隼人が駅前に到着したのは、2度目の爆発のときだった。
大通りは人で埋め尽くされていた。
逃げよう、ここから少しでも遠くに離れようと、恐怖に取り憑かれた者たちに警官が必死にメガホンで冷静になるよう呼びかけているが、効果は見られないようだ。そんな警官にくってかかっている者もいれば、避難誘導のロープをくぐり抜けて独自に逃げようとする者たちもいる。
まるで漏斗の先のように混沌とした無秩序状態だ。
あの中に田中たちもいるんだろうか。ちらとそんな考えが浮かぶ。
そこには、前線と同じく逃げる人々を襲わせまいと化け物と闘っている者たちもいた。機関の者たちだ。
ただし能力は玄水や三歌音、辻たちと比べると2~3段は確実に劣っている。
ここに対する関心の薄さ、驚異度を低く見ているというわけではなく、単純に、人手が足りないのだ。戦場を広げまいと前線で闘っている優秀な霊能力者たちの中でも霊力切れを起こしている者たちが続出している状態で、ナイトフォールへの潜入部隊も出した機関には、これ以上ほかに割く余力がない。その上で、予測外の飛び地のように、ここも前線になってしまった。
あまり経験のない、2軍3軍の霊能力者が駆り出されても、仕方のないことだ。
そんなふうに理解していたが、すぐに目の前で2度目の爆発が起きて、そんな余裕も失われた。
まるでダニのように群がっていた化け物たちが侵入していくのを見て、デパートへ向かって跳ぶ。
その姿に、怨霊を滅しようと破魔矢を構えて空を仰いだ霊能力者が気付いた。
「あれは……
「え? 何だって?」
「ほんとだ、大儺だ!」
「あれが大儺か!」
「大儺? まさか本当にいたのかよ……」
たった1人でどんな怨霊も滅してしまうとうわさの大儺を目撃できたことに、一時、霊能力者たちが盛り上がる。
ざわめく下を無視して、隼人はデパートを見た。黒い化け物たちが壁に貼り付き、長い手足を使って登っている。彼らが向かっているのは、爆発で穴の空いた箇所だ。
いまだ黒煙がくすぶり炎がチラチラと見えるそこに、隼人もまっすぐ飛び込んだ。
◆◆◆
穴の先は瓦礫だらけで、人の気配はなかった。
どうやらカフェらしく、爆発したのは厨房だろう。焦げた死体と、それに群がっていた化け物たちは、生きた獲物――隼人が押し入ってきたことにすぐに気付き、彼を取り囲んだ。
隼人からすればどれもただの雑魚どもで、相手にすらならない。
ざっと見渡し、おもむろにポケットから試験管の
「憂喜を捜せ」
「へえ。承りましたえー」
白狐は周囲の化け物など目に入らないといった様子でゆうゆうと化け物たちの頭上を越え、白く輝く3本尾の軌跡を残しながら宙を飛び跳ねていく。
蜘蛛のような動きで囲った黒い化け物たちは白狐を目で追ったが追いかけるモノはなく、すぐに隼人に目を戻すと血で染まった人間のような口を開いてケタケタと嗤い、口々に片言の人間の言葉を吐いた。
「タスケテ」「マッテ」だったり、だれかの名前だったり……。
どれも意味のない言葉だ。そうやって相手を惑わして、動きが鈍ったところで食らいつこうとする手法と知る隼人は、一切耳を貸すことなく蹴散らすと、白狐のあとを追った。
◆◆◆
憂喜は口元を押さえて、できる限り小さくしてごほごほと咳き込んだ。
土煙に埃、黒煙が混ざり合って、視界が悪い。電気は所々しか点いておらず、ほとんどが消えてしまっている。
わずかな光源。うす暗い視界の中、天井に空いた大穴と階段から入り込んできた黒い化け物たちが、獲物を捜していた。
運悪く崩落した天井の瓦礫でけがを負い、うめき声を発していた者たちが、真っ先に餌食となった。長い蜘蛛のような前足で貫かれ、口元へと運ばれ、咀嚼する音が聞こえる。
栄枝がしがみついた陽向の耳を押さえて聞かせないようにしていた。気丈な人だと憂喜は思う。爆発、天井陥没、化け物の登場などで恐慌状態に陥ったほかの人たちのように大声を出してわめき散らしたり、パニックを起こしたりしない。理性で、この困難を乗り切ろうとしている。青ざめ、震えていたが、陽向を気遣い、耳元でささやいて力づけようとする、そんな彼女の姿に憂喜は実の母・桐子を思いだし、強い母である彼女を尊敬した。
そんな憂喜の前に、美喜の霊が現れる。
(美喜!)
