髪は白く、それそのものが力であるように銀色に強く輝き。
両の目は今までとは比較にならないほど濃く、深みを増して、あざやかな黄金色へと変わる。
それまで押しとどめられていたものが一気に噴出したように放出される、燃え盛る炎のように美しい霊力。
「隼人……くん……?」
戻ってきた未来が、隼人の変貌が信じられない様子で驚きの表情を浮かべたまま、名を呼ぶ。
その場にいる全員が、信じられないものを目にしているという表情で動きを止めている。
固唾を呑んで見守る人々からの注目を浴びる中、それら一切を無視して隼人は未来を見つめ、くしゃりと髪をかき上げると
「戦況は?」
と、いつもの声で問うた。
「さいあくー」
答えたのは未来ではなかった。
いつからそこにいたのか。人混みを抜けて辻が立っている。手には栄養ドリンクがあった。配給で受け取ったのだろう。
「数的には大方片付いてるんだけどねー。ボスクラスのやつが現れてさー、そいつに前線を押し下げられちゃってるところー」
「……おまえもかなり数を消費してんじゃねえか」
辻が体内に内包する魂を視て言う。
「まあねー。でもまだまだ戦える兵は残ってるからー」
「じゃあどうして後方にいるんだ」
「化け物にやられて死にかけた間抜けな狐がここにいるって聞いたからー。もう死んじゃったかなって思ってたんだけど、全然元気じゃんー? ってゆーか、前より強くなってなーい?」
「そりゃ残念だったな、バカ犬。本調子ってわけじゃねえが、今でもおまえ程度、簡単に滅してやれるぜ」
なんならやってみるか? と指の骨を鳴らして見せる。
その挑発に対し、辻は吟味するように「んー?」と一考する様子を見せたが、「また今度ねー」とため息をついた。
「今はそれどころじゃないって、バカな頭でも分かるでしょ、狐」
「俺は狐じゃねえ」
そう返しつつも、声に好戦的な響きはなかった。
隼人も分かっているのだ。
立ち上がり、辻の元へ行く。
「で? 俺を迎えに来たんだろ。何をさせたい」
「ラスボス退治」
こっち、と言うように辻はビルの端を指した。
そちらに目を向け、意図を理解した隼人は頭をかく。
「乗ってー」
辻が大型サイズのテンに姿を変えた。ふさふさの白い体毛の中、耳と尻尾と手足が黒い。まん丸の大きな目がかわいらしくて、それを見た女子たちの胸にキュンキュンきたか、一斉にどよめく。
「俺の足になるってか?」
「ちょっと遠いからねー。バカ狐の足だと遅くてきっと間に合わないからー」
「は? なんだそれ。どっちが速いか、勝負してみるか?」
言い合う2人に向けて、未来の声がかかった。
「隼人くん、これ!」
振り返りざま、投げられた物を受け止める。
それは牛乳パックだった。
「無事に戻ってきてね」
隼人は、懸命に笑顔を見せようとしながらも不安を拭えないでいる未来を見返して、
「分かった」
と答えた。
辻の言葉はうそではなかった。
側壁を、屋上のフェンスを、信号や電柱を足場にして跳躍し、しなやかに、軽やかにビルの合間を駆け抜ける辻のスピードは隼人の比ではない。
「もっと速くてもいいぞ」
と言うと
「そうー?」
と辻はさらに速度を上げた。
ものの数分で辻は目的地である最前線まで到着し、そこで待つ
「タケルー、お待たせー。連れてきたよー」
「おー、早かったなあ。さすが辻や」
いい子いい子と頭をなでる。まるで近所のお兄さんが小学生相手にするような態度だったが、辻はされるがままになっていた。無表情ながらもうれしそうな雰囲気が出ている。
哮は見たところ、二十代半ばに見えた。金髪で、先が尖ったツンツン頭をしていて、ひょろ長い。
自分より20センチはあるその長身に、むう、と眉が寄ったとき。
哮の顔が、後ろに控えて立つ隼人のほうを向いた。
