目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第18話 言葉に出して真となる

 成人男性が熱でぶっ倒れっるなんて恥ずかしい、と双子の兄に言われてはや2日。

やっとそれなりに回復したために「仕事するかあ」と重い腰を上げたら、その腰に思いっきりこぶしを一発食らった。

「いった!!!なんでだよ!!」

「うるせえ病み上がり。やる気になってくれたのは大変結構だが下手に頑張られて風邪ぶり返されても困るんだよ」

「どうしろってんだよ! 休もうとしても仕事しようとしても怒られるって理不尽じゃねえか?!」

「下手な気合が気持ち悪いって言ってんだよ。ほどほどにしろ。ほんと体調管理スキルくそだな」

「すっげえ理不尽な気がする……正しいことを言われている気もするけど理不尽だってこれ絶対……」

 それなりに痛かった腰を摩りながら不平をこぼすが、こんなのはサクには効きやしない。いつも通りのそっけない顔で、サクは仕事用デスクに向き直った。

「だから病み上がりの社長には別命を出す」

「副社長、随分偉そうだな。まあいいや。なにをしろって?」

 PC仕事は今断られたばかりだから、きっと違う。病み上がり、を強調するのだから、おそらく提携会社との打ち合わせでもないだろう。怪訝に思って首を傾げていると、サクはデスク横の棚から大量の郵便物を取り出してきた。片手で持ちきれない、それなりの量のそれを双子で共用のエコバッグにどさりと突っ込まれる。

「これ、お前が寝てる間に溜まった郵便の返信。全部やっといたから、ポストに出してこい」

「お、おお……」

「それから、買い出し。誰かさんが常備薬使いきったからもうねえんだよ。薬の買い足しと、ついでに茶と晩飯な」

「……理由に文句のつけようもない所が、流石サクって感じするわ……」

 共用の財布を持ち、郵便物しか入ってないくせにそれなりに重いエコバッグを手に取った。空は随分と晴れている。久々に見たなあなんて思いながら、行ってきまーす、と玄関を開けた。



 買い出しも郵便出しも面倒だなあと思ったものの、これがサクの気遣いだとは流石に分かってる。

 ずっと部屋の中にいたオレが、日の光を思いっきり浴びれるような配慮だ。ありがたい。事実、綺麗な青空を眺めて日光を浴びるのは本当に久々で、とても心地よかった。

 行き先だって徒歩五分の郵便局とスーパーに限定されているのも、夏の気温で病み上がりのオレがバテないようにするためだろう。

 それに晩御飯の買い出しだって、『自分で自分の食べられるもの、好きなものを買ってこい』という考えなのかもしれない。実際、まだ胃の調子は万全じゃなくて、普段の晩御飯を用意しても完食できる気はしなかった。

 気遣いが本当に分かりづらいのだ、双子の兄は。ちゃんと優しいくせに、それを絶対に表に出さない。だから周りに誤解されることも多い。でも、オレはちゃんとわかってるんですよー、なんて思うのは、ちょっとした優越感だった。

——そんなことを思いながら、ふわふわしていたのも良くなかったのかもしれない。

「うわあ、やられた」

 郵便局に出すものを出して、軽い買い物を済ませて、さあ帰ろうかという時。

 まさかの大雨に遭遇して、慌てて近くの店の軒下に避難した。

 ザアア、と大粒の雨が屋根を打ち付ける音がすごい。

 天気予報は晴れじゃなかったか——と思ったけど、そもそも天気予報を見ていなかった気がする。うん、見てない。つまり自業自得だ。あちゃあ、やってしまった。

 更には、雷まで鳴り始めた。ゴロゴロとなる地響きにも似た音に、思わず眉を顰める。小さい頃は、雷が大の苦手だった。今はそこまでではないけれど、それでも好きなものじゃあない。

 いや、でも双子の兄は天気予報はしっかり見るタチだ。ということは、この雷雨は完全に通り雨で、天気予報の想定外ということになる。双子の兄は、雷雨になると分かっていたらオレを買い物に送り出すようなことはしない。そういう人だ。

 これは、雨が止むまで雷を聞き続けなきゃいけないのか。双子の兄に電話して迎えを頼むか考えたけれど、やめた。——あいつだって、雨も雷も、得意じゃあない。それに『通り雨に備えて傘くらい持ち歩いておけ』と叱られる可能性だって捨てきれない。

 さあて、どうしたものか。大きなため息を吐いた時、少し離れたところにもう一人、雨宿りの民がいることに気が付いた。奇遇ですね、なんて声をかけようと顔を上げて——そう来たか、と目を丸くした。


「……ハルキ」


 同じ店の軒下で雨宿りを選んでいたのは、ハルキだった。少し雨に打たれたのだろう、髪やスーツが若干濡れている。その濡れた前髪の隙間から、驚いて目を見開くハルキの瞳がよく見えた。

