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第18.5話 雷鳴の下の秘密

 中学に入って、最初の夏がやってきた。

 からっと晴れた過ごしやすい夏——なんてものは幻想でしかなく、実際はじめじめとした猛暑だ。その上、この時期は台風だなんだと天気が変わりやすい。天気予報で『急な雨にご注意ください』なんて言われるのはほぼ毎日だった。おかげで折り畳み傘が手放せない。

 今日もそうだ。朝は青空が見えるほど晴れていたはずなのに、下校時刻になった今では雷雨となってしまっている。空はぴかぴかと光るし、雨は地面を押し流しそうな勢いだった。

 光る空と大粒の雨を見て、オレは重いため息を吐いた。

「はあ……この中帰るの、きっついなあ」

「分かる。雨だと面倒だよなあ」

「まあ、それもあるんだけど。雷、ちょっと苦手でさ」

 隣で帰り支度をしていた愁にそう言うと、愁はふうんと雷の光る空を見た。ゴロゴロとした雷鳴が聞こえてるけれど、愁の表情は変わらない。なるほど、コイツは雷まったく問題ないタイプらしい。

「子供のうちは雷が苦手なヤツもいるけど、成長したら気にならなくなるもんだと思ってたよ」

「悪かったな、ガキで」

「そうは言ってないだろ。あ、それならさ、朔は?」

 くるりと、愁はサクの方を振り向いた。その辺の机に座ってスマホをいじってたサクは、鬱陶しそうに顔を上げる。

「は?なんだよ」

「なあ、朔は? お前も雷苦手なのか?」

「オレはへーき。カズトと一緒にすんな」

 外でどれだけ雷と雨が轟いていても、サクは平気そうにケッとオレを鼻で笑った。流石にバカにするなと吠えて返そうとも思ったけど、雷がゴロゴロなる音がまた聞こえて、言葉にならなかった。やっぱりこんな日は、気分としてはそんなによくない。

 オレとサクの表情の違いを見て、愁は不思議なものを見るように首を傾げた。

「へえ、双子でもそういう感覚は違うもんなんだなあ」

「そりゃそうだって……うわっ」

 ひと際大きな雷鳴が聞こえて、声が上ずってしまう。これは近くに落ちたかもしれない。

 落雷の音も嫌だが、それに付随する地鳴りのような音も、雨の音も好きではない。ああやだやだ、と鳥肌のたった自分の両腕を摩って——ふと、昔の光景を思い出した。

 窓の外をもう一度見やる。あの時も、確かこんな大雨と雷だった。

「? 和兎、どした。いきなり静かになって」

「愁もたいがい失礼だな。……昔、もっと怖かった時のこと思い出してさ。懐かしくなって」

「昔、って?」

「うん。今はまだマシなんだけど、子供の時はもっと苦手でさ。あんまり酷いと動けなくなるくらいだったんだ。

で、ええと……小学生、低学年くらいの時かな。帰り際に大雨と雷が凄くてさあ。生徒みんな帰れなくなって。みんな体育館に集められて、迎えを待つことになったんだ」

 あの日も、天気予報までは覚えてないけど、確か朝は晴れていたはずだ。

それが昼過ぎになって、急に雨が降り始めた。下校時刻の頃には雨の降り方が激しくなり、雷まで鳴り始めた。

 校庭の水たまりがどんどん繋がり、最終的には地面が見えないほどになってしまった。学校の周りは湖と川のようになってしまって、まるで校舎そのものが海の中に取り残されたようだった。

流石にこれは子どもだけで帰宅は無理だろうと、全校生徒が先生たちによって体育館に集められた。ランドセルをしょって並んだ児童一人ひとりの点呼をとっていく。あとは、親が迎えに来たら返される。所謂、『保護者による引き取り』ってやつだった。

 学校で父さんと母さんの迎えを待つのは、あれが初めてではなかった。小学校では定期的に、何かあった時の為の『引き取り訓練』というものを行事として組み込んでいたから、何度か『練習』としてはやったことがあった。月島の父さんと母さんが来てくれた時、大きく手を振って立ち上がったものだから、訓練だぞと怒られたりもした。

 しかし、この時は訓練ではなく、本番。本当に突発的な『引き取り』になるのは、あれが初めてだった。そのせいもあってか、余計に心臓がドクドクいって、泣きそうなくらい緊張してしまったのをよく覚えている。

「オレたちの父さんと母さん、共働きでさ。迎えが遅くなっちゃって。音と光で怖がるオレを、ハルキとサクが助けてくれたんだ」

「オレなんもしてね。ハルキだろ」

「呼んだか」

 珍しくサクがハルキを話題に出すという丁度いいタイミングで、クラスの外からハルキの声がした。げっ、とサクが嫌そうに顔を歪めるまでがワンセット、毎度のことだ。

 放課後、オレ達四人は一緒に帰ることが多い。ハルキだけ学年が違うから、いつもは下駄箱付近でなんとなく合流する感じになっているのだけれど、今日はオレ達三人が遅いから迎えに来てくれたのかもしれない。

