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「つれないな。そこも可愛いぞ」


 玄秋霜げんしゅうそう榠樝かりんにそっと手を伸ばす。


「ええい、止めよ!恥ずかしい!」


 檜扇を取り上げられ、手を掴まれ、抱き寄せられる。

 榠樝は苦々しく吐き捨てた。


「放せ」

「嫌だ。ここは夢でもうつつでも無い場所。自由にできる」

「ならば私の自由も保証しろ」

「それは嫌だな。逃げるだろう」

「当たり前だ」


 秋霜は榠樝を抱き締め、頭に頬を寄せた。


「じたばたするな。口付けるぞ」

「そんなことをしたら噛み付いてやる」

「………」

「急に黙るな」


 秋霜は溜め息を吐くと榠樝を少しだけ離して、顔を見えるようにした。


「そなた口付けもしたことないだろう」

 かぁっと榠樝が耳まで赤くなる。

「あ、当たり前でしょ?!何言って……」


 むに、と唇を親指で押さえられ、榠樝は不本意ながら沈黙した。

 片腕だけでも十分に自由を奪える秋霜に大人の男を感じ、榠樝はぞくりと背筋を震わせる。


「怖いだろう」


 榠樝の唇をふにふにと抓み、秋霜は意地悪く目を細めた。


「口付けも抱擁も、それ以上のことも、私が全部教えてやる。そなたの相手は私でなくては嫌だ」


 榠樝はぎゅっと眉を寄せ、顔を左右に揺らす。

 秋霜は唇から手を離した。


「私を后に迎えたら、五雲国はこれ幸いと虹霓国を蹂躙じゅうりんする」

「私がさせない」


「そんな力、貴方にあるの?」


 榠樝は秋霜を凝と見詰めた。

 嘘を許さない澄んだ眸が秋霜を貫く。


「秋霜は、己が意思で虹霓国を攻めたいと、手に入れたいと思っているの?それは五雲国朝廷の意思であって、秋霜の意思と違うのではないの?」


 秋霜は溜め息を吐くと榠樝の肩に額を乗せる。


「痛い所を突くな。流石だ」

「ほらやっぱり」

「正解だ、榠樝。そなたはやっぱり私の后に相応ふさわしい」

「だから」


「私を、五雲国王を支えて欲しい」


 榠樝は言葉に詰まった。


「そなたのように強く賢い后が、五雲国には必要だ」


 榠樝は秋霜に抱き締められたまま固まっていた。

 秋霜は榠樝の肩に額を埋めたまま、益々強く抱き締めてくる。


「少し痛いわ」


 秋霜は腕の力を少しだけ緩める。本当に離す気は無いらしい。

 榠樝は諦めて大きくひとつ溜め息を吐いた。


「わかった。そのままでいい。話をしましょう」


 秋霜が顔を上げた。鼻が触れ合いそうなほど近い。

 榠樝は敢えて意識を逸らした。


「今から、私は虹霓国こうげいこく女東宮にょとうぐうとして話をします。五雲国王ごうんこくおう玄秋霜げんしゅうそう。貴方に告げる」


 秋霜の瞳の中に真剣な自分の顔を見つけ、榠樝は真剣な顔で言葉を紡ぐ。


「虹霓国は五雲国に屈しない。私は貴方の后にはならない」


 秋霜は顔を傾けた。

 しゃらん、と玉簾が鳴り、冠が落ちた。

 吐息が唇に当たり、熱い。


「愛していないから?」


 真珠色の髪が揺れて、結い上げたまげが崩れて落ちる。


「それもある。けれど理由はもっと単純なこと」


 真珠色が柔らかく榠樝を包んで、狭い世界に切り取られたようだ。

 震える唇に力を込めて、榠樝は秋霜から視線を外さない。


「先程も言ったように、私を后に迎えたら、五雲国はこれ幸いと虹霓国を蹂躙する。それは間違いない。五雲国の民は虹霓国を属国にしたいのよ。どんな些細なことでも理由を見つけたら、付け込まれる。足掛かりになる気は無い」


 秋霜は今度は否定しなかった。

 その代わり、少し首を傾けて唇を重ねた。

 そっと触れるだけの口付け。


「この接吻で、恋に落ちたりしないだろうか」


 秋霜の服装はいつの間にか寛いだいつもの格好になっていて。

 けれど二人共そんなことには気付かなかった。


「甘く見ないで。私は自分の立場に誇りを持ってる。私は虹霓国の次期女王よ」


 少しだけ震えた声で榠樝は宣言し、潤んだ眸を力強く輝かせた。


「虹霓国を渡せない。貴方が私と結婚したいなら、貴方が婿に来るべきよ」


 秋霜は目を瞬く。

 暫くの沈黙。


「……ええと、私と結婚してくれる?」


 榠樝は脱力しそうになって、何とかこらえた。


「そうじゃないでしょ、手順も何もかも違うって言ってるの!私が好きなら順を追って手続き踏んで求婚して来なさいって言ってるのよ」

「虹霓国風の求婚の仕方を知らないのだが……」


 榠樝は溜め息をいた。


「……話が盛大にズレた気がするわ。仕切り直していい?」

「いや、だから私はそなたが好きで、結婚したいと思っている」

「五雲国と天秤に掛けても私を取る?」

「榠樝を選ぶ」


 間髪入れない返答に、それこそ間髪入れずに榠樝は応える。


「適当言わないで。夢でも現でも無いからそんなこと言えるのよ」


 秋霜は、今度は噛み付くような接吻をしてきた。

 首を振って逃れても、追い掛けて来て捕まえられる。

 どんどん深くなる口付けに、榠樝は今度こそ涙を零した。


「このまま流されてくれないか?私のものに、なってほしい」

「いや、よ」


 真っ赤な顔で、涙を流して。

 榠樝は首を振る。


「言ったでしょう。私は虹霓国の女東宮。そうでない私は私でなく、それ以外のものになるつもりも無い。虹霓国を守り抜く。その為にここに来たの」


 秋霜は榠樝の額に自分の額をこつんとぶつける。


「どうするつもりだった?私をどうにかして、手を引かせるのか?」


 榠樝は涙の浮かんだ瞳で秋霜をしっかりと見詰め返した。


「そのつもりよ。そのつもりでいっぱい考えたし、いっぱい練習したわ」

「何を」

「貴方に言うことを、よ」


 榠樝は少し息を吸うと、目を瞬く。

 睫毛が震えて涙が飛び散った。


 美しかった。


「戦わずとも済むように。虹霓国にも、五雲国にも益があるように。そんな未来を描けるなら、聞いてみる価値はあるでしょう?」


 秋霜は呆気に取られて目を瞬いた。榠樝は微笑む。


「聞く気になったでしょう。私の考え」



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