美喜の霊は右方向を指し示していた。
あっちに向かえというのだろう。
「……父さん、動ける?」
「ああ。なんとかな」
憂喜の父は瓦礫に右足をやられていた。壁際にいたおかげでこの程度ですんでいた。
「ここは階段に近い。少しずつ、彼らと距離をとろう」
ゆっくり、少しずつ。彼らを刺激して、見つからないように。
細心の注意を払って右方向に移動する憂喜の耳に、そのとき、幼い少年の声が聞こえた。
「……カアサン、トウサン……カアサン、トウサン」
左右に首を振りながらうろつく小さな人影。
両親とはぐれたのだろうか? もしそうなら、一緒に連れて逃げてあげなくては。
そう考えた憂喜は、声のするほうに向かって小さく呼びかける。
「きみ、こっちへ――」
直前、美喜が現れて必死の形相で首を振ったが、間に合わなかった。
小さな人影が憂喜の声に反応してこちらを向き、近づいてくる。それは人によく似た、赤い両眼を光らせた、全身真っ黒で手の長い化け物だった。
「カアサン、トウサン……」
片言のしゃべりでその言葉を繰り返す。それは、捕食のための擬態だ。反応した獲物を見つけて食らいつく。
――ちぃ兄ちゃん、逃げて!
自分の失態に呆然としている憂喜を護ろうと、美喜が両手を広げて盾のように間に割って入ったが、黒い化け物の腕の一振りで散らされてしまった。
「美喜!」
思わず前に出た憂喜に向けて、黒い化け物の鎌のような腕が振り上げられる。
そのときだった。
風のようなエネルギーが憂喜の前に不可視の壁をつくり、化け物の攻撃をはじく。
「伊藤くん!!」
切羽詰まった声で彼を呼んだのは、未来だった。
「佐藤さん、どうしてここに……?」
目をぱちぱちさせて驚く憂喜の無防備な背に向かって振り下ろされかけた腕を、またもや未来の防御印から生じた風がはじき飛ばす。
「伊藤くん、話はあと! 早く逃げて!」
「逃げるって……どこに?」
「それは――」
はっと表情をこわばらせ、未来は再び印を組み、真言を唱えた。
床に輝いた方陣から風が吹き、壁をつくって憂喜たちへの攻撃を防ぐ。
だが未来は、防ぐことしかできなかった。
攻撃と防御を同時に行うことはできない。
(綾乃ちゃん、どこにいるの? ……綾乃ちゃんがいないと、わたしだけじゃ……)
脳裏にふと、弱音が浮かぶ。
そんな己の弱さを振り切るように頭を振って、未来は叫んだ。
「とにかくここはわたしに任せて、逃げて! 早く!」
「だけど……」
未来の言葉に、憂喜はためらった。
好きな女の子を攻撃の矢面に立たせて、自分は逃げるのか? それって、卑怯者のすることじゃないか?
ためらい続ける憂喜の後ろで、父親は栄枝の手を借りて、足を引きずりながらも歩き出していた。憂喜が動かないことに気付いた陽向が上着の裾を引っ張る。
「……お兄ちゃん、逃げよう……?」
陽向のおびえた顔を見つめて、憂喜は思った。
(そうだ。俺は、この子を護らないと)
「佐藤さん、ごめん。……ありがとう」
陽向の手を引き、父親のあとに続く。
だがそうして向かった先にも、窓から入ってきた複数の化け物が待ち構えていた。
「父さん、危ないっ!」
栄枝に支えられた父親に向かって化け物が横から襲いかかるのを目撃した憂喜は、両手を広げて化け物の前に立った。
化け物は大きく、その鋭利な鎌のような両腕は1メートルは超えている。こんなことをしても3人一緒に串刺しにされるだけだと思ったが、考えるより先に体が動いていた。
鎌が振り下ろされるのがスローモーションのように見える。
その切っ先が自分の胸に迫るのを見て、あ、これは死んだな、と思う。
ぎゅっと目をつぶり、隼人の名を思わず叫んだときだ。
化け物を横殴りに殴り飛ばす者が現れた。
まさかそんな目にあうとは思ってもいなかった化け物は何の対応もできず勢いよく吹き飛び、柱に激突したあと塵となって消える。
「憂喜、無事か?」
死を回避できたことに一気に脱力し、へなへなとその場に崩れ落ちた憂喜に手を差し伸べたのは隼人だった。
一瞬、願望が見せた都合のいい幻かと思ったが……あんな化け物を殴り飛ばすなんて、隼人以外、だれにできるだろう?
