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 榠樝かりんは何度か瞬きし、口を開け閉めし、もう一度目を瞬いて。

 溜め息を吐いた。


 月白凍星つきしろのいてぼしを雨乞い機関の次官に置くと。

 何の冗談だ。

 同盟国ではあるとはいえ、虹霓国の者を重役に付けるなどと。


 反発は必至だ。


「月白凍星は神の加護は得て無いと思うぞ。そちらが期待するような異能ちからは無い」


「それでも神秘の国からの遣使の長だろう。神祇官やら陰陽師やら不可思議な術を使う者たちの頂点に居る」


 頂点では無いと思う。

 そう言いたかったが榠樝は堪えた。


 指摘する場面でも無いし、秋霜の言わんとするところはわかる。


「確かに彼は遣使大傅たいふの位に在る。だが良いのか。長官にそなたの妹、王族を任じ、次官に虹霓国の遣使大傅を置くなど。虹霓国を更に厚遇すると示したようなものだぞ」


「そこが問題だ」


「大問題だろう。虹霓国は五雲国の属国ではない」


「だからこそ、とても困っている」


 秋霜の困り切った顔に、榠樝はがしがしと己の髪を掻きむしった。


「止めろ。髪が痛む」


「良い考えが浮かばぬ。いやしかし、月白凍星の任官はともかく雨乞いはしなくてはならぬ。必ず致せ。とにかく祈れ。祈りが、思いが無くば神々は力をふるえぬ」


 虹霓国でも既に薄まっている認識ではある。

 神々は人の祈りや願い、思いに拠って立つ存在だ。

 祈りが無ければ神威はあらわれない。


 神代は既に遠い存在だ。

 今は人の時代であるからして。


「榠樝が五雲国こちらに来てくれていたらな。虹霓国では王族が祈れば必ず雨が降るのだろう?」


「まあ、そうだな」


 榠樝は少し考える。


「行くことはできないが、こちらで五雲国そちらの雨乞いをしてみるのはどうだろう。国が違うし、離れているし、効果があるかはわからんが、何もせぬよりは良かろう」


 秋霜が顔を輝かせた。


「いや、本当に全然何も助けにならぬで、落胆するだけかもしれんぞ?」


 榠樝は口にした後で少し思う。

 手を差し伸べずにいれば、五雲国は衰亡の一途を辿ることになる。

 ……かもしれない。


 幸運の前触れか、はたまた不幸の前兆か。


 榠樝はぎゅっと目を瞑った。

 判断がつかない以上、手出しは控えるべきだ。

 どんな問題ごとが起こるかわかったものではない。


 だが榠樝は、苦しんでいる者を前に、手をこまねいているような気質では無かった。


 何もせずに傍観?

 冗談ではない。


「それでも助かる。感謝する、榠樝」


 秋霜が榠樝の手を取りぎゅっと握り締めた。

 榠樝が小さく吐息し、秋霜の肩を叩く。


「お互い大変だな。だが、やるしかないな。私たちは王なのだから」






 榠樝は忙しい合間を縫って、陰陽頭朱鷺尾花ときのおばなと面会する。


「異国の雨乞いと仰せになられましても、例がございませぬゆえ


「で、あろうな。うん。そうは思ったのだ」


 反応は芳しくなかった。


「そも、龍神はどうやって雨を降らせるのだ?」


 陰陽頭はふわふわの眉毛を揺らし、頷く。


「天には無数の水が御座います。目に見えぬほど小さな水で御座います。それらが集まり雲となります。雲は水の集まり。雲に収まり切らなくなった水が、雨や雪となり、地に降って参ります。龍神はその雲を操られるのです」


「ほぉ」


「この世には無数の神が居られます。雨の神も風の神も数多あまた居られ、龍神のみに非ず。雨乞いをするのは主に龍神でございますが、それは龍神が風の神の気質をもお持ちであるが故。風にて雲は運ばれますので」