「……カズト」

「はは、偶然。ハルキも雨宿り?」

「ああ。急に降られたからな」

 目の前で降り続く、バケツをひっくり返したような大雨を睨みながらハルキは言った。その顔がなんだかおかしくて、思わず吹き出してしまう。かなりイイトコの御曹司なはずなのに、そんなハルキでも突然の雨には勝てないのだ。たかだか雨にしてやられているハルキの様子が、何度見てもやっぱり面白い。

 それでもこのままじゃ風邪をひく——と考えて、あ、と思い出した。つい先日まで夏風邪の高熱でへばっていたオレに差し入れをしてくれた張本人が、今目の前にいるじゃあないか。今お礼を言わずして、いつ言うのか。

「あ、ハルキ」

「?」

「こないだ、お見舞いとゼリー、ありがとな。おかげで元気になったよ」

「それならよかった」

「あのゼリーの差し入れ見て、笑っちゃった。中学生の時と変わってねーんだもん。お前の記憶も、オレの好みも」

 決して高価なものではないが、幼い頃から変わらない好物であることは確かだ。それを覚えて、探して、お見舞いとして持ってきてくれたことが嬉しかった。

 人一人分あいた、絶妙な距離。かけあう言葉の距離感も、だいたいそのくらい。

 遠くはないけど、近くもない距離。オレとハルキの距離って、今はこういう感じなんだと思う。

 一度手を振り払ったのはオレで。追いかけてきた手を拒絶したのもオレで。だからこそ、これ以上お互いに踏み出せない距離。——にっちもさっちもいかないこの状況がもどかしい、と思ってはいけないのかもしれない。

「っくし」

 ほんのりと肌寒くなり、小さなくしゃみが飛び出した。このくらいで、とも思ったが、そういえばそもそも病み上がりだったのを思い出す。つい先日まで高熱を出して寝込んでいたのではなかったか。

 目の前の雨は、まだ止みそうにない。

 これはいよいよ、一番近いコンビニまで走って傘を買うしかないか、と辟易していると。隣に立つハルキが、若干言いづらそうに口を開いた。

「……カズト」

「なんだよ」

「走ればすぐのところに、駐車場があるんだが」

「うん」

「そこまでいけば、俺の車がある」

「へえ」

「その車で数分走れば、今住んでいる俺の家がある」

「……うん?」

 誰の家がなんだって? 首を傾げてしまった。

 話の流れがおかしくなってきた。これじゃあまるで、家に来るのを誘われているみたいだ。

「このままだと風邪をひく。せっかく風邪が治ったのに、それじゃあ意味がない」

「そりゃあ、そうだけど」

「風呂も乾燥機もある。服は直ぐに乾くだろうから、その間は家を好きに使ってくれたらいい」

「ええと……」

 いくら幼馴染とはいえ、元・恋人で。そして一度は手を離した相手の家に、行くのもどうなのだろうか。

 戸惑いから返事出来ずにいると、ハルキは神妙な顔をして頷いた。

「……家にいる間。カズトに、触れないと約束する」

「……え」

「怖がらせたくない。嫌がられたくも、ない。ただ、風邪を引いてほしくないだけだ。

……それに、雷も鳴っているだろう」

 その言葉に、ハルキの不可解な行動がやっと腑に落ちた。

 なんだか変な方向に気を遣わせてしまっていたらしい。

 ああ、そうだ。そうだった。こいつは不器用の権化みたいなやつだった。

 遠い空の向こうで、再び雷がちらりと光る。今は、そんなに怖いわけではないけれど。

「……うん、じゃあ、少しだけお邪魔するわ」

 不器用の権化なりに向けてくれた優しさを、無駄にしたくもなかった。




「……予想外に……いや、それでもやっぱデカイな」

「仕事のためだけの家に、そんなに広さは必要ないだろう」

 そういうハルキの前に広がる部屋は、それでもオレとサクの住む家よりでかい。大豪邸のお手本のようなハルキの元々の家を知っているからこそ、それと比べて質素には感じる。何より生活感がそれなりにある。まあ、そんな家でも、普通の家に比べれば十分に広いのだけれど。

「風呂はそこで、乾燥機は脱衣所にある。その間の着替えはこれを使っていい」

「あ、うん」

 テキパキと指示を出されて、あれよあれよと風呂に放り込まれた。元恋人同士ってこういうもんかと思ったけど、サラッと流してくれるのはありがたい。

 軽く温かいシャワーだけ浴びて、借りた服を着た。少し濡れた元の服は、厚意に甘えて脱衣所にあった乾燥機にぶち込んだ。高性能らしく、数分で乾くと表示が出た。いいもの使いやがって。ちょっと腹が立つ。

「……デカい」

 ある意味当たり前だけれど、オレとハルキでは身長が違うのだから、服のサイズだって違う。それはハルキもわかっていて、フリーサイズの寝間着をよこしてくれたのだろう。腰回りはゴムだからどうにかなったけれど、裾と袖は流石にダボついた。

「ハルキ、風呂、さんきゅ」

「ああ。服は大丈夫だったか」

「さすがに袖は余るけど、折ればどうにでもなるよ。服もありがとな」

 オレが風呂に放り込まれた後、ハルキも着替えたんだろう。リビングで本を読んでいたハルキは、スーツではなく部屋着だった。

 なんだか変な感じだ。

 前までのハルキなら、もう一度——って何度だって話をしにきていたと思う。でも、「家で触れない」という約束を守るためか、今日のハルキは一切その話題を口にしていなかった。