「あんたも。悪かったなあ、こんなとこ呼び出して。けが人やのに――って、あんた、けが人に見えへんな? どこけがしたん?」
「治った」
コキ、と首の骨を鳴らす。
瀕死の重傷と聞いていた。死ぬほどのけがが、そんな簡単に治るはずがない。
哮はきょとんとした顔で数瞬黙ったあと。
「そっか。まー、そーゆーこともあるよなぁ、この界隈」
俺はまだ慣れへんけど。
と、ばんばん隼人の肩をたたいてニカッと笑った。
関西人はみんなそうなのか。
先のカタナといい、初対面なのに妙になれなれしいというか、距離感が近いように思う。
まるで家族か親戚のお兄さんといった様子で接してくる哮にまごつき、居心地の悪さを感じて、隼人は2歩ほど後退して彼の手の届かない位置へ身を置いた。
「それで今の状況は?」
さっさと本題に入れ、との隼人に、哮も少しやりにくさを感じたのかもしれない。おっと、という顔をしたあと、表情を引き締めて辻を指した。
「こいつから聞いてへん?」
「ラスボスだとだけ」
「そっか。まあ間違いではないなあ」
哮はポリポリと頭をかき、あれを見て、と言うように身をずらして後方、ビルを越えた向こうを指した。
そこでは山のような化け物の頭部らしき黒くて丸いモノが歩行で揺れ動くのがビルを越えて見え、上空ではギャアギャアとカラスのように怨霊たちが嗤い狂っているのが見える。
「言っとくけど、あいつらやないで? あの奥におるんや。でかさはあんまない。それでも数メートルはあるけどな。ああいう、もっとデカいやつらが周りを囲っとるから対比で小そう見える。
あと、中型やらこんまいやつをいっぱい引き連れとる。ま、それはこれまでの百鬼夜行と同じやな」
「百鬼夜行?」
「俺はそう呼んどる。大なり小なりの化け物どもが、大名行列みたいに通りを
当たっとるやろ?」
「…………」
「直線で、大体120~130メートルくらいで行進してるってー」
偵察から戻ってきたハチを取り込んで、辻が言う。
「チョロチョロ側路に入り込んで、うろついてるのもいるみたいー」
「そっちは俺らで何とかするわ。
けんど、中型~大型はなあ。今、そんだけ動ける人数が集められへんのや」
そして今、長時間に渡る戦闘に、
「それは僕がやるよー」
はい、と辻が手を挙げた。
「えらいなあー。連戦でおまえも疲れとんのに」
健気なこと言いくさって、と哮がまたもや頭をがしがしする。
隼人は少し考え、もっともなことを言った。
「ラスボスは大型以下なんだろ。おまえで全部片がつくんじゃないか?」
「それがなあ」答えたのは哮だった。「やってはみたんよ」と、当時を振り返ってため息をこぼす。
今から約1時間前。
門から垂れ落ちた中型の化け物を主軸とした行列に、ついにこれが最後の百鬼夜行だとテンションの上がった哮は、辻に掃討を命じた。
辻は応じて十数体の命を放出し、彼らとともに対処にあたった。巨大バチや大蜘蛛、毒蛇、鋼鉄の狼、大サソリたちが敵の前衛たちを吹き飛ばし、なぎ倒して主である辻の通り道をつくる。そして距離を詰めた辻が体毛を全て逆立て、耳まで裂けた巨大な口を開いて紫電を飛ばす。
カッと鋭い閃光とともに雷撃は宙を裂き走って触れるモノ全てを蒸発させ、まさに夏の
「ボスのど真ん中にも大穴が開いとったから、やったと思っとったんやけどなあ」
哮の言葉は、そうはいかなかったことを示していた。
ボスは次の瞬間、完全に再生した。一瞬だった。
ならばと辻はさらなる紫電を放つ。それにより、ボスは粉々に粉砕されたはずだった。
だがそれでもなお、ボスは再生しようとした。飛び散った大小の欠片がむくむくと巨大化していくのを見て、辻はその欠片全てを食べ尽くすように配下に命じた。
だが。
「食べきれなくてねー、5体に増えちゃったー」
「おまえ、敵を増やしてどうする……」
隼人はため息をつき。「分かった」と応じた。