「なるほど」


「五雲国に雨を降らせたいのであれば、主上御自ら龍神と会話なさるのが宜しいでしょう」


「……簡単に言うが容易くは出来まい」


「御意。ただ、強く願う者のもとへ、神は夢を通して度々お越しになられます。強く願われませ。さすればお声も掛かりましょう。ただし」


 陰陽頭は眉毛の合間から鋭い眼光を覗かせた。


「気に入られ過ぎると、帰ってこられなくなる恐れが御座います故、お気を付けなさいませ」


 神隠しのためしは数多い。

 榠樝は半眼になった。

 どう気を付けろというのだ。


「お心を強く持たれませ。己は虹霓国女王、鴗鳥榠樝そにどりのかりんであると、強く強く、ご自覚をお持ちください。大嘗祭おおなめのまつりも控えて御座いますれば、主上の御身は一際強く、神に近付かれまする」


「そなた、また心を読んだな」

「いいえ、お顔に書いてございますれば」


 榠樝は思い切り苦笑した。

 御簾越しの面会で、顔に書いてあるも何も無い。


「御簾越しでも、見えるものにございます」


 声に出さぬ呟きに応えを返され、榠樝は溜め息を吐いた。

 笑うしかない。


「そうか。もはやそなたに関しては驚くのは止める。キリがない」

「畏れ入りまする」


「陰陽頭、朱鷺尾花。忠告感謝する。よく、覚えておく」


 陰陽頭は小さく可愛らしい身体を曲げ、そっと平伏した。


「ははっ」






 そして。

 日々はあっという間に過ぎ去さって。


 田には短く切り揃えられた稲株が整然と並んでいる。

 黄金色に揺れる稲穂とは対照的に、しっとりとした土の色が広がって。

 そこに雀や鷺が餌を求めて舞い降りる。

 風は冷たく物寂しい。


 大嘗祭は滞りなく行われ、神威が顕現。

 皆、畏れ敬って。


 五節舞もかつてなく華やかで艶やかで、かつ仕来しきたり通りに素晴らしく。


 五雲国の大使らを招いての豊明節会は初めての試みだったが、大使を始めとして五雲国の者たちは、ほぼ全員が感激に酔いしれていた。

 気持ちが、極端に虹霓国贔屓に傾いたのが傍目にも明らかだった。


 良いことなのだろうが、関白蘇芳深雪すおうのみゆきは眉を寄せる。


 こんなに簡単に篭絡ろうらく出来て良いのだろうか。

 何か裏があるのではないか、と疑いたくなるほどだ。


 だが。


「虹霓国に赴任されて初めて、私は神の力というものを感じました。本当に実在するのですな。いや、畏れ多いことです。無下に扱ってはならぬものと心から思いましたぞ」


 大使が涙ながらに語るような神威は、豊明節会では無かったと思うのだが。


 不審に思って陰陽頭に問い掛けたほどだ。

 幻覚の術でもかけたのか、と。


 答えは否。


 虹霓国の普通は五雲国の異常。


 榠樝の言葉と共に小雨が降り、すぐ止んだ。そして虹が差した。

 瑞兆。

 大嘗祭ではよくあることだ。

 代々の王がほぼ例外なく虹に祝福されている。


 だが、そんな少しばかりの異能ちからの片鱗にさえ、五雲国の者からすれば腰を抜かすほどの驚きなのだそうだ。


 さて置き、すべては上手く運んでいる。

 これで何もかもが順調に進めばいうことは無いのだが……。






「花ひらいて風雨多し。よく云ったものでございますな」


 深雪は苦々しくかぶりを振った。

 南の大宰府ではしん州の使者が居座っているという。

 色よい返事を貰うまで帰らぬつもりらしい。


 そして再び遣使大傅、月白凍星つきしろのいてぼしより密書が届いた。

 そこにあったのは、五雲国にて反乱の兆しあり、の文字。


 支援すべきか、静観すべきか。

 介入すべきか、せざるべきか。


 榠樝はがりがりと髪を掻き乱した。


「まず何処を、という所からだな、関白」

「御意。虹霓国がどの位置に立つか。とても重要な局面にございます」



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