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最終話 逃亡、あるいは前進

 夏の夕暮れ、ノクタニア王国王都からは、まるでキャラバンのように何十台もの馬車が東へ向かっていく。大型の荷馬車もあれば、旅客用の箱馬車も混じり、人も馬も喧騒が絶えない。ノルベルタ財閥の定期輸送便であり、要人移送の任も請け負う大行列だった。

 その一つに、最新の『複合型魔法装置マルチツール』を搭載した馬車があった。車輪が拾ってしまう地面の凹凸の振動を完全に吸収する機能を持ち、座りっぱなしでもお尻が痛くならない。長旅では今後欠かせないものとなること請け合いだ。窓を開けて進むその馬車の中には、エリカとエルノルドがいた。二人ともしっかりとした旅装を整え、すでに王都と家族へ別れを告げている。無論、ノクタニア王国からも出て、しばらくは帰ってくることもないだろう。

 そうなったのは、決して強制されて、ばかりでもなかった。

「……さっすが、エーレンベルク公爵。手紙だけで叔父様も黙らせてくれちゃったし、出国についてもお父様もお母様も説得しなくてよかったくらい楽だったわ」

「そもそも、お前の叔父が余計なことをしなければよかっただろうに」

「あの人、サティルカ男爵家の家督を狙っていたらしいのよ。だからって、『公爵家の秘密』を探ろうとするから、公的に左遷されちゃってまあ」

 世間話にしては物騒だが、どうせエリカとエルノルドの会話は一事が万事この調子だ。

 その出会いを作ってしまったエリカの叔父ルーパートは、特にエリカがなにをするでもなく、勝手に失脚して左遷されていた。おそらく、『公爵家の秘密』を探ろうとしていることがエーレンベルク公爵の配下あたりの耳に入ってしまったのだろう。

 サティルカ男爵家を乗っ取ろうとする人物がいなくなれば、エリカは家を離れても安心だ。これ以上、エルノルドが勝手に不幸なルートへ突き進まないよう見張るため、国外退去に同行することにしたのだ。

 もちろん、エルノルドの実母エレアノールも、別の馬車に乗っている。

「エルノルドは、お母様と一緒の馬車じゃなくていいの? 心配でしょう?」

「……心配ではあるが、頭を撫でられるのは苦手なんだ」

「ああ……あちらからすれば、エルノルドは記憶に残る赤ん坊のままなんだ」

「そうなる。かつての侍女を何人もそばに置いてあるから、大丈夫だろう」

「そうね。すぐに打ち解けるより、時間をかけたほうがいいわ」

 どうやら、エルノルドと母エレアノールを引き離していた二十余年もの歳月を埋めるのは、しばらくかかりそうだ。

 それに、悪いことばかりでもない。エレアノールは健在で、エーレンベルク公爵の溺愛ゆえの監禁は完全に彼女を守るためのものだった。最大派閥の長であるがゆえに、エーレンベルク公爵家には敵が多い。長女の駆け落ちも、醜聞どころか政争の具とされかねなかったため、致し方ないことだったのだ。それを捨てられたエルノルドが同情や共感できるかは別問題で、どうにかするためにはエルノルド側からのアクションが必須だったのも結果論にすぎない。

 だから、エルノルドもノクタニア王国から出ていくことに、抵抗はなかったのだろう。もはや、なんの思い入れも心残りもないのだ。

 ただ、エルノルドはエリカも同じだとは思えなかったらしい。

「お前は、地位も身分も捨てて、よかったのか?」

 王都を出て、やっとエリカへそんなことを尋ねてくる始末だ。

 エリカも、もう『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』だなんだと騒がれるのはこりごりだった。解呪薬リカースワクチン普及の目処も立ったなら、そんなものは返上したっていい。ベルナデッタに頼み込んで、エルノルドを外国へ送り届ける馬車に同乗させてもらったのは——もう『ノクタニアの乙女』の運命シナリオルートが完全に外れたことを見届けて——そういった面倒から逃げるためでもあった。

「それ、そっくりそのまま返すわ。あなただって伯爵の爵位を捨てて、育て上げた商会もツテも失って、見知らぬ外国でまた旗揚げしなきゃいけないわけじゃないの」

「そのくらい大したことじゃない。死ななければなんとでもなる」

「なら、私だってそうよ」

「相変わらず、可愛げがないな」

「放っておいてくれる?」

 今更ながら、エリカはエルノルドの馬車に同乗したことを後悔していた。こんな調子で、ずっと口論が絶えない。

 たまに有益な話をするかと思えば、元婚約者エリカの前で他の女性の話なのだから、エルノルドの朴念仁ぶりは凄まじい。

「今頃、アメリーは手紙を受け取っていることだろう。頼るのは癪だが、エーレンベルク公爵の推薦ならどこの誰とだって結婚できるに違いない。あとは……幸せになってくれればいいが」

