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第13話

病院の屋上で、颯太は青い液体の入ったボトルを手にしながら、遠くの景色を眺めていた。

もちろん、これは木村先生からもらった例の海外のドリンクだ。

甘くて独特な香りがする。

──思えば、長かった。

父の名誉を回復するためにここまで走り続け、ついにすべてが明らかになった。

病院の体質は変わり、黒沢は姿を消し、前院長も自身の過ちを認めた。

そして、颯太は医者としての決意を新たにした。

これから、この病院をどう守るか──それが、次の課題だった。

そんなことを考えながら、ふと隣を見る。

そこには、真田先生の姿があった。まるで、当たり前のようにそこにいる。それが、なんだか不思議で、少しだけ安心した。


「先生、やっと終わりました。」


静かに言うと、真田先生は、少しだけ目を細めて微笑んだ。


「ああ。お前の母親も喜んでいたな。」


「はい。僕の前では笑っていましたけど、僕が部屋を出た後、泣いていました。」


そう思い出すと、胸が温かくなった。

──母は、ずっと父のことを信じていた。

──ようやく、それが報われたのだ。


「……俺も、兄の死の真実がわかってよかったよ。」


真田先生が、ぽつりと呟く。それは、まるでここに留まる理由がなくなったかのような言葉だった。


「もしかして、先生が幽霊になってからも、この病院から出られない理由って……お兄さんの真実を明かしたかったからじゃ……」


「……そうかもしれないな。」


その瞬間だった。真田先生の姿が、うっすらと薄くなっていく。


「先生っ!」


颯太は思わず声を上げる。まだ、消えないでくれ。けれど、真田先生は、どこか満足したような表情を浮かべていた。


「これからも鍛錬を怠るな……」


「はい……」


「プライドを高く持つな。」


「はい……」


「医療は進化し続けるんだ。忘れるな。」


「はい……」


「……俺はいつでもそばにいるぞ。」


「はい!!」


そう言い残し、真田先生の姿は、ふっと消えた。屋上に吹く風が、少しだけ強くなった気がする。いなくなってしまったのか?


「……真田先生……俺、やります。」


自然と、涙がこぼれる。父の無実を証明できた。でも、それだけでは終わらない。これからは、自分が医者として何を成すかが問われる。その思いが、じんわりと胸を満たす。

と、その時だった。


「わっ!!」


「うわぁぁぁぁぁぁあああ!!」


突然、背後から大きな声が響き、颯太は驚いて尻もちをついた。驚いて振り返ると、そこにはにやりと笑う真田先生の姿が。


「そんな簡単に消えないな。」


「ちょ……ま……!!」


呆然としながら、颯太は真田先生を見上げる。


「……先生、消えたんじゃ……!?」


「まあ、まだ少し気がかりがあってな。」


「なんなんですか、それ!? さっきの感動的な雰囲気、返してくださいよ!!」


「感動的な雰囲気なんて、俺には似合わない。」


そう言いながら、真田先生は肩をすくめる。


「それに……もう少し、お前の成長を見ていたいしな。」


「……本当は、ただ見守るのが好きなだけじゃないんですか?」


「かもしれないな。」


真田先生は、どこか楽しそうに笑った。まだ、そばにいてくれるのか。そのことが、なぜか嬉しかった。


「真田先生、先生が成仏するまで、一緒にいてください。」


「そうだな。飽きるまではな。」


にやりと笑う真田先生の顔を見て、颯太もふっと微笑んだ。

すべてが終わったわけではない。むしろ、ここからが本当の始まりなのかもしれない。これから、自分はこの病院で何を成し遂げるのか。父が守ろうとしたものを、どうやって受け継ぐのか。それを考えながら、青い液体の入ったボトルを軽く振る。


甘くて独特な香りがする、木村先生にもらった海外のドリンク。今、この一口がいつもより少しだけ美味しく感じられた。


「さて……そろそろ行きますか。」


そう言って立ち上がろうとした時、屋上の入り口から小さな声が響いた。


「あっ、やっと見つけた!」


振り向くと、由芽がこちらに顔を出していた。額には少し汗が滲み、急いで探していたことが分かる。


「颯太、早く来て。気になる症状の患者さんがいるのよ。」


由芽の言葉に、颯太は少し驚いた後、そっと笑う。

変わらない日常が、すぐそこにある。父のことがあっても、それが解決しても、由芽は以前と変わらずに自分を探してきた。

まるで、さっさと医者に戻れと言わんばかりの態度だ。


「……由芽、俺の父親のことがあっても……解決しても……いつも通り接してくれてありがとう。」


そう言うと、由芽はふっと目を丸くし、すぐに頬を赤らめた。


「あ、あたりまえじゃない。」


少し気まずそうに目をそらしながら、照れ隠しのようにそっけない声で続ける。


「ほら、行くよ!」


「ああ、わかったって。」


そう言いながら、颯太は由芽の後を追う。由芽は、まるで子供を急かす姉のように、後ろから軽く背中を押してくる。

いつもと変わらない、日常の風景。

これからも、この病院ではたくさんの患者が訪れる。助かる命もあれば、助けられない命もある。それでも、自分はここで医者として生きていくのだ。


由芽とともに、病院の廊下へと消えていく颯太を見送りながら、屋上に残った真田先生は、ひとり微笑んで呟いた。


「あいつも、まだまだだなぁ。」


そう言いながら、ふっと風とともに消えていく。

だが、見守るのはもう少しだけにしておこう。

彼が本当の医者になる、その時まで。

澄み渡る青空が、未来へと続く道を照らしていた。


──完──


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