 昔に戻った感じがする。何も意識せずに笑い合って過ごした、あの頃みたいだ。……その時よりかは、些か気まずい感じはするけど。喧嘩して三日目、ってくらいの空気感かもしれない。

「カズト」

「はっ、はい」

「温かいカフェオレを入れてある。飲んで待つといい」

「マジ?やった」

 机に置かれたマグカップを手に取る。オレが座るのを見届けて、ハルキはその場を立つと、自室(と思われる)方に行ってしまった。

 やっぱり、向こうはわざと距離をおいてるみたいだ。気まずいのはオレも同じだから、気持ちは分かる。

温かい風呂と着替えを貸してくれただけ、いいのかもしれない。ありがたい、と思いつつ、申し訳ないとも思う。

「……あれ」

 リビングにある棚の上。何か写真が飾ってあるのが見えた。

 ハルキの家族——ではないだろう。ハルキの家は、家族仲があまり仲良くない。折原さんは家族写真に写るような人ではないだろうし、妹の雪子ちゃんもハルキと並んで写真を撮るタイプとは思えなかった。

 手に取って見てみると、そこに映っている人間は四人。——ハルキと、サクと、愁と……オレだ。小さなケーキを持って映ってる。これは、高校の時だったはずだ。懐かしい。

「……ああ、それか」

 自室から戻ってきたハルキが、オレの持っている写真をちらりと見て言った。今目の前にいるハルキより、手の中の写真に写っているハルキの方が、やっぱり少し幼い容姿をしている。それでもどっちも顔がいいよなあ、と思って、まじまじと見てしまった。

「昔のハルキ、久々に見たわ。随分懐かしい写真飾ってるんだな」

 オレはアメリカに渡るとき、ハルキの映った写真をほとんど消してしまったから、この写真も残ってない。昔のハルキの写真は一枚きりしか残していないから、学生時代のハルキ——というか、オレ達四人の写真を見るのは、本当に久しぶりだった。

「これ、いつのだっけ」

「お前たちの高校一年の時の誕生日だ」

「あー……だからケーキ持ってるんだ」

 オレが一年で、ハルキが二年の頃。あの時はまだ、オレはハルキと付き合ってなかった。

 ケーキのプレゼントに関しては、愁が提案して店を探し、ハルキが出資したらしい。特にサクのケーキについては、甘い物が苦手なサクでも食べられるよう、特注のコーヒーケーキを用意してくれた。ハルキの出資したものだと分かったサクは最初すっごい嫌そうな顔をしていたけれど、ケーキと愁には罪はないので渋々食べていたっけ。

 学校の短い昼休みに開催された、ささやかな誕生日会。これはそんな中で、カメラをセルフタイマーに設定して撮った一枚だ。大体は誰かが撮る側に回るから、四人そろっている写真は珍しい。

 懐かしくて頬が緩んだオレを見て、ふとハルキが呟いた。

「……もうすぐ、カズトの誕生日だろう」

「へ、ああ、うん、そうだけど」

ていうか、それを言うならお前も誕生日じゃん、とは思う。オレとサクの誕生日は七月七日。ハルキの誕生日は七月八日だ。誕生日が近いものだから覚えやすいし、間違えるはずがない。

 困惑するオレの耳に、かろうじて呟かれたハルキの言葉が届く。


「……プレゼント、は、ダメかもしれないが。せめて、一緒に居たい、と、思う。……ダメ、だろうか」


 ——ああ、この不器用の権化め。

 最初に思った一言はそれだった。

「なあ、ハルキ」

 手元の写真を置いて、ハルキに向き直った。触れない、という宣言を忠実に守った、人ひとり分の隙間が目に入る。

「オレさ、まだわかんないよ。どうしたらいいか」

——振り上げた拳の、落としどころ。そう表現してくれた人がいたのを思い出す。

 宙ぶらりんになった感情も、立場も。どうすべきなのか、どうしたいのか。指針がなさすぎて、動く方向すらも分からない。

「オレは、お前と一緒に居るべきじゃないと思ったから、留学してまで連絡を断ったんだ。今でも、その判断は間違ってなかったと思う。

 でもさ。龍太郎に言われたんだ。お前と居る時のほうが、オレが、オレらしい、って」

 ……言われた、というより、暗に諭された、という感じではあるけれど。龍太郎にそう言われて、ああそうか、と納得してしまった自分がいた。

 ハルキたちと過ごした期間。そしてハルキと離れて、龍太郎と過ごした期間。優劣はつけられるものじゃなかった。

でも。たった一つだけ、何かがあるとすれば。


「オレ——お前のこと、まだ、好きなんだなあ」


 さあ、どうしようなあ。


 そう言って笑ったら、目の前が暗くなった。

 抱き寄せられた、と気づいたのは、ハルキの腕の中の温もりなんだなあと気づいた後だった。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?