星空の家が関わる行事に、息子である俺が参加することは、多くはない。家の方針には従うし、跡継ぎとして必要な過程は全て受け入れる。朝日子との婚約を解消する代わりに、父親と交わした約束だ。しかし、明らかに『不要』と思えるものまで受け入れる筋合いはない。……という言い分で、ただの顔見せだけのパーティや、形だけの会議なんかは全て拒否してきた。仕事として他人と接することは出来るが、大人数と会話するのは基本的に嫌いで、苦手だった。
今日のパーティもそういった理由で断るつもりだったのだが『参加の会社の責任者だけでなく、親戚も一同に介する集まりにお前がいなくては話にならない』と言われてしまえば、流石に突っぱねることも出来なかった。
偶然だが、時期も悪かった。当主である父親が海外事業の関係で不在になったのが重なってしまった。出席を決めた時には仕方ないと諦めたが、先日カズトから、この日の指定で誘いを貰った時はものすごく悔しかった。正直、今からでもこんな集まりなど抜けてしまいたい気持ちしかない。星空家の跡継ぎとしての表情を作る余裕なんてなくて、スーツのポケットに手を突っ込みながら、思い切りため息をついた。
「あら、パーティの主役が随分と辛気臭い顔をしていますこと」
随分と馴染みのある声が聞こえた。振り返れば、先日顔を合わせたばかりの朝日子がにこりと笑みを浮かべていた。
朝日子はイトコであり、幼馴染である。見知った仲であることは間違いない。……が、仲がいいわけではない。と、思っている。
しかし、今日のような集まりの中では、朝日子の存在は有難い。あまり知らない相手とビジネスライクな会話を続ける必要もないし、先に朝日子と話していれば、滅多なことでは他の人は話しかけてこない。
目に見えて安堵の色を滲ませつつ、朝日子の近くに歩み寄った。
「……朝日子か」
「ごきげんよう、陽輝さん」
「この間の電話以来か。元気そうだな」
「まあ、星空家の方に心配していただけるなんて。恐れ多いです」
「嫌味か?」
流れるように吐き出された嫌味……のように思える言葉に、こちらもつい即答してしまった。
眉を寄せた俺の返答なんて想定済みなのだろう、なんでもないようにニコリと笑って朝日子は言った。
「嫌味なんて今更でしょう、私ですもの。それより、いいのですか? こんなところで私と和やかに会話なんてしてしまって。また変な噂を立てられても知りませんよ?」
「話しかけたのは俺だ。それに、ここで俺たちが話してることなんて誰も聞いちゃいない。……そもそも俺たち二人が親戚で、既に婚約破棄が済んでいることくらいは、ここにいる奴らには周知の事実だろう」
「まあ、それもそうでしょうね」
肩を竦めて、朝日子は軽く周囲を見渡した。朝日子と俺の視線の先にいる参加者達は、各々の挨拶相手との会話に集中しており、こちらの会話内容に聞き耳を立てている様子はなかった。こっち側をちらちら見ている参加者は、恐らく朝日子か俺、どちらかに挨拶したいと目論んでいるだけだろう。逆にああいう手合いが寄ってこないなら、この会話を続ける意味はあるのかもしれない。
朝日子も同じ考えに至ったのか、この雑談を終わらせるのではなく、続ける方向に舵を切った。
「むしろ陽輝さんがここに居ることに少し驚いたかも。星空家と縁のある家しか参加が許されないパーティですもの。おじさん本人が参加すると思ってましたけど」
「父さんは別の案件で今は海外だ。お前の言う通り、こっちに出たかったんだろうがな。俺はあくまでただの代理だ。……そういえば、今日の出席者名簿の記載、最初は日乃宮の代表はおばさんだったな。途中で名前が変わったのは、何かあったのか」
「ああ、お母さまなら別に元気よ。単純に今日の設営の関係で、私に変更になっただけです」
「設営?」
俺が困惑したことに気づき、朝日子は小さく溜息を吐いて続けた。
「そもそも日乃宮も星空家の親類、血縁として参加は決まっていましたが……最初はおっしゃる通り、お母さまが出席予定でした。ただ、今日のパーティ会場の設営に、ウチの花を使っていただいていまして。そのお花の飾り付けの担当が私。だから、日乃宮の代表が私になったんです」
「なるほど、そういうことか」
