ナイトフォールの化け物たちが現れたとき。駅前の広場は、土曜日の昼間にしては人通りが少なかった。
原因不明の玉突き事故発生のせいで電車はすべて不通になっており、人々が午後の外出を控えたせいだ。
それでも夕方になると午前中に出かけて帰宅できずにいる者たちがぞろぞろと駅前に集まってきて、バスとタクシー乗り場は長蛇の列だった。臨時で増便をしているそうだが解消されるには2~3時間はかかりそうだ。さてどうしようかと悩んでいると、立入禁止の黄色いロープが張られた駅の改札口から制服姿の少女が現れた。
不通原因が解消されて、電車が動くようになったのだろうか。
何人かはそう考えた。
ここからずっと西のほうとはいえ、空中に出現した門からなぞの化け物が現れて人々を襲っているのはテレビで見て知っている。自衛隊が出動し、応戦しているのも見た。その光景は映画じみていて現実感が薄く、人々に危機感はほぼなかったが、それでも早く家に帰りたかった。
だから中から人が出てきたということは電車が動くようになったということだろうと考え、ほっとしてそちらへ向き直ったのだが、次の瞬間ぎょっとなった。
少女たちの口や手、胸元が赤く血に濡れていることに気付いて、駅の中の様子について訊こうとした男の動きが止まる。
無表情でこちらへ歩いてくる、そんな少女たちに異様さを感じて後ずさりする人々の目に飛び込んできたのは、少女たちの後ろから続々と現れる、一目で化け物と分かる外見をしたモノたちの姿だった。
駅員らしき人の体がむっちりとした肉塊の化け物の巨大な口にぶら下がっているのが目に入った瞬間、人々の金縛りが解けた。
「うわあっ」
「きゃあああっ」
「に、逃げろ!!」
「……え? ちょ、何?」
「いたっ。もー、何なのよー」
血相を変え、気が逸るあまり手足が頭に追いつかず、ころびまろびつ対向者にぶつかりながらも逃げようと走り出した人々と、いまだ事態を把握できていない人々がぶつかる。ぶつかっても謝りもしない彼らに眉をしかめる者たちも、駅から続々とあふれ出た化け物たちの姿を見て、あわてて逃げ始めた。
「く、来るな! 俺たちに近づくんじゃない! ……うわあああああ!!」
後方で逃げ遅れて捕食された者たちの恐怖の悲鳴、そして砂糖の山に群がるアリのように化け物にとりつかれた満天星デパートで起きた爆発が、さらなるパニックを生む。
悲鳴を上げてなだれのように大通りを走って逃げる人々。
警察が駆けつけたが、この混乱を前にして、彼らは無力だった。
しかしすぐにそんな人々を割って、駅前に向かって進む一団が現れる。
巫女装束をした者、Tシャツ姿の者、白装束の者と、格好も歳もさまざまだったが、そのだれもが決意に燃えた目をして、まっすぐ前方を見て進んでいる。
そのうちの1人、まだ未成年と思われる少女の腕をすれ違いざまつかむ男がいた。
「おい、あんた。あんたたちも逃げたほうがいい。あっちは危ない。信じられないかもしれないが、化け物が出たんだ」
真剣な表情で止めようとする彼に、少女は驚きつつもにこりとほほ笑んだ。
「ありがとうございます、親切な方。でも、わたしたちはこの先に用があるんです。
あなたは早く避難してください。この先に自衛隊が来ていて、安全な場所へ連れて行ってくれます。
けがをされないように、くれぐれも気を付けて進んでくださいね」
少女は自分の腕から男の手を外させる。直後、満天星デパートで再び爆発が起きた。
走り抜けた爆風に耐えてそちらを振り仰いだ少女は、今度は屋上近くで黒煙を上げるデパートに悲痛な目を向ける。
「……伊藤くん……」
だが男の背後から襲いかかろうとしている空中の怨霊に気付いてはっしとにらみつけ、ぱあんと柏手を打った。
周囲の騒音にかき消されて男には聞き取れなかったが、何か呪文のようなものを口内で素早く唱えた少女が印を組んだ両手を空に伸ばすと、見えない何かにはじき飛ばされた怨霊が風に切り裂かれて消えた。
呆気にとられた男に少女はぺこりと頭を下げて、黒煙を上げる満天星デパートへ向けて再び走り出したのだった。
◆◆◆
駅から化け物たちが出現する、約30分前。
憂喜は父親とともに、父親が再婚を考えている女性・高橋 栄枝とその息子・
昨夜から緊張しっぱなしで、服選びや髪のセットにああでもないこうでもないと頭がいっぱいだった。とにかく失礼のないように、悪い印象を持たれないために必死で、テレビを見る余裕などもなく。父親の車で向かう途中も、やけに道が混んでいるな、とか、スマホに見入っている人が多いな、と思っただけで、父親が付けたラジオで、原因不明の飛行機墜落と列車事故、電車の玉突きなどといった深刻なニュースが立て続けに流れても「それで道がこんなに混んでるのか」と納得しただけだった。
どれも今の自分たちには関係ない、別の場所で起きた出来事だ。
平和ぼけした危機感の薄さで無意識にそう結論づける。そんなことよりも、憂喜の頭はレストランでの会食のことで頭がいっぱいだった。
エスカレーターで4階まで上がり、いざレストランを前にして何度も深呼吸をする憂喜に、父親が笑って
「そんなに緊張しなくてもいい。気さくで、楽しい女性だよ」
と肩をたたいて勇気づけた。