「そうね。ついでだから、ドミニクス王子にもアメリーを気にかけてほしいって伝えておいたわ」

「やりすぎじゃないか」

「お互いさまよ。前に泣かせちゃったからそのお詫びも兼ねてだし」

「もう二度とあんなことはやるなよ」

「何よ、結果オーライでしょ」

「お前のそういうところが腹が立つんだ。もっと他人に気を遣え」

「は? エルノルドもそこのところは同じでしょ! 他人のふり見て我がふり直せっての!」

「減らず口を」

「どっちが」

 終始、なんの話をしても、この調子である。

 エリカとエルノルドが不毛な言い争いをしている最中、窓の外、後方から蹄鉄が石畳を激しく叩く音が響いてきた。

 エリカは確認のため、窓から顔を出す。

「ん? 後ろからすごい勢いで馬が」

「なんだ?」

 ようやく、乗り手の顔が見えるほどの距離になって、白馬を駆ってくる人物が誰だか判明したころには、エリカは唖然と口を開いてしまっていた。

 キリルだ。キリルが、白馬に乗って走って追いついてきた。その後ろには、誰か乗っている。

「エーリーカー!」

 キリルが手綱から片手を離し、手を振ってきた。もう間違えようがない。エリカは苦手な虫でも見たかのような声を上げる。

「うわ、キリルだ!」

「そこか! アメリー、大丈夫か!」

「急いで、そろそろ限界!」

「了解した!」

 そんなやりとりのせいで、キリルはアメリーを白馬に同乗させて、トランクまで運んで追いついてきたことが発覚した。

 しかも、キリルにしがみついて追いついたアメリーは、ものすごく怒っていた。

「二人とも、どうして黙っていってしまうの!」

 エルノルドも窓際に来て、唖然としている。お嬢様なアメリーに乗馬で遠乗り、しかも疾走はなかなか厳しいものもあっただろうに、震える手でキリルのジャケットの脇をしっかり握っていた。

 エリカとエルノルドが呆気に取られているうちに、キリルはさっさと宣言する。

「まあそれはいい。俺たちもついていく」

「えっ!?」

「殿下の許可はいただいた。それに、アメリーも同行を希望している」

「それは……いや、アメリーは戻れ。旅は無理だ」

「馬鹿にしないでちょうだい。私だって、そのくらいできるわ」

 やはりアメリーは語勢強く、やる気満々だ。

 その上、彼女はしっかりと覚悟を決めていた。

「第一、私は……エルノルドのこと、諦めてはいないのよ」

 アメリーの深緑の瞳が、きつくエルノルドを見据えていた。これはなにを言っても帰らない、そう思ってしまうほどに。

「うむ、いい覚悟だ! はっはっは!」

「他人事みたいに」

 エリカはキリルの高笑いを止めたかったが、馬車からでは手も足も出ない。

 それに、キリルはとんでもない情報も持ってきていた。

「ベルナデッタ・ノルベルタから、一週間後に出発して追いつくまで少しかかる、と伝言を預かった。なお、その同行者に……えー、魔法顧問のロイスル・トネルダがいる」

「なんで!?」

「俺は詳しくは聞いていないが、サプライズだと言っていた」

「嫌な方向でサプライズね! ベルがまた何か企んでいるんじゃないの!?」

「それに関しては、金儲けの類だろうとは思うがな」

「ああ……何か思いついたのかも」

 ちなみに、ベルナデッタはノルベルタ財閥の新たな営業地域拡大のため、エリカたちと一緒に出国する手筈となっていた。そこにまさか、ロイスルも加わるなど予期せぬ事態だが、ベルナデッタがなんのメリットもなく同行を許すはずがないので、なにかあるのだろう、きっと。

「とにかく、アメリーを馬車に乗せてくれ」

「はいはい」

 低速とはいえ、走る馬車へ乗り移ろうとはとんでもないが、エルノルドが扉を開き、そこへアメリーが飛び込んできた。上手くエルノルドが抱きとめて、椅子に座らせる。そういうことはできるのだ、エルノルド。

 一方、エリカはそろりと出ていこうとしていた。

「キリル、私、後ろに乗っていい? 邪魔者みたいだから」

 キリルから返事を聞く前に、アメリーに扉を閉められた。

「そんなことはないわ。むしろ、あなたにはいてほしいの」

「ええー」

「じゃないと、私がエルノルドに泣かされたとき、慰めてくれる人がいないもの」

 ああ、なるほど。エリカは納得した。エルノルドをジト目で見る。女心を無視するこの男、やりかねない。

「なんだ、その目は」

「べっつにー」

 エリカとエルノルドの間で新たな争いが勃発しそうになったが、「まあまあ」とアメリーに止められていた。

 結局、馬車に三人が乗り、外はキリルが一人、馬に乗ってついていく形に落ち着く。窓を開ければ会話もできるし、キリルは元々声が大きいからちょうどいい。

 だが、キリルはキリルで、また別のサプライズを持ってきていた。

「ところで、エリカ」

「何?」

「騎士を辞めたから、護衛として雇ってほしいのだが」

「はあ? 辞めた!?」

「うむ! 殿下にも勧められてな! アレサンドロ翁からも餞別をもらった!」

「どうしてそんな重要なことを早く言わないのよ!」

 キリルは可愛らしくしているつもりか、てへ、と舌を出してウインクしている。どこでそんな腹立たしい仕草を覚えたのか、エリカは蹴飛ばせない現状に苛立ちながらも、もう帰れというわけにはいかないほど王都から離れているし——それに、キリルの気持ちを知らないわけでもない——断ることはできなかった。

「分かった、雇うから。その代わり、ちゃんと言うこと聞いてよ!」

 ぱあっとキリルの顔が花咲くように喜ぶ。護衛として実力は十分なのだから、口実としては悪くない。

 とはいえ、エリカ、キリル、ベルナデッタ、エルノルド、アメリー、ロイスル……と『ノクタニアの乙女』登場キャラクターたちがまた揃うとは、これも運命シナリオのようだが、きっとそうではない。

(こういうエンディング、『ノクタニアの乙女』らしくないけど……まあ、いっか。みんな、不幸じゃないんだから)

 ある意味では、乙女ゲームらしくないエンディングだ。だが、マルチハッピーエンドと思えば、これがトゥルーエンドでもいい。

 エリカは、心の底から、安堵した。

 もう、定められた不幸エンディングは遠ざかった。これからの見知らぬ未来を考えよう。

 夕日が草原の向こうに落ちていく。また夜が来て、朝が来るのだ。

 エリカが望む、みんなが幸せになる日が、幕を開ける。



(了)

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