「ふ、冬希……」
殴られた右頬を押さえながら颯真が冬希を呼ぶ。
冬希の目は完全に怒りに燃えていた。
表情こそは変わっていないが、全身をいつも見る青白い光ではなく炎が揺らめいている錯覚を覚える。
冬希が怒っている、ということは鈍感な颯真もすぐに分かった。
やはり自分が普通の人間ではないのに人間として冬希に接していたからそれで怒っているのか、とズレた考えでごめん、と言おうとした颯真の胸倉を冬希が掴む。
「バディ? そんな甘っちょろい関係だったのか、私たち!」
「——え」
思わず颯真が声を上げる。
同時に、冬希が何に対して怒っているのか分からなくなる。
少なくとも、冬希が颯真の出自について怒っているわけではないということだけは分かった。それなら、一体何に対して。
疑問符を浮かべて見上げてくる颯真を、冬希は思いっきり揺さぶった。
「あうあうあうあう」
揺さぶられた颯真が情けない声を上げるが、冬希はそれを無視してさらに颯真を揺さぶる。
「私の気持ちも考えて! 私は颯真のことをただのバディとは思ってない!」
表情だけは変わらず、冬希は自分の感情を颯真にぶつける。
「それとも颯真は本当に私のことをただのバディって思ってるの!?」
「それは——」
颯真が言葉に詰まる。
冬希がただのバディ? そんなことがあるはずがない。
冬希は大切な仲間だ。そして、それ以上に颯真にとって「大切な存在」だった。
冬希が隣にいるだけで心が奮い立つし、冬希を支えて共に強敵を倒したいと戦ってきた。冬希の父親が逮捕された時は寄り添わなければと思ったし、母親の仇は共に取りたいと思った。
実際のところ、その気持ちが先走ってのあの一件ではあるが、それでも颯真にとって冬希は目標であり、全てだった。
言いたいことはたくさんある。
怪我をさせたくない、一人で突っ走ってほしくない、もっと自分を頼ってほしい、そして——。
——もっと、冬希と一緒にいたい。もっといろんなことを、二人で共有したい。
「冬希、僕は——」
「私は、颯真のことが好き」
颯真の言葉を遮り、冬希が自分の想いを口にする。
「颯真はいつも私を見てくれた、私を助けてくれた、私に自由をくれた。私も他の人と同じように楽しんでいいんだって教えてくれた。私のために怒ってくれた。颯真は、どう思ってるの」
冬希のまっすぐな視線に、颯真の心臓が跳ねる。
そうだ、この感情だ、と颯真が気づく。
冬希を苦しめたくない、冬希を誰にも奪われたくない、その気持ちは変わらない。むしろ、その思いが暴走して深追いしてしまったし、裏の世界に転がり込んでしまった。様々な幸運に助けられて戻ってくることができたからよかったものの、颯真は自分が感情的になって突っ走ったことを深く反省していた。
それを踏まえて、今後どうすればいいか、今どうすればいいかを考える。
いや、その前に——。
自分の裡にあるこの感情を、きちんと言語化しなければいけない。
以前、朱美に言われた「好きでしょ」という言葉を思い出す。
その時はその感情がよく分からなかったが、今では分かるような気がした。
この感情は「好意」だ。冬希の隣にいるのはとても心地よく、ずっと一緒にいたいと思ってしまう。冬希に悲しい思いはさせたくないし、悲しい思いがあるのならそれを共有したいと思ってしまう。
「僕は——」
胸倉を掴む冬希の手を掴み、颯真が答えを口にする。
「僕も、冬希のことが好きだ。多分、この感情は、そういうことだと思う」
本当に恋愛感情だという自覚はまだなかったが。
それでも、冬希を大切に想う気持ちに偽りはない。
「颯真——」
冬希が颯真から手を離す。
「もしかして、私たちって……」
今頃になって、二人は自覚した。
自分の感情を理解しようとせず、それでいて歩み寄っていた自分たちはもうとっくの昔に想い合っていたのだと。