事実、会ってみれば父親の言うとおり、明るくて笑顔の絶えない女性だった。父親より5歳年下で、10年前、彼女が父親の会社に営業で来たのが知り合うきっかけだったという。といっても、3年前まではただの仕事上の付き合いだった。お互いシングルで息子を育てているという世間話から親近感が生まれて、よく話をするようになり、仕事以外でも会うようになって……ということらしい。
息子の陽向は小学4年生。栄枝によると、本当の父親は彼が1歳のころに病死して、どんな人だったかも覚えていないということだった。
見るからにカチコチに緊張して、運ばれてきた飲物にも手をつけられないでいる少年の姿に、ああこの子も俺と同じだと思うと親近感が湧いて、ふっと気が楽になった。
いい人だ。
いい人で、かわいい息子もいる。
父さんも見る目あるじゃないか。
この子が俺の弟になるのか。弟ができるのは初めてだ、と楽しくなって。デザートアイスを手に、少年に話しかけようとしたときだった。
「何あれっ!?」
突然ガタンと椅子を倒して、別テーブルの女性が勢いよく立ち上がった。
何事? と他のテーブルの者たちが注目する中、その女性は窓の外に視線を釘付けにして、そこにある何かを食い入るように見つめている。それが何か、見定めようとしているみたいだ。
「どうかしたのか?」
向かい合わせで食事をしていた男性が、席を離れてテーブルを回り、女性の横につく。そして彼女が見ているものを見ようと窓の外をのぞき込んだ直後、言葉を失って固まった。まるで、信じられないものを見たように。
「うわっ!」
同じように窓際のテーブル席にいた男性が、窓から下を覗いてぱっと跳び離れる。
「ば、化け物だ!!」
冗談を言っている様子はなかった。
「一体彼はどうしたんだ」
「俺、ちょっと見てくるよ」
顔をしかめる父親に言い置いて憂喜が席を立つ。
そのころには他のテーブルの者たちも興味津々な様子で窓に近寄り、どれどれと下を覗き込んでいた。
そして彼らの反応も、先の3人と同じものだった。
「なんだ? あの化け物たちは」
彼らの間から下を覗いた憂喜もぎょっとなる。
下の駅前広場に多種多様な化け物たちがいて、逃げる人を追いかけて襲っていた。捕まった者たちはかみつかれ、引き裂かれて地面に血が飛び散っている。まるでホラー映画のようだった。
手足の長い、黒服のような者たちがデパートの壁にとりついて、カサカサと蜘蛛のような動きで登り始める。
「いつの間にこんな……」
「あいつら、壁を登ってきてるぞ」
「みんな逃げてる。私たちもにげなきゃ!」
「逃げろ!!」
そのとき、ずしんと一際大きな縦揺れが起きた。全員が足元をすくわれて、立っておれずにしゃがみ込む。
「今のは……」
ずっと小さな揺れの治まらない中、爆発だ、と憂喜は思った。しかもすごく近くで起きた。
もう食事どころではない。人々は次々と席を立ち、われ先に出口へ走った。
憂喜たち4人も店を出てまっすぐエスカレーターへ向かったが、エスカレーターもエレベーターも押し寄せた人の波で近づくこともできなかった。
「階段で下りよう」
父親が言い、そちらへ向かう。しかし階段も殺到した人であふれていた。
「さっさと下りろ!」
「下のやつらは何してるんだ!」
あせった者たちの怒号があちこちでしている。子どもの泣き声もしていて「こわい……」と、陽向が栄枝の胸に顔を押しつけた。
憂喜も一生懸命正気を保とうとするが、恐怖が、これ以上ないほど胸をきりきりと締めつけていた。
化け物に襲われ、引き裂かれている者たちの姿が浮かんで、自分と重なって……3人がいなかったら、きっとほかの者たちのように叫んでいたに違いない。
そのとき、憂喜のスマホが鳴った。田中からだった。
『憂喜、無事か!?』
「田中……知ってるのか」
『テレビで見た! 今、斉藤とそっちへ向かってる!』
「ばか! 来るな! おまえたちも危ない!」
憂喜は理性的に返したが、それでも田中たちが事情を知って向かってくれているのは内心うれしく、頼もしく感じた。
「これって、もしかしてナイトフォール関連か?」
『さあ? 俺も分からん。けど、機関の人たちが大勢出て、あちこちで化け物退治してるからたぶんそうなんだろうな』
「そうか」
『隼人とも連絡がとれて、そっちへ向かってる。すぐ行くから待ってろ!』
「……分かった」
憂喜はスマホを切ると
「父さん、あれを見て」
陽向をこれ以上怖がらせないよう、小声で父親に話しかけた。
「煙がうっすら上がってきてる。やっぱり下で爆発が起きたんだ」
「むう……」
「それに、外は化け物たちがうろついてる。あせって外へ出るのもやばいと思う」
「しかし、それならどうすれば――」
「助けが来るのを待とう」
そう、憂喜が言いかけたときだった。
再び爆発が起きて――今度は上の階からだった――天井の一部が崩落した。
「うわあっ!」
「きゃーーーーっ!」
「いやーーーーっ!」
「なんなのこれーーーっ!!」
悲鳴があちこちで上がる。
人々は完全にパニック状態だ。
陽向たちをかばってしゃがみ込んだ憂喜は、大量の土煙がもうもうと上がる中で影絵のように、上に空いた穴からぼたぼたと落ちてきた黒い人のようなモノたちが逃げ惑う人々に飛びかかるのを見た。
階段の下からも「化け物だ!」「階段は壊れてる! 上に上がるんだ!」「早く上がれ! うわあーっ」という怒りと絶望の悲鳴が聞こえてくる。
悲鳴と恐怖に満ちた混乱の中、憂喜は陽向たちを背にかばい、目の前の光景への恐怖におののきながら、必死に心の中で呼んでいた。
隼人、早く来てくれ……!
と。