会場を見渡せば、至る所に豪華で、そしてしっかり風情もある花々が置かれているのが分かる。朝日子は多くの芸道師範を担う日乃宮の家の中でも、華道と茶道の腕がたつそうだ。そうだ、というのは俺がそういう方面に疎く、深く理解出来ていないという理由がある。どれだけ朝日子が文化人として優れているのか、と婚約させられた時に父から聞かされたが、申し訳ないことに俺はてんでその良さが分からなかった。
しかし、朝日子の華道の実力は日本で、そして世界的にも認められたものだとは聞いたことがある。だからこそこのパーティでも設営の花を担当しているのだろう。
「相変わらずだな。芸道の道、特に三道……華道、茶道、書道といえば日乃宮だ。そういった分野はてんで分からないが、今度日乃宮の事業を見学させてもらうか。何か参考になるかもしれない」
「ご冗談を。今日の私の着物についてだって、特に何の感想も出てこないくせに」
全く変化のない笑顔のまま言われたそれに、え、と思いながら朝日子を見る。一応こちらも社交界でのお世辞は何百回とこなした身だ。適当な誉め言葉の一つや二つ……と思ったが、いざ朝日子からそういう売り文句を貰った後だと、本当に誉め言葉が合っているのか不安になってくる。かろうじて、当たり障りのない褒め言葉を口にした。
「……桃色の着物が、綺麗だな」
「ふふ。着物の色なんて幼稚園児でも言えますよ。着物の種類や柄まで理解できるようになってからじゃなければ、日乃宮の指南の意味なんて理解出来ませんわ。陽輝さんが出来るのは畳に正座するまでですよ。ご愁傷様」
ド正論すぎて耳が痛い。その上で朝日子の毒舌が重なって更に耳が痛い。
「お前、最近ほんとに容赦がなくなってきたな……」
「どうせ陽輝さんの周りはイエスマンばかりなんでしょう? たまには私のような人がいないと、感覚がおかしくなってしまいますよ。つまりこれは善意です」
「そうかな。」
善意だという朝日子の主張には異論を唱えたくなるが、『イエスマンばかり』という言葉には正直頷かざるをえない。
父の代理で仕事をすることが多くなった今。面と向かって俺に反論してくれる人は、確かに朝日子くらいしかいないのではないか。そんな気はした。
「……随分懐かしいツラが並んでんじゃねえか」
懐かしい声に、目を見開いて振り返った。赤いメッシュの入った黒髪、赤茶色の瞳。背丈は以前会った時よりも少し伸びただろうか。幼馴染の一人である青年——夜空蛍が、怠そうにこちらを見やっていた。
「
「お久しぶりです。何年振りですかね」
「1年かそこらじゃねえの。そこまで間があいたわけでもないだろ」
ヘッ、とヤンキーさながらの口調で話す蛍の耳には、じゃらじゃらと数個のピアスが光って揺れていた。慣れた様子でスーツこそ着こなしているが、かしこまった場であまり見る姿ではない。俺と朝日子は見慣れているが、他の参加者の何人かが遠目にこちらを伺っているのが分かった。
夜空蛍は、星空家と遠縁であり、なおかつ事業提携もしている夜空家の嫡男だ。俺や朝日子と歳が近いこともあり、大人たちの集まりでよくある『子供たちだけで遊んでおいで』との言葉で一括りにされていた。年を重ねるにつれて、それぞれの生き方に家業がついて回るようにはなったものの、今でも気軽に会話の出来る一人であることには間違いない。
この三人の関係性は昔から一切変わっていないのに、蛍の手にパーティで配られるアルコールのグラスが握られているのが、ちぐはぐな時の流れを感じさせた。
最近は会う機会が無かったように思う。蛍自身の言うように、1年ぶりくらいに声を聞いたような気がした。
「蛍さんは会社関係から遠ざかれましたので、会う機会は急に減りましたね。そのこともあって、しばらく会っていないように感じたんですよ」
「そういえば、今日は権蔵さんは欠席だったな」
「じーさんの代理で名前だけだよ。すぐ帰ってやる、こんなかったるい場所」
本来の出席予定者であった夜空権蔵は、蛍の祖父にあたる。夜空家の今の当主である夜空権蔵は、事業の成績が良いだけでなく、人当たりも良い老人だ。老人、と言ってしまうにはまだ見た目は全然若々しく、しばらくは隠居する予定もないと聞く。そんな権蔵氏ではなく、孫の蛍がこの場にいるのは、確かに違和感を覚えた。
「本当は代理でもこんなのお断りだったよ。とっくの昔に家も出てんのによ」
「家を出たお前が呼び出されるくらい、何か緊急事態でもあったのか?」
「緊急ってわけじゃねーけど……舞衣も風邪でぶっ倒れて、じーさんは今海外なんだと。お前らも知っての通り、うちの両親は基本、家業に関わってねえし。それで誰も行けねえっていうから仕方なくだ。じじいめ、この貸しは高くつけてやる」
