「昔はもう少し違ったんだけどな。少なくとも義母は僕の事も大事にしてくれたんだけれど」
「義母?」
俺の問いにシルヴォの方が目を丸くする。現状、彼等家族の事について俺は無知なんだ。
「知らないできたの? 僕の母とファルネ兄さんの母は違うよ。僕達は腹違いの兄弟だ」
「複雑……なんだよね?」
何せ国王一家は妃同士仲がいい。あれを見てしまうと他もそうなのかと思えてしまう。俺の居た世界でも一夫多妻の国はあって、そういう所では夫人同士の仲も良さそうだし。
ただ、あの夫人と仲良くなれる気は俺はしないんだけれど。
それを肯定するように、シルヴォは深く頷いた。
「元々、ファルネ兄さんの母と父は想い合っていたんだ。けれどそこに僕の母が横恋慕した。母同士の家の格でいけば僕の母の方が上ってことで、あの人は無理矢理自分をねじ込んだのさ」
「えぇ……」
それって、絶対に駄目なやつだろ。と、俺は思うんだけれど。
「そんなにアントニーさん、モテたんだ」
「伯爵位で領主家だしね。それに父自身やり手だったから将来有望だった」
「うわ……」
「でも当然、父の気持ちはファルネ兄さんの母に行く訳で、僕の母は後回し。結果、一年未満とはいえ兄が先に生まれて僕が後。僕から言わせればよく番ってもたえたなって思うよ」
これについてはノーコメントにしておこう。気持ちとしては頷いてしまうけれど。
「これで自分が優先されない事に怒ってるって、もう意味が分からないよ。僕の事だって本当はどうでもいいんだ。ただ僕がいることで離縁されないからってだけ」
あきれ果てた言いように俺は心配になる。だってこの言い方はまるで自分も大事にされていないって、言っているようだから。
「シルヴォさんは、アントニーさんやファルネさんが嫌いなの?」
思わずそう聞いてしまうと、彼は少し黙って……次に自信なさげに首を横に振った。
「嫌いじゃないよ。少なくとも実の母よりも二人は僕を大事にしようとしてくれる。実際領主代行なんて任せてくれてるしね」
「でも、戻らないって」
「母がいるからね。戻ってくる度に五月蠅く言われたら誰だって嫌だよ」
そういう彼は笑うのに、凄く寂しげで泣いてしまいそうな顔をしていた。
「義母……ファルネ兄さんの母はこんな僕の事も気に掛けて、母のヒステリーから守ってくれていたんだ。でも亡くなった後はもうやりたい放題」
「逃げようと思わないの?」
「……逃げ方が分からないんだよ」
彼は本当に、そう弱り切った声で言った。
他人からすれば簡単な事がある。言葉にするのは簡単な事もある。でも当人にとってはどんな難問よりも難しい現状もある。シルヴォにとって夫人の呪縛は、何よりも強い足枷なのかもしれない。
この人も、救われるべき人なんだろうな。
そんな事を思って、俺は彼の肩を叩いた。
何にしても今はクナルをどう救い出すかだ。彼が簡単に屈するとは思わないけれど、だからこそ怪我をしたりする可能性もある。
無実を証明できれば……なんて言ったら、シルヴォは苦笑して「無駄」と言った。
「言ったよ。あの人の中で都合の悪い事は嘘になる。どれだけ証明しようと望む状況が得られなければ認めないんだ」
「なんなんだよその理屈」
こんなに話ができないなんて思わなくて、現状進まなくてイライラする。でもクナルは救い出さないと。今はキュイに託すしかないけれど、それだって数日かかってしまう。キュイは凄い速さで移動できるけれど、それを聞いた人の方は移動に時間がかかるんだ。
「クナルにもしもの事があったら俺、どうしよう」
不安が込み上げる。どうしようもない気持ちになる。自分の事なら耐えられるのに他人となればそうはいかない。
不安に胸元を握り泣きそうになる俺を見て、シルヴォは大きな溜息をついた。
「方法がないわけじゃないよ」
「え?」
思わぬ言葉にシルヴォを見れば、彼は凄く嫌な顔をしている。
けれど同時に、暗い笑みも見せた。
「じゃあ、今夜僕の部屋においでよ。場所はこの廊下の突き当たり。レリーフのある大きな部屋だから分かるはずだよ」
「それで、クナルを助けられるの?」
俺の問いに、彼は確かに頷いた。
その夜、俺は言われたとおりシルヴォの部屋を訪ねた。
木製の大きな観音開きの扉には梟と月のレリーフが施されている。
「シルヴォさん、いる?」
「いるよ。どうぞ」
声がかかってドアを開けると、彼はローブ姿のまま。俺は慌てた。
「ごめん! 風呂入ったばっかだったんだ。出直すから」
そうまくし立てて出て行こうとする俺の腕を、シルヴォは掴んだ。
「いいんだよ、これで」
「それって、どういう」
「まずは入りなよ。クナル殿、助けたいんだろ?」
俺の中で何かの警報が鳴った気がする。けれどそれ以上にクナルを助けたいという思いが強くて、俺は頷いてドアを閉めて中へと入った。
シルヴォに案内されたのはテーブルセット……ではなく、何故かベッド。その縁に腰を下ろした俺の隣に彼は座る。思ったよりも近い距離感に落ち着かなくて、だからってあからさまに距離を開けるのも失礼だから、俺は何とも言えない居心地の悪さに彼を見た。
「あの、それで方法って」
「簡単だよ。あの人を満足させればいいんだ」
「え?」
それって、どういう……?
その答えが出ないまま、俺はシルヴォに押し倒され無様にベッドに仰向けに倒れ込んだ。
え?
疑問符が浮かぶ俺の目の前には泣きそうな顔をするシルヴォ。腕は彼の手で強く縫い止められて動けない。体も腰の上に馬乗りにされていて動けない。
「鈍いんだな、マサ殿。正直心配になっちゃうよ」
「シルヴォ!」
「あの人が望んでいるのは僕と聖人様の既成事実さ。自分の息子と国が認めた聖人を娶せて、自分の地位を上げたいんだよ」
なん、だよそれ……。
信じられない事が起こっている。でもリデルは前に警告してくれた。「政治的な価値が生まれた」と。これはつまりそういうことで……。
「まぁ、僕としてもちょっと願ったりだけどね」
そう、暗く言ったシルヴォの頭が下りてきて俺の首筋に触れる。そこに柔らかな唇が触れると一瞬ゾクリとした感覚が襲った。
その事に一番驚いているのが、俺だった。