい」
頷くバスチオン。
「…同じ轍は踏まない…それは天使だって、そうだろうね」
「ええ。ですが…万事整っております」
「不思議だな。じいと一緒なら、何があっても、切り抜けられるような、気がするよ」
システムの輝く窓の外。
ミッドランドの広大な穀倉地帯が黄金色に染まっている。
ローリーの故郷、モンテス領から少年のもとに、嬉しい知らせが届いた。今年は、稀に見る豊作であったという。
王国軍に徴兵された褒賞騎士の大半が帰還を許され、再び畑仕事に戻った。
再会を喜ぶ家族たち。そんな喜びの中で、少し遅い刈り入れ。
少年が望んだ、理想の季節が訪れたのだ。
王室領の執務室にて。書類の山から、ひょっこり少年の顔がのぞいた。ローリーは椅子から立ち上がり、歩んでいく。
部屋を出ると、執事長シーラス以下、召使いたちが整列し道を作っていた。
「行ってらっしゃいませ。国王陛下」
薄手の外套を着せられ、剣を帯びる少年。
あまりに幼い、着飾った姿は、少々、滑稽でもあるが、その瞳は強大なブレイク王国の主としての意志の力に満ちている。
王国の誰もが、ローリーの仕事を理解し、その役割を承認していた。
吹き抜けの二階から、少年に手を振る王妃アストレア。その傍らでは女王を退位したミディアが微笑み、ローリーも元気に応える。
護衛と共に馬車に乗り込むと、しばしの旅。
故郷、モンテスを経て最前線のグザールへ。
ローリーは自分自身の目で、各地の状況を確認したがった。
戦争…世界に降り注いだ星…人間の危機と、天使の出現。
まるで、悪い夢を見ていたかのようだ。
だが、これらの出来事は、ローリーに大切なものを、改めて、気づかせてくれた。
「お母さん」
「ローリー」
ヤグリスの私室にて。幼子を抱いた、母と面会するローリー。
「その後、お身体に、障りはないですか?」
「ええ、ローリー。あなたこそ。無理はしないでね」
微笑み、頷く。
「ローリー。愛を、ありがとう…私も、とても幸せです」
「トレッサと、お兄様を宜しくお願いします」
「ええ」
「あと、アンドラスお兄様もね」
「ええ、大丈夫です。アンドラスは、あれで素直なところがありますから」
「お母さん。僕にも、抱かせてくれますか?」
「もちろん。今、ちょうど起きているわ」
幼子を優しく抱く、ローリー。ずしりと重かった。赤ちゃんの大きな瞳が、ローリーの笑顔を写している。
「わあ…大きくなったねえ!」
モンテス城を辞したローリーは、第二の故郷、グザール領を目指して再び馬車に揺られる。
ローリーの庇護者である曾祖父、前グザール公は今年の初めに、亡くなっていた。
しかし、少年は諸侯マイネンや、執事長ハインス、さらに管区総督セレストと、強固な人間関係を築いていた。
マイネンらに面会するローリー。グザール領には未だ、王国軍が駐屯しており、和平交渉が粘り強く続けられていた。
「ようやく、私の願いが成就しそうです。これも、グザール公とハインスさんのお計らいのおかげ」
ローリーの発言に、マイネンらは頭を下げる。
「陛下、王国軍の維持にご尽力いただき、ありがとうございます。おかげさまで、商業地は復興が進んでいます」
頷くローリー。
「セレストさん、学校を気にかけてくれて、いつもありがとうございます」
「もちろんです。ローリー様。あなたのご指示ですから」
「今から視察に行ってきます」
ローリーは城を後にすると、学校へと向かう。
アムリータのいる、学校へと。ローリーにとって、アムリータはかけがえのない人物である。
二人は理想を分かつ、戦友と言ってよい。
「女神のもとでは、誰だって兄弟姉妹。そうでしょう」
「もちろんだよ。アムリータ」
握手を交わす、少年と少女。絆で結ばれた二人であったが、少女が秘めた思いを少年に打ち明けることは、なかった。
アムリータの背後で、じっと出番を待っている二名の老人。コモドーとサガン。
サガンは戦争の間中、アムリータや学校の職員、生徒を守り切った。険しさすら感じさせていたその居住まいは、今や落ち着いた和やかさを宿している。
ローリーの前に歩みでる、コモドー。
「わしらのローリー様が、国王になられて…あの…ローリー様が!」
男泣きに身を震わせる老人。ぽかんと見ている子どもたち。
ローリーは涙をこらえて、老人の肩を優しくなでた。
「…コモドー。あなたの、おかげなんですよ…」
号泣する老人を囲むように、笑顔の輪が出来る。
モンテス領の家族、騎士の仲間達。
グザールの大勢の友人…それから、大切な王国の仲間たち。
全ての人のために、ローリーは紡ぎ続けるだろう。
その輝ける、物語を。
…ずいぶん長々と、お話してしまったようだ。エピローグは、短く済ませるつもりだったのですがね。
ローリー様の波乱に満ちた人生は、これからも続きますが、ひとまずここで、締めくくりたいと思います。
なぜならこの時、ぼっちゃまは、ついに私の手を離れて、お一人で歩み始めたからです。
この物語を、あなたと共有出来た事、私は心から嬉しく思う。
さて…次はあなたの番だ。
あなたの物語を、どうか、聞かせてくださいませんか。
あなたが今日まで生きてきた、その素晴らしい、物語を。
眩い、物語を。
ああ、やはり、人間は、美しい。
あなたは、美しい…。
完