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 第七十六話 リーダーに必要なこと

「どうしちゃったの? 小鳥遊さんの言うことに顔背けるなんて……。らしくないよ」

「そうですよ。私達、仲間じゃない。姫乃さんだって、仲間でしょ? どうしてそんな態度を……」

 口々にそう言って、顔を背けたその同僚の顔を覗き込む。

「悪気は、ないの。ただ、突然現れてこうしましょうって言って、勝手にあれこれ決められるのは、好きじゃないっていうか……」

「つまり、どういうこと?」

 その同僚は、ため息を吐くと「誤解しないでね」と小さく言ってから少しだけ息を吸って、こう話す。

「私達、ただの同僚でしょう。なのに、リーダーみたいに急に仕切り始めて、なんだかそれって違わない? それに、姫乃さんって、ああしろこうしろって言う割に、次の日午前だけ出て午後は休んだりすることあるよね。あれって、こっちからすると凄くイラっとするのよね」

「そんな、私は別に命令したつもりは……。休んじゃうのも、申し訳ないけど、体調の関係で……」

 姫乃が休んだのはほんの少しだった。それも、体調不良によるもので、故意ではない。

 でも、姫乃は反省した。

 もっと、完璧にならなくてはいけないのだと、そう理解したのだった。

 それから、姫乃は優菜が入ってくるまで、休むとしても有給消化のためのものくらいで、インフルエンザなど特別な病気や理由がない限りはもちろん出社したのだった。

 少しくらいの体調不良はこの時に言われた言葉を思い出し、気持ちだけでなんとか乗り切ることを繰り返す。

 その内、姫乃が休まないようになってから文句を言う者は格段に減った。

 ここまで完璧になれば、文句も言えないだろう。

 だが、まだポジションがリーダー的なポジションであって、皆と同列だった。

 だからだろう。多少、小さな可愛いいたずらをされることがあった。

 姫乃は小さな可愛いいたずらだと思っているが、見る人によってはただの嫌がらせでしかない。ものを壊したり、隠したり……。そんなことが頻繁に起こった。

 姫乃はいちいち気にしていなかったが、中にはそんな姫乃を本当に心配する人もいて、上司に密告する者もいた。

 このことで、処分を受けた者もいたが、姫乃はそれを知りながらも処分を受けた、言ってしまえば自分に対して意地悪なことをした人にも公平に接したのだった。

 こうして、このことから、姫乃は女神ではないかといった噂が立った。

 そのような噂が出ることも、姫乃の計算の内だった。

 噂が出てしまえば、もうこちらのものだった。それ以上言って来る人は、そうそう出てこない。何故なら、周りの目が怖いから。

 周りと一緒でなければ、出る杭は打たれる……。よくも、悪くも。

 そしてさらに少しすると、姫乃は正式にリーダーへと昇格した。

 スカーフの色は変わらないものの、柄が入り、一般社員とは少し違うことがわかるのだった。

 もうここまで来ると怖いものなしだ。姫乃はどんどんリーダーとして仕事を効率的に進め、そして、とことん優しく同僚にも後輩にも、そして先輩にも教えていた。

 だが、さすがに先輩に対してまで教えるというのはその先輩にとっては屈辱だったのだろう。職場で皆の目の前で姫乃が頬を叩かれてしまったこともある。

 そしてそのままの勢いで、その先輩は会社を辞めてしまった。プライドもあったのだろう。

 だが、姫乃は変わらずに働き続けた。

 ちょっと変わったことと言えば、口紅の色くらいだろうか。

 そして、やがてやって来る。令が、会社にずっといるようになるという、姫乃にとって夢のような日々が……。

「令……」

 久々に見かけた背中は、とても大きかった。

 私、強くなったんだよと語り掛けたい。これから、話したいと、そう思って話しかける。

「……姫乃か。用事は何だ」

「え?」

 久々に会ったのに、用事は何だって、それだけ? ずっとずっと恋焦がれてたのに。だけど、ううん。でも、それでも……いい……。

 姫乃は「あなたに会いたかった。それが用事じゃ、ダメ?」と優しく微笑みかける。

 令はそんな嬉しそうな姫乃に、ため息を吐いてこう言う。

「たったそれだけか。会う程度のこと、いつでも出来るだろうに」

「ごめんなさい……。これから、何か用事があるの?」

「ああ、ちょっと、婚約者と食事にな」

「婚約者って、優菜ちゃん、よね……?」

「ああ。そんな名前だったな」

 信じたくなかった。姫乃が、必死になって追い求めていた人は、自分と違って名前すら薄っすらとしか覚えていない人のところへと向かおうとしているなんて。

 姫乃は奥歯を噛み締めて、拳を握りしめる。

 そして、令はそんな姫乃に気づかずに去っていった。

「優菜ちゃん……。ううん、優菜。許さない。貴女だけは」

 気づけば年齢を重ね、その若さではありえないようなスピードで、部長にまでなった。

 それでも、心の中にあるのは、虚しさだった。

 でもその虚しさこそ、愛なのだと姫乃はそう強く思い込むことによって、憎しみと、愛の両方を強めていく。

 苦労を知らずして、自分のなりたかった婚約者になった優菜を、許さないと心に決めながら。


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