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第10話 元悪女は、決着をつける(1)


 七分咲きの桜が、青空いっぱいに手を伸ばしている。白い雲は緩やかに流れゆき、春らしい気温と涼やかな風が周囲を包み込む。


 紗希は庭先の植木鉢へ水をまきながら、青空と桜の重なりに目を細めた。動きやすさを重視して選んだ、デニム生地を使ったワンピースがとても心地よい。


 紗希は昇吾と共に都心を離れ、軽井沢の青木家の別荘で穏やかな日々を送っている。療養とともに、昇吾と結婚するための用意を急ピッチで行うためだった。


 式の予定は6月。紗希の誕生日、そして【死に戻り】から5年後を確実に過ぎてから、という紗希の要望だ。


 紗希には、どうしても一抹の不安がぬぐい切れずにいた。


 和香や俊樹の言葉を思うに、母の琴美と同じように運命は変わり切らない可能性もある。


 何かのタイミングで、自分も命を落とすかもしれない。そう思うと、確実に大丈夫だと確信してから、式を挙げたいと願ってやまなかった。


 昇吾は自分と結婚することで、決定的に運命を変えたいと望んでいたが、最終的に紗希の想いを尊重してくれている。


「紗希、ただいま」


 愛しい人の声に、紗希はパッとかを挙げて玄関に向かう。


「昇吾さん! どうしたんですか、今日は東京に……」


 出張のはずじゃ。紗希はそう言葉を続けようとして、昇吾の様子がいつもと違うことに気づいた。


「どうしたんですか? 何か」


「……相談があるんだ。家の中で話したい」


 少し硬い声色に、緊張しながら紗希は共に家へと入る。春の日差しをたっぷりと浴びたサロンに入り、すぐに良く冷やした緑茶を用意した。


「どうぞ。レモングラスをあわせてあります」


「ありがとう。いい香りだな……味も、美味しい」


 淡い緑色の茶が注がれたグラスに口を付けてから、昇吾は息をつく。そして紗希に、意を決した様子で話し出した。


「華崎真琴。彼女についてどうしても、聞いてほしい相談がある」


「真琴さんの? 確か、宮本家の分家が運営する特別な施設にいらっしゃると……」


 2か月ほど前に聞いた情報を思い返しながら紗希は言う。真琴は直接罪に問われることはなかったが、これまでの目的が消え、自分の本当の生い立ちを知ったが故に、精神的にひどく不安定になっているという。


 自傷他害の恐れから、宮本家の血を引き、均のように【絡繰り】を使える人材がいる施設で静かに療養しているはずだった。


「彼女もだいぶ落ち着いたようなんだ。施設に入ってすぐは、何も食べず、誰とも喋らずだったそうだから。だが、つい先日、時哉さんを経由して、紗希とどうしても話したいと言い出したそうだ」


「わ、私と?」


 なぜ。紗希はそう思った。


「私に、何か、聞きたいことがあるんでしょうか」


 考えてみたが、明確な理由を思いつかない。昇吾も同じ思いらしかった。


「時哉さんや均が詳しく聞いてみたようだが、紗希に聞かないと意味がないとの一点張りで、何も答えてくれないらしい」


「……私は」


 昇吾はテーブルに身を乗り出す。そして紗希の手を、優しく包むように握りしめた。


「君がダメだと言うなら、はっきりと断るよ。恐ろしい思いをする必要はない」


「いえ……違うんです。昇吾さん」


「違う?」


 首を傾げた昇吾の顔を覗き込むようにしながら、紗希は言った。


「私。真琴さんと話したいと、そう思っていたんです」


 昇吾は目を丸くする。だが、紗希にとって、それは以前から決意したことだった。


「彼女の今の気持ち。私の気持ち。そのどちらも、決着をつけて置きたい。もし私がまた……」


 【死に戻り】を起こしたとしても。そう続けようとした紗希の言葉は、昇吾の口づけで塞がれた。


 息を吸い取るような激しい口づけに、紗希は必死で追いつこうとする。鼻で息をしようと意識しても、まったくうまくいかない。


 何度も角度を変えて続く口づけに翻弄されるうち、気づくと紗希はサロンのソファの上に押し倒されていた。


 やっと口づけが終わったかと思うと、昇吾の強い眼差しが見つめてくる。


 強い緊張感に見舞われて、紗希はつま先まで震えてしまいそうだった。


「……君は死なない。死なせない。絶対に」


 昇吾が強い口調で言い切る。


「紗希。君は、俺と結婚するんだ。その運命は変えられない」


 熱い口づけが、再び送られる。カラン、と音を立てて緑茶に入れた氷が解ける音が聞こえた。


 紗希は昇吾の背へ手を回し、彼の気持ちを落ち着かせようと何度もなでる。


「前に伝えた通りです。昇吾さん。結婚したいのは、私も同じですから……」


 彼に伝わる様に、心を込めて。紗希は何度も彼の背を撫でた。そのたびに送られる口づけの雨に晒されると、愛情を全身で浴びている感覚に包まれる。


 それでも、心の奥にある想いは消え去らない。何年が経過しようとも、きっといつまでも不安に思うだろう。もしかしたら自分は、ある日突然、得体の知れない運命に巻き込まれてしまうかもしれないと。


 だからこそ、紗希は真琴と話す必要があると強く感じていた。どんなことが起きたとしても、真琴と決着をつける行動だけは後悔しないという確信がある。


 それから何十分も過ぎた後。ようやく落ち着いたらしい昇吾が、しぶしぶ、という言葉を具現化したような表情で、真琴との面会を許可したのだった。



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