周りが自分たちに対してさまざまなアプローチをしていたが、その理由が「早く自分の気持ちに気づけ」ということだったとようやく理解し、二人は互いに顔を見合わせた。
「冬希……」
「颯真……」
互いに名前を呼び、それから同時に吹き出す。
「は……ははは……」
「ほんと、ひどいな……」
どうしてこんな簡単なことに今まで気づかなかったのだろうか。
そう思うと、自分たちがあまりにも滑稽で笑うしかできない。
ひとしきり笑ってから、颯真は冬希に腕を回した。
ぎゅっと抱きしめ、ありがとう、と呟く。
「……でも、いいの?」
「何が」
「僕は、普通の人間じゃない。何も知らない人間からすれば、化け物に見えるかもしれない。それでも——」
そう、不安げに尋ねる颯真を、冬希は抱きしめ返すことで答える。
「
まあ、あくまでも私の考えだけど、と言いつつ冬希は颯真の背を撫でる。
颯真が普通の人間でないと知れば嫌悪感を抱く人間は当然出るだろうが、冬希にとって颯真が抱えているものはあまりにも些細なことだった。
颯真が人間であろうと【タソガレ】の力を秘めていようと関係ない。
少なくとも私だけは颯真の隣に立つ、と冬希は思っていた。
それでも、颯真に対して嫌悪感を持つ人間がいるとしたら、冬希としては気分が悪い。
「もし、それでも颯真のことを気持ち悪いとか言う奴がいたら私がぶっ飛ばす」
「冬希、物騒」
冬希の腕の中で、颯真が苦笑する。
その気持ちだけで十分だ。
颯真のことはすぐに【ナイトウォッチ】の中でも知られることになるだろう。そこで他の隊員に受け入れられなくてもいい、と颯真は思っていた。全員が自分のことを受け入れる必要はないし、全員に敬遠されることもないはずだ。少なくとも、冬希が受け入れてくれているだけで颯真は満足だった。
それなら何も恐れることはない。自分は自分が信じる道を進むだけだ。
ありがとう、と颯真がもう一度呟く。
こんな僕を受け入れてくれて、ありがとう、と。
話し込んでいる時間はあっという間に過ぎるもので、気がつけばもうすぐ夜明けという時間になっていた。
時間に気付き、颯真が名残惜しそうに冬希を見る。
「うちに泊まっていっても、と言いたいけど神谷さんの宿舎を抜け出しているなら帰らないと」
もし、ここで無理に颯真を引き止めれば面倒なことになる、と冬希も分かっていた。誠一がわざと颯真を抜け出すように仕向け、再会を早めてくれたことに感謝する。それなのに戻らなければ誠一の監督不行き届きということで迷惑をかけてしまう。
「……ごめんね、冬希。暫くは会えないかもしれないけど、でももうどこにも行かないから」
「うん」
門の前で、二人はもう一度抱擁する。
戻って来れて良かった、という思いが改めて込み上げ、颯真は離れたくないな、と考えた。
このまま、冬希を連れてどこかに行ってしまいたい、という衝動に駆られる。
【ナイトウォッチ】も【タソガレ】のことも何も考えなくていい生活を冬希と送ってみたいと考えてしまう。
それが無責任な考えだと分かっているから実行しないが、それでも、いつか本当にそんな日が来たらいいな、と思う。
「……それじゃ」
冬希から離れ、颯真が自転車にまたがる。
「颯真、」
自転車を漕ぎ出そうとした颯真に冬希が声をかける。
「……ありがとう」
宿舎を抜け出してまで逢いに来てくれて、口にはしなかったが心の中でそう呟く。
「うん、なるべく早く戻ってくるから」
実際に、どれくらいの期間検査などで拘束されるかは分からない。
それでも、全ての用事が終わったら真っ先に冬希に会いに行こう、と颯真は固く誓った。
「また、後で」
そう言い、颯真はペダルを踏み込んだ。
今からなら全力で自転車を漕げば外出禁止の時間が終わるまでには戻れるだろう。
少しずつ白み始めた空を見ながら、颯真はペダルを漕ぎ、走り出した。
あっという間に走り去った颯真を、冬希はいつまでも手を振って見送っていた。