「舞衣さん、体調悪いんですか?」
「多分へーきだよ。病院行くほどでもなかったっつーし」
そう言いながらも、蛍の顔は少しだけ心配そうに歪んでいる。
舞衣、というのは蛍の年子の妹だ。表立って仲の良い様子も聞かず、お互いに妹、兄のことを聞けば眉を寄せるか苦言が飛ぶか、という状態だ。仲はそこまで良くないのだろうと思っているが、それでもこの言い方を聞く限りは、ちゃんと妹のことを心配しているのだろう。
「まあ、なんにせよ蛍さんが来てくれて助かりました。私と陽輝さんだけで会話していて、また変な噂でも立てられたらたまりませんので」
「なんだよ、まーたモメてんのかお前ら」
怠そうにしていた蛍の目が、面白いものでも見つけたかのように光った。幼馴染だからこそ突っ込んで聞いてくるのだろうし、幼馴染だから揶揄われたってまあそんなに気にならない。……が、ずっとネタにされても、それはそれで困る。
俺が反論するよりも先に、更に面白そうな様子の朝日子が口を挟んだ。
「いいえ全然。むしろこの人、ようやく好きな人を捕まえたらしいので。ヘタレ卒業を応援してあげましょうか」
「へえ」
驚いたように、蛍の目が見開かれる。数秒、じっと俺のことを見た蛍は、その瞳を細めて呟いた。
「俺もあんまり詳しくは知らねえけど。星空のおっちゃん達はどうすんだよ」
「蛍さん」
「あんときゃあ、なんか色々とゴタついちまったけど。結局はあのおっちゃん達が全部仕組んでんだろ。アレをどうにかしねーと、また四年前の二の舞になるぞ」
俺と朝日子が婚約し、そこから破談になった経緯は、蛍はよく知っている。内側からも外側からも色々と話を聞いた蛍だからこそ、この件が一筋縄でいかないだろうと予想がついているのかもしれない。口調こそ荒いものの、その眼差しは幼馴染を憂う、心配そうな色を含んでいた。
しかし、蛍の発言はこの場では明らかにふさわしくない。朝日子が流石に声を少し低くして窘めた。
「あまり、叔父上たちの話は」
「知るかよ。俺はそもそも夜空の家からはとっくに出てってんだ。何聞かれようが知ったことか」
「それでも、今は一応名代でしょうに」
「けっ」
朝日子からの苦言など意に介さず、といったように、蛍は手元の酒をあおった。お互いに物心ついた頃からの付き合いなのに、そこにアルコールが介在する景色は、やはり何度見てもちぐはぐだ。
「蛍も酒が飲める年か。変な感じだな」
「昔はランドセル背負ったガキ同士だったのにな」
「そうですね」
「朝日子、お前は昔からランドセル似合わなかったな……」
「あら、失礼ですね。随分とヤンチャなお姿でパーティにいらっしゃったかたには言われたくないですよ?」
かつての朝日子のランドセル姿にまで言及した蛍だったが、ものの見事に朝日子にしっぺ返しを食らって顔を顰めた。気を悪くしたのか、それとも仕事が済んだのか。蛍はくるりと踵を返す。蛍の背中に、朝日子はきょとんとして声をかけた。
「蛍さん、もう帰るんですか?」
「じじいの代わりに顔出ししただけだよ。長居してたまるか」
そう言い捨てながら、蛍は近場のテーブルに空になったグラスを置く。そのまま立ち去るのかと思ったが、何か気になることがあったのか、蛍はその場に立ち止まってこちらを振り返った。
「なあ、陽輝」
「なんだ」
「どう転ぶか知らねーけど。お前バカなんだから。下手に頑張ろうとしすぎんなよ」
それだけ告げて、蛍は今度こそ出入り口に向けて歩き去っていった。
真っすぐで堂々とした背中を見て、本当に珍しく、ありがたいタイプの友人だなと思う。
同じようなことを思ったのか、朝日子も蛍の背中を見て、小さく笑った。
「陽輝さんにここまで正面切って『バカ』と言えるのは、恐らく全世界で蛍さんだけかもしれませんねえ」
「お前だって似たようなことは言うだろう」
「あら、しっかりと『バカ』って言って欲しいんですか?」
「……もういい……」
はあ、とため息を吐いて、手元の飲み物を口に含んだ。幼馴染二人に立て続けに『バカ』と言われ、反論する気も失せる。
そういった言葉を投げてくるこの幼馴染たちは、それでも、俺を応援してくれているのだと。見守ってくれているのだとは分かっている。
四年前の一件を含め、沢山心配をかけてしまった。
だから、だろうか。
見守ってくれている幼馴染の、その想いをしっかりと受け止めて。
——今度こそ、間違えたくないと思うのだ。