七分咲きの桜が、青空いっぱいに手を伸ばしている。白い雲は緩やかに流れゆき、春らしい気温と涼やかな風が周囲を包み込む。
紗希は庭先の植木鉢へ水をまきながら、青空と桜の重なりに目を細めた。動きやすさを重視して選んだ、デニム生地を使ったワンピースがとても心地よい。
紗希は昇吾と共に都心を離れ、軽井沢の青木家の別荘で穏やかな日々を送っている。療養とともに、昇吾と結婚するための用意を急ピッチで行うためだった。
式の予定は6月。紗希の誕生日、そして【死に戻り】から5年後を確実に過ぎてから、という紗希の要望だ。
紗希には、どうしても一抹の不安がぬぐい切れずにいた。
和香や俊樹の言葉を思うに、母の琴美と同じように運命は変わり切らない可能性もある。
何かのタイミングで、自分も命を落とすかもしれない。そう思うと、確実に大丈夫だと確信してから、式を挙げたいと願ってやまなかった。
昇吾は自分と結婚することで、決定的に運命を変えたいと望んでいたが、最終的に紗希の想いを尊重してくれている。
「紗希、ただいま」
愛しい人の声に、紗希はパッとかを挙げて玄関に向かう。
「昇吾さん! どうしたんですか、今日は東京に……」
出張のはずじゃ。紗希はそう言葉を続けようとして、昇吾の様子がいつもと違うことに気づいた。
「どうしたんですか? 何か」
「……相談があるんだ。家の中で話したい」
少し硬い声色に、緊張しながら紗希は共に家へと入る。春の日差しをたっぷりと浴びたサロンに入り、すぐに良く冷やした緑茶を用意した。
「どうぞ。レモングラスをあわせてあります」
「ありがとう。いい香りだな……味も、美味しい」
淡い緑色の茶が注がれたグラスに口を付けてから、昇吾は息をつく。そして紗希に、意を決した様子で話し出した。
「華崎真琴。彼女についてどうしても、聞いてほしい相談がある」
「真琴さんの? 確か、宮本家の分家が運営する特別な施設にいらっしゃると……」
2か月ほど前に聞いた情報を思い返しながら紗希は言う。真琴は直接罪に問われることはなかったが、これまでの目的が消え、自分の本当の生い立ちを知ったが故に、精神的にひどく不安定になっているという。
自傷他害の恐れから、宮本家の血を引き、均のように【絡繰り】を使える人材がいる施設で静かに療養しているはずだった。
「彼女もだいぶ落ち着いたようなんだ。施設に入ってすぐは、何も食べず、誰とも喋らずだったそうだから。だが、つい先日、時哉さんを経由して、紗希とどうしても話したいと言い出したそうだ」
「わ、私と?」
なぜ。紗希はそう思った。
「私に、何か、聞きたいことがあるんでしょうか」
考えてみたが、明確な理由を思いつかない。昇吾も同じ思いらしかった。
「時哉さんや均が詳しく聞いてみたようだが、紗希に聞かないと意味がないとの一点張りで、何も答えてくれないらしい」
「……私は」
昇吾はテーブルに身を乗り出す。そして紗希の手を、優しく包むように握りしめた。
「君がダメだと言うなら、はっきりと断るよ。恐ろしい思いをする必要はない」
「いえ……違うんです。昇吾さん」
「違う?」
首を傾げた昇吾の顔を覗き込むようにしながら、紗希は言った。
「私。真琴さんと話したいと、そう思っていたんです」
昇吾は目を丸くする。だが、紗希にとって、それは以前から決意したことだった。
「彼女の今の気持ち。私の気持ち。そのどちらも、決着をつけて置きたい。もし私がまた……」
【死に戻り】を起こしたとしても。そう続けようとした紗希の言葉は、昇吾の口づけで塞がれた。
息を吸い取るような激しい口づけに、紗希は必死で追いつこうとする。鼻で息をしようと意識しても、まったくうまくいかない。
何度も角度を変えて続く口づけに翻弄されるうち、気づくと紗希はサロンのソファの上に押し倒されていた。
やっと口づけが終わったかと思うと、昇吾の強い眼差しが見つめてくる。
強い緊張感に見舞われて、紗希はつま先まで震えてしまいそうだった。
「……君は死なない。死なせない。絶対に」
昇吾が強い口調で言い切る。
「紗希。君は、俺と結婚するんだ。その運命は変えられない」
熱い口づけが、再び送られる。カラン、と音を立てて緑茶に入れた氷が解ける音が聞こえた。
紗希は昇吾の背へ手を回し、彼の気持ちを落ち着かせようと何度もなでる。
「前に伝えた通りです。昇吾さん。結婚したいのは、私も同じですから……」
彼に伝わる様に、心を込めて。紗希は何度も彼の背を撫でた。そのたびに送られる口づけの雨に晒されると、愛情を全身で浴びている感覚に包まれる。
それでも、心の奥にある想いは消え去らない。何年が経過しようとも、きっといつまでも不安に思うだろう。もしかしたら自分は、ある日突然、得体の知れない運命に巻き込まれてしまうかもしれないと。
だからこそ、紗希は真琴と話す必要があると強く感じていた。どんなことが起きたとしても、真琴と決着をつける行動だけは後悔しないという確信がある。
それから何十分も過ぎた後。ようやく落ち着いたらしい昇吾が、しぶしぶ、という言葉を具現化したような表情で、真琴との面会を許可したのだった。