「隼人……!!」
「坊ちゃん、大丈夫でっか?」
「と、チィちゃん」
周囲をふわふわ飛び回る小さな白狐に手を出すと、手のひらの上にちょこんと乗った。
間違いなく隼人だと、泣き笑っている憂喜を立たせた隼人は、肩や腕に触れ、足を見、憂喜にけががないか確認をとる。
「すり傷だけか。大きなけがはないようだな。
じゃあさっさと親父さんたちを連れて逃げろ」
「でも、どこへ? 階段は壊れてて……」
「機関のやつらが救助に来てる。やつらが上ってこれてるんだ、どこかが下とつながってるはずだ」
憂喜を見つけたら抱えて窓から飛び降りようと考えていたが、憂喜の後ろにいる3人を見て、隼人は考えを変えた。憂喜は1人だけ逃げることを良しとしないだろうし、4人を抱えて跳ぶのはさすがに隼人でも無理だ。
憂喜は未来を思いだした。
そうだ、彼女がいたということは、上がってくる方法があったということだ。
周囲に意識を向けると、まだ煙に阻まれてよく見えないが、他の人たちもそちらへ向かっているようだ。化け物と闘う人の声や姿のほか、こっちへと誘導する影も見えることからして、未来の仲間たちがいるのだろう。
「外のどこかに田中や斉藤がいる。
さっさと行って、無事な姿を見せてやれ」
隼人の言葉に、2人の親友の顔が浮かぶ。
憂喜は奮い立った。
「父さん、あっちへ行こう。
栄枝さん、俺が代わるから、栄枝さんは陽向くんを――」
頼む、と今日出会ったばかりの自分が言うのは間違っている気がして口を閉じる。すると栄枝は、分かっていると言うように憂喜と目を合わせてうなずいて、泣いている陽向を抱き上げた。
「さあ、行きましょう!」
◆◆◆
「安全な場所へ着くまで、おまえが彼らを護るんだ」
白狐を護衛につけ、憂喜たち4人が誘導の声のするほうへ向かうのを確認して、隼人はフロアへ向き直った。
ここへは憂喜を助けに来ただけだった。彼を助け終えたらまた戻ればいいと、単純に考えていた。しかし化け物に襲われて逃げ惑う人々を見て、それはできないと思った。
逃げる人を追いかけて襲おうとする化け物を殴りつけ、蹴り飛ばす。そうしているとだんだんと、隼人を標的にする化け物たちが出始めた。化け物は化け物なりに、先に脅威を排除しておこうと考えたのかもしれない。
「好都合だ」
ぞろぞろと集まって、周囲を囲み始めた化け物たちを見て、ふっと笑う。
俺は強いから。俺のほうへ来れば、それだけ被害者は減ることになり、避難が進む。
中でも、一番図体が大きくて、力の強そうな化け物を見定め、構えをとったとき。
死角から隼人を狙って飛びかかろうとした化け物を、突然吹いた風の壁がはじき飛ばした。
未来だった。
「未来」
「隼人くん。わたし……あなたのパートナーとしては力不足かもしれないけど、今だけでいいの、わたしにあなたを護らせて」
両手で服をにぎり締めていた。おどおどと視線が泳いでいる。隼人に拒否されるかもしれないという不安、傷つくかもしれないという気持ちを押し殺しているのだと察して、隼人は、あのとき断ったことが、そんなにも彼女を傷つけていたのだとようやく気付いた。
「あれは、そういう意味じゃなかったんだ。おまえだから断ったわけじゃない。……悪かった」
未来は首を振った。
彼女なりに納得できる結論を出しているということだろう。その上で「今だけでいい」と言ったのなら。
隼人にできるのは、拒絶しないことだ。
「防御を頼んだ」
「……はいっ!」
隼人が受け入れてくれたことに輝くような笑みを浮かべる。すぐさま両手で印を組み、白光する方陣の中で、未来が口呪を唱えると、隼人の足元で風が小さく渦を巻くような気配が起きた。
隼人は綾乃と違い、戦いのスタイルは接近戦だ。全身から噴き出す金色の霊気を相手にたたきつけ、滅する。当然思わぬ反撃や相手の攻撃とかち合ったゆえのカウンターを受けそうになることも多い。普段ならかわしたり、攻撃で相殺することが多いものを、全て未来の風が防御し、逸らしてくれるのは確かに楽だった。
そんなときだ。
1本の破魔矢が未来に向かって飛び、隼人の守護に集中する未来の後頭部すれすれを抜けて、死角から彼女を狙っていた黒い人型の化け物へと突き刺さった。
化け物は「カアサン」とつぶやきながら消えていく。
破魔矢が飛んできた方向を見ると、大型の弓を肩に担いだ長身の男がいた。
「あんなあ、坊主。攻撃するばっかりが
「……俺は
隼人が言い返す。
「あーそーか。一匹狼の大儺さんやったなあ。そーりゃすまんこって」
「コラっ!」
隣にいた少年――男の相棒の
「何やってんだばか! おまえのナメた態度こそ失礼だろう!