オレが雷を気にして、ちょっとモタついてしまったせいだ。悪いことをしてしまった。——いや、それなら、もしかすると。

「ごめんハルキ、行くの遅くなって」

「別にいい。カズト、雷、大丈夫か」

「うん、なんとか」

 心配そうに声をかけてくるハルキに、苦笑して返した。わざわざクラスまで迎えにきてくれるのは珍しいから、もしかしてと思っていたけれど。やっぱり、ハルキもオレの雷嫌いを思い出してくれていたらしい。昔ほどは怖くないから、こうやって目に見えて気遣われるのは、嬉しくも恥ずかしくもある。

「ああ、ハルキも和兎の雷恐怖症知ってるのか。さすが幼馴染」(愁ってハルキって呼んでたっけ…?)

「何度か雷雨の時に、怖がってたのを見てるからな」

「そうそう、ハルキ。昔さ、大雨で帰れなくなって、体育館で待ってた時。ハルキとサクが一緒にいてくれたの。覚えてるか?」

「え?」

「サクは覚えてないって言ってるんだけど」

 ハルキはサクをちらっとみて、少しだけ考え込んだ。しかし、結局きょとんと首を傾げてしまった。

「……俺もあんまり覚えてないな。朔じゃないのか」

 知らぬ存ぜぬでそっぽを向くサクと、首を傾げるハルキ。お互いに自分じゃないという。仲が悪いくせに、こういう時ばっかりこの二人は息がぴったりで、ちょっと笑ってしまう。愁も二人の息ぴったりな姿に、思わず吹き出した。

「なんだよ、それ。仲良しか?」

「ふざけんな」

「はいはい、分かったって。とりあえず帰ろう。少しだけ雷も収まってるうちにさ」

 即座に否定するサクを宥めながら、カバンを手に取った。窓の外の雷がほんの少しだけ収まっている気がして、身体の緊張が緩まる。外に出るなら今の内がいい。

 男四人でぞろぞろとクラスを後にする。外を気にしないように気遣ってくれてるのか、愁が隣でずっと話しかけてくれた。それを聞いてないようで聞いているハルキとサクは、たまに相槌を打ったりもする。この距離感が、本当に好きだと思う。


 目の前を歩くサクとハルキの背中を見て、笑みが零れた。

 知らないフリなのか、それとも本当に忘れているのかは知らないけれど。オレはちゃんと覚えてる。

 体育館の中で過ごすことになった、酷い雷雨の日。ハルキは耳をふさいでうずくまるオレを、雷から守るように抱きしめてくれた。安心するようにと、何度も背中をさすってくれた。

 オレが夕方の涼しさで冷えないよう、サクは自分の上着をかけてくれた。父さんと母さんが来たらすぐにわかるように、オレの手を握ったまま、ずっと体育館の入り口を見ていてくれた。

 本当に、優しい奴らなんだ。よく知ってる。


——実は誰にも、ハルキにもサクにも言ったことはない、雷が苦手な理由。

 それは、あの音と衝撃で、『あの日』を思い出してしまうせいだった。

 大雨は、父さんと母さんが死んだ夜の豪雨を思い出してしまって。

 雷は、土砂崩れの前に聞こえた地鳴りを思い出してしまった。


 怖い、と思うのは、二人の顔を思い出すことだけではなくて。また、あんな怖いことが起きるんじゃないかって。また、何もかもひっくり返ってしまうんじゃないかって。それが一番怖かった。


 だから、こんな感じの酷い雷雨の時。ハルキとサクが静かに守ってくれたのは、泣きそうなくらい嬉しかった。

 口数こそ多くない二人だけれど。抱き寄せてくれた腕も。握ってくれた手のひらも。優しくて、あたたかかった。きっとこの世界でたった一人、オレだけがそれを知っている。


 ああ、もう一つだけ。オレだけが知ってること。

 目の前にいる双子の兄は、壁を作るのが上手い。表情を作るのも、本心を隠すのも上手い。ずっと前からそうだった。そこから、月島の家に引き取られて、ハルキが加わって、今の四人で行動するようになって。

 でも、根っこのところは全然変わっていない。壁の向こう側に居るサクは、オレと同い年の半身なのだ。

「サク」

「んだよ」

「ありがとな」

 本心からオレはそう言ったのに、サクは胡散臭そうに眉を顰めて返してきた。

「なんのことかわかんねえよ」

「はいはい、そういうことにしとく」

「おーい双子、突然テレパシーの会話みたいなことすんなー、さっぱりわからん」

「愁とハルキにはまだ秘密」

「なんだそれ」

 不満そうにする愁と、やっぱりキョトンとしているハルキに、思わず声を出して笑ってしまった。二人には、まだ内緒。いつか伝えてもいいけれど、きっとそれは今じゃない。


 実は、オレと同じくらい、雨と雷が苦手なくせに。

 人一倍怖がるオレのために、ずっと強がってくれてること。

 たくさんの『ごめん』と、たくさんの『ありがとう』を込めて。

 オレだけの、秘密にしておくよ。


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