目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第10話 元悪女は、決着をつける(2)


 人里離れた小さなホテルの様な施設に、紗希と昇吾はいた。


「ここが、真琴さんが過ごしている施設なんですね」


 2人の前を歩くのは時哉だ。スーツ姿の彼は、以前の浮世離れした雰囲気が消え去り、宮本家全体の意向を背負う家長としての風格をまとっている。


 紗希の言葉に、時哉は足を止めて頷いた。


「うん。宮本家の血を引いている子供の中には【絡繰り】の力をうまく使えなくて、周りの人間を巻き込んでしまう子もいるんだ」


 紗希も身をもって感じたからこそ、その恐ろしさは理解できた。ともすれば、相手を従える方法を熟知した犯罪者が産まれてしまうかもしれない。実際、宮本総一郎のおこないは、犯罪行為となってしまった。


「犯罪だけじゃないよ。たとえば熱狂的なファンを作りだしたり、営業活動で悪用したり、本当に必要な場面以外でも力を使ってしまう恐れがある。運よく、俺や均みたいな、ある程度強い力を持って、コントロールもできる人間がいればいいけれど、そうはいかない」


 庭では、子供たちが無邪気に遊んでいる。彼らはお互いに力を持つ身として、ここで扱い方を習得していくのだろう。


「父のおこないは、決して褒められたものじゃない。だからこそ、俺は真琴には、どうか、悔いなく生きてほしいんだ」


 時哉は、まるで父親の様な眼差しで言った。紗希は頷く。真琴には、自分に正直に生きてほしいと思っていた。




===




 白い部屋の中。真琴と紗希の面会は、直接顔を合わせるのではなく、画面越しにおこなわれることとなった。


 インターネットを活用した面会ではないのは、真琴に紗希の存在を感じさせるためだ。


 紗希の隣には昇吾が座り、その手を握る。万が一、異変が起きた場合に備え、時哉が待機していた。


 モニターの中、真琴が部屋に入ってくる。彼女はグレーのトレーナーを着て、以前とは違い、どこか子供っぽい表情をしていた。


 真琴が席について、マイクの使い方などを時哉からレクチャーを受けたあと。ついに紗希と真琴の面会が始まった。


「……真琴さん。お久しぶりです」


 紗希が声をかける。真琴は顔をあげると、画面越しに紗希へ視線を合わせた。


『お久しぶりです。紗希さん』


 敬語を使われたのが新鮮で、紗希は少しだけ黙ってしまった。しかしすぐに、言葉を返す。


「ええと……真琴さん。あなたは、どうして私との面会を望まれたんですか?」


『聞いてみたいことが、あったんです。その前に。父の行動も、あなたの身に起きた【死に戻り】のことも知っているので、そこは気遣わないでください』


「そうですか。それで、聞いてみたいことは?」


 驚くほど穏やかだった真琴の表情が、一変した。どこか苦しそうに、声を出そうと必死になっている様子がうかがえる。


 彼女にとってそれだけ言いにくいことなのだと理解し、紗希はじっと真琴が話すのを待っていた。


『どうして、紗希さんは、私を殺そうと思わなかったの?』


 何を問いかけられたのか理解できない。紗希は今度こそ、言葉を返せなくなった。


(殺す? 真琴さんを? ……)


 なぜその必要があるのか、紗希には全く分からなかった。真琴がその発想に至った理由も分からない。


 紗希にとって真琴は、確かにこざかしいところや計算高いところが多い人物だった。だが、だからといってこの世から消えてほしいと思ったことなど、一度もない。


 昇吾に愛されていたときも、真琴の真実に気づかずに愛している彼の方を非難してしまったほどだ。


『あはは……』


 真琴が小さく笑い声をあげる。やがてその笑い声は、マイクがハウリングを起こすほどの大きなものになり、最後には真琴は机に突っ伏して大声で笑っていた。


 異様な姿というには、あまりに明るくて、拍子抜けするほど楽し気な笑い声だった。


 どうして笑っているのか、紗希には分からなかった。彼女が何を考えているのか知ることだけが重要だった。


『分かってました。きっとあなたなら、そんな風に考えたことなんて、一度もなかったって……!』


 笑い転げていた真琴がやっと顔をあげる。彼女の目元には、涙もなければ、怒りもない。ただ、ひたすらに、笑いと諦めだけがあった。


「なぜ、殺すなんて、考えを?」


『だってそうじゃないですか。私がいなかったら、あなたは礼司のことを考える必要もないし、あちこち駆けずり回る必要もない。昇吾とだって、ちゃんと分かりあえた。だって昇吾があなたと話さないように、気を遣って操っていたくらいだったのに……』