「俺がそいつをやればいいんだな」
「そそ。前衛や側路に入ったやつらは
目を細めて、人好きのする笑顔でニコニコ笑いかけてくる。
そういえば、と隼人は思いだした。
こいつには突然部屋を急襲されて、問答無用でぐるぐる巻きにされたという借りがあったんだった。
辻ともども今度会ったらただじゃおかない、ぶん殴ってやると考えていたが……不思議と、そのときの腹立たしさは消えて、今は平静に見ることができていた。
ふっと口元がほころぶ。
「今度は失敗すんじゃねーぞ、バカ犬」
「そっちこそー。タイミング間違わないようにねーバカ狐」
辻の返答を背に、隼人は跳んだ。
作戦は速やかに実行された。
哮が言うとおりに展開していく様子を、隼人はビルの屋上に出る手前の塔屋内で聞きながら、その光景を想像する。
直接見たかったが、ここから出るわけにはいかなかった。上空は怨霊たちが飛び回っている。やつらに気取られるわけにはいかない。
思ったとおり、下はナイトフォールの化け物たちと辻の怪物たちが入り乱れての戦場となっていた。
ただし、辻の指示によるものか、隼人の標的とするボス周辺には怪物たちはおらず、適度な距離を保って闘っている。
巻き込む心配はなさそうだと――隼人は最初からそんなこと気にしていなかったが――考えたとき。真下にいるボス周辺にいる化け物たちが上を向いた。
落ちかかる影に気づいたか、それとも隼人の巨大な霊力を敏感に感じ取ったか。
いずれにしても、もう遅い。
――主。右手を開いて前に出してください。
グローブが言った。
言うとおりにすると、手のひらの中央を起点として霊波が放出される。霊波はさながら盾のように広がり、下の化け物たちからの一斉巧撃を打ち消し、弾き返した。
「おまえ、こんなことができたのか」
――主の今の霊力だからできることです。我はただ、主の力を放出しているだけにすぎません。
それを聞いて、隼人は開いた手のひらを今度はぐっと握り込む。すると霊波は指の間で五分割され、下の化け物たちにレーザーのように降りそそいだ。
ボスの周囲を囲んでいた化け物たちが一掃され、残るは5体のボスのみとなる。
隼人は心の中でよしとうなずくと、こぶしを引き、力を込める。
一撃で、一瞬で。5体を滅しなくては。
霊力が全開放される前の隼人では、不可能だったろう。
この身にどれほどの力があるのか。開放されたばかりでまだ隼人自身把握しきれていないが、今ならできる気がした。
この程度、造作もないと、頭のどこかで何かが告げている。
『なーんも心配あらしません。あての坊ちゃんならこんくらい、目ぇつぶっててもできますさかい』
(……千茅)
ぐっと奥歯をかみ締めて、こぶしをふるう。
隼人が着地したときには周囲に化け物は1体も残っておらず、消滅時に周囲に拡散された大量の負の霊気と、隼人の放出した力のすさまじさを物語るような粉塵が濃く舞っていた。
一瞬それらに視界をさえぎられた
疲れ切った汗まみれの顔に、晴れやかな笑顔を浮かべて。やったと、俺たちの勝利だと、こぶしを突き上げて快哉を叫ぶ。その中には、人型に変じた辻の姿もあった。
相変わらず表情の読めない無表情で、人々の後ろで遠慮気味にぽつんと立っている。
そんな辻と視線をかわしたあと、隼人は無言で横をすり抜けて行く。
どこへ? と辻は聞かなかった。
聞かずとも、言わずとも、行き先は決まっている。
辻も、もし哮が行くと言ったなら、あとに続いただろう。しかし横についた哮は「おつかれさん」と言って、辻の頭をわしゃわしゃかき回しただけだった。
哮がうれしそうに笑っている。
それが見られただけで、辻は満足だ。たとえ命をいくつなくそうとも。いつか、たった1つを除いて全てを消費し、この身が空っぽになったとしても。
だから隼人のあとは追わずに、ただその背を見送ったのだった。