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 さて、虹霓国こうげいこくにおいて、王の即位後、最も重要とされる祭祀が大嘗祭おおなめのまつりである。

 大嘗祭が執り行われるのは十一月だが、関連行事が多いこともあり、その準備は夏前から行われている。

 鎮魂祭たましずめのまつり、大嘗祭、豊明節会とよのあかりのせちえ、と四日間に渡って行われる祭祀である。


 新女王榠樝かりん以外の貴族たちにとっては、豊明節会の五節舞ごせちのまいこそが本番のようなものであった。


 五節舞は通常五人の舞姫が選ばれた。

 舞姫の年齢は大抵十代前半である。


 常ならば六家の内、新王をご出産なされた妃、要するに王太后おうたいごうを出した家以外の五家からの選出である。

 五節舞姫として選ばれるのは大変な名誉とされた。


 舞姫は必ずしも六家の実の娘ではなく、その親類縁者から主に見目好いものが選ばれる。

 そして舞姫一人に対し、付き従う童女わらわめに、下仕えの女房を二、三人用意するのが常である。

 その装束をいかに他の家よりも豪奢で見目好いものにするかで競い合っていた。


 五節の舞姫の内から新王の妃となる者が選ばれることが間々ある。

 その選定が如何に重要視されていたかがわかると思う。


 単純に役目だけでも、公卿くぎょうらの前での公開練習、王の前での公開練習、童御覧わらわごらんと称した童女のお披露目会、そして本番の豊明節会での五節舞がある。

 普段表に姿を見せることのない姫君たちにとって、はなはだしい緊張を強いられることとなる役目であるのは間違いない。

 毎年何人かは失神する者が出るほどである。


 それはともかく。


 此度こたびは新女王。五節舞姫から妃が選ばれることは無いけれど。


「いっそ姫を若君に変えて舞わせては?」


 などという頓狂とんきょうな案が出るくらいには、公卿たちの頭は迷走を極めていた。


「王配は暫く定めぬとの仰せであったぞ」

「いやしかし、候補を立てておくくらいはしなくては」

「通例からだと王太后の出である黒鳶は除外されるが」

「しかし菖蒲と月白は婿がねの候補から外れましたぞ」

「また新たに婿がねを選べば良いだけのことだ」


 一際大きな咳払い。


「皆、心得違いをしておられるようだ」


 左近衛大将、蘇芳銀河すおうのぎんがが低く唸る。


「心得違い、とは?」


 右大臣、菖蒲紫苑あやめのしおんが恐る恐るく。


此度こたびの定で決めるのは舞姫であり、主上おかみの婿がねではござらぬ」


 しん、と場が静まり返る。

 それはそう。

 中納言、藤黄橘とうおうのたちばなは重々しく頷いた。


「左大将どのの仰せのごとく、通例のように。この度は黒鳶を除いた五家から、舞姫を選べば宜しかろうと存じます」




 ことの顛末を頭弁、縹笹百合はなだのささゆりから聞いた榠樝は、引き攣った笑いを浮かべる。


「婿がねはしばらく置かぬと言ったばかりなのに」

「そうであっても。やはり各々おのおの候補は立てて置きたいのだと存じます」


「となると笹百合、そなたが舞うことになったかもしれない訳か。それはちょっと見たい気もする」


笹百合は困ったように眉尻を下げた。


「紅雨どのや茅花どのらと舞うのは、ご遠慮申し上げたいですね。年齢も年齢ですし」

「華やかな男舞も良いと思うぞ」


「五節舞はやはり舞姫でないと締まりません」

「それはそう。あの華やいだ空気は私も好きだ。舞姫らには大変なことだがな」


 笹百合はそっと溜め息を漏らした。


「そして皆さま、舞姫にばかり気を取られ、巫鳥しとど金花きびたきよりの使節のことも、五雲国の使節のことも忘れ去って居られました」


 榠樝は目を瞬いた。