すみません、うちのカタナが失礼して。こいつ、口が悪くて」
少年は心からすまなそうに、ぺこぺこ頭を下げてくる。
カタナと呼ばれた男はたたかれた場所に手をあて、納得いかないとむくれた様子だったが、胸のもやもやを吐き出すように、はーっと大きく息を吐くと、びしっと隼人に指を突きつけた。
「もう一つ言うとくことあったわ。
ここにはおまえだけやない、俺らもおるんや。ぜーんぶ自分だけでなんとかしよとか気張んなや!」
「はいはい、向こうにいる化け物に対処しましょうね」と少年に引っ張られて連れ去られながら、男はしゃべり続ける。
「ええか! 言うたでー!」
その姿が煙の中に消えて、弓を射る音だけが聞こえ始めたころ。隼人は「なんだ? あれ」とつぶやいた。
「凪 カタナさんと杷木 颯真さんです。西日本を主に担当されているんですが、今回の召集で来てくださったんです」
「機関は変なやつが多いな」
その言葉に未来は笑顔で返し、何も言わなかった。
再び化け物の排除を続ける。
3階と5階に空いた穴は阿木たち
襲撃が始まって何時間が経過したのか……空は時が止まってしまったように夕暮れのままなので、時間の経過は分からなくなっている。壁時計は夜の10時20分を指していたが、ガラスが割れているので正しく時を刻んでいるかは不明だ。
ずっと闘いどおしで、隼人の体力も底を尽きかけていた。切れた息を整えようとするが、なかなか戻らない。
「1階と2階の駆除が完了したそうです」
機関の小型端末を使って情報のやりとりをしていた未来が額の汗をぬぐいながら言う。彼女も汗だくだ。
「そうか」
ざっと見渡して、この階も残る化け物たちはあと数体で、あらかた避難も済んだようだと判断して、ほっと一息ついたころ。
かすかに子どもの泣き声が聞こえた気がして、隼人は声のするほうへ振り向いた。
「どうかしました?」
「声が……」
した気が、と言いかけたところで、声の主を見つけた。
観葉植物の影に隠れた母親と、2~3歳くらいの男の子だ。母親はぎゅっと目をつぶり、一生懸命子どもの口をふさいで、「泣かないで。我慢して。お願い」と繰り返している。
そんな母親のすぐ後ろの角から、全身が長く鋭いトゲだらけの化け物がぬっと姿を現した。
でかい。どこに隠れていたのかと驚くほどの大きさだ。
母親は子どもをなだめるのに必死で、気付いていない。
そちらに向けて、隼人は走った。
化け物に気付いたのはもちろん隼人だけではない。化け物がトゲだらけの右腕を膨らませて、トゲを発射する予備動作に入ったのと、複数の破魔矢が突き刺さるのがほぼ同時に起きる。だが矢にこめられた霊力で化け物が滅するよりも早く、トゲが射出されていた。
化け物と母親の距離は近い。全てをたたき落とすには間に合わない。
走りながら隼人はそう判断し、母と子を自分の体で護るようにトゲと母親の間にその身を割り込ませた。
もしためらっていたなら間に合わなかっただろう。刹那の判断だった。
次の瞬間、背中に突き刺さる衝撃と、今まで感じたことのない激痛が隼人を襲う。
トゲは隼人を貫通することで勢いをなくし、母親の背中にまでは1本も達していなかった。
それを確認して口角を上げた隼人のマスクに血がにじみ、したたる。
驚き、声も出せないでおびえている母親に、何か声をかけようとした直後、隼人の意識は途切れ――ぐらりと体が横に倒れた。
トゲの1本は、心臓部近くを貫通していた。
「隼人くん!! ……いやあっ!!」
全てを目撃した未来が、現実を拒絶するように悲鳴を上げた。