 真琴の声は霜柱が踏み荒らされる瞬間のように、どこかひび割れて聞こえた。


『どうしようかなぁ。分かってたのに。分かり切ってたのに』


「何か、あったんですか?」


 慎重に紗希が尋ねると、真琴は頷く。


『あのあと。そこの時哉お兄様が、気を遣って、お母さんに合わせてくれたんです。つまり、宮本優珠様に……』


 がっくりと真琴が肩を落とす。再会した日のことを思いだす彼女は、どうしようもない悲しみに覆われていた。


「あなたが、真琴?」


 信じられないものを見る顔の優珠は、真琴が自分の想像の中にいる子供と違うことに、ショックを受けている様子だった。


 宮本家が所有する広大な庭園。静けさの中、真琴は実の母親から語られる『言い訳』を、ただ聞くしかなかった。


 優珠は確かに、真琴を非道な行いで産み落とすことになった。だが本当は手元から離したくないくらい、大切に思っていた。


「でも、総一郎さんには、一族には逆らえなかったの。だって私は、宮本の娘だから……」


 あれほどほしかった宮本家の実子という立場に、真琴は一瞬で諦めが付いた。


 自分は決して、彼ら、彼女らと同じ立場にはなれない。真琴が追い求めるのは実際に自分を認めてくれる人がいる居場所であり、宮本家の実子となれば揺るぎないものが手に入ると思っていた。


 だが。そこにあるのは、血で縛られた不自由な世界だ。


『あなたは、不自由に思わないの? 紗希。あなたの、あなたのその、生き方は?』


 真琴の口調はいつしか、以前紗希と会話した時と同じになっていた。


 自分が掴んだ居場所に怯え、痛みに振るえる子供のようになりながら、真琴は紗希へ想いを叩きつける。


『ねえ、教えてよ! 私は、私は誰にだったら認めてもらえるの!? どうやったら、自分の存在を、肯定してもらえるの!? あなたみたいに、みんなの事が、誰かの事が、考えられるようになるの!?』


 叫ぶ声がマイクを通して響く。紗希は今すぐにでも真琴の傍に駆け寄って、彼女を抱きしめたい思いでいっぱいになっていた。


 紗希が真琴がとてつもない相手だと考えていたように、真琴もまた紗希を自分のはるか上にいる存在だと思っていたのだ。


 そんなことはない。自分も、真琴も、欠けているものを追い求め続けて居ただけ。


「真琴さん! 聞いて!」


 紗希は大声を出した。マイクがキーンと音を立てる。


 画面の向こうにいる真琴は、凍り付いたように姿勢を正していた。紗希は自分の中にうねる感情を吐き出しすぎないように注意しながら、何を言うべきか頭の中で改めて組み立てた。


 真琴は、自分のことだけではなく、皆の事を考えていた紗希という存在に注目している。だからこそ、最大の障壁となる自分を殺すという確実な手を打たず、姿をくらまそうとしたと考えているようだ。


「私は、逃げたかったの。本当は【死に戻り】についても黙っていれば死なずに生きていけると思っただけだし、誰からも悪女だと言われずに静かに生きていこうと思った。それだけだったの。ただただ、怖いことから逃げてただけ……」


 前世の紗希は、逃げずに立ち向かい続けた。そしていつしか居場所を失い、命を落としたのだ。


 だからすべて逆のことをすればいいと思っていた。だが、さまざまな違いが重なり、何時しか未来は異なる形を描き出した。


「何度やってもダメなのかも。そう思ったけれど、違うと分かった。本当に大事なのは、認めることだったの。怖いと思っている自分、逃げたいと思っている自分、それを認めたら……変わりだしたの、全てが」


『認める?』


「真琴さんは今、言ったじゃない。誰かに認めてほしい、存在を肯定してほしい。それだけなの。それ以上のこと、あなたは望んでいないのよ!」


 真琴は何も言えずに黙り込む。彼女は目を見張っていた。今までどんなに評判の良い心理士でも言い当てなかった言葉を、紗希に真正面から投げつけられた気がしていた。


 誰かに認めてほしい、存在を肯定してほしい。その根幹にある理由を聞きだそうとする人間は、多かった。


 だが紗希は、それだけなのだ、と言い切った。真琴は自分の眼前にある景色が、急に今までと異なって見えるのを感じていた。


 ただそうであるだけ。求めていることに、理由なんてない。


「私も家族との関係は、決してよくはない。母は私のためにと頑張りすぎて、結局、運命を変えられずにこの世を去った。でもその選択は、母にしかできないことだった。父は私のことを見ていなかった。義母とも、義妹とも、うまくいかなかった。だけどそのすべてに……自分で決着をつけるしかない」


 紗希は、自分自身に言い聞かせるように「自分で決着を」と呟いた。


「真琴さん。今こそ、自分で考えるべきよ。あなたに何にもないわけじゃない。【絡繰り】しかないわけじゃない。あなたには、心の底からの望みがある」


 真琴はもう返事をしなかった。ただその場で一度だけ頷き、そして時哉に視線を向ける。


『ありがとう。……お兄様』


 面会時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。紗希は、大きく息をついて、椅子に背を預けた。


「紗希、ありがとう」


 昇吾が呟くように言った。そして紗希の背をなでる。2人は顔を見合わせて、微笑みを交わしたのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?