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 第七十五話 本当に手を取りたいのは

 姫乃は実力を伸ばして令の背中を追いかけていく。その背中は、徐々に近づき、もうすぐ手が届くと、そう思っていた。そして、その令の隣に立つのはやはり優菜ではなく自分であると確信していく。

  仕事をして、ミスのないように、そして、周りにも気を配って敵を作らないことを徹底した。

 そうすることで、優菜が入ってきた時に、自分の方が有利に動けるからだ。

 そして何より、令が自分の方に目を向けてくれるに違いないと信じ切っていた。

 でも、実際は……。あまりに出来すぎる人間は、時として畏れられ、そして人の気持ちがわからないなどと言われてしまう。

 ある日、姫乃が「これはね……」と困っている同僚に教えていたら、その同僚は姫乃の言葉に頷きながらも、少しばかり不服そうな顔をしていた。

 そして教え終わると、姫乃は自分の席に戻る。でも「またダメみたいよ、あの子」という声が聞こえて、姫乃はその同僚のところへ行き、また教えようとしたのだが、その同僚の手は震えていた。

 それを疑問に思いながらも、いつも通りに声を掛けようとした姫乃だったが、同僚は声を張り上げた。

「どうせ、私がいつまでも覚えられないから、小鳥遊さんは、心の中で笑ってるんでしょう? あなたみたいな完璧人間にはわからない! いつまでも、覚えたくても覚えられない私の気持ちなんか……。それも、先輩に教わるならまだいいけど、入ったばかりの同僚から教わるなんて……っ」

 その同僚は立ち上がって、その日はそのまま帰ってこなかった。

 周りからの視線。冷たいものではないけれど、ただ、なんだか嫌な感じで……。

 姫乃はその視線が嫌だった。

 でも、姫乃が自分の席に戻ると、その視線もなくなった。

(はあ……。わかりたくもない。途中で逃げ出すような人なんて。だって、私は令と結ばれるために、こんなにも努力しているんだもの。出来て当たり前だわ。ましてや、教えてもらっておいて、ありがとうも言わずに自分の気持ちばかり……)

 そう思いながら仕事をしていたが、ふと気づく。

 自分には、教えてくれる人はいただろうかと。

 ……いや、いない。きっといなかった。いたのは、令を奪っていく女を教えてくれた「女」くらいだ。

 それに、私は私に教えてきた。これまで自分で培ってきたものを、全て。私の師であれるのは私だけでいい。きっと、この会社でも、友達なんてあっという間に出来るもの。

 でも、この寂しさのようなものは……。ううん。きっと、気のせい。

 そう思うことにした姫乃は、孤独に仕事を進めていくのだった。

 そして、気づけば所属部署も決まっていき、皆グループが出来ていく。

 ここまでに築き上げた絆のようなものがあって、ここまで耐え抜いた「仲間」という意識が、皆どこかにあった。

 姫乃にはなかったが、姫乃の周りの人間には、そんなものが芽生えていたようで、姫乃に気軽に話しかけるような人も増えてきたし、友達だと言って来る人も増えてきた。

 そして姫乃は思う。

 ほら、やっぱり。友達だって、あっという間に出来るじゃない。いつだって、私はグループの中心にいられる……。

 寂しさなんて、感じる必要は、ない……。

「姫乃君、ちょっといいかい?」

「はい」

 にこりと微笑んで、その上司の下へと向かって行った。


 上司から、あることを姫乃は話された。

「君には、リーダー的なポジションに立ってほしい」

「それは……実質の、リーダーということでしょうか?」

「リーダーそのものになってほしいということじゃない。君には仲間を少しだけ後押しする力になってあげてほしいんだ。ほら、リーダーという役柄を与えてしまうと、周りの人間は気を遣うだろう? そうなったら、やりにくいだろうからね」

「……わかりました。お引き受けいたします」

 姫乃はあっさりと引き受けた。

 姫乃は自分がリーダーに立つのに何も問題がないと思ったのだ。

 しかし、それを恨む人物がいるということを、姫乃は知らなかった。

 学生時代は、あまりにも恵まれすぎていて、そんな当たり前のことにも気づくことが出来なかったのだ。

 そして姫乃は少しずつ、リーダーのように「仕事を皆で頑張って終わらせよう」と意識し、いろいろとやりやすいように皆に意見を聞いたり、先輩達から見てどうですかと教えてもらうこともあった。

 姫乃に「辛いこととか、困ったことがあったら何でも教えてくださいね」と言ってくれる人が何人もいた。もちろん、姫乃はそれに「ありがとうございます」と答える。

 しかし、相談する気など全くないのだ。

 弱みを見せるのが好きではない姫乃は、たとえ小さなことでも、……大きなことだったとしても、他人に相談などといったことが出来る性格をしてはいない。

 それが、姫乃を追い詰める原因となったのだった。

 姫乃がいつものようにリーダーの真似事をしていたら、それに不満を持っていた同僚が無言で顔を背ける。

 姫乃は「なんで」と思いながらも、そのリーダー的なポジションで必要とされているリーダーとしての役割を全うするが、どうにも気になった。

 だから、お昼の時に思い切って聞くことにしたのだった。

 皆と一緒に……。


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