「ああ、そうか。大嘗祭だからか。土蜘蛛と鬼の末裔すえの者らの演目か」

「主上もお忘れでございましたか?」


「いや、そうでもない。虹霓国平定の大事な一角だからな」


 八〇年前の大戦で敗れた土蜘蛛と鬼の一族は、大嘗祭の際に臣従の証しとして、舞楽を奏上することになっている。

 土蜘蛛の末裔と呼ばれる者たちが住む地が巫鳥、鬼の末裔の里が金花である。


 辛うじて、虹霓国にもまだ残っている異形の者たち。

 尤も、そう伝えられるだけで、実際の所、純血の者は絶えたとか、異能は薄まって消えたとか。


 外見は普通の人間と変わらないように見える。

 土蜘蛛の血を引く者は手足が長いとか、鬼の血を引く者は金眼きんめであるとか。そんな俗説もあるがすべて世迷言である。


 藤黄南天なんてんなどずば抜けて手足が長いが、歴とした六家直系の者であることだし。


 ともかく、まつろわぬ民の平定、動乱の終焉ともいえる、鬼と土蜘蛛の臣従をよみして行われる重要な演目である。

 忘れるなどもってのほか


「関白に聞かれたら怒られるな」

然様さようにございますね」


 くすくすと笑い合って。だが、榠樝はすっと目を細めた。


淵酔えんずいには五雲国の者らは呼べないからな」


 淵酔とは、簡単に言うなら宴会である。

 殿上間てんじょうのまで、酔って歌って踊る無礼講。

 大嘗祭の前に行われる。所謂いわゆる親睦会。

 貴族同士の結束を強めるために行われている。


 というのは建前で。

 長期の儀式の合間に、息抜きが欲しいのだろうと榠樝は思っている。

 実際のところがどうなのかは知らないが。


 さて、殿上間は公卿や殿上人、蔵人など許された者にしか昇ることのできぬ場。

異国の者を入れる訳にはいかない。


「やはり大極殿が無難か」

「御意」


「しかし関白の意見を聞きたいところだな」


 狙い澄ましたかのように関白、蘇芳深雪みゆきが参上する。


「流石だ、関白」

「何がでございますか」


 怪訝な表情で深雪が眉を寄せる。

 来てほしい、まさにその時に来てくれる男。


「そなたは実に有能であると改めて思ってな」


 深雪がますます眉間の皺を深くする。

 笹百合が注釈を入れた。


「丁度、関白さまのご意見を、と仰せでございました」

然様さようか」


 深雪は榠樝の前に跪き、言葉を待つ。


「五雲国の者らを淵酔に呼ぶわけにも行くまいが、同じような宴を催さねばなるまい。だが豊明節会の後にまた饗宴ともいくまいし。豊明節会の規模を拡大し、そこに招こうと思うのだが」

「良きお考えと存じます」


「となると紫宸殿ではまずかろう。大極殿辺りが無難かと思ってな。そなたの意見を聞きたかった」

「なるほど。私も大極殿が宜しいかと存じます」


「うむ。ではその方向で頼む」

「御意」


しかし、と深雪が首を振る。


「皆、浮ついておりますな。大嘗祭こそ気を引き締めて参らねばならぬというのに」


「舞姫も神楽の演者も、選べば終わりでは無いからな」


「舞も楽も一つの欠けも無いよう励むべきかと」


 榠樝が苦笑した。


「あまり根を詰めぬよう、よく言い聞かせよ。特に関白、そなたは張り切り過ぎだ。昨年までの新嘗祭にいなめのまつりと違い、そなたの出番はあまり無いのだから」


 新嘗祭、大嘗祭ともに、王が幼い場合は摂政の介添えがつく。

 或いは代行される。

 昨年までは榠樝は女東宮であったので、主だったことは摂政の深雪が代行して行ったのだ。


「仰せの通り。王の生涯において、一度きりの大嘗祭でございます。立派に果たされること、切に願っております」


 改めてそう言われれば緊張も増すというもの。榠樝は重々しく頷いた。


「うむ」

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